Monday, December 30, 2024

やましい

 <やましい>のネット上の解説の中に


 https://oggi.jp/6743724

「やましい」とは、「良心がとがめて、後ろめたいこと」。他人には言えない気持ちを抱えていて、なんとなく気まずいような気持ちのことを指す言葉です。「やましい」は、漢字では「疚しい」と書き、「疚」には、「なやむ、病気になる」という意味があります。 

というのがある。

冒頭の

「やましい」とは、「良心がとがめて、後ろめたいこと」。

と、これに続く

他人には言えない気持ちを抱えていて、なんとなく気まずいような気持ちのことを指す言葉です。

では大きなずれがあるといっていい。

「良心がとがめて、後ろめたいこと」

はこころ、思いはあくまで心は自分自身に向いている。一方

他人には言えない気持ちを抱えていて、なんとなく気まずいような気持ち

はこころ、思いが他人、他人の目に向いている。

この後に

「やましい」は、漢字では「疚しい」と書き

とあるが、<疚>は当て字で、中国語では<内疚>の二字語で出てくくる。<内疚>は、おもしろい言葉なので、別のいくつかのポスト(*) でも書いているが、baike-baidu の解説は

内疚 nèi jiù,形容词。内疚是指对一件事情或某个人心里感到惭愧而不安的一种心情。

<对一件事情或某个人心里感到惭愧而不安的一种心情>はほぼ上の

 他人には言えない気持ちを抱えていて、なんとなく気まずいような気持ち

に等しい。

個人的には<やましい>にこの意はないと思っている。

似て非なる中国語に<委屈>がある。<委屈>は<内疚>以上に頻繁に出てくる。

baike.baidu

委屈,wěi qu,曲意遷就;受到不應有的指責或待遇而心裏難過;猶虧待,不好的待遇;曲折,彎曲。出自《後漢書·鄭孔荀傳論 》

こころ、思いはさらに他人、他人の目に向いている。やまとことばでは<濡れ衣 (ぎぬ) >がある。<不当な扱いを受けてうらめしい>と言った意味。

 

(*)  うしろめたい(中国語との比較) Oct 12 - 2024

 

sptt



 


<うらやましい>の<うら>

 <うらやましい>は形容詞で、動詞は<うらやむ>。<やむ>は<病む>の意のようだが、問題は<うら>だ。関連語には<うらむ>、<うらめしい>がある。言葉の短さからして<うらむ>が本命の語と見られる。ネットでチェックしてみると<うら=心>と言うのが散見される。だが三音節で少し長いが<こころ>という動かしがたい言葉があるので、<うら=心>と単純ではないだろう。また<こころ>と<うら>で発音がまったくちがう。<うら>は多義語だが(主に派生した意味)

表と裏の<うら>

が本義と見られるが、<こころ>と関連させれば

<こころのうら>、<こころにかくれている>状態をあらわし

うらがなしい
うらさびしい

の説明がつく。

<うらを見せる>は

かくしごと、はかりごと、心のうらにかくれている / かくしている本音 (ほんね) を表にだす。 <裏切り>はこれに関連した言い方ではないか。

<うらが見える>は

かくしごと、はかりごと、本音が表にでてくる、わかってしまう。

裏町、裏道、裏通り、裏街道、裏口、裏方、裏金、裏工作、裏口入学、裏技 (うらわざ)

