Saturday, May 23, 2015

来し方-いま-行く末


日本語では

過去-現在-未来、将来

というが、これは漢語で中国由来。 本場の中国では過去、現在はよく聞くが未来、将来は聞く機会が断然少ない。

一方やまとことばは

来(こ)し方-今(いま)-行く末

が思い浮かぶが、漢語で<未、将>と<来>を使うのと対照的に<行く末>と<行く>が使われている。中国人が未来を<未(いま)だ来(こ)ざる>、<まだ来ない>モノ、コト、将来を<これから来る>モノ、コトと見ているのと対象的に、日本人は<行く先の方向(末は終点というよりは<先の方向>だろう)>と見ているのだ。おそらく日本人の多く(大半)は<未来>、<将来>と言ったり、聞いたりしても未来、将来は<まだない>、<これから来る>の感覚ではなく<これから行く>の感覚だろう。

さらに方向を明確にすると、日本人は<未来>、<将来>と言ったり、聞いたりしても未来、将来は<まだ前方から来ない>、<これから前方から来る>の感覚ではなく<これから前方へ行く>の感覚だろう。これは大きな違いで、将来も変わることはないだろう。

と考えていた。

しかしながら、<行く年、来る年>という言い方を思い出した。<来る年>の方は<後ろからやって来る>とは考えにくいので99%がた<<前からやって来る>>だろう。一方<行く年>は上記の説明から<前へ行く>のが考えられるが、一般的には<後へ去って行く>だろう。去ってしまえば<去年>だ。中国語も去年は<去年(qunian)>だ。来年は<明年(mingnian)>。<行く年、来る年>はテレビ番組のタイトルが始まりと思うので、古いやまとことばではない。

sptt



Friday, May 22, 2015

<to give up> と<あきらめる>-2 nachgeben


このポストは ”<to give up> と<あきらめる>" の第二弾。ただし今回はドイツ語の<nachgeben>を参照にする。

nachgeben をインターネット独英辞典(Collins German-English Reverso)でしらべると

nachgeben
   nach+ge•ben, sep irreg  
1       vi  
a    [Boden, Untergrund]   to give way (    +dat   to)  
(=federn)  
to give     (fig)  
[Mensch]  
to give in or way (    +dat   to)  
(=aufgeben)  
to give up or in
b      (Comm)  
[Preise, Kurse]  
to drop, to fall
2       vt   (=noch mehr geben)  
darf ich Ihnen noch etwas Gemüse nachgeben?      may I give you a few more vegetables?  
er ließ sich ($) Fleisch nachgeben      dat   he had another helping of meat  


つまりは第一義として一番目に<to give away>、そして二番目に<to give up, in>がでているのだ。 to give away、それに to give in  は日本語では<ゆずる>、to give up は<あきらめる>だ。ドイツ語では、あるいはドイツ語が母国語の人たちの頭の中では<ゆずる>も<あきらめる>も大差はないのだ。これは私にとっては大きな発見だ。nachgeben の geben は英語の to give と同源で、よく使われる動詞だが基本的な意味は<与える>だ。一方前にある nach は接頭辞だが元来前置詞、副詞で<xxの後(あと)で(に、へ、から)>、<後(うし)ろで(に、へ、から)>が基本的な意味だ。話は込み入ってくるが、<後(あと)>は位地(空間)と時間の両方に関係し、<後(うし)ろ>はだいたい位地(空間)に関係する。

簡単な組み合わせだが、nachgeben は

あとで 与える
あとに 与える
あとへ 与える
あとから 与える

うしろで 与える
うちろに 与える
うしろへ 与える
うしろから 与える

以上のうちで<ゆずる>、<あきらめる>と関係があるのはどれか?どうもすぐには答えが出てきそうにない。なぜかと言うと<与える>は他動詞で<何かを与える>の<何か>がないと具体化しないのだ。<後(うし)ろ>はだいたい位地(空間)に関係し、今検討している<ゆずる>、<あきらめる>とはあまり関係なさそうなので、以下は冗長さをさけるため<後(うし)ろ>はの方は省いておく。

あとで 金を 与える
あとに 金を 与える
あとへ 金を 与える
あとから 金を 与える

ドイツ語の nachgeben は分離動詞なので、日本語の方も分離してみた。以上のうちで<ゆずる>、<あきらめる>と関係があるのはどれか?これまたどうもすぐには答えが出てきそうにない。<与える>は他動詞だがやや複雑で<誰々にで何かを与える>の<誰々>がないと具体化しない場合がある。手品のようだが<誰々>を加えてみる。

