Friday, July 30, 2021

うれしがらせて

 

前回のポスト ” <したい><したくない>と<したがる><したがらない> ” の続き。超ナツメロになるが

うれしがらせて泣かせて消えた 

という歌の文句がある。<女心の切なさ>を演歌調に表現したもので、わるくない。ところで<うれしがらせて>の<うれしがらせる>とは一体どういうことか?前回のポストで

(前略)

この<たい>になんだかよくわからない<がる>がつくと<たがる>になる。

太郎は行きたがる
花子は遊びたがる
次郎は結婚したがる (したがっている)

<たがる>は大いに日本語特有な言い方で、少なくとも英語にはない。特有な言い方というのは

私は行きたい
私は遊びたい
私は結婚したい 

はちょっと変な日本語だが、翻訳調と思えばいい。一方<たがる>の方は

私は行きたがる
私は遊びたがる
私は結婚したがる 

はまったくダメ。この人称がかわるとダメになるところは注目していい。

(後略)

と書いた。 <うれしがらせる>は 歌の内容からは<私をうれしがらせる>で使役形。<私はうれしがる>はダメだが、使役が成功すれば<私はうれしがる>になり、実際には<.....消えた>と過去形なので<私はうれしがった>ことになる。<私は行きたがった>は変ではない。さらには<私は行きたがる>も<まったくダメ>ではないようだ。一体<がる>はどういう意味か?

(私を)うれしがらせることを言うじゃないか。

(私を)うれしくさせることを言うじゃないか。
(私が)うれしくなることを言うじゃないか。 

で言い換えられる。また少し長くなるが

(私を)うれしがらせるようなことを言うじゃないか。
(私を)うれしくさせるようなことを言うじゃないか。
(私が)うれしくなるようなことを言うじゃないか。 

が自然だ。

突然だが中国の故事に<虎の威を借る(狐假虎威)>というのがある。<威を借る>(コンピュータワープロ)となっているが本家の方は<狐假虎威>で<假(仮)る>なのだ。

虎の威を借る -> 虎の威を借(かり)る

假虎威 -> 虎の威を假(仮)る -> 虎の威を装(よそお)う

 両者は違うようだが、基本的には同じだ。言葉の方も<借りる>の古語は<借(か)る>だ。<假(仮)る>という動詞は、すくなくとも現代日本語では聞かない、見ない。だが<仮(か)る>の連用形<かり>の体言(名詞)用法では

仮に、仮にも、仮の

はよく使う。 日本語の<仮の>は必ずしもニセモノではないが、中国では<假貨>はニセモノで、たくさん出回っていることもあるが、よく耳にする言葉だ。もっとも<仮に、仮にも>の意の仮もある。假如。

また

私はうれしかった(私はうれしい)

私はうれしがった (私はうれしがる)

の違いは<私はうれしがる>の方は<がる>の一語(2音節)で、あるいは<かる、仮る>で、<うれしい>が<仮(かり)の、ニセモノの>である(あった)を示唆している。


かなり高い可能性で<がる>はこの<かる(仮る、借る)> 由来だろう、

 

参考

sptt Short Stories, Poems and Aphorism

虎の威を借る(狐假虎威)

 

sptt

 

<したい><したくない>と<したがる><したがらない>

 

<したい>は<する>の連用形<し>+<たい>。<たい>は古くは<たし> で形容詞語尾なので、形容詞、あるいは形容詞語尾の願望の助動詞かもしれない。

行きたい (行き+たい)
遊びたい (遊び+たい)
結婚したい (結婚し+たい)

となる。この<たい>になんだかよくわからない<がる>がつくと<たがる>になる。

太郎は行きたがる
花子は遊びたがる
次郎は結婚したがる (したがっている)

<たがる>は大いに日本語特有な言い方で、少なくとも英語にはない。特有な言い方というのは

私は行きたい
私は遊びたい
私は結婚したい 

はちょっと変な日本語だが、翻訳調と思えばいい。一方<たがる>の方は

私は行きたがる
私は遊びたがる
私は結婚したがる 

はまったくダメ。この人称がかわるとダメになるところは注目していい。ややこしいのは否定表現だ。

太郎は花子と結婚したい。
太郎は花子と結婚したくない。
太郎は花子と結婚したがっている。( 太郎は花子と結婚したがる、はなぜかちょっと変だ)
太郎は花子と結婚したがらない。 

最後の<太郎は花子と結婚したがらない>はどう解釈したらいいのか?(宿題)

 

<がる>関連の次のポスト ” うれしがらせて ” 参照。

 

sptt



 


 

 

 


Thursday, July 29, 2021

<かねる>と<かねない>

 