は表 (おもて) 立って見えない場所、ヒト、モノ、行為だ。

さらには、説明が難しい<うらをかく>。<うら目に出る>という慣用的な言い方がある。


さてタイトルの<うらやましい>に戻って、<うらやましい>は<うらやむ>の形容詞版といっていい。日本語の大きな特徴だが。三人称の場合は、<うらやむ>が使えない。

<太郎をうらやむ>の意での形容詞用法として

太郎うらやましい、太郎うらやましい

は問題ないが、太郎が<うらやむ>の場合は

太郎うらやむ、太郎うらやむ

は変、またはダメで、普通は

太郎はうらやましがる、がっている
太郎がうらやましがる、がっている

となる。あえて<変、またはダメ>な理由を探すと、太郎の<こころのうら>は普通見えないからだろう。やまとことばの繊細なところと言える。

<うらやましい>、<うらやむ>は envious、to envy で、それほどシリアスな問題にならないが、<うらむ>となると、シリアスな問題になる。

漢字変換では

うらやましい ー 羨ましい
うらやむ ー 羨む

で羨望の<羨>だ。一方

うらむ ー 恨む
うらめしい ー 恨めしい

名詞形は<うらみ (恨み)>

で<恨>の字が出てくる。

 ーーーーー

別のポスト<うらむ、うらやむ>参照

sptt

Sunday, December 29, 2024

やかましい、うるさい

 <やかましい>、<うるさい>は現代では騒 (さわ) がしい、騒々しい、noisy、な状況の形容で、あるいはその様な状況をやめさせる時に口に出てくるが、これらは現代の用法の一部で、昔の意味でもなおよく使われている。

1.やかましい

語源は接頭語<や>+<かまし (い) >。<かましい>は、少し前ののポスト<おこがましい>で引用したが


https://www.waraerujd.com/blank-461

「がましい」は、「未練がましい」「恩着せがましい」「当てつけがましい」のように、「……のように感じられる」という意味の接尾語。もとは「やかましい」という意味の「かまし(囂し)」から来ているように、「差し出」「未練」「恩着せ」「当てつけ」が強烈で、やかましく感じられるというネガティブな意味あいで用いられることが多いが、「晴れがましい」は珍しくいい意味の使い方。

で、<かまし(囂し)>由来。<かまびすしい>は関連語だろう。

騒 (さわ) がしい、騒々しい、noisy、な状況では

ここは人が多くてやかましい 。
隣の部屋の夫婦喧嘩 (げんか) の声がやかましい。

しかし、現代でも、騒 (さわ) がしい、騒々しい、noisy、な状況以外でもよく使われる。

母は<勉強しろ、勉強しろ>とやかましい、やかましく言う。
借家ずまいで、大家がなんだかんだとやかましい。
<あれしろ、これしろ>となにかとやかましい。
やかましい、出ていけ!

漢字変換では<喧しい> と出て来るが (<喧嘩、けんか>の<喧>だ) 、こう手で書く人、<やかましい>と読める人はまれだろう。<喧嘩>も手で書ける人はまれだろう。これからすると<けんか>は、暴力というよりは騒 (さわ) がしいものようだ。

 

2.うるさい

意味の変遷が<やかましい>に似ているのに<うるさい>がある。もとの古語<うるさし>は学校の古文で習うのでなじみがあろう。 上の<やかましい>の例文は<うるさい>、く口うるさい>で置き換えられる。

ここは人が多くてうるさい
隣の部屋の夫婦喧嘩の声がうるさい。

母は<勉強しろ、勉強しろ>とうるさい、口うるさい。
借家ずまいで、大家がなんだかんだとうるさい、口うるさい。
<あれしろ、これしろ>となにかとうるさい。
もうたくさんだ。うるさい、出ていけ!

<うるさい>には

料理の味にはとかくうるさい。 (これは<料理の味にはやかましい>でもいい。)
食卓にハエがうるさくとびまわる。
このけばけばしい飾りが目障 (めざわ) りでうるさい。

と言った使い方がある。

漢字変換では<煩い> と出て来るが、こう手で書く人、<うるさい>と読める人はまれだろう。騒 (さわ) がしい、騒々しい、noisy、の意味で<煩い>はおかしい。<煩>の字は中國で日常頻繁に使われる<麻烦>の<烦>だ。

<やかましい>、<うるさい>とひらがなの方がいいだろう。

 

sptt

Friday, December 27, 2024

怪しからん

 <けしからん>は<怪しからん>で、おおもとの意味は〈怪しからず>、<あやしくない>で、どこはいいとして<どうまちがえて>、今の<けしからん>になったのか?