あとで 太郎に金を 与える
あとに 太郎に金を 与える
あとへ 太郎に金を 与える
あとから 太郎に金を 与える

以上のうちで<ゆずる>、<あきらめる>と関係があるのはどれか?読者をからかっているようだが、これまたどうもすぐには答えが出てきそうにない。だが<ゆずる>の場合は

あとで 太郎に金を 与える
あとから 太郎に金を 与える

が少しは関連がありそう。始めは与えなかったのだが、<後になって一歩ゆずって太郎に金を与えた>と解釈できなくもない。

ところが<金>のところを<許し>、<承諾(しょうだく)>、<OK>に換えてみる。

あとで 太郎に 許し(承諾、OK)を 与える
あとから 許し(承諾、OK)を 与える

<ゆずる>の意味合いが出てきたようだ。<あとで>、<あとから>(nach)は重要で

太郎に<許し(承諾、OK)を 与える

では<ゆずる>の意味が出てこない。では<あきらめる>の方はどうか。ここは<一歩ゆずって>、ドイツ語が母国語の人たちと同じく<ゆずる>も<あきらめる>も大差はない、と思い切ったらどうか。納得できないひとのためには、次のような連想ができないものか。

ゆずる -> 屈する(負ける) -> あきらめる

これでも納得できないひとのためには、中間の<屈する(負ける)>には説明がいる。<屈する(負ける)>は相手(太郎)に<許し(承諾、OK)を与える>のではない。

<自分自身が持っている要求、要望、さらには欲望>を<(自分自身に)後(あと)から与える(与えようとする)> -> <回しにする、nach-geben>、<棚上げにする、to give up

以上の説明で、まやかしの手品のようだが、<あとで(あとから)与える(nachgeben)>が<ゆずる>、さらには<あきらめる>になる。

さて、この nach は vor (xx の前で(に、へ))との対比だが、位置(空間)の<後(うし)ろ>に関してはは hinter (英語ではbehaind か)、zurück (英語では back とか to return)というのがある。違いは

nach - 前を見て後(あと)、後(うし)ろを言う。したがって時間関連だが<遅れ(る)>は nach になる。

hinter  - これは主に位置(空間)関連で、<前を見ながら>があまり関与しない。

zurück  - 後ろ見て(ふり返って)後(あと)、後(うし)ろを言う

詳しくは<やまとことば>とはあまり関係がない文法事項なので別のところで別途検討。


sptt





Sunday, May 17, 2015

<風情>と<おもむき>


<風情(ふぜい)>は漢語でやまとことばではない。しかしどことなくやまとことば的だ。手もとの辞書をひくと第一義として

風情 = おもむき

がある。

 この庭は風情がある。

< この庭は風情がある>はなぜか< この庭はおもむきがある>に劣らずやまとことば的だ。まず発音が<ふじょう>ではなく<ふぜい>なのがやまとことば的な理由にあげられそう。第二義は省略して第三義として<xxのような者>の意で

 <学生風情がなまいきに xxxx>が例としてあげられている。この言い方もやまとことば的だ。

風がつく漢語には<風情>以外によく聞いたり、使ったりするのに

風景、風俗、風習、風格、風貌、風采、風刺。<風>が後ろに来る語では校風、社風、気風

があるが風情ほどやまとことば的な感じはしない。風情を含めこれらは風(かぜ)とは直接関係なさそうだが、共通しているの意味内容は何か? この風(かぜ)は<こんな風に(な)>の風(ふう)と関係がありそう。つまり<このように(な)>の<よう>だ。だがこの<よう>も漢語の<様(よう)>由来だろう。北京語では yang だが広東語では yong と発音する(いづれも高低は無視)。昔の日本人は耳がよく yang と yan、yong と yon を聞き分けていた。yang は<やう>、 yan は<やん>、 yong は<よう>、yon は<よん>なのだ。また<様>は昔は<やう>と書いていた。

風貌、風采の風は<様子>、校風、社風、気風の風は目に見えない<ある特徴>のようだ。

元の中国語の<風(feng)>に<よう>の意味があるかどうか調べていないが、<風(かぜ)>は昔の人にとっては直接には目に見えないがいろいろ目に見える現象を引き起こす自然界の神秘的なモノだったに違いない。<引き起こす>に下線をつけたのはわけがある。風景、風俗、風習、風格の<風>はよくわからないが<風情>について言えば