<かねる>と<かねない>はかなり複雑。

大は小をかねる。

これはたとえば、

子供の服は大人が着られないが、大人の服は子供が着られる。

これは<大は小を含む>に包含関係で説明できるが、<かねる>の意味からすると

大きな服は大人用にも子供用にもなる。

が正しい。

太郎は大会社の会長と社長を兼ねている。
次郎は零細企業の社長と平社員を兼ねている。
花子はOLと主婦を兼ねている。 

が例で、これからすると<かねる>は<二つ以上の機能を果たす>。<二つ以上>なので<三っつ>、<四っつ>の機能を果たすことにも<かねる>が使えそうだが、大体は<二つだ>。たくさんの機能を果たすでは英語に multi-function, multi-functional (多機能)という言葉がある。聞こえはいいが、たいしたことはない。スイスアーミイナイフは寄集めで純多機能とは言い難い。

<かねる>の基本的な意味は上記のようになるが、日本語では<xx かねる>という言い方があり日常そこそこ使われる。

xx しかねる
xx とは言いかねる
その申し出は受け入れかねる

 手もとの辞書で<諸般の事情でxxできないこと>というようなことが書いてあり、これでよさそうだが

それはできない

それはできかねる

の違いをどう説明したらいいのか。 例を続けると

見るに見かねて(助けてやった)
待ちかねる
その説明はわかりかねる
そんな情報は知りかねる  (知らない、知っていない、知ることができない、私とは関係ない、etc)

の<かねる>の説明もそう簡単ではない。さらにやっかいなのは<xx かねない>で

 しかねない、やりかねない
言いかねない 、言い出しかねない
家出しかねない    家出しかねる(ほぼダメ)
災害がおこりかねない  災害がおこりかねる(ダメ)
思わぬ事故がおこりかねない   事故がおこりかねる(ダメ)
こんな売り上げでは社長がおこりだしかねない。 社長がおこりだしかねる(ダメ)
待ちかねる -> 待ちかねない、 これでは一日中、一生待ちかねない。
見るに見かねて -> 見かねない(?) 見るに見かねることができない(?)
その説明はわかりかねる -> わかりかねない  誰かにわかってしまいかねない
そんな情報は知りかねる ->知りかねない   敵がその情報を知りかねない

手もとの辞書で<諸般の事情でそうなってしまう>というようなことが書いてあるが、イマイチだ。元の動詞<かねる>との関連がないのだ。


さて<それはできない>と<それはできかねる>の違い

<それはできない>は単純にそのまま解釈していいだろう。<それはできかねる>は

(できない諸般の事情があるので)できない。

というよりも

それはできるが、できない諸般の事情があるので)できない。

のほかに

それはできるが、、したくないので)できない。

の意味がありそうだ。 だがこれだと

できるのに<べきない>とはいったいどういうことだ?

と言われそう。答えるとすれば

できない諸般の事情があるのだ。

したくないのだ。

になるだろう。

もう少し考えて、<かねる>にもとの意味に関連して二者選択のジレンマ、二股膏薬(こうやく)=どっちつかず 、のような状況を考えてみよう。

その申し出は受け入れかねる。

は結局、つまるところは拒絶、

その申し出は受け入れない、受け入れられない。

なのだが<受け入れかねる>では<かねる>があるので、この場合はまったく表面に出てこない、意識もされないが

<受けれる>と<受け入れない>の間を行ったり来たりしている、言い換えると<受けれる>と<受け入れない>を<かねた>状態をしさしているのではないか?

その申し出は受け入れかねる。 ->その申し出は<受け入れる><受け入れない>をかねている。したがって結論は出ない。あるいは<受け入れない>のではないが、そうかといって<受け入れる>わけでもない、といった ambilalent (二股膏薬(こうやく)=どっちつかず)、ambiguous (あいまいな)な状態をしさしている。ちなみに ambi = both という説明がある。

さて次は<かねない>。<かねない>もこの<かねる>にもとの意味を考えれば、かなりすっきり説明できる。<かねない>は<かねる>の否定なので< ambilalent (二股膏薬(こうやく)=どっちつかず)あ>の否定だ。そうすると<どっちつかずの結論が出ていない>状態ではなく、どちらか(一つ)の方に大きく傾いた状態。どちらか(一つ)の方になる可能性が大きい、確率が高い状態、優勢。このような状態が<かねない>なのだ。英語で predominant という形容詞がある。チェックしてみると、most probable (可能性が大きい、確率が高い)というのもある。

 

sptt

 


 

 




Tuesday, July 27, 2021

<わかる>と<わからない>


<わかる>、<わからない>は日常生活で大活躍する。<わかる>、<わからない>の常套句を集めてみた。 (順不同)

