Wednesday, May 15, 2024

<こだわる>の語源

 

<こだわる>の語源は不明だ。ネットで検索してみると

”

『大言海』によると、少しという意の「こ」に、差し支える、支障があるという意味の「さわる(障る)」が転じた「たわる」からなる語だとのこと(以下略)

 ”

というのがあるが、<少し障る、少し差し支える、少し支障がある>どうして<こだわる>になるのか。

最近は<こだわりの味>とか<こだわりのコーヒー>のように肯定的よく使うようになっているが、ひと昔前は主に<こだわるのはよくない>とか<こだわるのはもうやめよう>というように否定語と一緒に使われ、<こだわる>の意味というか含みは否定的 (よくない) に使われていた。つまりは

こだわるのは (よくないから) もうやめよう

という使われ方だ。

漢語に<拘泥 (こうでい) というのがある。これも

拘泥は (よくないから) もうやめよう

と使える。だが、実際には

拘泥するのは (よくないから) もうやめよう

となるだろう。

拘泥 (こうでい) と<こだわり>は発音がやや似ている。

<こうでい>は<こでい>あるいは<こだい>になる可能性がある。さて、<こだわる>の<わる>だが、<わる>は<悪>の意があるが、ここは<はる>だろう。<はる>は多義語だが<張る>が第一義だ。

張りつめる
意地を張る <意地っ張り>
見栄 (みえ) を張る
言い張る
突っ張る、<つっぱり>

否定的な意味はうすいが

頑張る (がんばる)
張り切る

 で、いずれにしても余裕、柔軟性がないのだ。 拘泥 (こうでい) と<張る>を合わせると

<こでい><はる>ー>こでいはるー>こではるー>こだはるー>こだわる

<こだい><はる>ー>こだいはるー>こだはるー>こだわる

 

sptt

Saturday, April 13, 2024

バツが悪い、embarrassed、尷尬(gān gà)

 

<バツが悪い>は聞いたことはあるが使った記憶はない。多分意味がよくわからないので使う自信がないためだろう。

<バツ>の確かな語源はわからない。 バツマルの<×(バツ)>の語源は「罰点(バッテン)」とされ (Wiki) ているので、これが関係しているかもしれない。だが<罰点(バッテン)>自体<悪い>ことなので説明がつかない。イントネーションも少し違う。

場都合(ばつごう)の略という説があるが、<場都合>とは言わないので、いまいち。<場>はやまとことばで、<場が悪い>だと<状況が悪い>。<都合が悪い>だと<あいにくだが今日は都合が悪い>というような使い方で、意味が違う。<具合が悪い>は状況によっては<バツが悪い>に近い。さらには<体裁 (ていさい) が悪い>も<バツが悪い>に近い。

もう一つの語源説は<跋文 (ばつぶん) >の<跋 (ばつ)>で、この方が説得力がある。

跋文。北京語では bá wén と発音するが、広東語では bat man (イントネーション無視)。どこかの地域またはある時期は文=bun と発音する / していただろう。跋文の意味は本や長い文章の<あとがき>。内容を短くまとめたり、コメントを書いたりする。<まとめ>、<まとめる>の意とすると、<跋が悪い>は

まとまりが悪い

で<バツが悪い>の意と関連がでてくる。似たような言い方に<きまりが悪い>がある。この<きまりが悪い>は

1) <バツが悪い>に近い意味、はずかしい

2) <まとまりが悪い>、<おさまりが悪い>に近い意味

がある。また<きまっている> は<決まっている>以外に、口語的だが<その場にふさわしい>の意味がある。

以上、<バツ>、<まとまり>、<おさまり>、<きまり>は共通の部分がある。


英語では embarrassed というのがあり、これは聞いたこと、聞くことは少なくない。私も使ったことはあるが、短い upset でもいい。これは to upset の過去分詞で embarrassed と同じ用法だ。

さて中国語では、見ただけで恐ろしげな<尷尬(gān gà)>というのがあり、これはよくお目にかかる。

 

sptt


Friday, April 5, 2024

<よそ>とは何か?