<風情>とは<(感)情>引き起こすコトと言える。風刺の風も引き起こすに関連がありそう。

一方<おもむき>は動詞<おもむく>の連用形の体言(名詞)化用法だが、<おもむく>は自動詞で<どこかへ行く>の意だ。したがって

<おもむき>とは<(感)情>どこかへ行くコトとを表わす、と言える。


 sptt


Monday, May 4, 2015

<偽善者>のやまとことば


<偽善者>と<偽善>という言葉は翻訳モノだけでなくテレビドラマでも時々耳にするが、イマイチなじみがわかない。<偽善者>のやまとことばを探してみる。

偽善 - <善をするふりをすること>は長すぎる。善ぶり、正義ぶり

偽善者 - <(習慣的に)善をするふりをする人>も長すぎる。善人ぶる人、正義ぶる人

<偽善者>は<善人がる人>ではなく<善人ぶる人> がよさそう。

<善>、<善人>、<正義>はやまとことばではなく、相当するやまとことばは長くなる。

善 - よきこと
善人 - <よき人>はだめで、<心よき、行(おこな)いよき人>とでもなるが長すぎる。
正義 - まこと、正しきこと


以前別のポストで<がる>と、ついでに<ぶる>についてかなりしつこく調べたことがある。<がる>と<ぶる>の手もとの辞書の解説は次の通り。

<xx がる>

第一義

いかにもそのような状況にあるという印象を与えるような言動をする。

第二義

いかにもそうであるかのようにふるまう。

<xx ぶる>

第一義

自五(自動詞、五段活用)
誇るべきものを持っているという様子を人に見せつける。

第二義

造語、五型
そういう素質をもっていることを人に見せつけるようにふるまう。


<偽善者>は上記の解説からすると<善人がる人>でもよさそうだが、<善人ぶる人>の方がいい。<善人がりや>、<正義がりや>はすくなくとも<善人になりたい>というマジメな意図が感じられるので偽善者とは違う。<がる>と<ぶる>の違いがここにありそう。

一方<偽善>は<善ぶり>、<正義ぶり>が連用形の体言(名詞)化になるが、<善ぶる>、<正義ぶる>の方がよさそう。ただしこの場合<善ぶるのは(が)>とか<正義ぶるのは(が)>にしないといけない。<善がり>、<正義がり>、<善がる>、<正義がる>もほとんど聞いたことはないが、上と同じく<善人にになりたい>というマジメな意図が感じられる。

<がる>、<ぶる>は<xx のようにふるまう、みせつける>で、いわば偽(にせ)なのだ。<にせ>は<にせる>由来。<にせる>は<にる>の作為動詞(使役形とは違う)。この<にせ>を使って

偽善 - にせ善
偽善者 - にせ善人、にせもの善人 (少し長いが、長すぎることはない)
<にせ善>はイマイチだが、<にせ善人>はよさそう。にせ医者、にせ警官、にせ弁護士、は比較的よく聞く。医者、警官、弁護士は基本的に善人だ。またこれらの<にせxx>には批判的な意がある。

<にせ>に似た<えせ>というのがある。語源は<にせ>と関連がありそうだが、漢語系かもしれない。偽、擬、欺、似は今の漢字の読み方では<ギ>、<ジ>となるが<イ>が母音であり<エ>に変わった可能性がある。

偽善 - えせ善
偽善者 - えせ善人

<にせ(もの)>では<まがい(もの)>というのがある。これを使うと

善まがい
善人まがい

となるが、これは意図、積極性が薄いようだ。


結論) <偽善者>のやまとことば - 1)にせ善人、2)にせもの善人、3)えせ善人、4)善人ぶる人、善人ぶり人。善人もやまとことばにすると、4)<心よき、行いよき人>となるが長すぎて実用的でない。


sptt




Wednesday, April 15, 2015

<広がり>について


<広(ひろ)がり>はいいやまとことばの一つだ。<末広がり>というやや俗っぽい言葉もあるが、<空間の広がり>、<時間の広がり>、<時空の広がり>は物理学で使うが、哲学的でもある。詩的でもある。

<広がり>は動詞<広がる>の連用形の体言(名詞)用法。<広がる>は自動詞で他動詞は<広げる>。<広げる>の連用形は<広げ>だが、こちらの方は連用形の体言(名詞)用法はあまり聞かない。<XXを広げすぎる>は<XXの広げがすぎる>といえそうだが、これはあまり聞かない。