わかる

謎がわかる。謎がわかった。
わかりっこない
わかるはずない
わかっている。わかった、わかった。 (往々にして、わかっていない)
なんとなくわかる。
やってみればわかる。
わかりかける
わかり切ったことをくどくど言うな。 (往々にして、わかっていない)
わかりすぎるほどわかる。 (社交辞令で、往々にして、わかっていない)
わかっていたつもりがわかっていなかった。
わかりにくい
聞いてわかる
見てわかる
わかりがいい、わかりが悪い
わかりがはやい(早い、速い)  
身にしみてわかる
すっかりわかる
いたいほどよくわかる。今度はいたいほどよくわかった。 
わかりすぎるほどよくわかる  (往々にして、わかっていない)
違(ちが)いがわかる
わかっちゃいるけど、やめられない。 (なぜかは大きな謎だ)
 

わからない

なぜだかよくわからない(推測がつかない)
わかったようでわからない
わかっいたつもりがわかっていなかった。
違(ちが)いがわからない
やってみないことにはわからない。
ちっともわからない
ちっともわかっちゃいない。
まったくわからない  
まるっきりわからない (お手上げだ)
すこしもわかってくれない、もらえない。
わかりかねる、 わかりかねない(二重否定、わかってしまうかもしれない)
なにがなんだかわからない。
なにがなんだかわけがわからない。
わけのわからないことをいうな。

わからずや

以上はみなほとんど無意識でつかっている。

 

sptt

Monday, July 26, 2021

誤解のやまとことば

 

<誤解>のやまとことば<取り違ちがえ>、<誤解する>は<取り違ちがえる>だろう。<誤解>の文字通りの意味は<誤(あや)まった理解>、<誤解する>は<誤(あや)まって理解する>だがほとんど聞いたことがない。実際には<取り違ちがえ>や<取り違ちがえる>もほとんどきかず、もっぱら<誤解>、<誤解する>だ。

<はきちがえる>も<誤解>に近い。<はく>は履物の<履く>。履物を<履きまちがえる>が元の意味だ。

<思いちがえる>も<誤解>に近いが、<思いちがい>とは言うが<<思いちがえる>は聞いたことがない。

<理解する>はおおむね<わかる>なので

誤解: わかりまちがえ
誤解する: わかりまちがえる

がやまとことば候補の第一だろう。<まちがえる>が一般的だが<たがえる>というやまとことばもある。

 

sptt

 

Sunday, July 18, 2021

とぐろを巻く

 

<とぐろを巻く>はたまに聞く程度だが、死語ではない。 <とぐろを巻く>の<とぐろ>は<と>(接辞)+<ぐるぐるまき>の<ぐる>か。だがこれでは何のことだかわからない。だが<とぐろを巻く>はヘビが、自分の体を<ぐるぐるまき>にして休んでいる、ことのようだ。これが比喩的に、何もしないでひとところにじっとしている、の意で使われてきたという(ネット語源辞典)。ヘビには気の毒だが、だいたいよくない意味で使われる。逆説的になるが、<とぐろを巻く>が安心して使われるのは<とぐろ>が何だかわからないからかもしれない。

さてここで問題にしたいのは、正確にはヘビが<とぐろ>を巻くのではなく、ヘビが自分の体を<ぐるぐるまき>にしてできるのが<とぐろ>、自分の体を<ぐるぐる巻いて>できるのが<とぐろ>であって、ヘビは<とぐろ>を作るわけではないことだ。ヘビに意識があるとすれば、ヘビは意識して<とぐろ>を作るわけではない。結果としてとぐろができるのだ。<とぐろ>状態になるには何かわけがあるだろうが、ここでは詮索しない。人の最善の防御方法として<自分の体を丸くする>があるので、ヘビが<とぐろを巻く>のは最善の防御方法なのかもしれない。人が<自分の体を丸くする>は言い換えると<丸(丸まる>で、できないことはない。昆虫で丸虫というのがいて、自分の体を丸くする。いづれにしても外界と接する表面積は最小になるので、道理はある。<丸虫が丸くなる>を言い換えると<丸虫が身を丸くする>、さらに大幅に言いかえると<<丸虫が団子を丸める>で、これは<ヘビがとぐろを巻く>にかなり近い表現だ。丸虫はヘビほどきらわれていないので、中立の表現ができる。<子供が公園のすみで団子を丸めている>。

同じではないが、似たような言い方を調べてみた(最近たまたまみつけたのが多い)。

腰をぬかす。

これは専門家か実際に<腰をぬかした人>にしか説明できないだろ。これは<腰をぬかそうとして>腰をぬかす人はいないといってよく(相当に苦痛をともないそうだ)、実態としては<腰がぬける>のだ。

