Wednesday, December 13, 2017

さりげなく、わざとらしく


<さりげなく>はなにか好ましい印象をあたえるが、もとは<さ、ありげなく>で<そのように見せずに>というような意味だ。<見せずに>には意図が感じられる。これと反対の意味のような言い方に<わざとらしく>があり、こちらの方は<(あたかも)そのように(わざわざ)見せて>で、こちらも<見せて>に意図が感じられる。だが<わざとらしく>は必ずしも<さりげなく>のまったく反対というわけではない。この辺は意外と複雑だ。問題は<わざと>で、<わざと>とはいったいどういう意味か?<わざわざ>という言い方があり、<必要もないのに>、<しなくてもいいのに>、<しない方がいいのに>(する)といった意味だ。<わざ>は技(わざ)と関連があろう。技(わざ)すなわち技巧なので<わざと>、<わざわざ>は基本に<技巧をこらして>の意になる。<さりげなく>にも技巧が感じられる。<さ、ありげなく><技巧をこらす>のだ。<さりげなく>、<わざとらしく>は言い換えるといずれも演出だ。作為(さくい)的ともいえる。作為には、他人に対して意図、目的があるわけで、癖になっている人はの場合は別としして基本的に単独に<さりげなく>、<わざとらしく>することはない。ボクシングやサッカーでは相手に対してするフェイントというのがある。<さりげなく>、<わざとらしく>するのもフェイントの一種。テクニックなのだ。剣道では無心が説かれるが、少なくとも初級段階では相手に勝つためにフェイントが使われる。

<意外と複雑>にしているのは

1)意図には良い意図と悪い意図がある。好意と悪意といってもいい。

さりげなく - 良い意図を見せないようにする
さりげなく - 悪い意図を見せないようにする

<さりげなく>は大体<良い意図、好意を見せないように>ふるまう(言動する)の意で使うようで、好ましいことだろう。だが<深層心理>的には何か意図がありそう(深いわけがありそう)。<悪い意図を見せないように><さりげなく><する>のは高等詐欺師だ。

2)<さりげなく> には<たいした努力をせずに>といった意味もあるが、正確には<(難しいコトに対して)さほど努力をしたようには見せずに>(何かをやりとげる)といった意味もある。<見せずに>に意図がある。

<無為無策>は否定的に使われる。つまり<さりげなく、わざとらしく>振る舞った方がいい場合があるわけだ。ボクシングやサッカーのフェイントは成功すると賞賛される。<だまし>が賞賛されるわけだ。 愛想(あいそう、あいそ)やお世辞(せじ)もこの類で、ほめられる場合もあれば否定される場合もある。

3)<わざとらしく>、(必要もないのに)<(あたかも)そのように(わざわざ)見せて>何かをする目的は何かというと、それは<目立つ>ため、注目をひくためだろう。なぜ<目立とう>、<注目をひこう>とするのかはここでは詮索しない。

4) <さりげなく>も<わざとらしく>も自分自身のふるまい(言動)を言うのではなく、他人のふるまい(言動)の評価だ。

花子はこの難局をさりげなく乗り切った。

はいいが、

私はこの難局をさりげなく乗り切った。

はおかしい。

2)でとりあげた<たいした努力をせずに>は、本人は実際<たいした努力をせずに>難しいことをやってしまうのだが、他人には<たいした努力をしていないように見せている>と映る場合がある。

<さりげなく>、<わざとらしく>、言い換えると<演出や作為や隠された意図や目的のある言動>の反対は無作為だ。

老子は無為(むい)を説(と)いたが、無為(何もしない)は老子といえども生活上無理なので、無作為を説いたともいえる。作為があるとこの世の中いろいろよくないことが出てくるのでよろしくない、ということらしい。(注) 作為は大体自分の利益を考えてとる言動のことで、この作為を隠してなにかをやりとげようとする方法はいろいろあるだろうが、<さりげなく>、<わざとらしく>も方法と言える。

無作為のやまとことばは何か?

下心(したごころ)なく

がよさそう。


即興(そっきょう)というのがある。よく知らないがジャズは即興のようだ。即興はほとんど考えるヒマ無く何か(の言動)を進めることなので演出、作為が入り込む余地が時間的に限られ、少ない。即興のやまとことばは何か?

場(ば)当(あ)たり
やみくも(闇雲の意だろう)

があるが否定的な言葉だ。漢語の四字成語の臨機応変は大体いい意味で使われるが、ほとんど考えるヒマ無いのに状況の変化にすばやくうまく対応することだ。だが場合によっては<節操がない>と否定的になる。


(注)老子の言葉を伝えたものという道徳経をよく読むと確かに<無為>ではなく<無作為>を説いている、と言っていい。別のブログ<Rhetoric, paradox and riddle of Lao Tze>参照。

sptt

Thursday, November 23, 2017

日かげと星かげ 


 <星かげのワルツ>という歌があるが、わたしはこれまで<星かげ>とは何かをよう考えたことはなかった。調べてみると、レコードのジャケットは<星影のワルツ>となっている。またコンピュータワープロも<ほしかげ>は<星影>と出てくる。一方<日かげ>は<日陰>と出てくる。<星影>も<日陰>もやまとことばとしてはいまいちしっくりこない。 <星かげ>、<日かげ>の方がいい。手もとの辞書では

星かげ、月かげの<かげ>は<光>、という簡単な説明がある。

だが、<星かげ>は星光、<月かげ>は月光ではないだろう。<かげ>と<ひかり>は正反対ではないが、<かげ>は<ひかり>がモノにあったてできる<ひかり>が当たらないところ、のようで、<ひかり>と<かげ>は切っても切れない関係にある。コンピュータワープロによると

ひがかげる - 日が陰る
ものかげ - 物陰
かげになりひなたになり - 陰になり日向のなり
かげろう - 陽炎、陰ろう (<ろう>は楼閣の<楼>だろう。とすると湯桶読みだ。)
かげかたちもない - 影形もない
かげをおう - 影を追う 
ひとかげがみえる - 人影が見える
ひとのかげがする - 人の影がする

<陰>は大体<ひかり>がモノにあったてできる<ひかり>が当たらないところ、の定義によるもの。一方<影>はおおむね<姿(すがた)>で置き換えらるが<影(かげ)>と<姿(すがた)>は違う。<影(かげ)>はおぼろげな姿で、実態(体)ではないようだ。だが実態の姿を反映している。

<かげふみ>という子どもの遊びがあるが、これは私のコンピュータワープロでは漢字が出てこない。<ふみ)は<踏み>でいいだろう。だが<かげ>が問題だ。 <かげ>は光が人(子ども)にあって光が当たらないところにできるので<陰踏み>。ところが実際には<陰(かげ)>でできた<姿>を踏む、踏ませない遊びだ。したがって<影踏み>でもよさそう。陰(かげ)でできた影(かげ)ともいえる。これがどうも正解のようで、つまりは両義というか、このようなモノなのだ。

<鏡(かがみ)>はもともと<かげ見>がなまったものだろう。この<かげ>は姿だ。

さて<日かげ>はいいとして<星かげ>をどう説明したらいいのか。 光が星にあったてできる<陰(かげ>は存在するが、地球にいる人の目では見えない。その陰がつくる影(すがた)も地球にいる人の目では見えない。見えるのは星の光だ。星でも太陽のようにみずから発光している星はこの説はダメのようだが、まったくダメというわけでもなさそう。<おひさま影>というのは聞いたことはないがこれまたまったくダメではないだろう。ただ、太陽はよく晴れている昼間はまともに見れない。雲を透(とお)しては見ることができ、これは少しおぼろでもあり<おひさま影>だ。星の形は、微妙には違うのだろうが、大体同じように見える、というか小さすぎて光の点のように見える。つまるところは辞書の解説と同じく<光>になってしまうのか?月影は<光りがつくり出す月の姿>と言えそう。月影は白っぽい黄色だ。一方<かげ>は同じく光りがつくり出す姿>だが黒っぽい。したがって、陰、影を一般化すると<かげ>は<光りがつくり出す姿>となる。星の場合は月影の方に近いが、姿が点みたいになっているといえる。発光している星も太陽のようにまぶしくはない。よく見ると色はいろいろあるようだ。

さて、このポストを書き始めたのは、 <日かげと星かげ>というよりは

かげがみえる - 影が見える
かげがする - 影がする

という表現なのだ。特に<影がする>、<xxの影がする>という言い方だ。<xxの姿が見える>という言い方があるが、これは<xxのかげが見える>とは違う。<姿がする>、<xxの姿がする>という言い方はないようだ。<影がする>は<見る>、<見える>という視覚動詞が出てこないが視覚に関連した表現だ。他の感覚では

(xxの、な、ような)音がする
(xxの、な、ような)匂(にお)い、香りがする
(xxの、な、ような)味がする
(xxの、な、ような)手ざわりがする、肌ざわりがする。(xxの)感触がする、は純やまとことばではない。

総代表は

(xxの、な、ような)感じがする

だが、<感じ>は純やまとことばではない
<する>動詞、前に<が>があるので、<する>は自動詞になる。強調したいのは<する>とい動詞で、上記の<する>はどういう意味か?

