Friday, October 18, 2024

導出についてー2 Inference、引き出し

 

このブログ<やまとこばじてん>は2012年に <導出について>というタイトルのポストで始まっている。読み返してみると、<導出>という聞きなれない語は英語の derivation の訳語で、意味は<導き出し>のようだが、<導き出し>自体聞きなれないやまとことばだ。

というようなことを書いている。 

さて、時間は12年もたっているが、最近<AI>関連の英文記事で inference という言葉に出くわした。

to confer - conference
to differ - difference
to offer
to prefer - preference
to refer - reference
to transfer

という<xx fer>語はなじみがあるが

to infer - inference

は初めての出会いなので調べてみた。簡単な英英辞典では

noun
 
a conclusion reached on the basis of evidence and reasoning.
 
"researchers are entrusted with drawing inferences from the data"
synonyms: deduction, conclusion, reasoning, conjecture, speculation, surmise, thesis, theorizing, hypothesizing, presumption, assumption, supposition, reckoning, extrapolation, reading between the lines, guesswork, guessing, guesstimate, ratiocination

かなりの類語数だ。また簡単な英日辞典では

https://ejje.weblio.jp/content/inference

推論、推理、推論されたもの、推定、結論

やや詳しい解説では

  実用日本語表現辞典

 https://www.weblio.jp/content/inference

「inference」とは、観察情報から結論導き出すことを指す。論理的な推論帰結意味しデータ事実基づいて判断下すプロセスである。科学数学哲学などの分野でよく用いられる概念であり、問題解決意思決定において重要な役割を果たす。 

とある。したがって Inference はかなり<導出>、<導き出し>の意に近い。上の解説では<観察や情報から結論を導き出すことを指す>とある。またもっと普通の<ひきだす、引き出す>でもいい。名詞形の<ひきだし、引き出し>は<箪笥や机の引き出し>を連想させるが、<引き出し>は<AI>用語として悪くない。

<データや事実に基づいて判断を下すプロセスである>は大いに<AI>と関連がある。derivation とはかなり意味が違い、<derivation = 導出>は間違いだろう。<derivation>も <導出>ではなく<引き出し>でもいいがこちらの方は<由来>、<でどころ>の方がいい。

 

さて、この AI 関連の記事にも出てくるが、LLMというのがある。

大規模言語モデル(英: large language modelLLM

言語関連なので興味があるが、解説を読むと専門用語や数式が出てきて、理解が難しく、今のところお手上げ状態だ。 

 

追加

上記以外にも<xx fer>語がある。

https://www.dictionary.com/

defer

Origin of defer1

First recorded in 1325–75; Middle English deferen, differren “to delay”; defer 2 differ

Origin of defer2

First recorded in 1400–50; late Middle English deferren, from Latin dēferre “to carry from or down, report, accuse,” equivalent to dē- “from, away from, out of” + ferre “to carry”; de-, bear 1

suffer

Origin of suffer1

First recorded in 1200–50; Middle English suff(e)ren, from Latin sufferre, from suf- suf- ( def ) + ferre “to bring, carry”; compare Old French sofrir, from Vulgar Latin sufferīre (unrecorded); bear 1( def ), -phore ( def )

これからすると<xx fer>の< fer>は

“to bear, bring, carry” が原意。Latin ferre “to bear, bring, carry”。やまとことばで言えば

持つ、もたらす、さし出す、持ち出す、持ち運ぶ

to offer (オファー) さし出す、ささげる

to confer - ともに持ち出すー>会議をする
to prefer - 先に持ち出す ー>xxょりyyを好む
to refer - reference

<to refer>今は<参考にする>だが、もとは、

Origin of refer1

First recorded in 1325–75; Middle English referren, from Latin referre “to bring back,” from re- re- + ferre “to bear, bring, carry”; bear 1

で<もどす>、<持ち帰る>。<return>の<re->だ。これがどうして<参考にする>の意になったのか?