骨を折る

<骨を折る>は比喩的に使われるところは<とぐろを巻く>に似ている。実際に<骨を折る>のではない。実際に折ろうとして<骨を折る>人はこれまたごくまれで、これまた相当に苦痛をともないそうだ。実際には<骨が折れる>で、相当に苦痛をともなうが、予期せぬ事故とし発生する。<骨が折れる>ももっぱら比喩的に使われる。

指を切る

も<骨を折る>に似たところがある。もちろん切ろうとして自分の指を切る人はまれで、予期せぬ事故とし発生する多くは<切りきず>を作る程度で、<指を切り落とす>の意味にはならないだろう。

 トゲを指す - これはかなり前にべつのポストで論じている。 

胃潰瘍(いかいよう)をおこす。(下痢(げり)をおこす)

<胃が潰瘍をおこす>は文法的に変ではない。

太郎が(は)胃潰瘍をおこして入院した。

これももちろん胃潰瘍になろうとして胃潰瘍をおこすわけではない。結果として胃潰瘍になるところは、ヘビが体をぐるぐる巻いて、結果としてとぐろになるのと一緒だ。 <下痢(げり)をおこす>も同類だ。

<おこす>は<起きる(起こる)>の他動詞形だが、どうも自動詞の意味<(結果として)xxになる>が強く残っている。

クルマがエンコ(エンジン故障)をおこす

以上は似てはいるが<とぐろを巻く>と同じ言い方ではない。

<のり巻きを巻く>という言い方がある。 ご飯をのりで巻いたものが<のり巻き>なので、<のり巻き>が<とぐろみたいなもの>なら<とぐろを巻く>と同じ言い方になる。だが大きな違いがある。<のり巻き>は<人がご飯のりで巻く>。一方<とぐろを巻く>は<ヘビが自分自身の体を巻く>ことだ。<とぐろを巻く>と同じになるためには<ご飯のりで自分自身を巻く>必要がある。

焼もちを焼く

<焼きそば焼く>とはいわないが(焼きそばは実際<焼く>というよりは<炒(いた)めるだ)、<焼きもちを焼く>と言い方がある。これまたなぜか使い方はほぼ比喩100%だ。 実際のもちなら<もちを焼く>だ。<もちを焼いて>できたのが<焼きもち>なので、これまた<焼きもち>が<とぐろみたいなもの>なら<焼きもちを焼く>は<とぐろを巻く>と同じ言い方になる。だがこれも人がもちを焼くので<とぐろを巻く>とは基本的に違う。

餃子(ぎょうざ)を包む

日本では餃子は作るもの(餃子を作る)だが、中国では<餃子を包む(包餃子)>という。これは具を餃子の皮で包んでつくる。出来上がったもの、結果として出来上がるものが餃子だが<包餃子)>という。この場合<包>は他動詞か、はたまた to become のような自動詞か?

折り紙を折る

 これは普通<折り紙細工作品を作る>と言う意味で、材料の<色のついた四角い紙を折る>の意味ではない。これは上の<<餃子を包む(包餃子)>ににている。

 

<ヘビがとぐろを巻く>、<丸虫が団子をつくる>は一種の<自動詞->他動詞>変換表現だ。

ヘビがとぐろになる。 <-  ヘビがその身をぐるぐる巻いてとぐろになる。
丸虫が団子になる。  <-  丸虫がその身をまるめてて団子になる。

これはイタリア語の再帰動詞用法による<他動詞->自動詞>変換に似ている。

 

sptt

 

Wednesday, July 14, 2021

<チャレンジ、挑戦>のやまとことば

 

<勇気、挑戦のやまとことば>というポストをだいぶ前に書いたことがあるが、今回は第2弾。今回の内容は重なるとことろもあるが、新しい考察もある。

英語の<チャレンジ>と漢語の<挑戦>は同じくらいの割合で使わているか。 チャレンジの場合は<チャレンジ精神>という英漢混合の言葉もよく使われる。一方<挑戦精神>は聞かない。<チャレンジ、挑戦>は前向き、positive な言葉で悪くないが、これに相当するやまとことばは何か?

