Thursday, March 20, 2014

話して聞かせてあげる、広東語<我話啤你聴>

かなり前のポスト<感覚動詞-<感じる>の語源>で次のように書いた。

 ”
<見せる> は<見る>の使役形で、相手に自分が<見える>ようにさせる(してもらう)ことで、英語の <Let me see (it).>だが、英語では to show という別な動詞があり、これをよく使う - <Please show it to me.>。

<(を)聞く>は英語では< to listen to>。<(が)聞こえる>は <to be heard>ともいえるが、普通は自己中心的な <to hear>、<I hear xxx>だ。



ところで、日本語に<聞かせてあげる> という表現がある。基本的には<言う>、<話す>と同じような意味だ。これを使うのは、お母さんが子供に、小学校の先生が生徒に、のような場合に限られているようだ。いわば少し年齢が上の幼児語だ。

<聞かせてやる(やろう)>という言い方もある。幼児語ではないが、これまた使う場面は限られているようだ。<聞かせてあげる>、<聞かせてやる(やろう)>は言い手と聞き手の間に<上から下に向かって言う>というような関係がある場合に限られ手ているようだ。

まれに念を入れて<話して聞かせてあげる>、<話してきかせてやる(やろう)>と言う場合もある。

現代中国語(普通語、北京語)で<言う>は大体<告诉(ピンインは gao su)>が相当し<告诉你> と<你>付きでよく使われる。

一方私の住む香港の広東語では<我話啤你聴 >が普通によく使われる。<啤(正しい字かどうかは?マーク)>は日本語の<あなたに、君に>の<に>に相当。いわば助詞だ。したがって意味は<あなたに話して聞かせてあげる>となる。主語の<我(わたし)>を加えると<わたしはあなたに話して聞かせてあげる>となるが、日本語ではまずこうはいわない。女性なら場合によって<わたし、あなたに話して聞かせてあげる(わ)>とは言いそうだ。いずれにしても日本語はかなり長い。ちなみに<我話啤你聴 >はどう発音するかと言うと<ngo-wa-pei-nei-ten>で、5音節ですむ。 <わたしはあなたに話して聞かせてあげる>はなんと19音節にもなる。また広東語にも普通語(北京語)のピンインみたいなものがあるが、<ngo-wa-pei-nei-ten>はそれではなく私が勝手に発音をまねて書いてみたもの。なお、ngo は<んお>の発音に近いが香港の若い人の発音は (ng)o で限りなく <o (お)>の発音に近い。本場の広州ではまだ ngo がのこっている。また広東語にも普通語(北京語)にもピッチ(音声高低)があるが、これも無視している。ピッチを無視して平板な<(ng)o-wa-pei-nei-ten>では通じないおそれがある。普通語(北京語)は4声だが広東語は最低6声といわれていて、相当耳がよく、また何度か失敗を重ねないとまねができない。我話啤你聴<(ng)o-wa-pei-nei-ten>はおそらく、wa は低く、ten はかなり高く発音されているようなので、これをまねする必要がある。

                                     ten
                   pei        
(ng)o                   nei
           wa


上記はあくまで私の推測。興味のある人は辞書をひくなり、広東語が母国語の人に聞いて確認してください。


sptt





Wednesday, March 12, 2014

ぬく、ぬける、ぬぐ、ぬげる、にげる、のける、のこる


<ぬく>(他動詞)、<ぬける>(自動詞)について考えてみる。さらには<ぬかす>という使役的な他動詞もある。

漢字では普通<抜 く>、<抜ける>と書くが、これは英語で言えば他動詞<抜く>は to pull (out) の意で、自動詞<抜ける>は to go off, to come off が相当。to be pulled out は受身形で自動詞あるいは自発ともいえる<抜ける>の意にならない。<ぬく>、<ぬける>は to pull 以外の意味がけっこうあり、また慣用的な言い方も多くかなりのやまとことばだ。