以上を英語にするのは少し難しい。感覚表現は複雑だ。もうすこし具体的な例文にすると

遠くでカミナリの音がする。
この庭はばらの匂(にお)い(香りがする)。
この豆腐は変な味がする
この生地(きじ)はなめらかな手ざわりがする(肌ざわりがする)。
この部屋はうす気味悪い感じがする。

以上の文例を英語にするのは私及び興味とひまのある読者の宿題とする。多分英語は I (私は)xxx という方法がる。例えば

遠くでカミナリの音がする  - I hear a sound of thunder far way.

直訳に近いのは Thunder sounds far way. これは日本人にはもっともらしいが、おそらく英語母国語人はこうは言わないだろう。<I >がないと確かなところがないようだ。だが<カミナリの音は聞こうとして聞く<to listen to>ではないので<I >があるのはかえっておかしいと言うこともできる。この解決策は<私に>を入れることで、Thunder sounds to me from far way. とでもなるか。だが、これもこうは言わないだろう。なぜか? それは I hear の hear に<(音が)聞こえる>の意があるからだ。


sptt







Thursday, November 2, 2017

比較最上級のやまとことば<何にもまして>



英語の比較最上級表現はよく使う。英文では

the   xxx(形容詞原形)+ est

the most xxx(形容詞原形)

となるもので

Mount Fuji is the highest (mountain) in Japan.
Mr xxx is the richest man in Japan.
This is the most expensive diamond in this store.
Hanako is the most beautiful in this class.


日本語訳は、試験でバツをもらわないように、比較最上級=もっとも(最も)を使って

富士山は日本で最も高い山だ。
xxxさんは日本で最も金持ちだ。
これはこの店で最も高いダイヤモンドです。
花子はこのクラスで最もキレイだ。

でもいいが、単調になる。さらに<もっとも>はやまとことばだが翻訳調なのだ。そこでわたしは<一番>を使って

富士山は日本で一番高い山だ。
xxxさんは日本で一番の金持ちだ。
これはこの店で一番高いダイヤモンドです。
花子はこのクラスで一番キレイだ。

としてきた。私の住む香港では<一番(ichiban とそのまま日本語のように発音)>がNo 1 の意で日本人との会話ではよく使われる。多分この影響がある。だが<一番>はやまとことばではない。

最近たまたま思いついたのに<何(なに)にもまして>がある。 関連表現にはバリエイションがあり、単調ではない。

富士山は日本でどの山にもまして高い山だ。
xxxさんは日本で誰にもまして金持ちだ。
これはこの店でほかのどれにもまして高いダイヤモンドです。
花子はこのクラスで誰にもましてキレイだ。


sptt




Monday, October 30, 2017

<身につまされる>と<ゆとり>の語源


<身につまされる>と<ゆとり>は一見関係なさそうだが、まとめて語源を探(さぐ)ってみる。

<身につまされる>は<身(み)>がつく表現をいろいろ探している時に手もと辞書にある慣用表現のなかで見つけたもの。<身につまされる話>は聞いたことはあるが、実際自分で使った記憶はない。多分意味が解っていなかったためだろう。

手もとの辞書、インターネット辞典も大体同じで

他人の不幸などが、自分の境遇・立場と思い合わさって切実に感じられる。

  1. [共通する意味]
      ★人の気持ち、立場などにひきつけられて、自分も同じように感じてしまう。
  1. 類語
  1. [英]
となっている。類語が<ほだされる>、英語が to be moved なのは新発見だ。

<身に>は別のところで<再帰動詞表現>にからんでいろいろ調べたが、

1)体(からだ) (身をのりだす、身をくねらす)
2)中身 (身も蓋(ふた)もない)
そして
)自分自身
さらには頻度はさほど多くはないが
4)命(いのち) (身をささげる)

となる。この分類は明確に分かれるのではなく、いくつかの意味が掛詞 (かけことば) のようにからまっている場合が少なくない

問題は動詞の<つまされる>で、受身形のようだが、能動形はなにか?<ほだされる>の能動形は<ほだす>なので、<つまされる>の能動形は<つます>だろう。だが、このような意味で(身につます)<つます>は聞いたことがない。

<つます>は<つむ>(他動詞)の使役形だ。<(誰々に)つます>

<つむ>はコンピュータワープロでは摘む、積む、詰む、と出てくる。<摘む>関連では<つまむ>というのもある。<身につまされる>の<つまされる>の<つむ>は<心をつまれる、つままれる>で<摘む>のようだ。<積む>は関係なさそう。だが表現は<つます>でこれは<摘む>使役形。<身につまされる>の能動形は<誰々に(何なに)(自分の)身摘ます>に意味がなければならない。<身摘ます>ではない。どうも泥沼に入ってしまったようだ。

一方<詰む>は古語で、現代語は<詰める>。 自動詞は<詰まる>。<詰める>は

1.容器などをいっぱいにする
2.空間、すき間を埋める。 <席を詰める>。
2.水の漏(も)れ、流れなどを栓(詰め物)などをしてふさぐ。(ドブがつまる、息がつまる)

慣用表現としては<つまらない>(おもしろくない)、<満たされない>の意か。<つまるところ、つまり>。将棋では<王将を詰める、詰め将棋>というのがある。

このような意味の古語<詰む>とその使役形<詰ます>を<身に詰ます>に応用すると、

( 順調に流れている(進んでいる))身詰め物などをしてふさがせる、となる。これを<受け身>にすると

身に(何かを)詰まされ(て、順調に流れない)、となる。

ここでは<誰々>、<何なに>がないが、不特定の誰か、何かでいい(これは重要)。

これだと、英語の to be moved と逆になってしまうが、<流れている(動いている)モノが止まる>のと<止まっているモノが動く>のは<変化>という意味では同じことだ。物理の変化率を思い起こせばいい。 モノの動きの変化率は<力のもと>だ。ここがポイント。<身につまされる>とは<心が変化させられる>ことなのだ。

なにか、まやかし、ごまかし、詐欺のような説明だが、 <to be moved>につて調べてみる。 <to be moved>は感動的な映画を見た観客が<I was moved.>というのをよく聞く。中国人も<很感動>、日本人も<大変感動した>という。<感動>は<感情が動く>で自動詞表現だろう。実際はそうかも知れないが<XXが(私の)感情を動かした>とは考えないだろう。中国語は語順が極めて重要で<感動>は<感が動く>とは限らない。<下雨>は<雨が降る>。まあ、この詮索はここではしない。

<感情が動く>、<感情を動かした>は翻訳調で

心が動く、心が動かされる
魂(たましい)が動く、魂が動かされる

とやまとことばを使うと俄然<to be moved>に近づく。

<to be moved>と似た言い方に<to be excited, to get excited>という受け身表現がある。日本語では<そうエキサイトするな>で否定的(冷静を失うといった意味)に使われるが、英語母国語人なら<to be moved>の代わりに使うことがある。基本的には<to be moved>も<to be excited>も<冷静を失う>ことなのだ。<冷静>を<順調で ”つまらない”>状態とすると、<つまらせて、つまさせて>変化を起こすことは肯定的になる。

さて、<ゆとり>だが、語源はよくわからない。<ゆったり>、<ゆっくり>、の擬態語が関連ありそう。手もとの辞書によると<ゆくり>は上代語で<突然>の意。したがって、<ゆくりなく>は<ゆっくり>と関連する。<ゆとり>と似たような言葉に<落ち着き>がある。これは<落ち着く>由来。<落ち着く>も変化の過程を示しており、<動いていたものが止まる>こと。 to become not moved (moving)、to become not excited (exciting) だ。

なぜ<ゆとり>を持ち出したかというと、<ゆとり>は冷静と関連する。

そうカッカするな(Don't be so excited)。もっとゆとりを持て。

と同時に<ゆとり>は<停滞的で ”つまらない”>状態とも関連するのだ。これで、

そうカッカするな(Don't be so excited)



The game (baseball, etc) was so excited.