<挑戦する>は<いどむ>といういいやまとことばがあり、ときどき聞くが、<挑戦する>、<チャレンジする>と同程度の使用頻度か。一方、体言(名詞)形の<いどみ>はなぜかほとんど使われない。<いどむこと>も<チャレンジ>、<挑戦>にはならない。

少し意味はずれるが<試(ため)す>、<試(ここる)みる>がある。<試(ため)す>は<ためしにやってみる>という言い方があり、体言(名詞)形の<ためし>を無意識のうちに使っている。<ためしにやってみる>と<ためしてみる>ではニュアンスが違う。<ここるみる>の体言(名詞)形<こころみ>は<そのこころみは失敗した>など、ややカタい表現になる。<こころみにやってみる>と<こころみてみる>もあまりきかない。

<挑戦する>、<チャレンジする>は<困難に立ち向かう、困難に立ち向かってこれを克服する>といった意味がある。<立ち向かい>は<チャレンジ、挑戦>のやまとことば候補だ。 

これほどでシリアスではなく、軽いニュアンスの<やってみる>というのがある。使用頻度はこれが一番高いのではないか。一方<挑戦してみる>、<チャレンジしてみる>だと<挑戦する>、<チャレンジする>に比べて少しトーンダウンするような気がする。

<やってみる>はやまとことばらしい言い方だ。、軽いニュアンスが逆にいい。

聞いみただけでは、忘れる。
見てみて、忘れれない。
やってみて、わかる。

という孔子の言葉がある。

I hear and I forget.
I see and I remember.
I do and I understand.


<やってみる>の体言(名詞)形は<やってみ>で聞いたことはない。だが<やってみ精神><やってみる精神>より語呂がいい。<やってみよう精神>は長くなるが<やってみる精神>よりはいい。Nike の宣伝コピーに Just do it ! というのがあり、かなり長く使われている。

ところで、<ためす>、<ここるみる>はコンピュータワープロでは<試す>、<試みる>と出てきて<試>の字が使われている。<試>の字では<試験>がすぐに頭に浮かぶが、<試練(しれん)>というのもある。

試験、試練は基本的に<人を試(ため)す>モノだ。そして人は<試(ため)される>のだ。<人を試(ため)す>はかなりシリアスな内容。これだと

<試験を受ける>は<試すモノ>に挑戦、チャレンジする

になる。ややこしいのは<試験に受かる>で、この解釈は難しい。<試すモノ>に<試されて>、<受け入れられる>といった意味のようだ。

<受ける>は<xx を受ける>で他動詞だが、<xx に挑戦する、チャレンジする>は 内容に反して自動詞。<勝つ>、<負ける>も自動詞だ。

一方<受かる>は<xxに受かる>で自動詞。一方<受け入れられる>は他動詞<xx を受け入れる>の受身形。<受かる>はかなり特殊な動詞で、<チャレンジ、挑戦>が成功する意味がある。

 

sptt

Monday, July 12, 2021

ずるける、 なまける、 とぼける、 ふざける

 
おもしろい<xx ける>動詞を探してみた。

あざける
いじける (いじいじ)
おじける (おじけづく)
かまける (かまう)
けしかける
こける
すすける (煤ける)
ずるける (ずるい)
だらける (だらだら)
なまける (なまくら)
とぼける (ぼける) (とぼとぼ)
とろける  (とろみ)(とろとろ煮る))(とける)
はだける (肌ける)
ばらける (ばらばら、ばらばらになる / する)
ふざける
ふるぼける  (ぼける)
ぼろける  (ぼろ)(ぼろぼろ)
よろける  (よろよろする)

 

なぜかかんばしくない意味の動詞が多い。だがこれは意識的に選んで並べたからで、ほかにも<xxける>動詞はたくさんある。ざっと調べてみたが、<xx く> / <xx ける>の他動詞 / 自動詞コンビが多い。<xx ける> / <xx かる>の他動詞 / 自動詞コンビ、<xx ける> / <xx かす>自動詞 / 他動詞コンビもあり、そうとう複雑。


開(あ)く (自動詞) - 開ける (他動詞)
空(あ)く (自動詞) - 空ける (他動詞)
受ける (他動詞) - もうかる (自動詞)
くじく  (他動詞) - くじける (自動詞)
くだく (他動詞) - くだける (自動詞、可能)
裂(さ)く (他動詞) - 裂ける (自動詞、可能)
避ける  (他動詞) - (さかる)  遠ざかる (自動詞)
(商品を)さばく (他動詞) - (商品が)さばける (自動詞、可能)
透く(自動詞) - 透ける(自動詞) - 透かす(他動詞)  透いて見える、透けてみえる
空(す)く (自動詞) - 空かす(他動詞)  おなかが空く、おなかを空かす
(ご飯を)炊(た)く (他動詞) - (ご飯が)炊ける (自動詞、可能)
助ける (他動詞) - 助かる (自動詞)
(問題を)解(と)く (他動詞) - (問題が)解ける (自動詞、可能、自発)
溶(と)ける (自動詞) - 溶(と)く(他動詞)、溶かす (他動詞)
鳴(な)く (自動詞) - 鳴ける (可能)
泣(な)く (自動詞) - 泣ける (?)
はじく (他動詞) - はじける (自動詞)
剥(は)ぐ(他動詞) - 剥げる (自動詞)  剥がす(他動詞)
化(ば)ける (自動詞) - 化かす (他動詞)
ぶつかる (自動詞) - ぶつける (他動詞)
ぼける (自動詞) - ぼかす (他動詞)
負ける (自動詞) - 負かす (他動詞)
もうける (他動詞) - もうかる (自動詞)
向く (自動詞)- 向ける (他動詞)  <右を向くは>は<を>をとるので他動詞ではないか?(自分の身、顔を)右に向ける ->右を向く、という解釈もできる。
もぐ(他動詞) - もげる (自動詞、可能)
よける (自動詞、他動詞) 右によける、向かってくる自転車をよける。<右によける>は単純に自動詞とはいえない。目的語は省略されている。(自分の身を)右によせる -> 右によける、という解釈もできる。
分ける (他動詞) - 分かれる (自動詞)