<to differ> もかなり複雑。

Origin of differ1

First recorded in 1325–75; Middle English differren “to distinguish,” from Middle French differer “to put off, distinguish,” Latin differre “to bear apart, scatter, be different,” from dif- dif- + ferre “to bear, bring, carry”


一方まぎらわしいが

interfere

Origin of interfere1

First recorded in 1520–30; inter- + -fere (from Latin ferīre “to strike”); modeled on Middle French s'entreferir

はもとが Latin ferīre “to strike” で異なる。

 

sptt 


 

Wednesday, October 16, 2024

鳴かず飛ばず、低調

 

<低調>はやまとことばではないが、最近携帯で見ている中国の現代メロドラマで<低調>という二字が中国語の字幕に出てきた。どうも日本語の低調とは意味が違うので調べてみた。日本語の低調は

最近の株式市場は低調に推移している。
巨人軍は昨年は好調 (高調ではない) だったが、今年は低調だ。 

のように使う。

日本語Wiki辞典では


調 (ていちょう)

  1. 調子が低いこと。
  2. 調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと。
  3. 内容が不十分であること。
  4. 盛り上がりに欠けること。

対義語

 ”

とある。低調の意味では、例文のように、2番目の<調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと>や4番目の<盛り上がりに欠けること>の意での使用頻度が高いだろう。この低調の意味では<鳴かず飛ばず>という慣用語がある。<高調>はほとんど使われない。英語の low key は少し意味が違い、これから出てくる中国語の低調の意味に近い。日本語では low key の直訳と思われる<低調>と<ローキー>は使い分けられている。

一方簡単な日本人向け中国語ネット辞典では

低調 (中国語) =目立たない

が出てくる。<調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと>、<盛り上がりに欠けること>、<鳴かず飛ばず>と<目立たない>は意味は似ているが、日本語と中国語では意味にズレ、違いがあるので<要注意>語だろう。また中国語の方は一般に人の形容で形容詞で使われるようだ。

中国語の低調の方は<目立たない>というよりは<(自分を) 目立たなくする>。より正確には<身分や地位が高いのを隠して目立たなくする>の意だ。<ひかえめ>、<さしひかえる>、謙虚が類語だが<能ある鷹は爪を隠す>という諺も中国語の<低調>に近い。<できる (能はある) が、鳴かず飛ばず、目立たない ようにしておく>が<能ある鷹は爪を隠す>だ。

さて中国の現代メロドラマの方だが、役者やストーリが少し違うバリエイションがあるが、基本的には同じようなパターンで

大金持ち、大富豪の御曹司で大会社の青年社長 (总裁で、<xx总>と呼ばれる) と普通の家庭の娘の恋愛劇。御曹司は美人で善良な普通の家庭の娘と<ひょんな>ことから出会い、御曹司はその<低調>な性格から素性を隠している。そしてある事情からすぐに結婚してしまう。一方御曹司には小さいころにすでに親が決めた婚約者がいて、こちらの方は御曹司の家庭の金と世間的地位を目当てにしている。そしてそこそこの金持ち、社会的地位の家庭の令嬢で、こちらの方は低調ではななくひけらかし屋。御曹司が素性を隠していることからいろいろ矛盾や不具合が出現してきてドタバタ劇的にストーリーが進む。

 

sptt

 


Friday, October 11, 2024

うしろめたい(中国語との比較)

<うしろめたい>はいかにもやまとことばの響きがあるが、意味内容は複雑だ。<良心の呵責>とか<罪の意識>の意で解釈していた。最近中国の現代メロドラマを携帯で見ているが、中国語の字幕がでるので、最近は1/3くらいは筋を追えるようになった。幸い話はパターン化していて、そのうち飽きてしまうのではないかと思っているが、現代中国語の勉強として見ている。耳で聞いてわかるのは簡単な日常会話レベルの言い回しくらいで、字幕を追わないと筋が負えない。

最近<心虚>という語に字幕で出くわした。発音は xīn xū だが耳で聞いたのでは、普通のスピードで話すので聞き取るのはムリ。ネット辞書で調べてみると

baike.baidu は医学用語の解説は詳細だが、日常用語としての解説は簡単。


1. 做错了事,怕人知道或拆穿而内心不安:做贼心虚。
2.心里没把握,缺乏自信心:这活儿我没干过,真有点儿心虚。

1も2も<良心の呵責>とか<罪意識>の意はない。


台湾辞典では

https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=108846&la=0&powerMode=0


心虚
xīnxū

  1. 自知理虧而內心害怕不安。後略
  2. 謙虛不自滿。《列子.仲尼》:「南郭子貌充心虛。耳無聞,目無見,口無言,心無知,形無惕。往將奚為。」後略
  3. 中醫泛指心臟的氣血不足,容易心悸、短氣、健忘、胸悶、盜汗等。亦稱某些心律不整、神經衰弱的症狀為「心虛」。

