Sunday, October 25, 2020

時間のやまとことば-3 <ものごと>

前回のポスト<時間のやまとことば-2 時の流れに身をまかせ>で、<時の流れに身をまかせ>と<川の流れに身をまかせ>の比較をしたが、自分で書いた内容を何度か読んでいるうちに<とんでもないコト>発見した。忘れないうちに書いておく。その個所はこうなっている。

<ときの流れに身をまかせ>のアナロジーとしてすぐ思い浮かぶのは<川の流れに身をまかせ>で、<川の流れに身をまかせて>流れていく(動いていく)木(こ)の葉を自分(歌詞の主人公)にたとえることだ。しかし少しよく考えて見ると<川の流れ>と<ときの流れ>では様相がかなり違う。

1)<川の流れ>は見ることができる。第三者はもちろん、木の葉になったとして自分でも見ることができる。

2)<川の流れ>では木の葉は、水の上に浮かんで、ほぼ<川の流れ>とともに流れていく。これも第三者はもちろん、木の葉になった自分でも見ることができる。大雑把にいうと、川の水は流れて(動いて)いくが、まわり(の景色など)の大部分は動いていない。すくなくとも川の水は流れほど速くは動いていない。木の葉になった自分は<まわり>とは別の世界にいることになり<時の流れに身をまかせ>(ている女性)とは根本的にちがう。

3)<川の流れ>は大小、速さを問わず曲がりくねって進む。少なくともまっすぐには進んではない。

4)<川の流れ>は基本的に逆戻りしない。

以上<川の流れ>に対し。<ときの流れ>、<とき>はきわめて特殊なしろもので

1)<ときの流れ>は見ることができない。<ときの流れ>は感じることはできるが人それぞれに違い、他人の<ときの流れ>感じは基本的にわからない。

2)<川の流れ>の木の葉にたとえると、<ときの流れ>とともに自分が流れていくことになるが、この<ときの流れ>は第三者はもちろん、自分で見ること、感じることはまずできない。したがって<川の流れ>の木の葉のように、<ときの流れ>とともに自分が流れていくとはきわめて考えにくい。あるところに止まっていても(少しは動いてもいいが)<とき>は流れれていく。<とき>は目に見えないので<流れていく>というよりは、<(どんどん)過ぎ去っていく>感じだが、これも確かではない。そしてまわりはそれこそさまざまに変化する。自分が見ている変化はほんのごく一部で、見ることができないまわりにの変化の方がはるかに多い。一方<とき>はこれらすべての変化に直接ではないが関与している。言い換えると、これらすべての変化を見ている感じだ。

3)<ときの流れ>は目には見えないが、感じとしてはまっすぐ進む、あるいは過ぎ去っていく。曲がりくねって進んだり、特に曲がりくねって過ぎ去っていくとき>は想像しがたい。

4)<ときの流れ>も基本的に逆戻りしない。 (共通点はこれくらいではないか) 

ポイントはそれぞれの2)。繰り返しになるが

川の流れ


2)<川の流れ>では木の葉は、水の上に浮かんで、ほぼ<川の流れ>とともに流れていく。これも第三者はもちろん、木の葉になった自分でも見ることができる。大雑把にいうと、川の水は流れて(動いて)いくが、まわり(の景色など)の大部分は動いていない。すくなくとも川の水は流れほど速くは動いていない。木の葉になった自分は<まわり>とは別の世界にいることになり<時の流れに身をまかせ>(ている女性)とは根本的にちがう。

大雑把にいうと、川の水は流れて(動いて)いくが、まわり(の景色など)の大部分は動いていない。

の<まわり(の景色など)の大部分>は基本的にはモノだ。

ときの流れ

2)<川の流れ>の木の葉にたとえると、<ときの流れ>とともに自分が流れていくことになるが、この<ときの流れ>は第三者はもちろん、自分で見ること、感じることはまずできない。したがって<川の流れ>の木の葉のように、<ときの流れ>とともに自分が流れていくことはきわめて考えにくい。あるところに止まっていても(少しは動いてもいいが)<とき>は流れれていく。<とき>は目に見えないので<流れていく>というよりは、<(どんどん)過ぎ去っていく>感じだが、これも確かではない。そしてまわりはそれこそさまざまに変化する。自分が見ている変化はほんのごく一部で、見ることができないまわりにの変化の方がはるかに多い。一方<とき>はこれらすべての変化に直接ではないが関与している。言い換えると、これらすべての変化を見ている感じだ。

” 

あるところに止まっていても<とき>は流れれていく。. . . . . そしてまわりはそれこそさまざまに変化する。自分が見ている変化はほんのごく一部で、見ることができないまわりにの変化の方がはるかに多い。一方<とき>はこれらすべての変化に直接ではないが関与している。言い換えると、これらすべての変化を見ている感じだ。