 

一方上のかんばしくない意味の動詞の多くは名詞、形容詞、擬態語由来の独立した動詞だ。

 

sptt

 




Thursday, July 8, 2021

<心にもないことを言う>の<も>について


<心にもないことを言う>は<とってつけたようなお世辞を言う>、さらには<うそをつく>の意になり、よく聞く。<心にないことを言う>で<も>がなくてもよさそうだが、<心にもないことを言う>と<も>をつけて使われる。

この<心にもないことを言う>の<も>は、簡単なようで意外と難しく、少し前に検討した<キジも鳴かずば>の<も>と同じようなことが言える。 

<心にないことを言う>は直接的で含みがない。また<心以外にはあるかもしれない>といった感じになる。<も>の一字だが、これで

心や胸や腹や頭の中(など)にないことを言う。

といった意味になる。

<胸や腹や頭の中>は言葉に出てこないので、はっきりではないが、また程度もまちまちだが、無意識のうちに連想されている。<も>の手品みたいな効果だ。


sptt

Sunday, July 4, 2021

<侮辱しないで>と<お気を悪くなさらないで>


<侮辱しないで>と<お気を悪くなさらないで>は一見関係なさそうだが

女性がよく使いそう

という点では共通なところがある。また、発話者でなく第三者からみると

侮辱しないで - バカにされた、見くだされた、見下げられた思った、感じたときの発話

お気を悪くなさらないで - バカにした、見くだした、見下(さ)げるような発言をした、またはするのではないかと思ったときのお詫び、またはお詫びの前置きの発話(の可能性がある)。

では共通している。

<お気を悪くなさらないで>は、これ以外では希望に添えない、がっかりさせるようなこと伝える時にも使いそう。

なぜこんなこんなことを調べる、再チェクする気になったのかは<ピノキオの冒険>にでてくる次の表現と関連がある -下線部。



第3章

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_3.htm


Geppetto, vedendosi guardare da quei due occhi di legno, se n'ebbe quasi per male, e disse con accento risentito:

"Occhiacci di legno, perché mi guardate?"



英訳


Geppetto, seeing himself regarded by those two wooden eyes, took it almost to heart, and said in a resented tone:

"Why do you look at me, you ugly wooden eyes?"


下線部は、イタリア語も英語も難しい単語はないのだが、フレーズとしては難しい。 male、 per male では辞書に出てこない。しかし難しいのは私だけではでないようで、ネットで調べてみると Pinocchio " se n'ebbe quasi per male " のフレーズで解説がある。原形(不定形)、標準形は aversene a male (aversene の sene はむずかしい)で、どうも<気を悪くする>の意味に近そうだ。<気を悪くさせる>ではない。英訳も調べがつかなかったが、苦心の訳だろう。to heart は<胸にくる、胸に突き刺さる、いらつかせる>とった意味か?<胸にくる>という言い方はないが<頭にくる>(<しゃくにさわる>に近い)というのはある。

<バカにする>は広く使われる。to tease、to make fun of というのもあるが、意識しなくとも to insult の意味で使われているだろう。

<気を悪くする>は他動詞を使ったちょっと日本語らしくない表現だが、しゃれたやまとことばだ。

sptt

<気は心>か


前回のポスト ” <気にさわる>と<心にふれる>” に続いて<気は心>という言葉を考えてみる。<気は心>か?別のブログ(sptt Notes on Grammar)で約9年前に<気は心>というタイトルのポストを書いており、これを利用する。

<気(き)>を含む重箱読みの例

気合い、気負い、気後れ、気落ち、気掛かり、気兼ね、気位い、気配り、気心(こころ)、気さく、気障(ざわ)り、気立て、気違い、気遣(使)い、気詰(づ)まり、気取(ど)り、気晴らし、気まぐれ、気まずい、気短か、気難しい、気持ち、 気やすい、気弱(よわ)、気らく