1は baike.baidu の1とほぼ同じ。

2は <虚心坦懐>の<虚心>に通じる。列子からの例文 (謙虛不自滿) があるので、古い意味での<心虚>だ。

3は中国医学での解説。 これも古い意味での<心虚>だろう。

英語入りの解説では

https://www.zdic.net/hans/%E5%BF%83%E8%99%9A

心虚 xīnxū

(1) [afraid of being found out; with a guilty conscience]∶ 做错了事或坏事怕人知道
(2) [lacking in self-confidence; diffident]∶ 缺乏自信

 ここで英語の方では1で guilty conscience (良心の呵責、罪意識) が出てくるが、中国語の方は上の二つの中国語辞典の1と同じだ。これはどうしたことか?

この種のメロドラマでよく出てくる心理、感情の言葉は欺负 (qīfu) と委屈 (wěi qu)。

 欺负 (qīfu) は

いじめ、いじめる。(これは行為だが<いじめられる>とすれば心理、感情の言葉になる)

委屈 (wěi qu) は

(不当な仕打ちに対して)不満である,無念である,残念である,くやしい,やりきれない。

メロドラマは欺负 (qīfu) と委屈 (wěi qu) を中心に進んで行き、勧善懲悪で<いじめた>者が制裁を受け、不当な扱いを受けた者が助けられる。こういうドラマを見ていると中国人は<良心の呵責>とか<罪の意識>が薄いのではないか思う(昔からそう思っている)。

 さて<うしろめたい>だが、日本語のネット辞典でチェックしてみると、簡単な辞典では


https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BE%8C%E3%82%8D%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%84/

うしろ‐めた・い【後ろめたい】の解説
[形][文]うしろめた・し[ク]《「後ろ目痛し」からという》

自分に悪い点があって、気がとがめる。やましい。「親友を裏切ったようで—・い」 

自分の目が届かず、不安である。心もとない。気がかりだ。

「我なからむ世など—・し」〈落窪・二〉

  油断がならない。気が許せない。

「是ほど—・う思はれ参らせては」〈平家・二〉

[補説]2原義で、古くはやましい気持ちを含まなかった。
 
 
1からすると、<良心の呵責>とか<罪の意識> のやまとことばには慣用的な<うしろめたい>以外に<気がとがめる>、<やましい>がある。前半の<自分に悪い点があって>は肝心で、中国語の解説ではこれが前面に、表立って出てこない。
 
<やましい>は自動漢字変換では<疚しい>と出てくる。だが中国語の<疚>、これから出てくる<内疚 nèi jiù>の<>には<やましい>の意は薄い。
 
さて中国語に戻ると

1. 做错了事,怕人知道或拆穿而内心不安:做贼心虚。

做错了事:間違いをしたこと
怕:恐れる
人知道:人が知る(ことになる)
拆穿 chāi chuān:1) 嘘を暴く。 2) 事実を明らかにする。 3) 嘘を見抜く。
做贼 zuò zéi: · 释义. 造反;抢劫;剽窃;偷东西(強盗、泥棒などをする)

は日本語辞典の2にやや近いが、かなり違う。 中国語の解説からすると

失敗や悪いことをしても、まず人に知られることが不安なのだ (心が虚と感じる) 。

また、補説のように中国語では元来

心虚はやましい気持ちを含まないのだ。(これは日本語の<うしろめたい>も同じ)

 

<うしろめたい>の語源 

これは複雑で、調べてみたら2018年に ”<うしろめたい>の語源” と続いて ”<うしろめたい>の語源-2” いうポストを書いている。読み返してみると諸説ある。

では<良心の呵責>とか<罪の意識>の意の中国語はないのかというと、相当する言葉はある。第一は<内疚 nèi jiù>。baike.baidu の解説は

内疚 nèi jiù:对一件事情或某个人心里感到惭愧而不安的一种心情。

疚>の第一義は<長期生病 chronic disease>で、第二義として<心の痛み>があるようだが、<良心の呵責>とか<罪の意識>に相当近い意味ではふつうは<内疚>の二語。内疚は小説では出くわしことがあるような気がするが、最近見ているメロドラマではまだ出くわしていいない。

https://zd.hwxnet.com/search/hwxE7hwx96hwx9A.html

 