一説では字面からは<怪し、けし>の否定<けしから+ず>

<怪し>はシク活用の形容詞で

<あやし、怪し>の例では。Wiki によると

基本形 語幹 未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形 活用の種類
あやし あや (-しく) -しく -し -しき -しけれ シク活用
-しから -しかり -しかる -しか


怪しから
怪しく
怪し
怪しき (しかる)

と活用するが、<怪しから +ず>以外は使うことはごくまれだろう。上は<怪=あや>と読んでも同じ。<くしくも>は漢字変換で<奇しくも>と出てくるが<怪しく、けしくも>のなまりではないか。

一説では字面からは<怪し、けし>の否定<けしから+ず>だが、否定ではなく<怪し、けし>の強調。すなわち、

とてもあやしい
とても、おかしい、変だ 

からの意味のずれ。否定を用いれば

とても普通、尋常ではない(けしい)

で、これは<怪しからん>の意に近い。

また一説では<怪しい>の反語

怪しいどころではない (けしからずや)

でやはり<けしい>の強調。もっとも<怪しからん>の最後の<ん>は否定だが、反語とも言える。

さて、 最近中国語字幕付き中国ドラマをよく見ているが、<奇怪>以外に<不怪你>とか<怪你>という字が時々字幕に出てくる。

<奇怪>は<奇妙だ>、<変だ>という意味なのは容易に察しがつく。

baike-baidu 動詞としての<怪>の解説は

〈动〉
(1) 责怪 [blame]
世果群怪聚骂,指目牵引,而增与为言辞。——唐· 柳宗元《答韦中立论师道书》
虽然,使后之为君者果能保此产业,传之无穷,亦无怪乎其私之也。——清· 黄宗羲《原君》
(2) 又如:怪责(责怪);怪恨(责怪怨恨);怪嗔(嗔怪,对别人的言语行为表示不满);怪得(怪底;怪的。难怪,怪不得)
(3) 惊异;觉得奇怪 [wonder]
民怪之,莫敢徒。——《史记·商君列传》

 で 责怪 [ to blame] が初めにくる。责怪 [ to blame] は<怪しからん>に通じる。こちらは(中国語)では<>は否定でも、反語でもなく、そのままで第一義は、<怪 (あや) しむ>ではなく、 to blame なのだ。 

对别人的言语行为表示不满

はまさしく<怪しからん>だ。

仮定だが、動詞の<>をそのまま輸入したとすれば、<怪す>で<怪しからんと思う、言う>の意になるだろう。

<怪 (あや) しむ>の意は三番目に出てくるが、上の例は史记からの引用だ。もっとも、日本語の<しい>は形容詞だが、中国語の<>は動詞と大きな違いがある。

 

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謝罪のやまとことばー2

 数年前(2019年)に<謝罪のやまとことば> というタイトルのポストを書いているので、これは第二弾。少し前のポスト<すみません、すまない>の出だしで


<すまない>は<すみません>でよく使われる。<すみません>は英語の<I am sorry> で謝罪、あやまるときに多く使われるが、<すまない>は<ありがとう>の意味で使われることもある。


と書いたが 、もう少し<謝罪のやまとことば>を再チェックしてみる。<すまない>、<すみません>以外では

もうしわけない(申し訳ない)、もうしわけありません

 <済みません>も<申し訳ない>も字面からは間接的な謝罪のことばだ。

おわびします(お詫びします)、おわびいたします、おわび申し上げます

<わびる (詫びる)> は字面からも直接的な謝罪のことばで、しかもやまとことばらしい。<わびを入れる>という言い方がある。

<あやまる>の漢字変換は<謝る>だが、謝罪のことばとしては、頭に<お>をつけて

おあやまりします

があるが、あまり聞かない。<あやまる>は<誤る>で、もとは<まちがえる>、<ちがえる>で字面からはこれも間接的な謝罪のことばだ。<お>のない<あやまる>は謝罪のことばとしては