<心>で入れ替え可能なもの

こころ配り
こころ遣い
こころ持ち 

ぐらいで思ったより少ないが意味も大差ない。これからすると、<気は心>は<気=心>でもよさそう。だが、いろいろな解釈があると思うが<気は心>のいうところは<気=心>ではない。

もう少し調べてみる。

<気(き)>を含む湯桶読みの例

いい気、勝(かち)気、強(つよ)気、弱(よわ)気、悪気(わるぎ)、堅気(気質とも書かれる)

いい気 = いい心、 ではない。  例)いい気になる。
悪気(わるぎ)、悪い気 = 悪いこころ、ではない。  例)悪気はなかった。悪い気がする。悪い気はしない。


もちろん、<気(き)>は独立して(名詞)自由に使われる。

動詞 + 気  - する気、やる気、行く気、乗り気(どういうわけか<乗る気>ではない)
形容詞 + 気 - いい気、悪い気 (上述)。
名詞の気 - 気が合う、気がある、気がいい、気が狂う、気が気でない、気が済まない、気が立つ、気が付く、気がない、気が滅入(めい)る、etc.

繰り返しになるが、

いい気 = いい心、 ではない。
悪気(わるぎ)、悪い気 = 悪いこころ、ではない。

これからしても

<気は心>は<気=心>ではない。気と心はどこが違う。

これを調べる、再チェクする気になったのは、<ピノキオの冒険>にでてくる次の表現に遭遇したのと関連がある -下線部。




第3章

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_3.htm

Geppetto, vedendosi guardare da quei due occhi di legno, se n'ebbe quasi per male, e disse con accento risentito:

"Occhiacci di legno, perché mi guardate?"


英訳

Geppetto, seeing himself regarded by those two wooden eyes, took it almost to heart, and said in a resented tone:

"Why do you look at me, you ugly wooden eyes?"

下線部は、イタリア語も英語も難しい単語はないのだが、フレーズとしては難しい。 male、 per male では辞書に出てこない。しかし難しいのは私だけではでないようで、ネットで調べてみると Pinocchio " se n'ebbe quasi per male " のフレーズで解説がある。原形(不定形)、標準形は aversene a male (aversene の sene はむずかしい)で、どうも<気を悪くする>の意味に近そうだ。<気を悪くさせる>ではない。英訳も調べがつかなかったが、苦心の訳だろう。to heart は<胸にくる、胸に突き刺さる、いらつかせる>とった意味か?<胸にくる>という言い方はないが<頭にくる>(<しゃくにさわる>に近い)というのはある。関連表現では

xx が
気に食(く)わない
気にさわる
気になる

があるが、<xx が気にyy>という言い方で<気を悪くする>の構造ではない。<気をよくする>といういいかたもあるが、<いい、よい>の意味からずれたかなり特殊な意味だ。

 

(*末尾)<気>の大和言葉化

<気は心>というが、ここでは、大和言葉化した<気>について書く。気心(きごころ)という言葉があり、気(き)=心(こころ)のようだが、大きな違いがあるようだ。<こころ>は大和言葉の名詞代表と言える。一方気(き)の方は純やまとことばではなく中国語起源の<気>だろう。(*末尾参照)

<気>の発音は<き>と<け>がある。

現代中国語(普通話)の<気>の発音は(qi、チまたはチィ)で昔のある地域では<き>に近い発音だったのだろう。広東語では(チ)とはほとんど関係なさそうな<hei>と発音するが、これも、もともとは<khei>ではなかったか。なぜなら、他の普通話の<qi>は、 広東語では汽、起は<hei>だが、企、旗、其、期、起,騎、奇などは<khei>と発音する。<kei>ではなく<khei>としたのは<khei>は <gei>ではないが<ややソフトkei>に対して、<khei>は少しばかり<h>が入る<ハードな<kei>だ。<khei>が<け>に変わるのは難し くない。経済の法則が働く。(四声は無視)。いつ、中国のどの地域(の人々)から輸入したのか調べるのはむずかしいが、とにか日本では<気>の発音は<き>と<け>の二つになり(漢音、呉音とかいうやつかもしれない) 、意味も微妙, というよりはかなり違う。

なお、<チ>は普通話では<qi>はややハードで、<ji>はややソフト, さらに<chi>が<zhi>があって日本人は相当練習しないと聞き取れないし、発音しわけ切れない。