で<見ることができないまわりにの変化>はは基本的にはコトだ。

わかりやすく対比させると

川の流れ

自分が流れる(進む、動く)。 - まわりモノは動いていないが、後ろへ去っていく。

ときの流れ

自分はあるところに止まっている。- ときが流れる(進む、たつ、去っていく)>にしたがって、まわりのコトは変化していく。

これはみごとな対比といえる。<ものごと>、<ものごと>のモノとコトを手もとの辞書(三省堂新辞解6版)で調べてみて、前に調べた跡があるが、今回はおどろいたいた。

1)ものごと

辞書の解説はごく簡単で

思考、行動の対象となるすべて。


これだけ。前に英語の thing(s) と<ものごと>を対比したことがあるが thing(s)の方は<もの><ごと>も含まれていて超一般化された言葉。いわば<世の中の対象となるすべて>とでもなるか。一方日本語のモノは<思考、行動の対象となるすべて>とあるが、別にコトがある。モノとコトはどこが違う。

2)もの

辞書の解説は<ものごと>の解説よりかなり長く

① (事、状態などに対して)見たり、さわったりして実際にあるとことが確かめられる具体的な形、大きさなどをそなえた一つひとつ。

② (物質、物資、物品など)行為を向ける(意志や欲求をいだく)対称としてとらえた(もの)

③ (抽象的な存在である)何らかの思考や判断の対象となるひとまとまりの内容(をそなえた事物や事柄)。

説明のなかで<もの>が使えないので、かなり苦労したあとがうかがえる解説だ。③は<見たり、さわったりして実際にあるとことが確かめられる具体的>なモノでないくてもいいことになる。

3)こと

一方<こと>の解説も長く、例をいれると1/ 3ページ以上を使っている。<ものごと>の一行の半分程度の<思考、行動の対象となるすべて。>だけとはえらい違いだ。

① 人間が経験する対称のうちで、時間とともに変化していくと考えられるもの。またその変化過程、事態。

② 人間の行為の一こま。


英語では event(s) がよく使われる。これは<②人間の行為の一こま>相当だ。 <event(s)> の日本語訳は普通<できごと、出来事>だ。 <event(s)>は①の意でも使われるが、<できごと、出来事>が先に頭に浮かぶので、かなり一般化された①の意を含む<こと>に比べると一般化が低いようだ。 

① 人間が経験する対称のうちで、時間とともに変化していくと考えられるもの

となっているので コトはモノの一種になる。違いは<時間とともに変化していくと考えられる>で、モノの解説の方にはなかったが、コトと区別しようとすれば 

2)もの

① (事、状態などに対して)見たり、さわったりして実際にあるとことが確かめられる具体的な形、大きさなどをそなえ、<時間とともに変化していかないと考えられる>一つひとつ。

② (物質、物資、物品など)行為を向ける(意志や欲求をいだく)対称<で、時間とともに変化していかないと考えられる>としてとらえた(もの)

③ (抽象的な存在である)何らかの思考や判断の対象となるひとまとまりの内容<で、時間とともに変化していかないと考えられる内容>(をそなえた事物や事柄)。

これではわかりにくいが、まとめて言えば<時間とともに変化していかないと考えられる、世の中の、具体的、抽象的をとわず、認識できる対称すべて>とでもなるか?

ポイントは時間とともに変化していくもの(認識できる対称)がコトで、時間が流れて(過ぎて、たって)も変化していかないと認識できる対称>がモノと言える。

この日本語のモノとコトの区分は大きな意味をもっており、モノ、コト両刀使いのカメレオンみたいな英語の thing(s) とは大いに違う。<thing(s)>があるため時間とともに変化していくコト相当の英語に意味限定的な、一般化が進んでいない event(s) が使われているのかもしれない。だがコトはそう簡単ではない。

さて、これをもとの<川の流れ>と<ときの流れ>の対比にもどると

川の流れ

自分が流れる(進む、動く)。 - まわりモノは動いていないが、後ろへ去っていく。

だが、<とき>を前面に出して言い換えてみる。

川の流れ

<ときの流れ>とともに自分が流れる(進む、動く)。 - まわりモノは動いていないが、後ろへ去っていく。

<流れ、(目に見える)進み、動き>は<ときの流れ>(時間の経過)がないと実現しない。

一方 <時の流れ>は繰り返しになるが

ときの流れ

自分はあるところに止まっている。- ときが流れる(進む、たつ、去っていく)>にしたがって、まわりのコトは変化していく。

これで対比がさらにはっきるする。発見した<とんでもないコト>とは、期待はずれかもしれないが、この対比(の内容)のことだ。

もう一歩進めて、<川の流れ>と<ときの流>をあわせると

 <ときの流れ>ともに自分が流れる(進む、動く)。 - 1)まわりモノは動いていないが、後ろへ去っていく。さらに 2)ときが流れる(進む、たつ、去っていく)>にしたがって、まわりのコトは変化していく。

となるが、これも可能だ。 足し算になるのか掛け算になるのか?はたまた別の計算になるのか?英語の time は動詞(to time)として掛け算の<かける>の意味がある。A times B. = A x B。これは深い意味があるのか?

英語のモノ、コト両刀使い、カメレオンの thing(s) で言い換えれば

<ときの流れ>ともに自分が流れる(進む、動く)。 - まわりの1)things は動いていないが後ろへ去っていく、と同時に<ときの流れ>とともにまわりの2) things は変化していく。

日本語は1)と2)の区別1)モノと2)コトは区別があるが、英語ではこの区別がないので意味があいまいになる。

何が何だがよくわからなくなったが、とりあえずここまでとし、後日の再検討に期待。 

 

sptt


 

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