<まるーめる>動詞として<広まる(自動詞)><広める(他動詞)>があるが、 物理的というよりは主に人為的なモノ、コトに使われる。<うわさが広まる>、<うわさを広める>。<広める>には連用形体言(名詞)<広め>があり、関連では<お披露目>の<ひろめ>があるが、あとで述べる形容詞<広い>の程度を示す<広め>(<どちらかというと広め>、<広めの方がいい>)として使う方が多いようだ。

<広がる>、<広げる>には<広い>という対応する形容詞がある。<広がり>を他の代表的な形容詞に応用してみる。

狭い --> 狭がり
暑い - 寒い  --> 暑がり(暑がる)寒がり(寒がる)
高い - 低い  --> 高がり、低がり
強い - 弱い   --> 強がり(強がる)、弱がり
速い - 遅い(のろい)   --> 速がり、遅がり(のろがり)
早い - 遅い    --> 早がり、、遅がり
大きい - 小さい   --> 大きがり、小さがり
暖(あたた)かい - 涼しい  --> 暖かがり、涼しがり
長い - 短い  --> 長がり、短がり
明るい - 暗い  --> 明るがり、暗がり(<暗がる>は聞かない)
良い - 悪い  --> 良(よ)がり、悪がり(悪がる)
遠い - 近い  --> 遠がり、近がり
重い - 軽い  --> 重がり、軽がり
古い - 新しい  --> 古がり、新しがり(新しがる)
深い - 浅い  --> 深がり、浅がり
粗(あら)い - 細かい  --> 粗がり、細かがり
太い - 細(ほそ)い   --> 太がり 、細がり
厚い - 薄い   --> 厚がり 、薄がり
多い - 少ない  --> 多がり、少さがり

<暗がり> (<暗がる>、<暗げる>という動詞はかなり特殊だ)が<広がり>にやや似ていいるが(やまとことばとしても悪くない)、<暗がる>、<暗げる>という動詞はかなり特殊だなので<くらがり>の<がり>由来が違うかもしれない。一方、暑がり、寒がり、強がり、悪がり、新しがり、は意味が違う方向に向いており、おもに人の性状をあらわす。

一方形容詞につき程度を示す<さ>と<どちらかと言うと xx >と言う意味ある<め>はきわめて法則的だ。まず<さ>については法則性を英語と比べてみる。

<さ> - 程度を示す

暑い (hot) - 寒い (cold)  --> 暑さ (hotness ? heat)、寒さ (coldness)
高い (high) - 低い (low)  --> 高さ (height, highness)、低さ (lowness)
強い (strong) - 弱い (weak)  --> 強さ (strength、strongness ?)、弱さ (weakness)
速い (fast, rapid) - 遅い(のろい) (slow)   --> 速さ (rapidness, rapidity)、遅さ(のろさ)(slowness)
早い (early) - 遅い (late)   --> ?    遅い (lateness ?)
大きい (big, large) - 小さい (small, little)  --> 大きさ (largeness ?)、小ささ (smallness ?)
暖(あたた)かい (warm) - 涼しい (cool) --> 暖かさ (warmness)、涼しさ (coolness)
広い (wide, spacious) - 狭い (narrow, ?) --> 広さ (width, wideness ?)、狭さ (narrowness ?)
長い (long)  - 短い (short)  --> 長さ (length, longness ? longevity)、短さ (shortness)
明るい (bright) - 暗い (dark)  --> 明るさ (brightness)、暗さ (darkness)
良い (good) - 悪い (bad)  --> 良さ (goodness)、悪さ (badness ?)
遠い (far) - 近い (near, close) --> 遠さ (farness ?) 、近さ (nearness ?)
重い (heavy)  - 軽い (light)   --> 重さ (heavyness ? weight)、軽さ (lightness)
古い (old) - 新しい (new)  --> 古さ (oldness, age)、新しさ (newness)
深い (deep) - 浅い (shallow) --> 深さ (depth)、浅さ(shallowness)
粗い (rough) - 細(こま)かい(fine)  --> 粗さ (roughness)、細さ (fineness)
太い (thick) - 細(ほそ)い (thin)  --> 太み(thickness) 、細み(thinness)
厚い (thick) - 薄い (thin)   --> 厚み (thickness) 、薄み (thinness)
多い (many) - 少ない (a few, few)  --> 多さ (quantity, manyness ?)、少なさ (fewness ?)