子供のころ<よそ>というのをよく聞いた。

よそゆき ー 普段着とは対照的な<よそ>へ行くときの服。
よその家(うち)に行ったら行儀よくすること。
よそ様のものに手をだすな。
よそ様のことに余計な口を出すな。
よそ様の悪口をいうもんじゃない。
よそ見をするな。

その他<よそ>関連では

よそ者
よそ事 ー これは<よそ事>ではない。  (ひとごと、他人事)
どこかよそ(のところ)にしよう、行こう。 (別のところ)
うちではこうしているが、よそではどうしていいるのだろう?
よそよそしい ー <親しい>の反義語か。unfriendly。

内 (うち) と外 (そと) はかなり明瞭に対比ができるが、内 (うち) と<よそ>の対比は簡単ではない。<よそ>には基本的に<内>に対する<外>の意は薄い。<よそ>はコンピュータでは<他所>、<余所>が出て来るが、<よそ>を<他所>、<余所>と書くには抵抗がある。そもそも<よそ>に相当する漢字はないのだ。<よそ>はやまとことばだ。

 関連する言葉に他人行儀というのがある。これは和製漢語か?

 中国語では<客气>が他人行儀に相当し

不客气、别客气 (広東語では唔駛客氣、唔好客氣)

はお礼を言われた時の返答で<どういたしまして>相当で、原意は<他人行儀はなしです、いらない>。これはどこでもよく聞く。

韓国人や中国人には日本人は、一面では親しくなっても他人行儀なところがある、という。これは親しくなっても<よそ>の意識があるためだろう。親しくなっても<よそ様>なのだ。

 

<よそ>に似て非なる言葉に<よす>がある。だが<よそ>となにか関係がありそうでもある。<よす>は動詞で、現代語では

よさない(か)
よして(おこう)、よした方がいい。
よす
よすとき、よす場合には
よせば(いいのに)
よそう 

日本語の連用形には名詞(体言)用法はがあるが、<よす>の連用形<よし>の名詞用法はなさそう。<よし>は<良し>になってしまうのだ。もしあるとすると

<よし>は<よすこと> なのだが

今回は<やめ>にしよう。ー> 今回は<よし>にしよう。(ほぼダメ) 今回は<よすこと>にしよう。OK

 

 sptt


 

Tuesday, April 2, 2024

マネジメントのやまとことば

マネジメントのやまとことばとしては威厳に欠けるが<やりくり>、<きりもり>がある。家庭のマネジメントは主に金銭の<やりくり>、<きりもり>だが、零細、小企業になると金銭だけとは限らない。仕事と人の配分も重要な<やりくり>、<きりもり>だ。中企業、大企業ではマネジメントと言うようで、部署別、階層的にマネジメントされていて、それぞれにマネジャー(課長、部長)がいる。金銭関係は経理部任せだが、部署ごとの仕事と人の配分はマジャーの仕事だ。このマネジメントがうまくいかないと問題発生が多くなる。

英語の to manage は<やりくりする>、<きりもりする>の意で使われる。金銭、時間、仕事、従業員の配分をするのは to manage だ。また個人的に<少し困難なところもあるがなんとかする>を I can manage it. と言う。これもマネジメントだろう。<言うは易く>で、実際はなかなかむずかしい。<配分>は金銭、時間、仕事、従業員を<切って盛る>で<きりもり>に近い。似て非なるのにアレンジするがある。これは<ことがうまく運ぶように段取りをつける>相当か。

英語の to manage はまた、個人的な場合が多いが,<なんとかする>の意にもなる。

I can manage this problem.