あやまる     それならおれは (おれが) あやまる
あやまります   それなら私があやまります

と言った使い方で、面と向かっての発話ではない。

こうしてあやまっているだろう (でしょう) 

は面と向かっての発話になるが、謝罪の意が感じられない。

 

さて、 最近中国語字幕付き中国ドラマをよく見ているが、謝罪の中国語として<道歉 dào qiàn >が圧倒的に頻繁に字幕に出てくる。場面としては、シリアスな場面での使用が多い。

ドラマのストーリーとしては、まず悪役が主人公 (善役) に<道歉>させ、最終的には主人公(善役) が悪役に<道歉>させるというもの。またドラマでは多くは<跪下道歉>の四字で使われ、動作が伴う。跪下 guì xia は<ひざまずく>で、跪下道歉>の四字にはないが 、ひざまずいた後, <頭を繰り返し床や地面に(擦り)つける(*) ながら<道歉>と言う言葉を繰り返す。

(*) 叩头 kòu tóu,伏身跪拜,以头叩地。为古代的最敬礼。

どうもこれが正式な<あやまり方>のようだ。

 baike-baidu の<道歉>の解説

道歉,汉语词语,拼音:dào qiàn,意思是为不适当或有危害言行承认不是的主要方式,承认使人委屈或对人无礼,同时表示遗憾,给予补偿,以礼节或者行动征得对方的理解原谅

承认不是的主要方式

の<不是>は<错误、过失>の意で、この箇所の意味は

(道歉とは).错误、过失>を認める主要方式

ということ。上の解説からは全面降伏+謝罪だ。


<使人委屈>は使役形で<人に委屈 (不当な扱いを受けてつらい思いをする) をさせる>

 <委屈 >の意味やや複雑。単に<つらい思いをする>では<难过>という言葉ある。

 

一方、日本語の

すみません
もうしわけない
おわびします

は軽い感じだ。動作も多くは頭を下げるだけだが、下げる角度と下げている時間で謝罪の程度が違うようだ。


 

sptt


 

 

Tuesday, December 24, 2024

おこがましい

 

<おこがましい>の<おこ>は<愚か者> のことで、文字通りでは<愚か者のよう (です) >。普通は<<おこがましいですが>として使われ<愚か者のようですが>の意になるはずだが、そうではなく<愚か者のように、事情をわきまえない、のを知りながら>、<愚か者のように、出しゃばりな、のを知りながら>と言った、卑下と言うか、謙遜の意が含まれている言い方で、やや込み入っている、レトリック。レトリックは中国語が得意とするところで、中国語で、日本では聞きなれない<冒昧>という言葉がる。無知蒙昧に<昧>の字がある。<冒昧>は、baike-baidu では

冒昧 mào mèi,指冒犯,无知而妄为,多用于自谦;引申为鲁莽轻率

<指冒犯>は冒昧=冒犯ということで、冒犯をチェックしてみると

冒犯:指言语或行为没有礼貌,冲撞了对方。英語訳では [offend, against; give offence; affront]

で、<礼儀をわきまえない、粗暴者>と言った意味だが、こちらの方は<多用于自谦>がない。<冲撞了对方>は<相手に食って掛かる>といった意味か。

つまりは<冒昧> の方はレトリックとして自谦 (卑下と言うか、謙遜) で多用される、ということだ。さらにつまりは

<おこがましい>は冒昧の意に近いということだ。実際、baike-baidu では

 冒昧问一下。

すみません、ちょっと闻いてもいいですか。

 という例文と日本語訳がある。

 <がましい>の説明は少しむずかしい。 <xxがましい>の例を挙げると

言い訳がましい(ですが)