が両立するのだ。


あまりまとまりがないが、なぜこのような話をしたかというと、最近のイタリア語再勉強中に伊英辞典の中で

motivare (他動詞) to excite, to motivate

motivarsi (再帰動詞) to be moved, to be excited, to be motivated

に遭遇したからだ。 再帰動詞では<自分自身を動かす、感動させる、動機づけする(to motivate のよく見る日本語訳)>で、英語では受身形(感動させられる)。日本語では、他動詞->自動詞変化になり、<感動する>のようになるが上述の

心が動く
魂(たましい)が動く

がいい。しつこいようだが、こういう状態では<ゆとり>がなくなるのだ。どちらがいいとも言えない。バランスの問題だ。


sptt



Sunday, October 29, 2017

<身に覚えがある>


このポストは文法重視のsptt Notes on Grammar の ”身に覚えがある>の文法分析” ほかの<身に覚えがある>特集のやまとことば重視ポスト。

<身に覚えがある>は慣用表現で、すべてやまとことばの表現。やまとことばでの表現は日本人なら<身にしみる>ので、刑事が容疑者に

自分自身に覚えがあるだろう?

より

身に覚えがあるだろう?

の方が容疑者が自供する可能性が高いだろう。

おのれに覚えがあるだろう?

でもいいが、 <身に覚えがあるだろう?>には及ばないようだ。<おのれ>には漢語由来の自分自身と同じく<身(み)>が持つ(内包する)<からだ>や<中身の身>の意味を欠いているのだ。

<身に覚えがある>と同じような慣用表現はほかにもありそうだが、私は折を見て探している。だがこれまでほとんど見つかっていない。

身にキズがる。 これは<心に(深い、消えない)キズがある>が適当のようだ。
身にいつわりがある。- うそをついている。正直(しょうじき)でない。素直(すなお)でない。
身にたくらみがある。- 狡猾だ。
身にわだかまりがある。- 消極的だ。
身に重りがある(ついている)。- 不活発だ。
(追加予定)

sptt Notes on Grammar の ”身に覚えがある>の文法分析” の方でこの<特殊な>言い方を文法分析しているので参照。

sptt

Saturday, October 21, 2017

発展、進展、展開のやまとことば


誇っていいことだと思うが、日本はかなり前にアジアで一番先に発展済み国(a developed country)になったようだ。だが何が基準でこうなったのかは知らない。発展の英語は development だ。関連語としては経済発展がある。政治発展はあまり聞かない。政治に発展はないようだ。文化発展も何かおかしい。

さて発展のやまとことばだが、いろいろ探してみたが適当なのがない。

発展の<発>は相当の多義語。何らかの基準で分けると

発病、発生、発覚 (出る、出てくる)
発射、発車、発進、発信、発動 (出す)
発表、発言、発話、発行 (出す)
発散 (出る、出す)
発電 (作る) 
発明、発見  (始めてxx なる、する)
発育 (大きくなる、する)
発達

<出る>関連が多いが、<発>が後にくるものでは <出発>が代表か。先発、後発、爆発、突発 、乱発は広義では<出る>関連だ。やまとことばについてなので<発>熟語はこれくらいにしておく。

経済発展の発展の意味では発育と発達が発展に一番近いようだ。

<展>の字は(長く)<伸びる><伸ばす>と言うよりは<ひろがる><ひろげる>だ。

さてやまとことばだが、

<大きくなる>の一語のやまとことば体言(名詞)がない。

広げ、広がり - 上記のように<展>の字は<伸びる><伸ばす>と言うよりは<ひろげる><ひろがる>だが<広げ><広がり>はどうも発展としっくり結びつかない。 

盛り - これは少し幅のあるピークで、発展済みに近い。またその後の下降、おとろえが示唆される。

伸び - これが一番適当と思うが、盛(さか)りと合わせた<伸び盛り>や<ひろげ>と合わせた伸展<伸び広げ>があるが<伸び>だけの方がよさそう。

ところで、英語の to develop、development を使い慣れたひとなら、

Any development ?

と言うのが口から出てくるだろう。直訳では

<何か発展はありますか?>だが

<何か進展はありますか?>の意だ。

これは<伸び>や<伸び盛り>とほとんど関係がない。発展済み国の代表であるアメリカでは development を日常この意味で使うのが多いだろう。この意味の似た言葉に進展、展開というのがある。

<何か進展はありますか?> これはよく聞く。これは<進展>でも<伸展>でもよさそう。

<何か展開はありますか?>とはあまり言わないが

<何かあたらしい展開はありますか?>は可能。ほぼ<何か進展はありますか?>とほぼ同じ意味だ。

発展、進展、伸展、展開はどこがちがうのか?

発展のやまとことばはとりあえず<伸び>として、進展、伸展、展開のやまとことばを考えてみる。

進展はも文字通りでは<進め広げ><進め広がり>。すぐには<発展>の意にならない。

伸展は耳で聞いただけでは<進展>と同じ。文字通りでは<伸ばし広げる>(他動詞)。<伸ばし広げ>、自動詞を含めた<伸び広げ><伸ばし広がり><伸び広がり>。<伸ばし広げ>や<伸び広がり>は悪くはないがすぐには<発展>の意にならない。ここでも<伸ばし><伸び>が効いているようだ。

展開は文字通りでは<広げ開き><広がり開き>だ。<ひらく>は自動詞、他動詞両刀使い。英語の to open もそうだ。The door automatically opened. / Please open the door.

何かあたらしい開きがありますか?

はおかしいが、この意味で

何かあたらしい広がりがありますか?

は聞いたことはないが、変ではなく、やまとことばらしい。したがって展開のやまとことばは<ひろがり>がよさそう。<広げ>はダメだ。<ひろげ>(<広げる>に連用形の体言、名詞化)というのはあまり聞かないが、たとえば、体操などで<脚(あし)の<広げ>がまだ足りない>と言う。<開き>の方は<まだひらき(差)がある>のように使われる。

探偵小説、推理小説などで、翻訳調になるが、もとの development が影響して

この事件は意外な発展をみせた。

は日本語になっている。もっとも

 この事件は意外な展開をみせた。

が日本語らしい。碁や将棋、野球などのゲームは<意外な展開>がおもしろいので、これは<意外な発展>ではダメだろう。

以上で以上、マル(終わりの意)。

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さて、なぜこのポストを書こうと思ったかだが、それはイタリア語(現在別のブログ sptt Notes on Grammar の方でイタリア語文法シリーズを書いている)の sviluppare という<s->接頭辞の動詞に出会ったからだ。以下は sptt Notes on Grammar のイタリア語<s->接頭辞からのコピーに一部削除、追加、修正。

sviluppare (to develop)  -  名詞 viluppo (=tangle) (Reverso)。 tangle は<こんがらかり>で、sviluppare は<こんがらかりを解く>となる。 したがって派生と言うほどのことはないが、よく使われる否定的な意味が多い<s->接頭語では肯定的な意味をもっている。3)<離脱>(英語の away, offでもいいが、派生としておく。肯定的な意味は英語の to develop の影響があるではないか?