一方<何とかなる>、<何とかなるさ>は責任感、実行力に欠け、状況任せで、多くは<何とかならない>結果になる。

個人的な場合では<やりくりする>、<きりもりする>以外に<あつかう>、<さばく>がある。意味はズレるが<あしらう>というのがある。こ<あしらう>はさらに意味がずれて<あしらえる>というのがある。あるいは<あしらう>は<あしらえる>の意味が先で、後から今の<あしらう>の意味が派生したのか。

漢語由来では<管理する>、<処理する>がある。  ネット簡易英中辞典では,

Management = 管理

と出てくる。<管>や<理>は歴史的に見てもそこそこの意味があり、おそらく

Management = 管理

は正しそうだ。

アレンジ、arrange はネット簡易英中辞典では,

安排

と出てくる。 この<安排>日常よく使われる。日本語の<あんばい>も同じような使われ方があるようだが、<適当にあんばいしておく>、<あんばいがいい、悪い>と言う言い方もある。コンピュータでは、塩梅、案、按排がでてくる。

漢語由来らしいのでは<対処する>、<対応する>があるが、<対応する>の<対応>は和製漢語のようで、中国語では見たことがない。ある意味では<問題にうまく対応して解決する>のがマネジメントと言えそう。<応じる>は、<応>の読み<おう>からして、漢語由来。だが、<応じる>だけではマネジメントにならないだろう。

日本ではマネジメント関係で管理、管理者はあまり使われず、中小を含め会社関係で言えば、<とりしまりやく (取締役)>というやまとことばが Management 層になる。実際には簡単な<役員>が多用されているようだ。これからすると<とりしまり>がマネジメントになるが、何か変だ。

 

sptt

Sunday, March 24, 2024

ふがいない、なさけない

<ふがいない>、<なさけない>は漢字を使うと<不甲斐ない>、<情けない>となる。文字通りでは

<甲斐あらず>ではない ー>甲斐がある

情けがない

で意味が違ってくる。

<不甲斐ない>についてはいくつかの説明があるが、ネットで検索すると

”

「不」は確かに打ち消しの意味を持つものの、「ない」はただの形容詞の接続語(接尾語か)にあたります。「あどけない」の「ない」と同じくひとかたまりの言葉であるため、二重否定であるという意見は誤りなのです。

”

という解説が妥当のようだ。だが<ひとかたまりの言葉>の意味がよくわからない。

<あどけない> は<あどなし>が語源のようだ。

だいぶ前に(2014)<だらしない、だらしがない>の語源をさぐったことがある。<だらしない>は<ひとかたまりの言葉>で、しかも最後の<ない>は形容詞の接尾語、とも言えるかもしれない。


<情けない>は<情け容赦なく>の<情け>を連想すると、意味が分からなくなる。この連想をしやすいように<情けない>は主に

1.思いやりがない。無情である。これはやまとこおばではいろいろあって、つれない、すげない。そっけない、というのもある。日本人の<思いやり>重視の反映ともいえる。だがよく使われるうちに意味のズレ、派生が発生しがちで<情けをかけることはない>に意味では

2.同情の余地なし (無情である、ともいえる)

の意味、用法がでてくる。さらには

3.みじめである、見るにしのびない。

となり、これは<なさけない>に近い。

 

sptt

 

Friday, March 15, 2024

勉強する、敷衍する

 

<勉強する>の<勉強>はもちろん中国語だが、中国語をそこそこ勉強した人なら、中国語の<勉強>に日本語の<勉強する>の意味がまったくないことを知っているはずだ。また中国語の日常会話でも<勉強>の中国語の意味で使われるのは聞いたことがないので文章語だろう。

調べてみると日本語の<勉強する>の意味は明治時代に成立したようだ。

中国語の<勉強>の意味は大体<したくないことを強いて(むりやり)やらされる>と言った意味だ。<勉>の方は

  1. 勤奮、努力。如:「勤勉」、「奮勉」。
  2. 鼓勵他人盡一己之力。如:「勉勵」、「慰勉」、「嘉勉」。
  3. 強使自己或他人去做能力達不到,或不願意做的事。如:「勉強」、「勉力而為」、「勉為其難」。 

で<刻苦勉励>というほぼ死語がある。

この意味の変遷はおもしろい。

<勉強>するに相当する大和言葉には<学ぶ>がある。 <学習>は日本語と同じような意味で現代中国語でも使われるが、普通は小中学の生徒なら<学习>で<好好学习>といわれながら勉強する。大学生なら<読書>(=勉強する。本を読むとは限らない)が使われる。(香港では小中学生でも<読書>が使われる)これもおもしろいが、日本語にもどって、<勉強>、<勉強する>はきわめて特殊な<意味の変遷>といっていい。 