当てつけがましい
うらみがましい
押しつけがましい
恩着せがましい
さしでがましい
未練がましい


があり、<おこがましい>と同じような言い方で、<xxがましいですが>として本論にはいる前口上として使われる。別の言い方をすると(卑下と言うか、謙遜の意を含めて)

このようなことを言うのは +

おこ (バカ) に見えるのはよくわかっていますが
当てつけと取るかもしれませんが
言い訳になるのは十分承知のうえで
うらんで、うらみから言ういるように聞こえるかもしれませんが
押しつけになるのはよくわかっていますが
恩を着せるようになるのはよくわかっていますが
さしでることになる (でしゃばりになる) よくわかっていますが
まだ未練があるように取るかもしれませんが / あきらめが悪い言われるかもしれませんが

となる。

あまり聞かないが
愚痴 (ぐち) がましい
小言 (こごと) がましい
年寄りの繰りごとがましい
泣きごとがましい
負け惜しみがましい

も可能だろう。

一つ例外がある

はれがましい

おもしろいのでネットでチェックしたところ


https://www.waraerujd.com/blank-461

「がましい」は、「未練がましい」「恩着せがましい」「当てつけがましい」のように、「……のように感じられる」という意味の接尾語。もとは「やかましい」という意味の「かまし(囂し)」から来ているように、「差し出」「未練」「恩着せ」「当てつけ」が強烈で、やかましく感じられるというネガティブな意味あいで用いられることが多いが、「晴れがましい」は珍しくいい意味の使い方。

とあるので、 <はれがましい>は例外のようだ。偶然だが<かまし(囂し)>の<>はこれから出てくる。

さて、以上が<おこがましい>、<がましい>の解説。

話は少しずれて、卑下と言うか、謙遜の意のない<冒犯>の関連語では、最近携帯で見ている中国ドラマで、日本ではなじみのない<放肆>と<嚣张>という語がよく字幕に出てくる。

放肆 fàng sì,(言行)轻率任意,毫无顾忌。
嚣张 xiāo zhāng,意思是喧哗放肆跋扈 

 ネット中日辞典では

放肆:  おこがましい,ほしいままにふるまう,.無礼なふるまい., 勝手気ままで乱れている

実を言うと、 放肆を調べているうちに、おどろいたことに、Google ネット簡易中日翻訳で<おこがましい>が出てきた。そして< おこがましい>をチェックしてみて、このポストになった次第である。

嚣张:もとは<悪い勢力や不正の気風が大きくなること。のさばっている,はびこっている,増長する、尊大である

放肆>と<嚣张>はドラマでは悪役組に向けにて発せられる。

上で

偶然だが<かまし(囂し)>の<>はこれから出てくる。

 と書いたが、どうも偶然とは思えない。嚣张に<増長する>、<尊大である>の意がある。もちろん<囂し>の<囂>は借用。話が長くなるので、のbaike-baidu の解説をコピーしておく。


嚣(拼音:xiāo、áo)(中略)古字形用“页”代表人的头部,周围的四口表示发声喧哗,会众口喧嚷之义。嚣的本义即指人声嘈杂,即吵闹、喧哗,读xiāo。

 

 

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Wednesday, December 18, 2024

<ミスする>のやまとことば


前回のポスト”のやまとことば “ に続いて<ミスする>の大和言葉をチェックしてみる。<ミスする>は変な和製英語だが、よく聞く。<失敗する>ほどのことはないようだ。<miss, mis-xxxx>の英語をチェックしてみた。主にネット簡易英日翻訳を利用。

<ミス>は英語由来だが名詞用法の miss で、名詞の方が輸入しやすい。だが英語の名詞形は mistake で miss は基本的には動詞 to miss として使われ、意味も違い

to miss  動詞
逃 (にが) す、逃 (のが) す

普通は to miss a chance  <チャンス、機会を逃す>
I missed it.   でも、場合により<チャンス、機会を逃した>になる。
I miss you.  と言う言い方がある。

