Friday, July 30, 2021

うれしがらせて

 

前回のポスト ” <したい><したくない>と<したがる><したがらない> ” の続き。超ナツメロになるが

うれしがらせて泣かせて消えた 

という歌の文句がある。<女心の切なさ>を演歌調に表現したもので、わるくない。ところで<うれしがらせて>の<うれしがらせる>とは一体どういうことか?前回のポストで

(前略)

この<たい>になんだかよくわからない<がる>がつくと<たがる>になる。

太郎は行きたがる
花子は遊びたがる
次郎は結婚したがる (したがっている)

<たがる>は大いに日本語特有な言い方で、少なくとも英語にはない。特有な言い方というのは

私は行きたい
私は遊びたい
私は結婚したい 

はちょっと変な日本語だが、翻訳調と思えばいい。一方<たがる>の方は

私は行きたがる
私は遊びたがる
私は結婚したがる 

はまったくダメ。この人称がかわるとダメになるところは注目していい。

(後略)

と書いた。 <うれしがらせる>は 歌の内容からは<私をうれしがらせる>で使役形。<私はうれしがる>はダメだが、使役が成功すれば<私はうれしがる>になり、実際には<.....消えた>と過去形なので<私はうれしがった>ことになる。<私は行きたがった>は変ではない。さらには<私は行きたがる>も<まったくダメ>ではないようだ。一体<がる>はどういう意味か?

(私を)うれしがらせることを言うじゃないか。

(私を)うれしくさせることを言うじゃないか。
(私が)うれしくなることを言うじゃないか。 

で言い換えられる。また少し長くなるが

(私を)うれしがらせるようなことを言うじゃないか。
(私を)うれしくさせるようなことを言うじゃないか。
(私が)うれしくなるようなことを言うじゃないか。 

が自然だ。

突然だが中国の故事に<虎の威を借る(狐假虎威)>というのがある。<威を借る>(コンピュータワープロ)となっているが本家の方は<狐假虎威>で<假(仮)る>なのだ。

虎の威を借る -> 虎の威を借(かり)る

假虎威 -> 虎の威を假(仮)る -> 虎の威を装(よそお)う

 両者は違うようだが、基本的には同じだ。言葉の方も<借りる>の古語は<借(か)る>だ。<假(仮)る>という動詞は、すくなくとも現代日本語では聞かない、見ない。だが<仮(か)る>の連用形<かり>の体言(名詞)用法では

仮に、仮にも、仮の

はよく使う。 日本語の<仮の>は必ずしもニセモノではないが、中国では<假貨>はニセモノで、たくさん出回っていることもあるが、よく耳にする言葉だ。もっとも<仮に、仮にも>の意の仮もある。假如。

また

私はうれしかった(私はうれしい)

私はうれしがった (私はうれしがる)

の違いは<私はうれしがる>の方は<がる>の一語(2音節)で、あるいは<かる、仮る>で、<うれしい>が<仮(かり)の、ニセモノの>である(あった)を示唆している。


かなり高い可能性で<がる>はこの<かる(仮る、借る)> 由来だろう、

 

参考

sptt Short Stories, Poems and Aphorism

虎の威を借る(狐假虎威)

 

sptt

 

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