コ ンピュータのスペル(リング)チェックでは strongness、longness、farness、manyness は間違い。総じて、xx ness は、日本語では<xx こと>(熱いこと、etc)に相当し、<xx さ>は抽象化が進んだ height、strength、width, depth が相当する。heat、weight、quantity はさらに抽象化が進んでいるが、もとの形容詞とは系統が違う語だ。ここで抽象化とは<高い (high)-低い (low)>などの程度の差を越え、ある特定の形容全体をとらえた表現ということである。日本語の<さ>は見事な対応に加えて、heat、weight、 quantity ほどではないが抽象化がすすんでいるといえる。

次に<め>について

暑い --> 暑め - 寒い --> 寒め (可能) 
高い --> 高め - 低い --> 低め
強い --> 強め - 弱い --> 弱め
速い --> 速め - おそい --> おそめ、のろい --> のろめ
大きい --> 大きめ - 小さい --> 小さめ
長い --> 長め - 短い --> 短め
明るい --> 明るいめ(あまり聞かないが可能) - 暗い --> 暗め
よい --> よいめ (あまり聞かないが可能) - 悪い --> 悪め
遠い --> 遠め - 近い --> 近め
重い --> 重め - 軽い --> 軽め
古い --> 古め - 新しい --> 新(あたら)し目、新(あらた)め)
粗(あら)い --> 粗め - 細い --> 細かめ
太い --> 太め - 細(ほそ)い --> 細め
厚い --> 厚め - 薄い --> 薄め
多い --> 多め - 少ない --> 少なめ

<め>は<xx める>由来かどうかわからないが、<さ>と同じく見事な対応で、すべて<め>でいい。この<め>は<どちらかと言うと xx >と言う意味の体言(名詞)だ。比較の意識がある。

<み>がつく場合もあるが、これは<がり>と同じく少数派だ。

強い - 強さ、強み、強め
弱み - 弱さ、弱み、弱め
暖かい - 暖かさ、暖かみ、暖かめ
重い - 重さ、重み、重め
軽い  - 軽さ、軽み、軽め (文学用語)
深い - 深さ、深み、深め
厚い - 厚さ、厚み、厚め
明るい - 明るさ、明るみ、明るめ

以上の<xx み>もいいやまとことばだ。もとの意味から発展して人の性格をあらわすのがある。暖かみ、重み、深み、厚み。<広み>があってもよさそうだが、<広がり>が普通だ。


味覚関係の形容詞
うまい - うまさ、うまみ、うまめ
甘い - 甘さ、甘み、甘め
辛い  - 辛さ、辛み、辛め
渋い  - 渋さ、渋み、渋め
くさい - くささ、くさみ、くさめ

この<み>は味覚の味(み)と混同しそうだ。


sptt

Friday, March 27, 2015

<拡大-縮小 >のやまとことば、<すぼみ>について


<拡大-縮小 >のやまとことばを調べてみる。文字通りでは、<拡大>は<広(ひろ)げおおおきくする>、<縮小 >は<縮(ちぢ)め小さくする>になるが、実際にこう言うことはまずない。長すぎるのだ。それでは少しは端折って(はしょって)

拡大 - 広げる 
拡大 - 大きくする
縮小 - 縮(ちぢ)める
縮小 - 小さくする

はどうか?いずれも比較的よく使うようだ。とくに<ひろげる>はこなれたやまとことばだ。一方<ちぢめる>は使い道がかぎられているようだ。

1次元(1D)、2次元(2D),3次元(3D)で調べてみる。

1D - 伸(の)ばす / ちぢめる。 <大きくする /  小さくする >はややおかしい。
2D - ひろげる / ちぢめる; 大きくする /  小さくする。
3D - ひろげる / すぼめる、ちぢめる; 大きくする /  小さくする。<ちぢめる>がややおかしい。

個人差があると思うが、大体以上のようになる。

また以上は他動詞で調べたが自動詞では

1D - のびる / ちぢまる。 <大きくなる /  小さくなる >はややおかしい。
2D - ひろがる / ちぢまる。大きくなる /  小さくなる。<ちぢまる>は<洗濯モノがちぢまる>と言う。
3D - ひろがる / すぼまる、ちぢまる; 大きくなる /  小さくなる。<ちぢめる>がややおかしい。


 体言(名詞)化

1D - のび / ちぢみ。 <大きくなる /  小さくなる >はの体言化はダメ。
2D - ひろがり / ちぢみ、ちじまり。<大きくなる /  小さくなる >はの体言化はダメ。
3D - ひろがり / すぼみ、ちぢみ、ちじまり。<ちぢみ、ちぢまり>がややおかしい。<大きくなる /  小さくなる >はの体言化はダメ。