前回のポストではなく、別の<失敗する、 to fail to do something>関連のポスト (*) でとりあげたが

買いそこなう
聞きそこなう
取りそこなう

などは、<失敗する>と言うほどのことはなく

買い逃 (のが) す
聞き逃 (のが) す
取り逃 (のが) す

でも代替できる。

日本語の<ミスする、ミスをする、ミスる>は

mistake  名詞 (間違い) 、動詞 (間違う)  

普通は to make a mistake で<ミスする>。 だが、 to mistake と言う動詞形があり

I mistake, he mistakes, I mistook, it was mistaken にように活用するが、ほとんど聞かない。ふつうは I made a mistake. で<ミスした>になる。

<mis-xxxx>では

to misunderstand    動詞      誤解する

misleading      形容詞    誤解を招く

mismatch   名詞 (ミスマッチ) 、動詞 <ミスマッチする>はほとんど聞かない。

ーーーーー
その他

mismanage     動詞
管理ミス

mismanagement  名詞
不始末

misplay

ミスプレイ

和製英語のようだが、英語にある。名詞

  1. a wrong or bad play.
  2. a play prohibited by the rules.


さて<ミスする>のやまとことばだが

あやまる (誤る)   詰めを誤った。慣用表現:道をあやまる
しくじる   これはいかにもやまとことばらしい。<しくじり>と言う名詞形もある。
へまをする
まちがう
まちがえる
どじる(口語)

へたをする

上手 (じょうず) は漢語のようだが、<へた>は<下手>と書いてもやまとことばだろう。<へたをする>は慣用用法が主で、<失敗する>という意味の用法は限られるようだ。<xxをへたにする、to do something badly>であれば<失敗する、うまくできない>の意になりそう。 

<ミス>のやまとことばでは

誤 (あやま) り
しくじり
間違い
へま   へまをする、へまをやらかす(口語)<へまる>は聞かない。
どじ   どじをする、どじをやらかす(口語)どじる
落ち度  それは私の落ち度です。

-

言葉の話からずれるが、日本人は自分のミスを、あまり抵抗なく認め、謝 (あやまる) る傾向がある。理由はいろいろあるようだが、無駄な人との<いさかい> を避けるためか。

<謝 (あやま) る>は<誤 (あやまり) を認める>由来ではないか?

---

(*) 別の<失敗する>のポスト

sptt Notes on Grammar 

日本語の複合動詞<xxそこなう>、<xxそこねる>



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<失敗する>のやまとことば

<失敗は成功のもと>、<失敗から学ぶ>などという言い方があり、<失敗>をポジティブにとらえるのは悪くない。<失敗する>のやまとことばをチェックしてみる。<失敗する>は

xxを失敗する

ではなく

xxに失敗する

なので自動詞ということになる。

英語でも

I failed in the exam.

が普通の言い方。

さて、<失敗する>のやまとことばだが、<xxする>ではなく、ほぼ無意識に

xxそこなう

しそこなう、やりそこなう

xxそこねる

しそこなう、やりそこなう 

と言う。以下では<xxそこなう>を使うが<xxそこねる>でもいい場合が多い。

<そこなう>、<そこねる>は 自動詞 to fail ではなく、他動詞 to damage, to spoil 相当。

英語では

I failed in the exam.

と書いたが

I failed the exam. でも全くの間違いではないようだ。

日本語の<xxそこなう>は

自動詞+そこなう
他動詞+そこなう

があり、いずれも問題ないが<他動詞+そこなう>の使用が多い。

自動詞+そこなう

行きそこなう  to fail to go

 他動詞+そこなう

xxをしそこなう  to fail to do something、to fail in doing something

おもしろい例がいくつかある。

受かりそこなう   自動詞<受かる>+そこなう
試験に受かりそこなった、受かりそこねた。不合格となった。

受けそこなう   他動詞<受ける>+そこなう   
試験を受けそこなった 。 試験を受けなかった。

見そこなう /  見そこねる  慣用用法で  to fail to see ではなく、人物評価をまちがえる。
見そびれる                             これが to fail to see になる。

