Wednesday, July 14, 2021

<チャレンジ、挑戦>のやまとことば

 

<勇気、挑戦のやまとことば>というポストをだいぶ前に書いたことがあるが、今回は第2弾。今回の内容は重なるとことろもあるが、新しい考察もある。

英語の<チャレンジ>と漢語の<挑戦>は同じくらいの割合で使わているか。 チャレンジの場合は<チャレンジ精神>という英漢混合の言葉もよく使われる。一方<挑戦精神>は聞かない。<チャレンジ、挑戦>は前向き、positive な言葉で悪くないが、これに相当するやまとことばは何か?

<挑戦する>は<いどむ>といういいやまとことばがあり、ときどき聞くが、<挑戦する>、<チャレンジする>と同程度の使用頻度か。一方、体言(名詞)形の<いどみ>はなぜかほとんど使われない。<いどむこと>も<チャレンジ>、<挑戦>にはならない。

少し意味はずれるが<試(ため)す>、<試(ここる)みる>がある。<試(ため)す>は<ためしにやってみる>という言い方があり、体言(名詞)形の<ためし>を無意識のうちに使っている。<ためしにやってみる>と<ためしてみる>ではニュアンスが違う。<ここるみる>の体言(名詞)形<こころみ>は<そのこころみは失敗した>など、ややカタい表現になる。<こころみにやってみる>と<こころみてみる>もあまりきかない。

<挑戦する>、<チャレンジする>は<困難に立ち向かう、困難に立ち向かってこれを克服する>といった意味がある。<立ち向かい>は<チャレンジ、挑戦>のやまとことば候補だ。 

これほどでシリアスではなく、軽いニュアンスの<やってみる>というのがある。使用頻度はこれが一番高いのではないか。一方<挑戦してみる>、<チャレンジしてみる>だと<挑戦する>、<チャレンジする>に比べて少しトーンダウンするような気がする。

<やってみる>はやまとことばらしい言い方だ。、軽いニュアンスが逆にいい。

聞いみただけでは、忘れる。
見てみて、忘れれない。
やってみて、わかる。

という孔子の言葉がある。

I hear and I forget.
I see and I remember.
I do and I understand.


<やってみる>の体言(名詞)形は<やってみ>で聞いたことはない。だが<やってみ精神><やってみる精神>より語呂がいい。<やってみよう精神>は長くなるが<やってみる精神>よりはいい。Nike の宣伝コピーに Just do it ! というのがあり、かなり長く使われている。

ところで、<ためす>、<ここるみる>はコンピュータワープロでは<試す>、<試みる>と出てきて<試>の字が使われている。<試>の字では<試験>がすぐに頭に浮かぶが、<試練(しれん)>というのもある。

試験、試練は基本的に<人を試(ため)す>モノだ。そして人は<試(ため)される>のだ。<人を試(ため)す>はかなりシリアスな内容。これだと

<試験を受ける>は<試すモノ>に挑戦、チャレンジする

になる。ややこしいのは<試験に受かる>で、この解釈は難しい。<試すモノ>に<試されて>、<受け入れられる>といった意味のようだ。

<受ける>は<xx を受ける>で他動詞だが、<xx に挑戦する、チャレンジする>は 内容に反して自動詞。<勝つ>、<負ける>も自動詞だ。

一方<受かる>は<xxに受かる>で自動詞。一方<受け入れられる>は他動詞<xx を受け入れる>の受身形。<受かる>はかなり特殊な動詞で、<チャレンジ、挑戦>が成功する意味がある。

 

sptt

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