釘(くぎ)を抜く - 釘が抜ける (釘抜き)
白髪(しらが)を抜く (髪を抜く、はダメだろう、毛を抜くはいい、毛抜き)‐ 髪が抜ける
歯を抜く - 歯が抜ける (歯抜け)
あく(灰汁)を抜く (あく抜き)
あか抜けた - <あか抜けた>は<垢抜けた>だが<垢>も<灰汁>も同類だ。
ナイフを鞘(さや)から抜く。
太郎が一番先にA組から抜けた。
花子の成績はクラスの中でズバ抜けている。
美代子の美貌は会社の中で抜け出てている。
次郎の数学の才能は飛びぬけている。
えり抜きの美女たち
飛車角抜きで、カタイこと抜きで
手を抜く (手抜き工事)

以上は to pull, to be pulled out, to go off, to come off の意で<抜>の漢字を使ってもいい。

トンネルをぬけると雪国だった。 (<トンネルを>と<を>を使うので他動詞のようだだが<を>をとる移動の自動詞ともいえる)
この通りをぬけて行けば早く着く。 (<トンネルを>と同じ)
この文には主語がぬけている。
次郎はどこかぬけいる。
力がぬける。力をぬく。
腰をぬかす。 腰がぬける。(経験がないとどういうことだかわかりにくい)

以上は言葉に繊細なひとは<抜>の漢字をつかうのに勇気がいる。

トンネルをぬけると雪国だった。
トンネルを過ぎると雪国だった。  
トンネルを通ると雪国だった。

以上は同じような意味だが<トンネルをぬけると雪国だった>が一番いい。

複合動詞

優秀な太郎をA組から引き抜いた。
完成品の中から特に出来のいいのを抜き取る。

これは<抜>の漢字を使ってもいいが、

壁(困難)を突きぬけてついに成功した。
この道を通りぬけて行けば早く着く。 
太郎は次郎を途中で追いぬいた。 太郎は次郎を途中でぬき去った。
生きぬく、やりぬく、考えぬく 

以上も<抜>の漢字を使うのに勇気がいる。

上記のうちいくつかは(とくに移動動詞)英語(ドイツ語)でいえば through (durch) 前置詞、副詞に相当する<ぬく>、<ぬける>がある。

トンネルをぬけると雪国だった。    - to go (pass) through
この道を通りぬけて行けば早く着く。   - to go (pass) through
壁(困難)を突きぬけてついに成功した。 - to break through
切りぬける - to go through

生きぬく、やりぬく、考えぬく  - これらは through からさらに out の意が加わっている。

生きぬく - to live out (ただしあまり聞いたことがない)
やりぬく - to carry out, to work out
考えぬく - to think out
切りぬける - to go through (<切りぬく>は別の意味なる)

<つらぬく>は漢字で書くと<貫く>になってしまうが through の<ぬく>だ。

<知りぬいた> <知りぬく>は to know through というよりは to know thoroughly。

またいくつかは英語でいえば to miss, missed / missing (形容詞)、without (前置詞)の意がある。

この文には主語がぬけている。
次郎はどこかぬけいる。
飛車角抜きで、カタイこと抜きで

without は前置詞だが、過程を見ての動詞として<なくす>、<なくなる>(to lose,  to be lost, to become (get) lost )の意もある。

力がぬける。
腰をぬかす。腰がぬける。

<ぬく>、<ぬける>の慣用的な言い方。

息ぬき
勝ちぬき
気がぬけない
尻ぬけ
出(だ)しぬく
筒(つつ)抜け 
抜き差しならぬ
ぬけ駆け
ぬけ目ない
ぬけぬけと
ババぬき(トランプゲーム)
まぬけ(<間抜け>は当て字だろう)
見ぬく ( これはいい大和言葉で、英語の insight に近い)
目ぬき通り
もぬけの殻(から)、ぬけ殻

またすでに取り上げたが

手を抜く (手抜き工事)
力がぬける。
腰をぬかす。腰がぬける。

もかなり慣用的な言い方だ。

ま た、<ぬぐ(脱ぐ)>、<ぬげる(脱げる)>は同じ仲間だ。英語で言えば to take off, to loose, to become (get) loose、さらに<ぬける>と同じく to go off, to come off が相当する。さらには<にげる>、<のがれる>、<のける>も関連ありそう。さらにまた、気がつきにくいが<のこす>、<のこる>も関連ありそう。