<見る>関連の失敗では

見あやまる
見落とす
見くびる
見過ごす
見ちがえる  慣用用法がある  花子は大きくなると、見違えるほどの美人になった。
見まちがえる

がある。


失敗の原因や理由もいろいろあり、言い方もまたいろいろある。

うっかりして、降 (お) りそこなう、乗りそこなう ー 注意不足、不注意

試験に受かりそこなった、受かりそこねた。 ー 勉強不足、努力不足

もう少しで詰めるところだったが、詰めそこなった。(将棋)ー 思慮不足、読み不足

説明しそこなう   説明に失敗する  ー 能力不足、経験不足

乗りそこなう   急行列車に乗りそこなった。急行列車に乗り遅れた。ー 時間不足

大まかにいえば

本来すべきことをしないため (しなかったため ) 失敗する(失敗した)

となるか。 


<xxそこなう>、<xxそこねる>以外では

しくじる   これはいかにもやまとことばらしい。

へまをする


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Saturday, December 14, 2024

こびへつらう

<こびへつらう>は時々聞くし、時々使う。漢字で書くと<媚び諂う>となるようだ。<媚び>は<こびる>と読めるが<諂う>に方は<へつらう>と読める人は少ないだろう。やまとことばの日本語には<こびへつらう>関連の語が少なくない。 <こびる>、<へつらう>と独立しても使う。<こびる>は<媚びを売る>としても使う。

おもねる - 阿る(これは読める人はいないのではないか)

<阿る>は読める人はいないのではないか。阿諛追従 (あゆついしょう) の<阿>からきているようだが<阿部さん>の<阿>が先に頭に浮かんでくる。阿諛追従の<阿諛 (あゆ) >だけでも使うようで<阿諛する >と言うのを聞いたことがあるような気がするが、どうも意味を<阿鼻叫喚>の<阿鼻>ととり違えたようで、阿諛追従は使った記憶があるが、<阿諛する >は幸い使ったことがない。

おだてる ー 煽てる (これは読める人は少ないだろう。意味からきた当て字だ)
胡麻をする
おべっかを言う、使う <おべっか>は関西では<おべんちゃら>と言うようだ。 
取り入 (い) る
機嫌を取る
お世辞を言う

胡麻、機嫌、世辞は漢語で、世辞と機嫌は<お世辞ことば、お世辞を言う>につては少し前のポストで検討したことがある。

なぜこのような言葉を取り上げたかと言うと、最近中国語字幕付き中国ドラマをよく見ているが<马屁>と言う字が出てきた。<马上>は知っているので、この類 (たぐい) かと思ったが、筋が追えない場面で出てきたので、<後でチェック>にしておいた。<马屁>は<馬の尻>だが、baike-baidu で調べてみると、<把马屁>と言う熟語で


 拍马屁:pāi mǎ pì。比喻谄媚、阿谀、奉承。

ここに谄媚、阿谀が出てくる。

<諂う、へつらう>の><>、<媚びる、こびる>の<<媚>、阿諛が出てくる。<奉承>は省略。

<拍>は拍子木の<拍>で,< (手で) たたく>と言う意味。つまりは<拍马屁>は<馬の尻を手でたたく>と言う意味で、馬の良しあしに関係なく、<いい馬だ>と言う意味で<馬の尻をたたく>ことのようで、これが谄媚 (へつらい、こびる) 、阿谀 (おもねる、へつらう、も<へつらう>と読むようだ) の意になったようだ。

谄媚、阿谀、奉承、拍马屁>以外にもあるようだが、詮索しない。日本語の

こびる
へつらう
おだてる 
胡麻をする
おべっかを言う、使う
取り入 (い) る
機嫌を取る
お世辞を言う

くらいはありそうだ。

一方英語では to flatter が一般的な語で、他にもあるようだが聞いたことはない。こういう行為は少ないのだろう。

 