1.长期生病。
2.忧苦,特指因自己过失而造成的心内痛苦:负疚。内疚。愧疚。歉疚。内省(xǐng )不疚。

chronic disease, sorrow

惭愧は日本語になっている。<ざんき>と発音し<慙愧の念に堪えない>という決まり文句がある。意は<うしろめたい>ではなく<残念>の意に近い。

似たような言葉に<咎>がある。これは疚>と同じ発音jiù>。<咎>は訓読みの大和言葉は<とが>。<気がとがめる>はは自動漢字変換では<気が咎める>と出てくる。中国語で<咎>に出くわしたことはないので、あまり使われないのだろう。

<良心の呵責>とか<罪の意識>の意相当の中国語の第二は<良心>。baike.baidu の<良心>解説は

"

1. [Conscience] ∶ 个人内心的是非感;对自己行为、意图或性格的好坏的认识;同时具有一种做好人好事的责任感,常被认为能引起对于做坏事的内疚和悔恨。

2. [Synderesis]∶对道德行为主要原则的先天知

"

1で個人的な Conscience、内疚が出てくる。2は社会的な道徳色が濃い。

良心>は上で述べてきたメロドラマで時々でてくる。内疚ほど個人的、内面的な感情はないが、その分中国的な<うしろめたい>と言える。

 

sptt


 

 


Wednesday, October 9, 2024

とんでもない

 

<とんでもない>の語源を調べてみると 


https://oggi.jp/6347814

「とんでもない」の語源

諸説ありますが、「とんでもないです」は、「途でもないです」が変化してできた言葉だと言われています。「途」は訓読みにすると「みち」。「途」は「道筋」や「道のり」「手段」を意味しています。

「道のり」を表す「途」に、否定を表す「ない」が組み合わさることによって、「道のりがない」。つまり、「道理を外れた」という意味を持つ「途でもない」が誕生しました。

そこから、この「途でもない」が変化し、今の「とんでもない」という言葉が生まれたそうです。


というのがよく出てくる。もっともらしいが、これは<こじつけ>の可能性が非常に高い。「途でもない (です) 」という言い方(中国語+やまとことば)は存在しなかっだろう。

<飛んでもない>もとんでもない 話だ。

<とん>がでてくる言い方には

とんとわからない(まったくわからない)
とんと知らない(まったく知らない)
とんと聞いたことがない(まったく聞いたことがない)

があるが<とんとxxない>の組み合わせ、係り結びだ。

<とんとん拍子>の<とんとん>は擬態語。

<とんがる>は<とがる>の口調変化。

 最後の例からする<とんでもない>は<とでもない>の口調変化の可能性が高い。この<とでもない>は<途でもない>と違って存在しただろう。

とでもない

xxとでもない

も可能だが<こと>が出てくる。

そいうことでもない (そうでもない)
ダメということでもない (ダメでもない)
いいということでもない (<いい>でもない、よくでもない)

カッコ内は普通の言い方なので、<と>が問題だ。ところで、相手が言ったことに対して<とでもない>単独で

とでもない (そうとは言えない、そうとも言えない、さらに<そうでもない>)

とは言う。相手が言ったことに対しての否定、反論だ。<そうでもない>は<でも>があるため否定、反論の度合いがやや弱い。<とでもない>も<でも>があるので否定、反論の度合いがやや弱い。くどくなっているが

とでもない=そうでもない

としていいだろう。

<ありがとう>はたいてい相手が言ったこと、したことに対して返答で、相手が言ったこと、したことが自分にとって<利がある>場合に使う。したがって

とでもない=そうでもない

はそのままでは<ありがとう>にならない。 

さらにくどくなるが、

そうでもない

そうではない
そんなことはない
違う

で、これらは<ありがたい、有り難し>のもとの意味の<有ることが難しい>に通じる。そうすると、<有り難し>が<ありがとう>に変わっていった過程、すなわち予期しないいいことに遭遇した時、まず自分自身に<有り難い>と言い、これが実際口に出て<有り難い>、<ありがとう>となった、あるいは<ありがたき予期しないいいことです>が短縮されて<ありがとう>となった、と同じで(少し前のポスト<ありがたい>参照。)