たとえば

打ちぬく
切りぬく (<切りぬける>は別の意味)
染めぬく

は<ぬく>という作業よりは<ぬい>た後(跡)のほうに目が向いている。

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<こぼす>、<こぼれる>は語源的には<ぬく>、<ぬける>と関係ないが、意味上は重なるところがある。もとの意味は<あふれ出さす>、<あふれ出す>、<あふれ出る>だが、

取りこぼす
落ちこぼれる

といった言い方がある。英語で言えば loose, to become (get) loose がさらに進んで to lose (負ける)の意だ。ただ単に<負ける>というよりは loose, to become (get) loose の意がからんでいる。

<ぬかす>という他動詞もあるが<す>から使役のように見えるが<ぬく>とかさなるところがある。<ぬかす>の使役形は<抜かさす>だ。<抜かさす>の受身形は<抜かされる>。この辺はかなり入りくんでいる。

A君を抜かして話を進めよう。-A君を抜いて話を進めよう。
B君はC君に抜かされた。 -  B君はC君に抜かれた。

B君はC君に(わざと)抜かさせた。
A君はB君に(わざと)C君に抜かされるようにと頼んだ。
A君はB君に(わざと)C君に抜かすようにと頼んだ、でも、よさそうだが、A君はB君に(わざと)C君抜かすようにと頼んだ、でもよさそうだが微妙に意味が違うが、まずこうは言わないだろう。


ぬく、ぬける、ぬかす、ぬぐ、ぬげる、ぬがす、にげる、にがす、(さらには、のがれる, のく、のける、のかす)、そして、こぼす、こぼれる、には何か共通した意味がありそうだ。大まかにいえば(大和言葉の探索ではこれが肝心)、<何かから離す、離れる>の意がある。 through の意味合いにしても<なにかを通りぬける>とは時間はかかるが<何かから離れる>ことだ。

これに関しては、興味と時間のあるひとは別のところで書いた<Tsuku (つく) and Hanereru (はなれる)>を参照。

http://spttejd.blogspot.hk/2012/11/blog-post.html


繰り返しになるが

トンネルをぬけると雪国だった。
トンネルを過ぎると雪国だった。  
トンネルを通ると雪国だった。

の<ぬける>、<過ぎる>、<通る>は文学的には微妙に違うが共通した意味がある。

過ぎる= to pass の意のほかに、動詞ではないが over の意味の意味がある。
通る = 動詞ではないが through  の意味の意味がある。

<ぬける>が一番やっかいだが一番味がある。


sptt

Saturday, January 18, 2014

よこしまな、筋を通す


<よこしまな>はれっきとしたやまとことばだが、漢字を使うとコンピュータワープロでは<邪まな>が出てくる。もとは<横縞(よこしま)な>の意だろう。縞(しま)は縞模様の縞だ。<横縞な>の純言葉上の反義語は<縦縞(たてしま)な>になるが、これは聞いたことがない。シマウマ(縞馬)の縦縞模様とは言える。<邪まな>は漢語では邪悪につながる。少し長くなるが<邪まな>に近い意味の表現に<悪意(あくい)のある>がある。ただし<悪意>はやまとことばではない。また悪意には反義語として善意がちゃんとある。

中国語の<横>には縦横の横(よこ)の意味(すでに古語か?)以外にあまりいい意味でない意味がある。興味と時間のある人は調べてください。横着、横柄(おうへい)、横暴が思いうかぶ。

ところで<横縞(よこしま>の縞(しま)と関連のあるやまとことばに<すじ>がある。漢字は<筋>が当てられる。この<すじ>に関しては<筋を通す>という言い方がある。いろいろな場面で使われるが、大体はいい意味で使われる。この<筋を通す>は日本人の性格のある一面を代表している。あるいは代表させるべきではないか。英語でいえば、integrity (名詞。動詞の to integrate とは意味がずれている), righteousness (名詞、形容詞は righteous) が適当か。justice (正義、名詞)は危険なところがある。<筋を通す>とやまとことばにすると威厳がなさそうだが、いづれにしても根源的な言葉だ。

sptt

Wednesday, January 8, 2014

<負け惜しみ>について、<嫉妬>のやまとことば

<負け惜(お)しみ>は文字通りでは<負けを惜しむ>だが、<負けを惜しむ>とはいったいどういう意味か?