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Thursday, December 12, 2024

財布を落とす

< 財布を落とす>、<財布を落とした>はおかしな言い方だが、よく聞く。<落としたら>拾いあげればいい。また<落とす>意思はないだろう。 この場合<落とす>、<落とした>は<なくす>、<なくした>の意で、こういう人も多い。この<なくす>、<なくした>も日本語特有の言い方といえる。

似たような言い方では

見落とす   見逃す。これも<見落とす>意思はないだろう。 

<見逃す>は別の意味の慣用用法がある。

言い落とす  言い忘れる

聞き落とす  聞き逃す  尋ねる、質問するの<聞く>があるが、これも<尋ね忘れる>の意になる。

取り落とす  取りそこなって落とす。これも<落とす>意思はないだろう。<つかみ落とす>とは言わず<つかみそこねる>と言う。

読み落とす  あまり聞かないが、ある個所を、読み逃す、読み忘れる。 これも<読み落とす>意思はないだろう。<読み飛ばす>は意思がある場合とない場合がありそう。

思い落とす
考え落とす

があってもよさそうだが、聞かない。 

上に

言い落とす  言い忘れる
聞き落とす  尋ね忘れる
読み落とす  読み忘れる 

があるので<落とす=忘れる>で<財布を落とす=財布を忘れる>になるが<財布を忘れる>は<財布を落とす>、<財布をなくす>にならない。

財布を落とした

は英語では 

I lost my wallet.

これも to lose の意思があって lost になるわけでは無いので、少し変だが<財布を落とした>ほど変ではない。

I lose my wallet.

は変な言い方だが、習慣で、よく、ときごき<なくす>場合はこれでいい。

I often lose my wallet.  習慣を表す平叙文か。

中国語が一番理にかなっているようで

(我)不见了(我的)钱包 。

私が住む香港では

我唔見咗我 (個) 銀包 (唔=不、咗=了)

と言う。日本語の<なくした>も<見えなくなった>の意に近いか。

英語でも

My wallet is missing.

と言ういい方があり、<不见了(我的)钱包>や<見えなくなった>に近い。

 

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Sunday, December 8, 2024

首を吊る

 

<首を吊る> の<吊る>は<を>があるので他動詞。だが実際は、

首に縄など輪 (わ) っか状のものを首にかけて体を<吊る>、吊るす。 さらには、意思に関係なく体の自重で<(体が)吊り下がる>ことになる。

英語では、直訳は to hang one's neck となるが、ダメだ。to hang one's head もダメ。物理的にこれらはダメだ。 to hang someone's body か?  to hang one's own body、to hang oneself だと<首吊り自殺する>か? いずれも他動詞用法。だが、英語では to hang に自動詞用法がある。さらには to hang だけで<首吊り自殺する>の意になる。

to be suspended by the neck, as from a gallows, and suffer death in this way.

ー dictionary.com

 

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Friday, December 6, 2024

熨斗 (のし) とアイロン

 

最近中国語字幕付き中国ドラマをよく見ているが<熨衣服>と言う字が出てきた。場面からは<衣服にアイロンをかける>ことはすぐにわかった。ネットでチェックしてみると、中国語でで<アイロン>は熨斗 (yùndǒu) と言う。

日本語では英語の iron はアイロンで、熨斗の字は<のし>に当てられている。日本語の熨斗 (のし) の語源をチェックしてみると、長い歴史があるようで、どこまでが本当かわからない。中国の熨斗の歴史も長い。

<のし>は<のす>由来だろう。 <のす>はあまり使われないが、

この辺りでは<xx組>がのしている。<xx組>の縄張り。

という言い方がある。<のさばる、のさ張る>は関連語で、意味も似ている。 

この辺りでは<xx組>がのさば張っている。

<のばす、伸ばす>も、衣服の皺 (しわ) を伸ばすアイロン (熨斗) からして、<のす>の関連語だろう。、


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