Corriere Della Sera Dictionary では

viluppo

1 Groviglio di fili, capelli e sim.: v. di sterpi; estens. ammasso confuso di cose: un v. di corpi 
2 fig. Intrico, enorme confusione: v. di argomenti

Groviglio は tangle。したがって、もとは<糸や頭の髪などがこんがらかっている状態、こんがらかり>のことだが、比喩、誇張されて<大きな混乱>の意もある。そしてこれから抜け出すのが sviluppare なのだ。ただの発展ではない。

英語の to develop は見た目は似ているが





1650s, "unroll, unfold," from French développer, replacing English disvelop (1590s, from Middle French desveloper), both from Old French desveloper "unwrap, unfurl, unveil; reveal the meaning of, explain," from des- "undo" + veloper "wrap up," of uncertain origin, possibly Celtic or Germanic. Modern figurative use is 18c. The photographic sense is from 1845; the real estate sense is from 1890. (Dictionary.com)


Envelop は封筒で、説明するまでもなく、手紙などを中に入れて(en-)"wrap up" するのが使い方だ。

したがって、詳しくは調べていないが、viluppo とは違う系列だ。似て非なるものといえよう。

"(to) unroll, unfold," はカーペットや紙、扇子のようなものをまるめたり、折りたたんだモノを広げる、と言う意味だ。これが発展や展開や進展(伸展)の意になるわけだが、漢字の字ずらから伸展、そしてそのやまとことばへの直訳<伸び広がる、伸び広げる>が相当する。

svolgere

調べてみると、上記の英語 to develop の歴史的説明にある(to unwrap, )to unroll, to unwind が伊英辞書の第一義英語訳だが、比喩的用法では to develop があり、イタリア人の development (発展)の見方を示しているようだ。発展というよりは展開だ。もっとも上で取り上げたように英語の to develop もこの意味でよく使われるが、上記のように語源がやや違う。

  
1       vt(他動詞)     (rotolo)    to unroll  ,   (gomitolo)    to unwind   (fig)     (argomento, tema)    to discuss, develop,   (piano, programma)    to carry out
svolgere un tema      to write an essay  
che attività svolge?      what does she do?  
quale professione svolge?      what is your occupation?  
2    svolgersi      vip(代名詞付き自動詞)  
  (filo)   
to unwind  ,   (rotolo)    to unroll   (fig)     (vita, eventi, procedere)    to go on,   (aver luogo, scena, film)    to be set, take place (起こる)
come si sono svolti veramente i fatti?      how did it actually happen?  
ecco come si sono svolti i fatti      this was the sequence of events  
tutto si è svolto secondo i piani      everything went according to plan

もとの語は volgere で基本動詞の一つ。

volgere
1       vi, (aus avere)自動詞
a    volgere a        (piegare verso)    to turn to o towards, bend round to o towards  
la strada volge a destra      the road bends round to the right  
b      (avvicinarsi a)    volgere al peggio      to take a turn for the worse  
volgere al termine      to draw to an end  
le vacanze volgono al termine      the holidays are coming to an end  
il giorno volge al termine      the day is drawing to its close  
il tempo volge al brutto/al bello      the weather is breaking/is setting fair  
la situazione volge al peggio      the situation is deteriorating  


単語としての英語訳がないが<xx 向く>、 to turn (to be) <xx になる>で、sviluppare と重なるところがある。この意は展開、伸展(進展)にはなるが、発展は少し違う。’
2       vt  他動詞
a      (voltare)    to turn  
volgere le spalle a qn        (anche)      (fig)   to turn one's back on sb  
b      (trasformare)    to turn  
volge sempre tutto in tragedia      he always turns everything into a tragedy  
3    volgersi      vr   to turn  
si volse e mi guardò      he turned round and looked at me  
si volse verso di lui      he turned to o towards him  
la sua ira si volse contro di noi      he turned his anger on us 

volgere は<向く、向ける、曲がる、曲げる、戻る、戻す>の意で、基本動詞。


sptt

Tuesday, October 10, 2017

かかし(案山子)の語源


かかし(案山子)の語源は手もとの辞典(三省堂)やインターネット語源辞典、Japan-wikiでは

かかしは、古くは髪の毛や魚の頭などを焼き、串にさして田畑に立てたものであった。 悪臭で鳥や獣を追い払っていたことから、これを「嗅がし(かがし)」と呼び、清音化されて「かかし」となった。(インターネット語源辞典)

「かかし」の直接の語源は「嗅がし」ではないかとも言われる。鳥獣を避けるため獣肉を焼き焦がし串に通し、地に立てたものもカカシと呼ばれるためである 。これは嗅覚による方法であり、これが本来の案山子の形であったと考えられる。また、「カガシ」とも呼ばれ、日葡辞書にもこちらで掲載されている。 (Japan-wiki)

何事も鵜呑みにせず疑った方がいいのだが、上記の説明は日葡辞書も引き合にでてきて(わたしは調べたわけではない)かなり説得力がある。だがかなり意外な語源だ。<かがす>の連用形の体言(名詞)用法<かがし>が本当に日葡辞書に取り上げられるほど使われていたのか?さらにいつごろ、どうして<清音化されて「かかし」となった>のか?いくつか疑問は残る。

かかし(案山子)の語源を調べたわけは、おどろかす、おびやかす、ばかす、ごまかす、 たぶらかす等<かす>がつく動詞を調べている時に、<かかし>も関連があるのではないかと思ったからだ。語源をチェックした結果は上記のようにわたしにとっては意外であった。明らかに

おどろかす(おどかす)
おびやかす
ばかす
だまかす (だます)
ごまかす
たぶらかす

は<かかし>の内容(目的、効用)は関連があるが、上記の語源(かがす)とはまったく関係がない。

上記の<カカシ>(目的、効用)関連の動詞のうち

<おどろかす>は 自動詞<おどろく>の他動詞、または使役形(太郎は次郎に花子をおどろかすように頼んだ)。<おどろかし>という体言(名詞)はあまり聞かない。
<おどかす>は<おどす>が他動詞で使役形は<太郎は次郎に花子をおどかすように頼んだ>になる。<おどろかす>と<おどかす>は意味がやや違う。<おどかす>は<おどす>の派生語で<かす>動詞といえないか?体言(名詞)の<おどし>はよく聞く。<おどかし>も聞くが<かかし>と意味、語呂とも密接に関連している。一方それ以外は

おびやかす - おびやく  (おびやかし)
ばかす - ばく  (ばかし)
だまかす - だまく  (だまかし)
ごまかす - ごまく  (ごまかし)
たぶらかす - たぶらく  (たぶらかし)
(まやかす) - まやく (まやかし) <まやかす>は手もの辞書にあるが聞いたことはない。

で右側の自動詞形がない。したがって純<かす>動詞仲間といえよう。カッコ内の体言(名詞)はは<おびやかし>以外よく聞く。

<おびやかす>は<おびえる>という自動詞があり、昔は<おびゆ>だったと思われるので<おびや>+<かす>となる。<おびやく>ではないので<かす>に使役の意味があることになる。

<ばかす>は<ばける>と言う関連動詞がある。また<馬鹿(ばか)す>は語呂は合うのでまぎらわしいが、<馬鹿(ばか>が<ばかす>由来と見た方がいい。

<だます>は他動詞で、<だまかす>は<だます>の<かす>派生語。

<ごまかす>は漢字でかくと<誤魔化す>とでてくる。したがって<誤魔>+<化す>となるが<化す>は半分漢語だ(化の部分)。<誤魔>も漢語由来だとするとかなりややこしい。もとはやまとことばだろう。

<たぶらかす>は<たぶらく>も<たぶる>という動詞もないが、語呂が似た<なぶる>(からかう)という動詞がある。

<かかし>(目的、効用)とは関連がやや薄くなるが、<かす>動詞では

そそのかす - (そそのく?)  (そそのかし)
ひやかす - 冷やす(冷える)  (ひやかし) 
みせびらかす - (----)   (みせびらかし)
ひけらかす - (----)    (ひけらかし)

というのもある。

以上はおもしろいやまとことば動詞で 

<そそのかす>は<そそのかして xx させる>のように使うが<そそのかす>には<だまして(だまかして)あることを本当のように思わせる>のようなプロセスがある。
 <ひやかす>も<店員をひやかす>のようにも使うが、これもだますほどではないが<買う気があるように思わせる>のようなプロセスがある。


さて<かがし>が)どうして<清音化されて「かかし」となった>のか?の疑問については、以上の<かす>動詞、<かし>体言(名詞)がかなり有力な語源説明になる。

意味は違ってくるが、意味上一つのグループとなる動詞群に

ちらかす - ちらかる  (ちらかし)
ほったらかす - (ほったらかる?) (ほったらかし)
ほっぽらかす(ほっぽる) -  (----)  (ほっぽらかし) - 関東方言
すっぽかす  - (----)    (すっぽかし)