<惜しむ>は大体次のように使われる。

1)力を出し惜しむ。
2)時間を惜しんで勉強する。
3)XXさんの死を惜しむ。
4)XXさんとの別れを惜しむ。
5)太郎郎は金を惜しんで(惜しんだので)花子にふられた。
6)数字一つ違いで宝くじの一等1,000万円を当てそこなった。惜しいことをした(惜しまれる)
7)美代子は文学の才能があったが、水準の高い処女作を残して自殺してしまった。惜しまれる惜しいことをした)。

1)力を(出し)惜しむ。

単に<力をださない>のではなく、<力が出せるのに出さない>のだ。なぜか? <力を出す>と何かが失われるような気がするからだ。

2)時間を惜しんで勉強する。

<時間がなくなる>のをおそれるように、といった意味だ。

3)XXさんの死を惜しむ。

<XXさんがなくなった>こと悲しむ、残念に思う、といった意味だ。残念はこの場合の<惜しむ>の漢語版に近い。

4)XXさんとの別れを惜しむ。

<XXさんと別れて会えなくなる>こと悲しむ、残念に思う、といった意味だ。

5)太郎は金を惜しんで(惜しんだので)花子にふられた。

<金がなくなるの>をおそれて、といった意味だ。

 6)数字一つ違いで宝くじの一等1,000万円を当てそこなった。惜しいことをした(惜しまれる)

<手に入るところだった1,000万円が手に入らなかった>ことをいまいましく思う、といった意味だ。<惜しい>は形容詞で、この例の場合<惜しまれる>は使いそうにない。

7)美代子は文学の才能があったが、水準の高い処女作を残して自殺してしまった。惜しまれる惜しいことをした

 <水準の高い作品が期待できるところ、期待できなくなった>こと悲しむ、といった意味だ。


共通している意味は<なにかがなくなる、なくなったことを>いやだと思う、おそれる、いまいましく思う、悲しむ、ということだ。 

漢語の<残念(無念)だ>、<残念(無念)に思う>が<惜しむ>の代わりに使える場合もあるが-3)、4)、6)、7)、

1)力を出し惜しむ。
2)時間を惜しんで勉強する。
5)太郎は金を惜しんで(惜しんだので)花子にふられた。

の例ではダメだ。

さて<負け惜しみ>についてだが、

<負けること、負けたこと、を悲しむ、残念に思う>という意味ではない。

<負けること、負けたこと、を恐れる>という意味もイマイチ。

<負けること、負けたこと、をいやだと思う、いまいましく思う>が一番近いようだ。 結局はある意味で<嫉妬>だ。<いまいましい>はコンピュータ辞書では<忌々しい>と出てくるが<忌む><嫌う>が元の意味のようだが、単なる<嫌う>でもなさそう。いまいましい><嫌(きら)い>は違う。

<嫉妬>の大和言葉について考えてみる。

1)ねたむ
コンピュータワープロでは、妬む、嫉む、の漢字が当てられている。あわせれば<嫉妬>で<ねたむ>が一番<嫉妬>に近いようだ。
ときに<ねたみ、そねみ>で使われるが <そねむ>はほとんど使われない。
<ねたむ>に相当する英語は to be jealous of、 to become jealous of で jealous は形容詞。

2)うらやむ
コンピュータワープロでは、羨む、の漢字が当てられている。<うらやむ>も嫉妬に近い。他人が持っているモノ、コトが自分が持っていないことを<いやだと思う>ことだ。<なくなること、なくなったこと、をいやだと思う>のが<惜しむ>なので、<うらやむ>は<惜しむ>にやや近い。
<うらやむ>の関連語というか、もとのことばともいえるのに<うらむ>がある。
うらむ。 コンピュータワープロでは、恨む、怨む、憾む、の漢字が当てられている。<うらやむ>は自分に向かっているが、<うらむ>は他人、対象に向かっていおり、やや危険な心理状態だ。<うらやむ>から<うらむ>に発展することがあるようで、嫉妬心理の危険かつ不幸な一面を表している。ときに<うらみ、つらみ>で使われるが <つらむ>はほとんど使われないというか、無いようだ。<つれる>、<つらなる>からの連想か?<うらやむ>に相当する英語は to envy。