中国語の<勉強>に、かなり古い昔から、良い意味はほとんどない。一方日本語の<勉強する>は基本的にいい意味で、悪い意味はほとんどない。明治時代には主に西洋語の翻訳のためたくさんの和製漢語がつくられたが、中国語の新規輸入なかっただろう。<勉強>は和製漢語でなく、明治以前の中国語文献から<借用>したものだ。この<借用>ではほぼ完全に中国語の意味は無視されている。<学習>以外に<勉強>が使われ出した理由はなにか?

すぐ上で、<この<借用>ではほぼ完全に中国語の意味は無視されている>と書いたが、どうもそうではなく、<時には強いられながらも、時には自分を励ましながら努力して学習する>場合に使われるようになったのではないか。つまりは<学ぶ>、<学習する>が客観的、第三者的、冷めた感じなのに対し、<勉強する>はかなり精神的な面の意味がふくまれていた。

というのがさしあたりの結論。

さて、このポストを書きだしたのは<敷衍 fū yǎn>という語を中国語の小説で出くわしたからだ。日本語の<敷衍(ふえん)>も<刻苦勉励>とほぼ同程度の死語だ。日本語の<敷衍>の意味は読者に任せるとして、中国語の<敷衍>はおもしろい。

敷は<敷く>
衍は<伸ばす、延ばす、展ばす>

が元来の意なのだが<敷衍>は baike/baidu によると

fū yǎn,意思是:馬虎,不認真,表面上應付;塞責:搪塞責任。指工作不認真負責,表面應付了事,有欺騙成分。

で日本語に訳せば

いいかげん、ふまじめ、うわべだけの対応、責任逃れ、誠意をもって仕事をしない、時にごまかしを含む

と散々だ。勉強と敷衍は関係があって、中国語では<勉強でやることは往々にして敷衍>なのだ。

 

sptt

Friday, March 8, 2024

お世辞ことば

 <お世辞ことば>は<本根と建前>というほどのことはなくかなり形式化されたものが多い。<お世辞ことば>が多い人と、少ない、あるいはほとんどない人がいる。<お世辞ことば>が多い人が社交家で、友人の数だけは多そう。<お世辞ことば>が少ない、あるいはほとんどない人は世間嫌い、人間嫌いで友人が少なそう。

お世辞ことばの例

ご苦労様です。
よくできました。
今日は楽しかった。また会いましょう。
今日はまた一段とお美しい。

中国語では<客套話>といい

表示客氣所説的話,如 “勞駕、借光(*)、慢走、留步(**)”等;常見的話:“今天你又更帥了!”、“你又長高了!”、“你又瘦了!”、“你這件衣服和你好配!”等

<客氣>は他人行儀の意味があり、<不客氣>は<ご遠慮なく、遠慮はいらない>でよく耳にする。

勞駕:ご苦労様です。
慢走: 文字通りでは<ゆっくり行ってください>、<気をつけて行ってください>に近い。別れるとき。
借光(*):[excuse me] 現用作向人詢問或請人給予方便的套語
留步(**):.主人送客,客人辭讓之語。 客套話。客人離去時請主人不要再送

他人になのかをしてもらいたい時に<お世辞ことば>が先にくる人は少なくない。相手の気持ちをよくしておくのだ。これが習慣になっている人は少なくないようだ。

日本語や中国語にくらべると、英語はあまり <お世辞ことば>は発達していないようにみえる。すぐにわかるようウソ (lie) とみなすからだろうか。だが、少しひねくれるが

Don't be afraid.
Just do it !
Never mind a result.

と言った鼓舞表現は<口先だけ>の場合が少なくないのではないか?

<お世辞ことば>は決して真に受けてはいけない。なぜなら <お世辞ことば>を発する人も相手が<真に受ける>とは思っていないからだ。とすると、何か無駄なむなしい<ことば>のような気がする。

 

sptt