相手が言ったこと、したことが自分にとって<利がある>場合に、<信じられない>の意の

そうではない
そんなことはない
違う

の意の<そうではない>、すこしソフトな<そうでもない>を自分に言い、これが実際口に出て<そうでもない>、<とでもない>となった。

以上は<こじつけ>のようだが、語源探索には時に意識して<こじつけ、敷衍(中国語の敷衍>が必要だ。<意識して>が肝心。

 

sptt

いたみいる、おそれ (恐れ) 入る



<いたみいる>は実際聞いたことも使ったこともない。初めて出くわしたのは若いとき読んだモリエールの喜劇の文庫本のなかにあったのをねぜかよく覚えている。特に解説がなくても

いたみいる = ありがとうございます

と推測できた。元の意味は<痛みが身に入る>。<痛みが身に入るほどありがたい>、さらには<ありがたみが身にしみます>でかなり大げさな言い方だ。


<おそれ入る>の方はよく聞く。<おそれ入る>は多義語で、よく使われるのは

おそれいりますが、東京駅へどう行けばいいのでしょうか?
君が美人のあの花子と結婚するとはおそれいった。(おどろくほど予期しないことに遭遇したときに使う)

<ありがとう>の意味では

今回はたいへんな苦労ををしていただき、おそれいります。

ネットで調べてみると 



デジタル大辞泉 「恐れ入る」の意味・読み・例文・類語 

おそれ‐い・る【恐れ入る/畏れ入る】 [動ラ五(四)]

相手好意などに対して、ありがたいと思う。恐縮する。「ご厚情のほど―・ります」
2 相手に失礼したり、迷惑をかけたりしたことに対して、申し訳なく思う。「恐れ入りますが」の形で、ものを頼んだり尋ねたりするときなどのあいさつの言葉としても用いる。恐縮する。「ご心配をおかけして―・ります」
3 あまりのことに驚き入るばかりである。
㋐相手の才能力量に太刀打ちできないと思う。脱帽する。「―・った腕前だ」
物事のひどさにあきれる。「あれで秀才とは―・るよ」
4 非常にこわがる。
「この法師いよいよ―・りたり」〈著聞集・一七〉
 


とある。元の意味は<おそれが身に入る>で、4番目の<非常にこわがる>が近い。

 1 相手好意などに対して、ありがたいと思う。恐縮する。「ご厚情のほど―・ります」 

 <おそれ入る>が<ありがたいと思う>、<ありがとう>の意味になるのは複雑だ。大体は<予期しない、おどろくほどの好意がなされた場合>だろう。したっがて、大したことのない、ちょっとした、礼儀的な好意、親切、助けの場合はまず使わないだろう。また上位の者が下位にの者に示す好意の場合で、字面には出てこないが一種の敬語だ。

 

 sptt


Tuesday, October 8, 2024

かたじけない

 

<かたじけない>は時代劇にでてきそうな武士ことばだが、いまでも男なら<かたじけない>ということがある。ネットで調べてみるとかなり古いことばで<語源不詳>。

https://www.waraerujd.com/%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%98%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84

前略

 「かたじけない」の語源は不明である。古くからある言葉であることは確かで、『日本書紀』『肥前国風土記』などにすでに「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。同じく奈良時代に成立した『華厳音義私記』に、「容貌が醜いことをかたじけないと言う」という意の記述があり、「かたじけない」のもとの意味は「容貌が醜い」ではなかったかと考えられている。つまり容貌が醜いことから、「はずかしい」「おそれおおい」という意味につながり、さらに「ありがたいけど、面目ねえ~」の意味にまで敷衍されたということだ。文学、言語研究者の我妻多賀子氏の説によると、「かた」は「型、形」、「じ」は名詞に付いて「それらしいさま」という意の形容詞を作る接尾語、「け」は「気」で「様子、気配」、「なし(ない)」は「無し(無い)」で、「かたじけなし」は「ちゃんとした形ではない」つまり「形が整っていない」「要望が醜い」という意味になるという。このような複雑な語の組み立てを大昔の人が意識したのかどうかわからないし、この説が有力なのかどうかも知らないが、「かたじけなし」に類似する語が見当たらず語源をたどるのが難しい現状、納得できる説としてあげておく。(sptt注「要望が醜い」 ー> 「容貌が醜い」)


古来より「貌醜なし」「難し気無し」「勝たじ気甚し」説があり。
身分の高い人への恐れ多い気持ちからできた言葉という説もあり。
諸説あります。

■「語源」は?