<気(き、け)>は深く日本語化(大和言葉化)しているが、気は気韻、気功、気宇などの純中国語が多いことからしても、純大和言葉ではない。

<気(き)>を含む重箱読みの例

気合い、気負い、気後れ、気落ち、気掛かり、気兼ね、気位い、気配り、気心(こころ)、気さく、気障(ざわ)り、気立て、気違い、気遣(使)い、気詰まり、気取り、気まぐれ、気短か、気晴らし、気まずい、気難しい、気持ち、 気やすい、気弱(よわ)、気らく

<気(き)>を含む湯桶読みの例

いい気、勝気、強気、弱気、悪気(わるぎ)、 堅気(気質とも書かれる)

もちろん、<気(き)>は独立して(名詞)自由に使われる。

動詞 + 気  - する気、やる気、行く気、乗り気(どういうわけか<乗る気>ではない)
形容詞 + 気 - いい気、悪い気
名詞の気 - 気が合う、気がある、気がいい、気が狂う、気が気でない、気が立つ、気が付く、etc.

まあ、これだけあれば、 <気(き>がやまとことばと思っても不思議ではない。

意味は大まかに言えば大和言葉の<こころ> に近い。<気は心>なのだ。したがって、人がかかわっている。

一方、<気(け)>の方も <気(き)>に劣らず日常よく使われるが、どちらかといえば、湯桶読みが多いようだ。また<気(け)>の方は<こころ>というよりは、<なんだかよくわからないが何かある>の<何か>、或いは<なんだかよくわからないが何かあるような様子>を表している、気配だ(気配りではない)。したがって、必ずしも人がかかわっていなくともよい。また、<XX の気(け)がある>で<XX の傾向がある>の意味を表す。<XX 気味(ぎみ)>ともいえるが、こちらは<け>ではなく<き(ぎみ)>だ。

 <気(け)>を含む湯桶読みの例

味気、嫌(いや)気、色気、女っ気、男っ気、寒(さむ)気、 吐き気、火の気、人の気、眠(ねむ)気、

<気(け)>を含む重箱読みの例

気高い

形容詞 + <気(げ)>

あやしげ、いそがしげ、うるさげ、うれしげ、おぼろげ、おそろしげ、きむずかしげ、たのしげ、つまらなげ、すずしげ、むずかしげ、ものうげ、やさしげ、よわよわしげ、


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<気にさわる>と<心にふれる>


<さわる>と<ふれる>は似ているが、<気にさわる>と<心にふれる>は雲泥の差がある。<さわる>と<ふれる>は英語では to touch で間に合いそうだが、 to touch は他動詞、一方この連想から<さわる>と<ふれる>は他動詞に見えるが、基本的には自動詞。だがそう簡単ではなさそう。

xx がyy にさわる
xx がyy にふれる

が基本にあるようだが、<xxが>省かれることもある。

話が核心にふれる。
風で木の枝が顔にふれた。


キズにさわると痛い。

栗のいがにさわると痛い。
電線にぬれた手でふれると危険だ。



予期せずに

キズにさわると痛い。
栗のいがにさわると痛い。
電線にぬれた手でふれると危険だ。

だと自動詞っぽいが

キズにさわると痛い。 (さわってみる、さわろうとしてさわる)
栗のいがにさわると痛い。 (さわってみる、さわろうとしてさわる)
電線にぬれた手でふれると危険だ。 (ふれてみる、ふれようとしてふれる)

だと他動詞っぽい。

手が氷にふれると冷たい。  

も自分で氷にふれることも想定される。それでも<を>ではなく<に>をとるので自動詞か?

以上の例から<ふれる>は<予期しないで、xxがふれる>でかなり自動詞っぽい。一方<さわる>は<意識して、さわる>ケースがままあり、他動詞っぽい。以前どこかでふれたが

太郎は花子の体にさわって、セクハラと大声で言われた。
次郎は美代子の体にまちっがて手がふれただけで、セクハラと大声で言われた。

太郎の行為は意図的、次郎の行為は意図がない。

太郎は花子の体さわって、セクハラと大声で言われた。

とはいいそうもないが

太郎は花子の体をさわりまわして、セクハラと大声で言われた。

ならいい。

さて<気にさわる>と<心にふれる>だが、<さわる>はコンピュータワープロでは<触る>、<障る>と漢字がでて来るが当て字気味で、<さわる>の平仮名が適当だ。

しゃくにさわる
さしさわりがる
さわらぬ神にたたりなし

といった言い方あり<さわる>のは避けた方がよさそう。<さわって>いらぬ、余計な波風を立てる、<さわる>と波風が立つようだ。

一方<ふれる>は<ふる>(振動させる)、<ふるえる>(振動する)の関連語だろう。<心にふれる>は<眠っている心をふるわして感動させる>、<心がふるえて感動する>といった意味だ。

 

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