さらに関連語らしき言葉に<倦(う)む> (<生む>とはアクセントがことなる、東京アクセント)がある。<倦(う)む>は<飽(あ)きる>と同じような意味だが語感的には<倦(う)む>は暗く、<飽(あ)きる>は文字通り<あかるい>。

<いやみ> という言葉がある。コンピュータワープロでは、嫌味、厭味の漢字が当てられている。この言葉も相当複雑。<いやむ>という動詞ははほとんど使われないというか、ないようだ。<負け惜しみ>の解説の結論として、

<負けること、負けたこと、をいやだと思う、いまいましく思う>が一番近いようだ。

と書いたが、ここに<いや>がでてくる。<いやみ>も嫉妬がらみのようで、嫉妬の複雑さを示している。

<いやみ>に相当する英語はすぐには思い浮かばない。good will(善意) の反対の ill will (悪意)が近いようだ。ラテン語系の malevolent, malicious というのもある。

ところで<負け惜しみ>はいろいろな場面で使われるが、代表例はイソップ物語の中の<すっぱいブドウ>だろう。この話古い日本語版イソップ物語<伊曾保物語>では第一番目に出てくる。


渡邊譯:通俗伊蘇普物語
第一 狐と葡萄の話(1)
或日狐葡萄園《ぶだうばたけ》にはいり、赤く熟せし葡萄の高き棚より披鈴《すゞなり》にさがりたるを見て、 是は甘《うま》さうぢやと皷舌《したうち》して賞揚《ほめた》て、幾度となく躍《とび》上り踊上りたれどもとゞかず。 そこで狐が怒《はら》を發《たつ》て、「ヨシ、なんだこんなものを、葡萄はすツぱいぞ。」

これとにかよった<しっぽをなくしたキツネ>という話がイソップ物語のなかにある。これは伊曾保物語の中にはない。やはりキツネがでてくるが、すこし社会性をおびている。下記参照。

<しっぽをなくしたキツネ>
sptt自由訳
ある時キツネが仕掛けたわなにかかってしまったが、しっぽを切って逃げた。このキツネしっぽがない恥ずかしい思いを何とかすることが出来ないかといろいろ考えた。かくして仲間のキツネを集めて皆がしっぽを切ることを提案して言った。
<しっぽというものは、見栄(みえ)のためで、ただのおまけに過ぎず、動き回るのに重くてじゃまになるだけで、まったくいらないものだ。>
仲間のうちのあるキツネが言った。
<そうは言うが、あなた、もししっぽをなくしていなっかたら、わざわざ仲間を集めてこんな提案はしないのとちがうか?>
 しっぽをなくしたキツネは何も言わずに去って行った。
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<すっぱいブドウ>の話の場合、上記の定義<負けること、負けたこと、をいやだと思う>の負ける、負けたわけではないが、ブドウをとることに<成功しなかった>ので、<負けた>に近い。

 <しっぽをなくしたキツネ>の話の場合はやや複雑で、
  
<しっぽがない恥ずかしい思い>はいわば劣等感で、これを<負け惜しみ>の発言で克服しようとする。しかしながら結局は<負け惜しみ>発言であることを指摘され、劣等感の克服は失敗に終わる。ところで、しっぽをなくしたキツネの発言は理論的には相当正しく、説得が成功した場合はどうだろうか?劣等感が克服できるだけでなく、提案者としての優越感が出てくるのではないか?