「かたじけない」の語源は諸説ありますが、「難(かた)んずる気なし」「難気(かたしけ)なし」などの言葉だといわれています。

以下略


<かたじけない>は<ありがとう>の意があるが、前回のポスト<ありがとう>で


<ありがとう>は<ありがたい>由来で古語の<ありがたし>の現代語。<ありがたし>は<有り難し>で<有ることが難しい>。


と書いた。<かたじけない>と<有り難し>を比べてみると、<難し>は<かたし>で

<かたじけない>の< かたじ>は<かたし、難し>だろう。上のいくつかの語源説の中の一つでは

「難(かた)んずる気なし」「難気(かたしけ)なし」などの言葉だといわれています。

とあるが、これだと 

<難しい気がない>で何のことだかわからない。また「貌醜なし」は<貌醜>自体が<見た目が見にくい>なのでおかしい。<かたじけない>の< かたじ>は<かたし、難し>だろうか? この解説の初めの方では


 古くからある言葉であることは確かで、『日本書紀』『肥前国風土記』などにすでに「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。同じく奈良時代に成立した『華厳音義私記』に、「容貌が醜いことをかたじけないと言う」という意の記述があり、「かたじけない」のもとの意味は「容貌が醜い」ではなかったかと考えられている。つまり容貌が醜いことから、「はずかしい」「おそれおおい」という意味につながり、さらに「ありがたいけど、面目ねえ~」の意味にまで敷衍されたということだ。


とある。


 「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。


は<辱>の一字で<かたじけない>と読むのか?

これも容貌が醜いことから「はずかしい」はわかるが、容貌が醜いことから「おそれおおい」はすぐには納得できない。さらには「おそれおおい」が<ありがたい>の意に変わるのもすぐには納得できない。

はずかしくなる(かたじけない)ほどありがたい

はなんとかなるが

おそれおおくなる(かたじけない)ほどありがたい

はかなり無理だ。 

おそれ入る(かたじけない)ほどありがたい

ならなんとかなる。

「かたじけない」のもとの意味が「容貌が醜い」とすると、「かたじけ」のもとの意味は「容貌がいい」、そして「かたじけない」が「容貌がよくない」になるが、「かたじけ」=「容貌がいい」もすぐには納得できない。

「難(かた)んずる気なし」の<「難(かた)んずる>はめったに見たり聞いたりしないが, ネット辞典では


[動サ変][文]かたん・ず[サ変]《「かたみす」の音変化》むずかしいと考える。困難とする。

とある。「かたみす」は<難しいと見る>の意か? これをあてはめると、「難(かた)んずる気なし」は

<むずかしいと考える、困難とする>気がない

で、これまた<ありがとう>の意味にはならない。 

「難気(かたしけ)なし」の方も

難しい気(け)がない

で、これまた<ありがとう>の意味にはならない。 

わけがわからなくなっているが、

難しい気(け)がない

難しい気(け)がなくなった ー> やっかいな気分がなくなった

とすれば<ありがたい>に通じる。

だが、これだと古代語源説が説明できない。古代語源説の意味の変遷はかなりのこじつけ (敷衍) で古代の<かたじけない>と武士が使い始めた<かたじけない>は別物、似て非なるものではないか?

注) 敷衍

死語に近いが日本語の<敷衍>と中国語の<敷衍>(多分書き言葉)で大きな違いがある。少し前のポスト<勉強する、敷衍する>で書いたが


 中国語の<敷衍>はおもしろい。

敷は<敷く>、衍は<伸ばす、延ばす、展ばす>が元来の意なのだが<敷衍>は baike/baidu によると

fū yǎn,意思是:馬虎,不認真,表面上應付塞責:搪塞責任。指工作不認真負責,表面應付了事,有欺騙成分。

で日本語に訳せば

いいかげん、ふまじめ、うわべだけの対応、責任逃れ、誠意をもって仕事をしない、時にごまかしを含む

と散々だ。


 

sptt

 

 


sptt

 


ありがたい

 

日本語で<Thank you>は何という?と問われればおおかた<ありがとう>ですと答えるだろろう。<Thank you>といわれ、ありがたいことに、さらに<ありがとう>とはどういう意味だ(What does "arigatou" mean ?) と問われることは少ない。

 <ありがとう>は<ありがたい>由来で古語の<ありがたし>の現代語。<ありがたし>は<有り難し>で<有ることが難しい>。<有ることが難しい>が<ありがとう><Thank you>になる説明は難しい。