右側の自動詞形がないものが多い。


<かがし>説を無視すれば

もともと一番有力な<おどろかし>、<おどかし>、あるいは上記の同じような意味を持つ<xxかし>動詞群の体言(名詞)形が語源で、長すぎるので前半を省略し(これはよくあること)、

1-a)語呂合わせの接頭辞<か>を加えて<かかし>となった。

1-b)仮(か)り>の意の<仮(か)>を前に加えて<かかし>となった。

2 <ばかし>が語源(あるいは語源の一つ)で、これが<かかし>となった。 

3.<だまし->だまかし>が語源で、<だまかし>が長いので<かかし>となった。<かかし>は一種の<子どもだまし>だ。
 

意味が少しズレるが関連動詞としては、<かす>動詞ではないが

おそれる (おそれ) - おそれさす
おののく (おののき) - おののかす (これは<おどろく>と同じでカ行活用の他動詞化、または使役の<かす>)
まごつく (まごつき) - まごつかせる

擬態語に近いが

どぎまぎする - どぎまぎさせる
おろおろする - おろおろさせる

がある。

(付録)

案山子(かかし)について

案山子はもちろん漢語由来。かなりペダンチックなので、興味のある方は下記のJapan-wiki参照。

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/かかし



sptt






 

Wednesday, September 27, 2017

<ほのお>のやまとことば-2 ほのぼの、ほのめかす


だいぶ前に ”<ほのお>のやまとことば” というポストを書いた。その中で


一方<火がともる>の方は燃え上がるのではなく<ほのかな>な感じだ。夜空の<ほし>は<燃える>というよりは<ともっている>感じだ。<燃える>のは太陽、すなわち<日(ひ)>だ。


と書いた。今回は<ほのかな>、<ほのか>について考えてみる。<ほのかな>は漢字で書くと<仄かな>だが、これを<ほのかな>とよめる人は50%ぐらいではないか?<ほのぼの>は関連の言葉だが、<仄々>を<ほのぼの>と読める、読む人は10-20%か?<ほのぼの>は<ほのぼのとした家庭>のように使われる。

漢詩が好きなひとは<平仄(ひょうそく)>という用語と意味を知っているだろう。さらには<平仄が合わない、平仄がばらばら>と言う表現の意味も知っているだろう。簡単には、私の理解では、脚韻のことと思っていたが、どうも違うようだ。中国版google 百度の<仄>の字の解説(かなり長い)には

傾斜摇晃。会意:小篆字形象人側身在山崖洞穴里的形状。
 
仄,側傾也。――《説文》  
仄日:夕陽、斜陽

という部分があるので、<日が斜めに差す>様子のようだ。<仄々(ほのぼの)>は少し問題があるが<仄(ほの)かな>はよさそう。話は中国語ではなくやまとことばなので<ほのぼの>、<ほのか>について話を進める。 

ほのぼの

<ほのぼの>はあまり使わないが<ほのぼのとした家庭>という言い方があり、<あたたかさが伝わってくるような家庭>のような意味。この<あたたかさ>は目には見えないが存在して伝わってくるもので、寒い冬に家の中でストーブをたくと、ストーブから目に見えない熱が伝わってくるが、昔の熱源は<火(ひ>だ。<ほのぼの>は<ほのお>とこ直接的に関連する。対照的なのは<ひえびえとした家庭>で<ほのぼの>、<ひえびえ>は語呂が対応している。

家の中でストーブをたいたような<ほのぼのとした家庭>
冷蔵庫の中にいるような <ひえびえとした家庭>


<ほのかににおう梅の香り>というのでこの場合<ほのか>は<目には見えないが存在して、何かを伝える(この場合は香り)こと>の形容のようだ。目には見える場合もあるが<あるかなきか>、<おぼろげながら>に見える様子のことのようだ。<ほのかな>、<ほのかだ>の活用から形容動詞らしい。<ほのか>はこの形容動詞の原形。<ほのかに>は副詞で<目には見えないが存在して、(あるいは<あるかなきかに>、<おぼろげながら>存在して)何かを伝える>の様子を示しているようだ。文法的に問題のある形容動詞の代表は<しずかな、しずかだ>で<しずか>はこの形容動詞の原形だが<しず>だけでも意味内容は伝えられる。したがって<しず>が原型で<か>は形容動詞形成の接尾辞ともいえる。

あざやか
おだやか
あでやか
おろか
かろやか
こまやか
さわやか
なめらか
はなやか
はるか(はるかかなたの<はるか>)
まことしやか
(まだまだいくらでもある)

<か>はどうも様子を示す形容動詞語尾と言えそう。<やか>が多いので<やか>は<か>とは別の形容動詞形成の接尾辞か。最後の<まことしやか>はすこし長いが<まことし+やか>で<やか>は<xxのような><xxのように見せる>の意だろう。形容動詞はいろいろ問題があって sptt Notes on Grammar の方でいろいろ書いたことがある。あるいは問題が多いので勝手なことがいろいろ言えるのだ。

<ほのめかす>は

1) <ほのかにめかす>の<かに>を省略したもの。<ほのかに>は十分副詞だが<ほの>だけでも<ほのかに>の意になりそう。

2) <ほのめく>の他動詞、使役形でもいいが、分析して<めく>、<めかす>という動詞があるので(春めく、めかしこむ)<ほの+めかす>になる。したがって<ほの>に意味があることになる。この<ほの>は何か?<ほのお(炎)>の<ほの>、あるいは<ひ(火)>の<ほ>に語呂合わせの<の>がついたものではないか?

<ほのお>、<ひ(火)>の役割はなにか?あかりや暖(だん)をとるのが主だが、これ以外にかがり火、星、ホタルのような<ほのかな>火(ひかり)は存在を示すサイン(sign)だ。このように<ほのかに存在、何かがあることを示す>は<ほのめかす>だ。電気器具にはLEDが付いていて、多くは必要な時だけ<ともり><何かがあることを示して>注意を促す。英語では indicator, indication (動詞は to indicate)が使われる。<ほのめかす>もひかえめだが注意を促すことだ。動物や鳥の鳴き声は<愛のやりとり>のためもあるが、注意を促す、注意をひくためのことが多い。

英語もこの辺は結構発達していて

to indicate
to suggest
to signal
to nod
to wink
to gesture
to hint

などの動詞があり、シグナル(を送る)、ウィンク、ヒントは日本語になっている。特にヒントは<ほのめかす>の領分を犯しているが、<ほのめかす>では間に合わない独自の領域を開拓している。

sptt


Thursday, September 21, 2017

<へ>、<へま>、<へちま>


英語に blunder と言う言葉がある。<間違い>のことだが a mistake (mistakes) (よく使う語なので単数と複数に注意)は汎用的な<間違い>であるのにたいして blunder は<(比較的大きな、そして多くは不注意による)馬鹿げた間違い>のことだ。日本語では<(大きな、大変な、とんでもない)へま>が適当のようだ。この<へま>の語源はなにか?<へちま>の<ち>抜けの可能性がある。

<へともおもわない>は私のコンピュータワープロでは<屁とも思わない>と出てくるし、私もこう思っていたが、これは大きな間違い(blunder)だ。よく考えると<屁とも思わない>では言っていること(言いたいこと)の意味に結びつかない。<こんな失敗は屁とも思わない>。<課長の注意など屁とも思わない>。この間違いは<思わない>の対象(失敗、注意)を<屁>とも思わないで何となく意味が通じてしまうためだろう。手もとの辞書には、元来は<へちまとも思わない>。そしてこの<へちまとも思わない>は元来<へちまの皮とも思わない>、という解説がある。へちまは中身を使う(化粧水、ふろ場用具)ので<へちまの皮>は無用なもの、という解説がついている。これで納得。へちまの実は真っすぐなのや曲がっているものがあって形は千差万別。その姿はなかなか味があり、東洋画でよく描かれる。おなら(お鳴ら)の<へ>は、漢字で<屁>と書き、<放屁>の<屁(ひ)>で似かよっているが<へ>はやまとことばだろう。

<へ>、<へま>、<へちま>以外の<へ>がつくやまとことばには


へこむ - おなかがペコペコの<ペコペコ>はこの<へこむ>由来だろう。<へこむ>は<へりこむ>由来か?