劣等感は英語では inferiority complex、一方優越感は superiority complex で、<complex>がつくように劣等感、優越感も相当複雑。

 劣等感優越感のやまとことばはなにか?


sptt






Sunday, November 24, 2013

魚の目にも涙


<魚の目にも涙>はめったに使わないが、<顔に表情を表さない(とよく言われる)魚(さかな)でも(でさえ)涙を浮かべる>の意(推測)で、ケースバイケースで使われるようだ(これも推測)。<魚の目にも涙>をインタネットで調べると芭蕉の下記の俳句とその解説がある。

行く春や鳥啼き魚の目は涙

この句の解説ははぶくが、 芭蕉の句は<魚の目は涙>で<魚の目にも涙>ではない。<魚の目は涙>は俳句になる表現だが<魚の目にも涙>はことわざ、決まり文句に近い。だがこれは誤用だろう。

関連する言い方に

鬼の目にも涙
雀の涙

があるが<魚の目にも涙>とは意味が違う。 <魚の目にも涙>はこれからの連想だろう。

上記の推測解釈の<魚の目に(も)涙>が出てくる西洋の寓話を見つけた。この話は古い日本版伊曾保物語の中にある。

第五十四 釣師と小魚《こうお》の話(72)

 

或處に魚を釣《つり》て生業《なりはひ》とするものあり。 夏日《なつのひ》終日《いちにち》釣をしても所獲《えもの》なく、 夕方になりて歸らんとする時、漸く小鮮《こざかな》を一匹《ぴき》釣りあげたり。 其時小鮮《こざかな》あわれな聲を出して、「御助け下され。私はまだ小さう御座ります。 中々食料《あがりもの》にはなりませぬ。どうぞ河へ返《もど》して下さりませ。 私が大《おほき》うなりまして、丁度食《あが》れる頃になりますと、 必《きつと》此所《こゝ》へ參りまして、又御手にかゝります。」といへば、 釣師首をふつて、「否々《いや〜》吾《おれ》は今手前《てめへ》を捕へた。 もし汝《てめへ》を水の中に返《もど》したなら、其時汝《てめへ》は、 サア捕《とつ》て見サイナだらう。」

諺に、手にある鳥は、林の内の二羽にも充《むか》ふと云ふぞや。

<見サイナ>は<見ナサイナ>><見ナサイ>の間違いか?あるいは古語か?

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上記の古い日本版伊曾保物語の中には魚の目に涙>が出てこない。原文にも魚の目に涙>が出てこないためと思われるが、魚の目に涙>が出てくる話はいろいろある。

1.ラテン語版 

Aesop's Fables: Avianus

#20. de piscatore et pisce. (Perry 18)

Piscator solitus praedam suspendere saeta
exigui piscis vile trahebat onus.
sed postquam superas captum perduxit ad auras
atquc avido fixum vulnus ab ore tulit,
"parce, precor," supplex lacrimis ita dixit obortis;
"nam quanta ex nostro corpore dona feres?"
nunc me saxosis genitrix fecunda sub antris
fudit et in propriis ludere iussit aquis.
tolle minas, tenerumque tuis sine crescere mensis.
haec tibi me rursum litoris ora dabit.
protinus immensi depastus caerula ponti
pinguior ad calamum sponte recurro tuum.
ille nefas captum referens absolvere piscem,
difficiles queritur cassibus esse vices.
"nam miserum est" inquit "praesentem amittere praedam
stultius ct rursum vota futura sequi."


English Version

Perry 18

THE FISHERMAN AND THE FISH
There was a fisherman who was in the habit of catching his prey on the hook of his fishing line. One time he reeled in the trifling weight of a tiny fish which he had snagged. He lifted the fish up into the air and stabbed it with a piercing wound through its gaping mouth. The fish then burst into tears and pleaded with the man. 'Please spare me,' he said. 'After all, what sort of profit will you get from my body? My fertile mother just now spawned me down in the rocky caves, sending me to play in the waters that are the fishes' domain. Put aside this threat, and allow me my slender young body to grow fat for your table. This same strand of the shore will give me back to you again, and I will voluntarily return to your fishing rod a little while from now, fatter for having fed on the blue waters of the boundless sea.' The fisherman said that it was absolutely forbidden to let a fish go once it had been caught, and he complained that good deeds are often not rewarded when left up to chance. Finally the man concluded, 'It's bad business to ever surrender any possible gain, and even more foolish to start over again in hopes of greater profits.'