少し古い言い方だが

ありがたき幸せ
ありがたきお言葉
ありがたきご返事

というのがある。これらには感謝の<ありがたい>の意があるが、もとは<有ることが難しい>、<有ることが信じられない>ほどの幸せ、言葉、返事ということだ。

ではなぜ<ありがたい>、 <有ることが難しい>が感謝の意になるのか?<ありがとう>は大体何か有用な物をもらったとき、何か自分の利になることをしてもらったときに言うが、それは予期しない場合が多い。<予期しない>ことは<有り難い>ことだ。


 sptt

 

Monday, October 7, 2024

すみません、すまない

 

<すまない>は<すみません>でよく使われる。<すみません>は英語の<I am sorry> で謝罪、あやまるときに多く使われるが、<すまない>は<ありがとう>の意味で使われることもある。

今回はいろいろお手伝いをいただき<すみません>。

<すみません>は敬語で、同僚、部下、妻など下位の者に対しては<すまない>ですませる。

 今回はいろいろ手伝ってもらって<すまない(な)>。

この背景には<いろいろ面倒なことをしてくれて、面倒なことをさせてしまい、申し訳ありません>と謝罪の表明がかくれている。

<すむ>は<済む>は<うまくできる、なされる>、to be done well。日本語の<すむ>は自動詞だ。他動詞は<すます、済ます>、to do it well, to make it done well。<すまない>は否定なので<うまくできない、なされない>の意だが、これでは何のことだかわからない。何が<うまくできない、なされない>のか。これは<ありがとう>の表明だろう。つまりは

<ありがとうとうまく言えない>ほど感謝している

の意だろう。

<申し訳ありません(申し訳ない)>も同類で、こちらの方は謝罪気味だが

<ありがとうと申す訳、方法がない>ほど感謝している

の意だろう。


 sptt

Sunday, October 6, 2024

ふがいない(不甲斐ない)

 

前回のポスト<情けない>の最後で

 <不甲斐ない>は二重否定だが, 意味は二重否定にならない。

 と書いたが、おかしいので調べてみた。

甲斐と漢字で書くが<かい>(古くは<かひ>) は、中国語にない。つまり<かい (かひ) はやまとことば。やまとことばの<かい>に中国語の否定語<不>がついたことになるが、何かおかしい。<ふがいない>の<ふ>は<不>ではないだろう。おそらく<ふにおちない (腑に落ちない) >の< (ふ)>だろう。 (ふ)>は五臓六腑の (ふ)>でこれは中国語だ。<五臓六腑>は使うが<>だけで使うのは<腑に落ちない)>くらいで、なじみはない。<腑に落ちない>をネット辞書で調べてみると

「腑に落ちない」納得がいかない、心から理解できない時に使う言葉です。 もともと「腑」とは、はらわたのことで、古くは魂がこもるところとされ、とても心が痛むときには「はらわたが引きちぎられるほどの」等と使われます。

で 、 (ふ)=はらわた。これだと

<ふがいない>は<はらわたが甲斐 (かい) ない>となるが、何のことだかわからない。これは<はらわた甲斐 (かい) ない>、さらには上の解説を利用すれば<魂に、心に甲斐 (かい) がない>の意になり、意味は通じる。

 

注)別に今年3月に<ふがいない、なさけない>のタイトルのポストがある。

 

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Saturday, October 5, 2024

なさけない

<なさけない>は本来 <なさけ(情け)がない>だが, <情け, 同情(心)がない>の意にならない。

こんな簡単な問題もできないとはなさけない。
あんな弱い相手に負けるとはなさけない。
こんな簡単な試験に何度も失敗してわれながらなさけなくなる。
こんな大したことのない困難に挑戦しない太郎はなさけない。

一方

なさけをかける
なさけ容赦なく
人のなさけにすがる

では元の <なさけ>の意が残っている。

太郎はなさけがない。

は微妙というか、曖昧だ。

1) 太郎にはなさけがない (なさけ心がない)。
2) 太郎はなさけない。

さて, 冒頭に戻って <なさけない〉だが, 

太郎はなさけない。


なさけをかけることができない
なさけをかける余地がない
なさけをかける価値がない
なさけをかける甲斐がない (不甲斐ない) 

が短縮したものだろう。

<不甲斐ない>は二重否定だが, 意味は二重否定にならない。
 
 
注)別に今年3月に<ふがいない、なさけない>のタイトルのポストがある。
 
 
 
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