へし折る - 鼻をへし折る

へそ - へそをまげる、へそで茶をわかす、と言う表現がある。へそ(臍)は人の体の中心にあるので、<かなめ>でもいいのだが、<これがかなめだ>の意味で<これがへそだ>というのは悪くない表現だと思うが、めったに聞かない。

へた(下手) - 上手(じょうず)の反対の意味以外に<へたをすると>という言い方があり これは mistake と言うようより blunder <へま>に近い。くだものや野菜の<へた>と同源か?

へたる、へたりこむ、へとへと - へとへとに疲れる。

へど - へどがでるような、比喩的に使うのが多そう。口語では<げろ>(これも方言か)。

ヘドロ - これは日本語。<どろ>は<泥(どろ)>の意。

へなへな - へなへなした頼りない男。

へばる - <へたる>と同じような意味。関東方言か。

へべれけ - へべれけに酔う。

へっぴり腰 - これも私のコンピュータワープロでは<屁っ放(ぴ)り腰>と出てくる。<へとも思わない>と同じで<屁をひる格好の腰>でなんとなく意味が通じるので、私もこれまで<屁っぴり腰>と思っていたが、どうも違うようだ。

へぼ  - へぼ将棋。へぼ画家でも<へちま>の絵はうまく見える。

へらずぐち - この<へら>は<減る>の<へる> の未然形だが、これまた手もとの辞書によると、正しくは<へりくだる>の<へる>(<減る>の派生的な意味)で、<へらず>で<謙虚さがない>の意。この方が<減らない口>より意味が通る。

へる (減る)

敢えて否定的な意味の言葉をな並べたが、こういう言葉がないと言葉はおもしろくない。

 -----

<へま>に関しては<チョンボ>というのがあり(これまた関東方言か)、これは韓国語のように聞こえるだ。



sptt








Friday, September 15, 2017

break-through のやまとことば、<破り>


break-through の中国語は<突破>。中国語は融通(ゆうづう)のきくことばで<突破>で動詞にも名詞にもなる。日本語は<突破口(とっぱこう)を開く>という動詞表現があるが名詞形がない。<突破>だけでは break-through の意にならない。

さて break-through のやまとことばは何か?<突破>はやまとことば読みにすると動詞は<突き破る>、名詞は<突き破り>で少しは break-through に近づくがまだかなりダメだ。break は英語もそのまま名詞になりやまとことばでは<破ること>、<破れること>、<破り>、<破れ>だろう。through は副詞、前置詞で<xx を通って>、<xx を抜けて>に相当。ドイツでは durch という語で、この発音は私の耳にはいかにも<xx を通って>の感じがある。 break-through のやまとことばとしては<突き破り>よりは<破り抜け>の方が少しよさそう。だが break-through の訳語としてはまだまだ。

<型破り>という言葉がある。横並び志向のひと昔前とちがって今は break-through のようにいい意味で使われるようになっているのではないか?その方がいい。だが<型破り>はこれまでのところ<型破りの人間>のように使われ break-through ではない。意味を少しずらして(イントネーションも変える) break-through の訳語としたらどうか?

<殻(から)破り>あまり力を出さず、苦労しなくてもや破れるようだ。

<壁(かべ)破り>は何とかなりそう。

<囲(かこ)い破り>は out of the box を連想させるが、強い力で破る感じがなく、破るのではなく跳(と)び越えることも連想されてしまう。

漢語が混ざるが<一番しぼり>の亜流で

<一番破り>、入れ替えて<破り一番>はどうか?


<やぶる>は発音 ya-bu-ru のから耳で聞いて<破る>感じがあるので(<bu-ru>は<ぶるぶる)>で震える感じがある)<やぶる>を活かしたい。実際<やぶり>の一語で break-through の意にかなり近い。

<破り>の一手を考える。(漢語が混ざるが<破りの一手>で break-through 。)
ここは常識をはずれた<破り>が必要。

<break-through をする>で動詞になるが、これは簡単に<破る>でいい。

この難局をどう破ったものか?

<破る>は<打ち破る>あるいは<破る>だけで(相手、敵を)<負かす>、<勝つ>の意がある。<負かす>、<勝つ>はやや抽象的だが、<やぶる>は音が聞こえてくるほど具体的だ。


sptt

Tuesday, September 12, 2017

もったいない、もったいぶる - 2


<もったいない、もったいぶる>の第2弾。前回(2015年3月)は次のように書き始めている。


<もったいない>は日常よく使う。<もったいぶる>、これと似た意味の<もったいをつける>もたまに使う。やや古くは<もったいらしい>という形容詞があったようで、したがって<もったいらしく>という副詞もあったのだろう。

手もとの辞書によると<もったい>は<勿体>で漢語由来だ。<勿>は<XX( し)ない>の意で、おもに否定の命令に出て来る。例: 请勿xxx。<体>は<正体>の意。したがって、<勿体ない>は二重否定で、<正体がない、がない>で、理論的には<体(正体)>の意になるが、もったいない = 体(正体)では何のことだかわからない。<勿体ない> = <正体がない、がない>とはいったいどういう意味か?


一応結論は出しているが、根拠は弱い。今回は二度目の挑戦。


最近(2017年9月)イタリア語の接頭辞<s->の関連で degnare - sdenare、degno - sdegno、 さらに英語の dignity、to dignify を調べているうちにある発見をした。おもしろい時間的と思われる(使われているうちの)意味のズレだ。dignity は威厳(dignity: the state or quality of being worthy of honour or respect.)といったような意味だ。一方動詞のto dignify は過去の意味は調べていないが今は to dignify: to make (something) seem worthy and impressive で<威厳をつける>から変化して<威厳があるように見せる>で<もったいぶる>に近くなっているようだ。さらに調べていくと dignity、to dignify に関連あり、またイタリア語のdegnare というよりはもとのラテン語 digno あるいは相当のフランス語由来と思われる to deign と言う動詞があるのを発見した。わたしは聞いたこともしたがって使ったこともないが、

1) to think it fit or worthy of oneself (to do something)
2) to do something that one considers to be beneath one's dignity.
3) to do something unwillingly and in a way that shows that you thing you are too important to do it.

のような意味があり、 1) がもと意味で2)、3)は派生的な意味と考えるが、1) の oneself がキーで、これが自大(自分はえらい、と思う)につながる。話がズレて行きそうなので、この話ば別の機会にすることにして<もったいない>に戻る。初めの<もったいない、もったいぶる>の第1弾の繰り返しのようになるが、

<勿体>で漢語由来。<勿>は<XX( し)ない>の意で、おもに否定の命令に出て来るが(例: 请勿xxx(注1))、昔は一般的な<否定>の意があったろう。<体>は<正体>の意。中身(中味)ともいえる。したがって、<勿体ない>は二重否定で、<中身がない、がない>で、理論的には<中身がある)>の意になるが、もったいない = 中身がある、では何のことだかわからない。二重否定は文字通り<肯定>になる場合と<否定の強調>になる場合があるが<肯定>になる場合も単純な肯定ではない。中身がある>は単純な肯定だ。二重否定をある種の<肯定強調>とすると<中身がある>は本来いいことであるので、これが強調され<たいへんいいこと、ほめられること(honoured)で、さらには少し飛躍してdignity (威厳)がある>になる。一方<中身がないのは>は<からっぽ>、<仮り>、<(うわべだけ)でよくないこと>、<非難されること>、さらには少し飛躍して<威厳(dignity)がないこと>になる。したがって

もったいない ->  <中身がある> ->たいへんいいこと、ほめられること、価値がある(worthy)、ほめられる内容がある(honoured)、尊敬される内容がある(respected)、威厳(dignity)がある