下線部が魚の目に涙>が出てくるところだが一般的な記述で(もっとも、魚の目に涙>自体擬人的な用法で、この子魚が水から出されてからの記述)特に<魚の目に涙>の意味はない。ついでに魚の目に涙>以外の伊曾保物語との違いを調べてみる。

伊曾保物語では<夏日《なつのひ》終日《いちにち》釣をしても所獲《えもの》なく、 夕方になりて歸らんとする時>という長い説明があるが、上記のAvianusのラテン語版にもラテン語版の翻訳に近い上記の英語訳版にもない。 一方ラテン語版、英語訳版には子魚の短い履歴があるが伊曾保物語にはない。もっとも<子魚の履歴>は話の筋や教訓とは関係がないようだ。だがもともとは何か関係があったと思われる。まあ、それだけこの話の元が古いということか。

さて、伊曾保物語では<小鮮《こざかな》あわれな聲を出して>とあるが、これはラテン語版、英語訳版にもなく、<涙を浮かべて(supplex lacrimis)>,<涙を流して(burst into tears)>がこれに代わっている。

なお上記の英語訳はAvianusのラテン語版にかなり近いが逐一訳ではない。この違いの理由の一つは<釣り>の仕方、道具がAvianusの時代(あるいはさらに古い時代)と英語訳版が出来た時で違ったためだろう。<saeta>は<硬い毛の集まり>の意なので<毛ばり>のようなものだろう。またのラテン語版釣り針(英語版では fook )も出てこない。


Another English version

146. THE FISHERMAN AND THE LITTLE FISH
A poor Fisherman, who lived on the fish he caught, had bad luck one day and caught nothing but a very small fry. The Fisherman was about to put it in his basket when the little Fish said:
"Please spare me, Mr. Fisherman! I am so small it is not worth while to carry me home. When I am bigger, I shall make you a much better meal."
But the Fisherman quickly put the fish into his basket.
"How foolish I should be," he said, "to throw you back. However small you may be, you are better than nothing at all."
A small gain is worth more than a large promise.
THE FISHERMAN AND THE LITTLE FISH

sptt




Wednesday, October 23, 2013

<しがない>、<仕方(しかた)がない>の語源


手元の辞書によると<しがない>は

形容詞 (<さがない>の変化という)うだつが上がらず前途に望みがない。となっている。

ところが<さがない>の項がこの辞書にはない。<うだつが上がらない>は慣用語でこれまた説明が必要だ。この辞書の<うだつが上がらない>の解説はかなり長い。

さて、<しがない>の<し>は<する>の連用形だろう。 連用形の名詞(体言)用法で<行きはよいよい帰りはこわい>の<行き>、<帰り>と同じ。名詞(体言)用法とはいって<し>は<すること>と同じではない。<行き>が<行くこと>と、<帰り>が<帰ること>と同じではないように。<しがない>は<することがない>ではない。しかしまったく違うというわけでもない。

sptt Notes on Grammar の ”日本語の<連用形の体言化>+体言” で次のように書いた。


一般的に言えることは、<連用形の体言化>+体言が<べき>としてつながることだ。英語でいえば、
a thing to see (take, think, do)に対応する。<ため>の場合、英語では a thing for seeing (taking, thinking, doing)となる。



これを応用すると<しがない>は<すべきことがない>となり、<しがない>の意味にやや近づく。<べし>は漢文の訳によくでてくるが、れっきとした大和言葉でいくつかの少し違った意味があり、<しがない>の<し>にも<べし>のいくつかの意味がありうる。


一方<仕方(しかた)がない>という表現があるが、この<し>は連用形の名詞(体言)用法がさらに進み、名詞(体言)の形容詞用法-<かた>を形容(修飾)する-と見ることが出来る。<するかたない>はほぼ同じ意味のようだがだが、<するかたない>は長いためかあまり使われない。ただし<するかたない>は<する>の連体形<する>+<かた>+<ない>で、連用形<し>+<かた>と違って<すべき>の意が薄(うす)いようだ。

<やるかたない>は<する>の意の<やる>ではなく<送る>、<送り出す>、<与える>の意に近い<遣(や)る>の連体形。

<やりかたがわからない>の<やり>は<する>の意の<やる>の連用形の名詞(体言)用法で<やるべき>方法の意だ。


sptt










Tuesday, October 15, 2013

モノの<ふるまい>の語源

<ふるまい>は漢字を使うと<振る舞い>になるが意味内容は<振る>も<舞う>も関係なさそう。<ふるまい>の語源はなにか?