<すぼみ>について

動詞の<すぼむ>は<口をすぼめる>、<身(肩)をすぼめる>などで使われるが、さほどよく使われる動詞ではない。やや発音しにくいとことろもある。具体的に は(大きいもの)を<小さくする>、(広がったもの)をを<小さくする>の意で<広げる>のは反義語といえそうだが、<広げる>の反義語には<ちぢめる>、<せばめ る>、<(おり)たたむ>、やや意味が離れるが<閉(とじ)る>、<巻く>、<込(こ)める>などがある。

 <ひろがり>は<空間のひろがり>、<意識のひろがり>などのように使い、いいやまとことばだと思うが、<すぼみ>はほとんど使われない。<空間のすぼみ>、<意識のすぼみ>はわるくない。


-----

参考に英語ではどうか? 


広げる - to enlarge     自動詞(広がる)も to enlarge でいいと思うが自信がなければ to become (get) large(er)。 ラテン語系では to expand がある。

ちぢめる - to shrink、to shorten (1D)、自動詞(ちぢまる)も to shrink。 to shorten (1D)でもいいと思うが自信がなければ to become (get) short(er)。ラテン語系では to contract がある。

すぼめる、すぼむ(3D) - これは英語でも to shrink となる。

 やや学問的になるが

広がる(3D) - to diverge  ただし、これは正確には<中心から四方八方へ広がる>の意だ。
すぼむ(3D) - to converge   ただし、これは正確には<中心に向かってすぼむ>の意だ。


sptt


Sunday, March 22, 2015

<みやび>と<ひなび>について


<みやび>と<ひなび>は名詞(体言)だが、そのままではあまり使われない。特に<ひなび>は聞いたことがない。大体は形容詞形や形容動詞形で使われる。<みやびやかな>、<ひなびた>。<みや>+<び>、<ひな>+<び>で対応し、<みや>、<ひな>は語幹のようだが、<ひな>は古語に近いが<ひな>だけで名詞(体言)(田舎の意)になる。一方<みや>は<みや>だけでもなんとなくいみは感じられるが<みやこ>、<みやびやかさ>、そして<みやび>としないとダメのようだ。

一方<ひなびる>、<ひなびた>はいいが<みやびる>、<みやびた>は聞かない。しかし大昔は<みやぶ>、<ひなぶ>とか<みやぶる>、<ひなぶる>いう動詞があったであろう。ただし連用形の体言化では<みやび>だけが残っている。ひなび(ダメ)、みやぶり(ダメ)、ひなぶり(ダメ)。だが、<ひなび>はあったほうがいいようで、けっして悪くはない。使えると便利だろう。また過疎地の田舎の復活に役立ちそう。

<みやび>、<ひなび>は抽象化名詞(体言)と言える。<みやびがある>、<みやびが感じられる>とは言えそうだが、<ひなびがある>、<ひなびが感じられる>はダメで<ひなびた感じだ>とでもなるか?<ひなび>には抽象化されているためか<ひなびた感じ>の感がうすいようだ。

<xx ぶ>、<xx ぶる>の動詞には

動詞  -  連用形の体言化
あそぶ - あそび
あぶる - あぶり 
あらぶる - あらび(?)、あらぶり (?)
えらぶる - えらび(?)、えらぶり(?)
かぶる - かぶり 
ころぶ - ころび
たかぶる - たかぶり
ならぶ - ならび
はこぶ - はこび
ほころぶ - ほころび
ほろぶ - ほろび  (ほころぶ-ほろぶ、は関連がありそう。
よろこぶ -よろこび

がある。

<XX ぶる>は<XX のようにふるまう、みせる>で一般化できるものがある。<ぶりっこ>は説明がいらないようだが、<いい子ぶる>、語源はしらべていないが、<かまととぶる>が元の動詞形か。

<みやび>と<ひなび>に似た抽象化ということでは

わぶ(わびる) - わび
さぶ(さびる) - さび

がある。


<みや>関連語 - みやび、みやびな、みやびやかな、おみや(お宮)、みやびと。<みやげ>は<あげる>由来か? 

<ひな>関連語 - ひなびた、ひなびる。ひな菊(?)、ひな祭り(?)、おひなさま(?)。<ひな>と<雛>は関連があるのか?



sptt