となる。 <もったいない>の表現で日常一番よく耳にするのは

まだ使えるのに捨てるなんて<もったいない>
そんなくだらないものに大金を使うなんて<もったいない>

という言い方だ。これはモノが対象で言い換えると

まだ使えるのに捨てるなんて<価値あるものを価値なくしている、むだをしてる>

となる。

<無駄なことする>無駄にも否定の<無>の字がある、<無駄>はやまとことばではなく漢語由来だろう。話がずれていくので無駄についても別途検討。さらには逆に戻って

まだ使えるのに捨てるなんて<中身あるものを中身なくしている>。

といえる。さらに逆に戻って

まだ使えるのに捨てるなんて<もったい>をなくしている。

となるがこれではどうどうめぐりか、ことばの遊びで何が何だかわからない。ナンセンスだ。

人が対象になると

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<もったいない>。
それはもったいない話(申し出)です。

と言うのが考えられるが、かなりあらたまった、尊敬語、謙譲語が出てくる場面での発話だ。<勿体>漢語なので庶民ではなく漢文の知識のある武士か貴族か寺子屋の先生あたりの人々でかつ、尊敬語、謙譲語が出てくるような場面で使われ始めたのだろう。

<もったいない>内容がちがってくる。この人が対象の<もったいない>も置き換えると

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<中身がある、たいへんいいこと、価値がある、ほめられる内容がある、尊敬される内容がある、威厳がある>となるのだが、これではこれまた何のことだかわからない。ナンセンスだ。

はなしが相当混乱してきたので、今回の検討結果の結論を述べる。

<もったいない>は<勿体>が<ない>。 もともとの<中身がない>の意から<もったいをつける>、<もったいぶる>の<もったい>の<中身がないのにあるように見せる>の意で使われるようになった。<中身がないのにあるように見せる>に<ない>がついて意味にズレが生じ<もったい>が<ない>、<中身がないのにあるように見せる>ことが<ない>。これから、反対の<中身があるのにないように見せる>の意味を持つようになった。中身があるのにないように見せる>は一種の謙譲の、卑下した、へりくだった言動だ。このような言動は場合によって必要のない、無駄なことだ。中身があるのにないように見せる>ような言動に会った場合、または受けた場合、<わざわざ必要のない、無駄な言動に対して<もったいがない(中身がないのにあるように見せる、のではない、むしろ中身があるのにないように見せる)>と表現するようになった。これがさらに

そんなに親切にされては(お礼をいわれては)<もったいない>。
それはもったいない話(申し出)です。

と言うような言い方にズレていった。これがさらに一般化され(おそらくこのころにはもとの<勿体>の意はほぼ意識になくなっている)、庶民も使うようになって

まだ使えるのに捨てるなんて<もったいない>。
そんなくだらないものに大金を使うなんて<もったいない>。

と言うようになった。


(注1)(例: 请勿xxx、は広東語の香港ではよくみるが文章語で口語は<口吾好(むほう)、口吾は一語で<む>と発音>、普通語(北京語)の口語は<不要xxx>。


sptt

Sunday, September 10, 2017

おこがましい


<おこがましい>は聞いたことはあるが使ったことはない。多分意味がわからないので使う自信がなかったためだろう。テレビドラマなどで主に<問われて名乗るもおこがましいが>と使われるか。 実際<おこがましい>が口癖になっている人はいるようだ。

<おこ(コンピュータワープロでは書けそうもない<烏滸>という漢字が出てくる)は馬鹿、間抜けの意だが、日常使わないのですでに古語だろう。以前に ”<ばか>、<まぬけ>、<おろか者>” というポストを書いたが古語としてこの<おこ(烏滸)>を付け加えた方がよさそう。

<おこがましい>は文字上は<おこ(ばか)のよう(だ)>だが、単純な<ばか>ではない。内容はかなり複雑。この<ばか>はきわめて卑下(ひげ)した<ばか>で、実際には<馬鹿>でないのを知っている。本当に自分をバカとおもって<私はバカだった>ということもあるようだが、多くは<私はバカですが、xxxx>と卑下した表現、なおかつ譲歩表現で使う。卑下した表現なら<私はおこですが>でいいのだが<おこがましいですが>は<わたしはバカのようですが>となるので実際は<私はバカです>とは言っていないことになる。つまりは卑下した表現ではないのだ。卑下というよりはむしろ自慢が見え隠れする。自慢が進む(高じる)と驕慢、傲慢となる。やまとことばで言えば

つけあがる
思いあがる
うぬぼれる

だ。<おこがましい>は<つけあがって(思いあがって、うぬぼれて)はいません>とも言っているようだ。


sptt

Thursday, September 7, 2017

リラックスのやまとことば、<ほがらか>


リラックスのやまとことばは何か?

体(からだ)が疲れたときにはマッサージをして(してもらって)<肩、体の凝りをほぐす>のが有効。リラックスした気分になる。固まったからだがほぐれた状態になる、またはそういう状態がリラックスと言える。したがって

リラックス = ほぐれ、ほぐれた

となる。<ほぐれ>は<ほぐれる>の連用形体言(名詞)化用法。マッサージは大体してもらうが(最近は電動の機械や器具にしてもらう)、<ほぐれる>は自動詞で他動詞は<ほぐす>。もともとは<糸のからまり、こんがらかり(方言か)、かたまりを解く>のような動作が<ほぐす>のようだ。<肩の凝りをほぐす>という表現は納得できる。さらには<緊張をほぐす>となり、リラックスに近くなる。

<ほぐれ>と言う発音から連想される言葉に<ほがらか>がある。<ほがらか>は大体人の性格を表現するのに使われるが、<ほがらかな人>は95%がたは<いい人>だ。残りの5%は<ほがらか過ぎる人>が嫌いな人もいるからだ。何ごともよく調べると100%(完全)はないものだ。手もとの辞書では<ほがらか>は<明るく、わだかまりがない>とある。<わだかまり>の詳しい説明は、忘れなければ別の機会にする予定だが、<水が流れないでとどまる>、<糸がからまる>ような様子、<糸のからまった>ような状態の意か?

古いやまとことばのようだが<ことほぐ>というのがある。<こと>は<ことば>の<こと>だが、<ほぐ>がよくわからない。<ことほぐ>は<言葉で祝う>の意なので<ほぐ>は<祝う>とすると<ほぐす>、<ほぐれる>とは関係なさそう。

sptt

Wednesday, August 23, 2017

カタツムリとトンボの語源


カタツムリとトンボは対照的だ。

カタツムリ - きわめてノロノロ動く。敵から身を守るために殻(家)の中にに体をすっぽり隠してしまう。体の体積を少なく(縮めることが)できるのだ。地面を這(は)い、飛ぶことはおろか跳(と)びはねるともできない。気がつきにくいが、下記の説明にあるとおりカタツムリは虫(あるいは動物全般)としては珍しく体が左右対称でないのだ。

トンボ - 飛びの名人。特に空中で止まったり(Hovering)、見たことはないが<とんぼ返り>の特技がある。きわめて敏捷。素早い動きを目で追えない時がある。突然目前からいなくなるのだ。これは敵から身を守るための行動としては有効。目は複眼で体に比べて大きく270度ぐるりと見えるそうだ。餌を見つけたり、これまた敵から身を守るのに有効。


1) カタツムリの語源

カタツムリの語源は何か?Japan-wiki は<カタツムリ>の解説の最後の方に


カタツムリ Japan-wiki

名称

日本語における名称としてはカタツムリの他に、デンデンムシ、マイマイ、蝸牛(かぎゅう)などがある。語源については諸説がある。
カタツムリ
笠つぶり説、潟つぶり説、片角振り説など諸説ある。なお、「つぶり」は古語の「つび(海螺)」で巻貝を意味する。
デンデンムシ
子供たちが殻から出ろ出ろとはやし立てた「出ん出ん虫」(「出ん」は出ようの意)であるとの説がある。
マイマイ
「デンデンムシ」と同様に子供たちが舞え舞えとはやし立てたことに由来するとの説がある
蝸牛
語源については動作や頭の角がウシを連想させたためとみる説がある。


という説明がある。蝸牛は現代中国語。さてカタツムリだが、つまりは語源に諸説ある、ということで、もう一つ加えることにする。

Japan-wiki は<カタツムリ>の解説は英語版と似ているが、日本人向けに特化されていいる箇所が少なくない。日本語版、英語版とも解剖図で体をかなり詳しく説明しているが、下記にの部分が日本語版にはない(2017年8月現在)。 英語版は snail の項目ではなく gasgtropoda(学名か?)の項目(Snail is a common name loosely applied to shelled gastropods. "gastropod" by derivation from the  Ancient Greek words γαστήρ (gastér) "stomach", and ποδὸς (podòs) "foot".)