以前のポストで<見舞い>の語源を書いたがこれにあまりとらわれずに、<ふるまい>について考えてみる。日本の物理の先生は<ふるまい>と大和言葉が気に入っているようでよく聞き、目にする。

無重力下でのモノの振る舞い(ふるまい)。<動き>や<場(ば)>も物理の先生が好きな大和言葉だ。これはなぜか?  物理学は中国からではなく西欧から輸入された。対応する英語は

振る舞い - behaviour (behavior)
動き         - motion、 movement
場(ば)  - field

<behaviour> は必ずしも物理用語ではないが、つきめるところ物理学は<モノの振る舞い>の原因を数式を使ってあらわす学問と言える。また振動は物理学ではモノの根源的な<振るまい>のひとつで、世界、宇宙は振動からできているとも言える。

振る舞い(behaviour)を漢語であらすと、行動、動作、行為があるがあるが、どれもイマイチで<振る舞い>にはかなわない。

さて<ふるまい>の語源について考えてみる。

<ふる>+<まい>、あるいは動詞形の<ふるまう>であれば<ふる>+<まう>と分析できるだろう。

<ふる>に大きく分けて<ふる(振る>と<ふる(降る)>がある。アクセントが違い、使い分けられている。<ふるまう>の<ふる>が<降る>の<ふる>由来である可能性は少ないが否定はできない。降りかかる雨。胡椒(コショウ)を振りかける。

<ふるまう>の特徴的なことは<ふる>の連用形<ふり>+<まう>の<ふりまう>(複合動詞)でないことだ。連用形<ふり>の複合動詞は多い。
 
振りあげる
振りあてる
振りおとす
振りかえる
振りかける  --> ふりかけ
振りかぶる
振りきる
振りこむ
振りしぼる
振りだす  --> ふりだし
振りつける  --> 振りつけ
(振りにげる)  --> 振りにげ (野球用語)
振りのける
振りはなす
振りはらう
振りほどく
振りまく
振りまわす
振りむく
振りむける
振りわける

文字通り<振って>XXするの意味が多いが、比喩的なのもある-振りあてる、振りかえる、(知恵を)振りしぼる、 (笑顔を)振りまく、振りわける。
また、<振る>は振動の表現でいく度も<行ったり来たり><する>、<させる>反復動作を示すようだが、振りあげる、振りあてる、振りかえる、振りかぶる、振りこむ、振りむく、振りむける、は反復ではなく<行ったきり>の動作で<振る>の漢字は必ずしも適切でないようだ。<ふる>のワープロ辞書は<振る>と<降る>だけだが 、<降る>は別として<ふる>には<振る>以外の意味があることになる。

振動の表現の大和言葉には<ゆれる、ゆする>があるがこちらのほう往復専用で<行ったきり>の動作は示さないようだ。右に振れる(O).右にゆれる(ゆする))(X)。

<ふる>が後ろにくる複合動詞はあまりない-わり振る。

いづれにしても<ふりまう>でなく<ふるまう>は特徴的なことで、語源を考える上で参考にした方がよささう。辞書によると<フルチン>は<振りチン>のなまりで、<ふるまう>も<ふりまう>のなまりの可能性がある。

<ふるまう>にはモノ<ふるまい>のほかにモノ<ふるまう>(与える)の意があり、<オオバン振る舞い>という言い方がある。<オオバン>の方は<大盤>のようだが、これだと与えるモノは食べ物だろう。<大判>だと金銭になるが、はした金ではない。<ふるまい>は文字通り<振り播く、振り撒く>の動作が想像され、これが語源だろう。モノ<ふるまい>の語源を考える上で参考にした方がよささう。また触れる(古語は<触る>か?)も関連があろう。


結局今回の調査では残念ながら語源がわからなかった。継続調査予定。



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