<かたじけない>は時代劇にでてきそうな武士ことばだが、いまでも男なら<かたじけない>ということがある。ネットで調べてみるとかなり古いことばで<語源不詳>。
https://www.waraerujd.com/%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%98%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84
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前略
「かたじけない」の語源は不明である。古くからある言葉であることは確かで、『日本書紀』『肥前国風土記』などにすでに「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。同じく奈良時代に成立した『華厳音義私記』に、「容貌が醜いことをかたじけないと言う」という意の記述があり、「かたじけない」のもとの意味は「容貌が醜い」ではなかったかと考えられている。つまり容貌が醜いことから、「はずかしい」「おそれおおい」という意味につながり、さらに「ありがたいけど、面目ねえ~」の意味にまで敷衍されたということだ。文学、言語研究者の我妻多賀子氏の説によると、「かた」は「型、形」、「じ」は名詞に付いて「それらしいさま」という意の形容詞を作る接尾語、「け」は「気」で「様子、気配」、「なし(ない)」は「無し(無い)」で、「かたじけなし」は「ちゃんとした形ではない」つまり「形が整っていない」「要望が醜い」という意味になるという。このような複雑な語の組み立てを大昔の人が意識したのかどうかわからないし、この説が有力なのかどうかも知らないが、「かたじけなし」に類似する語が見当たらず語源をたどるのが難しい現状、納得できる説としてあげておく。(sptt注「要望が醜い」 ー> 「容貌が醜い」)
古来より「貌醜なし」「難し気無し」「勝たじ気甚し」説があり。
身分の高い人への恐れ多い気持ちからできた言葉という説もあり。
諸説あります。
■「語源」は?
「かたじけない」の語源は諸説ありますが、「難(かた)んずる気なし」や「難気(かたしけ)なし」などの言葉だといわれています。
以下略
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<かたじけない>は<ありがとう>の意があるが、前回のポスト<ありがとう>で
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<ありがとう>は<ありがたい>由来で古語の<ありがたし>の現代語。<ありがたし>は<有り難し>で<有ることが難しい>。
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と書いた。<かたじけない>と<有り難し>を比べてみると、<難し>は<かたし>で
<かたじけない>の< かたじ>は<かたし、難し>だろう。上のいくつかの語源説の中の一つでは
「難(かた)んずる気なし」や「難気(かたしけ)なし」などの言葉だといわれています。
とあるが、これだと
<難しい気がない>で何のことだかわからない。また「貌醜なし」は<貌醜>自体が<見た目が見にくい>なのでおかしい。<かたじけない>の< かたじ>は<かたし、難し>だろうか? この解説の初めの方では
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古くからある言葉であることは確かで、『日本書紀』『肥前国風土記』などにすでに「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。同じく奈良時代に成立した『華厳音義私記』に、「容貌が醜いことをかたじけないと言う」という意の記述があり、「かたじけない」のもとの意味は「容貌が醜い」ではなかったかと考えられている。つまり容貌が醜いことから、「はずかしい」「おそれおおい」という意味につながり、さらに「ありがたいけど、面目ねえ~」の意味にまで敷衍されたということだ。
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とある。
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「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。
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は<辱>の一字で<かたじけない>と読むのか?
これも容貌が醜いことから「はずかしい」はわかるが、容貌が醜いことから「おそれおおい」はすぐには納得できない。さらには「おそれおおい」が<ありがたい>の意に変わるのもすぐには納得できない。
はずかしくなる(かたじけない)ほどありがたい
はなんとかなるが
おそれおおくなる(かたじけない)ほどありがたい
はかなり無理だ。
おそれ入る(かたじけない)ほどありがたい
ならなんとかなる。
「かたじけない」のもとの意味が「容貌が醜い」とすると、「かたじけ」のもとの意味は「容貌がいい」、そして「かたじけない」が「容貌がよくない」になるが、「かたじけ」=「容貌がいい」もすぐには納得できない。
「難(かた)んずる気なし」の<「難(かた)んずる>はめったに見たり聞いたりしないが, ネット辞典では
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[動サ変][文]かたん・ず[サ変]《「かたみす」の音変化》むずかしいと考える。困難とする。
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とある。「かたみす」は<難しいと見る>の意か? これをあてはめると、「難(かた)んずる気なし」は
<むずかしいと考える、困難とする>気がない
で、これまた<ありがとう>の意味にはならない。
「難気(かたしけ)なし」の方も
難しい気(け)がない
で、これまた<ありがとう>の意味にはならない。
わけがわからなくなっているが、
難しい気(け)がない
を
難しい気(け)がなくなった ー> やっかいな気分がなくなった
とすれば<ありがたい>に通じる。
だが、これだと古代語源説が説明できない。古代語源説の意味の変遷はかなりのこじつけ (敷衍) で古代の<かたじけない>と武士が使い始めた<かたじけない>は別物、似て非なるものではないか?
注) 敷衍
死語に近いが日本語の<敷衍>と中国語の<敷衍>(多分書き言葉)で大きな違いがある。少し前のポスト<勉強する、敷衍する>で書いたが
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中国語の<敷衍>はおもしろい。
敷は<敷く>、衍は<伸ばす、延ばす、展ばす>が元来の意なのだが<敷衍>は baike/baidu によると
fū yǎn,意思是:馬虎,不認真,表面上應付;塞責:搪塞責任。指工作不認真負責,表面應付了事,有欺騙成分。
で日本語に訳せば
いいかげん、ふまじめ、うわべだけの対応、責任逃れ、誠意をもって仕事をしない、時にごまかしを含む
と散々だ。
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