Anatomy

前略

The principal characteristic of the Gastropoda is the asymmetry of their principal organs. The essential feature of this asymmetry is that the anus generally lies to one side of the median plane.; The ctenidium (gill-combs), the osphradium (olfactory organs), the hypobranchial gland (or pallial mucous gland), and the auricle of the heart are single or at least are more developed on one side of the body than the other ; Furthermore, there is only one genital orifice, which lies on the same side of the body as the anus.
医学用語が並んでいるので細かいことはすぐにはわかりにくいが、要は主要臓器が非対称(asymmetry)だということだ。人間や他の動物の内臓もよくみると基本的には非対称なので(心臓、胃、肝臓、すい臓と一つしかなく、しかも中心軸にあるわけではない)、カタツムリの場合はこれが目立つということか。しかし殻(家)つきのカタツムリは外見から、人間や他の動物にくらべて前後左右明らかに非対称が目立つ。

 カタツムリの<カタ>はこの非対称に由来している可能性が高い。差別用語になるかも知れないが

かたわ
かたちんば

というのがある。


カタツムリの<つむり>は<、「つぶり」は古語の「つび(海螺)」で巻貝を意味する。>が事実とすれば妥当か。だが<つむり(つぶり)>には

つぶる: 目をつぶる(つむる)

がある。さらに
 
おつむ: 頭の幼児語で<お>を」とれば<つむ>になる。 カタツムリの頭はきわめて特徴的だ。

でんでんムシムシ ......だせ、  ......だせ、<あたま出せ>

カンムリ: も頭関連の語。頭(かぶり)を振る、というのもある、連想から<つむ>+<り>、<つむり>で頭の別称となってもおかしくない。

<つむじ>というのがある。<つむじ風>は<旋風>。<つむじ曲がり>は頭の<つむじ>が少し曲がっていることだ(ひと)だ。カタツムリの殻は<つむじ>を連想させるが、どちらかというと<かた向いて>いる。

殻(から)のないカタツムリはナメクジで、こちなの方もかなり動きがのろい。むかしはナメクジラといっていたようで、大きさは違うが形はクジラにている。防御用の殻がなくても長い歴史を生きてぬいてきたので、なにか特別な生存方法があるのか。カタツムリもナメクジも動きはのろいがなまけモノの感じはない。

英語では

カタツムリ - snail

で snail mail というのがある。

ナメクジ - slug

といい、sluggish とう形容詞がある。



2) トンボの語源

トンボの語源は何か?Japan-wiki の解説はかなり長い。


日本語名称

日本では古くトンボを秋津(アキツ、アキヅ)と呼び、親しんできた。古くは日本の国土を指して秋津島(あきつしま)とする異名があり、 『日本書紀』によれば、山頂から国見をした神武天皇が感嘆をもって「あきつの臀呫(となめ)の如し」(トンボの交尾のよう(な形)だ)と述べたといい、そこから「秋津洲」の名を得たとしている。 また『古事記』には、雄略天皇の腕にたかったアブを食い殺したトンボのエピソードがあり、やはり「倭の国を蜻蛉島(あきつしま)と」呼んだとしている。


中略(末尾参照)


方言においては、「あきつ」「あきず」「あけず」「あけす」「あけーじょ」「はけーじゃ」、「とんぷ」、などの語形が東北から南西諸島に至る各地で見られる。
トンボの語源については諸説あり、たとえば以下のようなものがある。
  • 「飛羽」>トビハ>トンバウ>トンボ
  • 「飛ぶ穂」>トブホ>トンボ
  • 「飛ぶ棒」>トンボウ>トンボ
  • 湿地や沼を意味するダンブリ、ドンブ、タンブ>トンボ
  • 秋津島が東方にある地であることからトウホウ>トンボ
  • 高いところから落下して宙返りのツブリ、トブリ>トンボ
なお、漢字では「蜻蛉」と書くが、この字はカゲロウを指すものでもあって、とくに近代以前の旧い文献では「トンボはカゲロウの俗称」であるとして、両者を同一視している。例えば新井白石による物名語源事典『東雅』(二十・蟲豸)には、「蜻蛉 カゲロウ。古にはアキツといひ後にはカゲロウといふ。即今俗にトンボウといひて東国の方言には今もヱンバといひ、また赤卒(赤とんぼ)をばイナゲンザともいふ也」とあり、カゲロウをトンボの異称としている風である。
日本語ではトンボが身近な生物であったため、さまざまな事物に「トンボ」の名がつけられている。



以上のようにトンボの語源はこれまた諸説ある。
耳で聞く現代中国語のトンボは蜻蛉ではなく蜻蜓だが、<蜻蛉俗称蜻蜓>という解説がある。

やまとことばで<アキツ、アキヅ>とう由緒正しい立派な名前がある。<トンボ>は口語、さらには幼児語だろう。簡単には<トン>は<飛ぶ(トブ)>由来。実際の発音は<ボ>につられて<トムボ>となる。<ボ>は幼児語の接尾語だろう。接尾語でも意味があると思うが、ここは<ちゃん>のような愛称接尾語か?これでは簡単すぎるので調査継続予定。さすが新井白石の分析はいい。


調査継続 - 結果

トンボとなじみがある場所の<田んぼ>がある。手もとの辞書では

田んぼ - 田の口語、とあり<んぼ>の説明がない。

同じようなところに生息するアメンボの語源は次の通り。

語源由来辞典
(トンボの語源の説明もある)

アメンボ
の「アメ」は「雨」ではなく「飴」の意味で、「ボ」は「坊」の意味、「ん」は助詞「の」が転じたもので、「飴の坊(飴ん坊)」が語源となる。 アメンボは、体の中央にある臭腺から飴のような甘い臭気を発するため、この名がつけられた。

Japan- wiki


本来の意味は「飴棒」で、「飴」は、臭腺から発するのような臭い、「棒」は体が細長いことから。
」と関連付けるのは民間語源である。


これにならうとトンボは

飛ぶ+の+坊  --> トンボ

棒は漢字音でやまと言葉ではない。 坊も漢字音だがやまとことばのようななじみがある。<木偶(でく)の坊>は<木偶(でく)の棒>でもよさそう。坊と棒は混乱というか融合があるようだ。

赤ん坊
甘えん坊
きかん坊
くろんぼ(う) - 黒人の差別用語か
立ちんぼ(う) (これは棒も連想される)

つんぼ - 耳の聞こえない人
おしんぼ(う) - 口のきけない人

問題はトンボ(トン坊)も含めて(<ぼう>が漢字の<坊>かどうかだ。坊主は漢語だ。日本では仏教が中国以上に広まった歴史があり、<坊主>という言葉はいろいろ活躍する。特に男の子供は<坊主>だ。もとは<小坊主>か。<坊主刈り>というのがあるが、江戸時代にあったか?いづれにしても<坊主>は愛称ともみなせる。したがって<坊>は<坊主>由来の愛称である可能性が高い。したがって、純粋の幼児語(幼児がまたは幼児に向かって使う言葉)ではないが これが最ももっともらしい。しかしながら

子どもの遊びに

かくれんぼ
とうせんぼ

というのがあるが幼児語と言うよりは児童語だが、これは<坊主>の<坊>では説明できない。上の<田んぼ>の<(ん)ぼ>も同じく棒や坊とは考えにくい。同じ。また前半は少し長いやまとことばなので最後の<ぼ>もやまとことばだろう。このよくわからない<ぼ>がトンボの<ボ>である可能性もある。言葉遊びに近い接尾語だろう。

江戸弁では<べらぼう(め)>と言うのがある。江戸生まれの夏目漱石の吾輩は猫であるでは<トチメンボー>というあやしげなフランス料理名が出てくる。

<末尾> やまとことば学習
み吉野の 袁牟漏が岳に 猪鹿(しし)伏すと 誰ぞ 大前に奏(まを)す
やすみしし 我が大君の 猪鹿(しし)待つと 呉座にいまし
白栲(しろたへ)の 衣手着そなふ 手腓(たこむら)に 虻かきつき
その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと
そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ

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