Friday, October 16, 2020

Motivation、動機づけ、たましい

 

<動機づけ>は比較的新しい日本語で多分に Motivation の訳語だ。実際には<動機>がMotivation で、<動機づけ>は<Motivation をつけること>となる。意味は、やまとことばを多く使って表わすと

何か、特に何か新しいことを前向きにしようとする気持ちをいだかせること

とでもなるか。<動機>の<動>は<動かす>、<機>は<機会、チャンス>の機だが<チャンスを動かす>では意味をなさない。<xx の気持ちをいだかせる>は<心を動かす>に近い。中国語の<機心>は普通は時計の movement のこと。<機>でネットの中国語辞書にあたっててみると、歴史的にさすが4000年(8000年だったか)の歴史でさまざまな意味ががあるが、関連のあるのだけ抜き出すと


Wiki

《說文》主發謂之機。《書·太甲》若虞機張,往省括于度則釋。《尚書·大傳》捕獸機檻陷。《大學》其機如此。《註》發動所由。《疏》關機也。動於近,成於遠。

又氣運之變化曰機。《莊子·天運篇》意者有機,緘而不得已耶。《至樂篇》萬物皆出於機,皆入於機。(*)

 ”

で英語のチャンス相当だ。 チャンスを見直せば、チャンスはまだ実現していないポテンシャルで<何か、特に何か新しいことが起きる可能性>ともいえるので、<動機づけ>はこの<可能性を動かす、起こさせること>ともいえる。

さてこのポストはやまとことば<たましい>の話で、以上は前置き。私はここ5年ほどまえから、イタリア語の再勉強をかねて Face Book でイタリア養生訓(生き方)みたいなものをこれまたネット辞典を使いながら毎日のように読んでいる。イタリア養生訓にはキーワードがいくつかある。出くわす頻度順では

ダントツの一番目 - Serenità (**)

これはイタリア人でないと<感じ>がつかめないだろう。 一種の幸福論のキーワードだ。末尾参照。

二番目 - Eleganza

これはファッションの、さらには動作のエレガントを少しよく考えれば、それに近く、それをファッション、動作をこえて<生き方>にもとりいれたもの、といえる。<生き方>が重々しければライフスタイルでもいい。

そして三番目が Anima。 Anima は英語でいえば Soul、日本語では<たましい>だろう。Collins 伊英辞典では 

anima

[ˈanima] 

feminine noun

1. (gen) soul
volere un bene dell’anima a qn   to be extremely fond of sb (たましい(心)の底から好きだ)
con tutta l’anima   with all one’s heart  (たましい(こころ)をめいっぱい込めて)
mettere l’anima in qc/nel fare qc   to put one’s heart into sth/into doing sth (たましいをいれて何かをする)
vendere l’anima (al diavolo)   to sell one’s soul (to the devil) (たましいを悪魔に売る)
anima e corpo   body and soul  (たましいと肉体)
 
(以下略) (***)
 

例文も<こころ>の方が適当なのがあるが、<たましい>で訳せる。<anima> は英語の animation、日本語のアニメ(動画)の関連語で、<動く、動かす>が主な意味だ。一方<たましい>の慣用例文(句)をさがすと

たましいが入っていない
たましいが抜けている (死んでいることも表わす)
たましいを入れる
たましいを入れ直す

これからすると、<たましい>がないと生きていけないと思うが、<たましい>は不在がちのようだ。

たましいを動かす、
たましいが動かされる 

が<動機づけ>に近いが、残念ながら

心を動かす、
心が動かされる、心を動かされる 

の方をよく聞く。だがこれは<動機づけ>から離れてしまう。<心を動かされ>ても<何か、特に何か新しいことを前向きにしようとする>ほどのことはないのだ。

大和魂(やまとだましい)

<やまとことば>はいいが<大和魂(やまとだましい)>は国粋的、プロパガンダ的なところがある。大和魂(やまとだましい)をふるいたたせてするのは戦争だ。戦場の軍人には勝とうする(必ず勝つという)思いがないとダメだが、直接的には<やまとだましい>とはむすびつかないだろう。

<さむらいだましい>というのもあり武士道に近いようだ。これまたネットでつぎのような記事を見つけた。

https://rekijin.com/?p=23791

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり】『葉隠』は生きるヒント満載の自己啓発書 ... これは、佐賀藩士・山本常朝によって口述された武士道書『葉隠』の一説です。 「いくさをしない武士がどう生きるべきか」が書かれた『葉隠』には、今を生きるわたしたちにとっても「生きていくヒント」が詰まっています。

(中略) 

『葉隠』でもっとも有名な言葉は「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」でしょう。戦時下などにおいてこの文言が闘争心の鼓舞に利用されたことなどから、『葉隠』を「潔く死ぬのが武士というものだ」ということを説く書であると思われがちです。

「武士道と云ふは・・・」の項は『葉隠』の「聞書一」の2つ目にあります。この項の末文は次のようになっています。

毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。
(『葉隠』「聞書一」2)

ここに「毎朝毎夕、改めては死に死に」とあるのを見れば、『葉隠』の説く「死」が実際の「死」を意味するのではなく、「死んだ気になること」だと理解できます。それが「常住死身」ということでしょう。いつも「いったん死んだ気で」何事かに臨めば、自由な気持ちになることができて、仕事もうまくゆく、と説くのが「常住死身」ではないでしょうか。この項冒頭の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と末文にある「常住死身」が呼応しているのです。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の箇所の原文の訳文、解説がついているが、原文を味わった方がいい。一種の養生訓だ。<武道に自由を得>のところがいい。

-----

(注)

(*) 最後の <萬物皆出於機,皆入於機>は荘子らしい<宇宙創成論>、はたまた<物理学の奥義>みたいな言葉だ。湯川秀樹は荘子の愛読者だったようだ。

(**) Wiki Italian:  Serenità è il termine con cui si descrive la condizione emotiva individuale caratterizzata, a livello interiore ed esteriore, da tranquillità e calma non solo apparente, ma talmente profonda da non essere soggetta, nell'immediato, a trasformazioni di umore, ad eccitazioni o perturbazioni tali da modificare significativamente questo stato di pace. La serenità è una componente rilevante nel costituire il benessere emotivo dell'uomo; secondo alcune teorie essa è talmente rilevante da costituire una condizione necessaria e sufficiente per la felicità dell'essere umano.

よく見るとemotiva、emotivo の字がある。

(***)

(Wikiイタリア語版には anima の長い説明がある。大幅にはしょっていうと<生命のみなもと>。
 
ついでに、4番目候補はいくつかありそうだ。その一つはUmiltà (謙虚、やまとことばは<ひかえめ>か)。proud(矜持) とか courage (勇気)とか challenge (挑戦)はなぜか人気がなく10番めまでにも入ってこないのではないか。時間があれば10番めぐらいまで調べて紹介する。

sptt


 

 



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