Monday, December 30, 2024

やましい

 <やましい>のネット上の解説の中に


 https://oggi.jp/6743724

「やましい」とは、「良心がとがめて、後ろめたいこと」。他人には言えない気持ちを抱えていて、なんとなく気まずいような気持ちのことを指す言葉です。「やましい」は、漢字では「疚しい」と書き、「疚」には、「なやむ、病気になる」という意味があります。 

というのがある。

冒頭の

「やましい」とは、「良心がとがめて、後ろめたいこと」。

と、これに続く

他人には言えない気持ちを抱えていて、なんとなく気まずいような気持ちのことを指す言葉です。

では大きなずれがあるといっていい。

「良心がとがめて、後ろめたいこと」

はこころ、思いはあくまで心は自分自身に向いている。一方

他人には言えない気持ちを抱えていて、なんとなく気まずいような気持ち

はこころ、思いが他人、他人の目に向いている。

この後に

「やましい」は、漢字では「疚しい」と書き

とあるが、<疚>は当て字で、中国語では<内疚>の二字語で出てくくる。<内疚>は、おもしろい言葉なので、別のいくつかのポスト(*) でも書いているが、baike-baidu の解説は

内疚 nèi jiù,形容词。内疚是指对一件事情或某个人心里感到惭愧而不安的一种心情。

<对一件事情或某个人心里感到惭愧而不安的一种心情>はほぼ上の

 他人には言えない気持ちを抱えていて、なんとなく気まずいような気持ち

に等しい。

個人的には<やましい>にこの意はないと思っている。

似て非なる中国語に<委屈>がある。<委屈>は<内疚>以上に頻繁に出てくる。

baike.baidu

委屈,wěi qu,曲意遷就;受到不應有的指責或待遇而心裏難過;猶虧待,不好的待遇;曲折,彎曲。出自《後漢書·鄭孔荀傳論 》

こころ、思いはさらに他人、他人の目に向いている。やまとことばでは<濡れ衣 (ぎぬ) >がある。<不当な扱いを受けてうらめしい>と言った意味。

 

(*)  うしろめたい(中国語との比較) Oct 12 - 2024

 

sptt



 


<うらやましい>の<うら>

 <うらやましい>は形容詞で、動詞は<うらやむ>。<やむ>は<病む>の意のようだが、問題は<うら>だ。関連語には<うらむ>、<うらめしい>がある。言葉の短さからして<うらむ>が本命の語と見られる。ネットでチェックしてみると<うら=心>と言うのが散見される。だが三音節で少し長いが<こころ>という動かしがたい言葉があるので、<うら=心>と単純ではないだろう。また<こころ>と<うら>で発音がまったくちがう。<うら>は多義語だが(主に派生した意味)

表と裏の<うら>

が本義と見られるが、<こころ>と関連させれば

<こころのうら>、<こころにかくれている>状態をあらわし

うらがなしい
うらさびしい

の説明がつく。

<うらを見せる>は

かくしごと、はかりごと、心のうらにかくれている / かくしている本音 (ほんね) を表にだす。 <裏切り>はこれに関連した言い方ではないか。

<うらが見える>は

かくしごと、はかりごと、本音が表にでてくる、わかってしまう。

裏町、裏道、裏通り、裏街道、裏口、裏方、裏金、裏工作、裏口入学、裏技 (うらわざ)

は表 (おもて) 立って見えない場所、ヒト、モノ、行為だ。

さらには、説明が難しい<うらをかく>。<うら目に出る>という慣用的な言い方がある。


さてタイトルの<うらやましい>に戻って、<うらやましい>は<うらやむ>の形容詞版といっていい。日本語の大きな特徴だが。三人称の場合は、<うらやむ>が使えない。

<太郎をうらやむ>の意での形容詞用法として

太郎うらやましい、太郎うらやましい

は問題ないが、太郎が<うらやむ>の場合は

太郎うらやむ、太郎うらやむ

は変、またはダメで、普通は

太郎はうらやましがる、がっている
太郎がうらやましがる、がっている

となる。あえて<変、またはダメ>な理由を探すと、太郎の<こころのうら>は普通見えないからだろう。やまとことばの繊細なところと言える。

<うらやましい>、<うらやむ>は envious、to envy で、それほどシリアスな問題にならないが、<うらむ>となると、シリアスな問題になる。

漢字変換では

うらやましい ー 羨ましい
うらやむ ー 羨む

で羨望の<羨>だ。一方

うらむ ー 恨む
うらめしい ー 恨めしい

名詞形は<うらみ (恨み)>

で<恨>の字が出てくる。

 ーーーーー

別のポスト<うらむ、うらやむ>参照

sptt

Sunday, December 29, 2024

やかましい、うるさい

 <やかましい>、<うるさい>は現代では騒 (さわ) がしい、騒々しい、noisy、な状況の形容で、あるいはその様な状況をやめさせる時に口に出てくるが、これらは現代の用法の一部で、昔の意味でもなおよく使われている。

1.やかましい

語源は接頭語<や>+<かまし (い) >。<かましい>は、少し前ののポスト<おこがましい>で引用したが


https://www.waraerujd.com/blank-461

「がましい」は、「未練がましい」「恩着せがましい」「当てつけがましい」のように、「……のように感じられる」という意味の接尾語。もとは「やかましい」という意味の「かまし(囂し)」から来ているように、「差し出」「未練」「恩着せ」「当てつけ」が強烈で、やかましく感じられるというネガティブな意味あいで用いられることが多いが、「晴れがましい」は珍しくいい意味の使い方。

で、<かまし(囂し)>由来。<かまびすしい>は関連語だろう。

騒 (さわ) がしい、騒々しい、noisy、な状況では

ここは人が多くてやかましい 。
隣の部屋の夫婦喧嘩 (げんか) の声がやかましい。

しかし、現代でも、騒 (さわ) がしい、騒々しい、noisy、な状況以外でもよく使われる。

母は<勉強しろ、勉強しろ>とやかましい、やかましく言う。
借家ずまいで、大家がなんだかんだとやかましい。
<あれしろ、これしろ>となにかとやかましい。
やかましい、出ていけ!

漢字変換では<喧しい> と出て来るが (<喧嘩、けんか>の<喧>だ) 、こう手で書く人、<やかましい>と読める人はまれだろう。<喧嘩>も手で書ける人はまれだろう。これからすると<けんか>は、暴力というよりは騒 (さわ) がしいものようだ。

 

2.うるさい

意味の変遷が<やかましい>に似ているのに<うるさい>がある。もとの古語<うるさし>は学校の古文で習うのでなじみがあろう。 上の<やかましい>の例文は<うるさい>、く口うるさい>で置き換えられる。

ここは人が多くてうるさい
隣の部屋の夫婦喧嘩の声がうるさい。

母は<勉強しろ、勉強しろ>とうるさい、口うるさい。
借家ずまいで、大家がなんだかんだとうるさい、口うるさい。
<あれしろ、これしろ>となにかとうるさい。
もうたくさんだ。うるさい、出ていけ!

<うるさい>には

料理の味にはとかくうるさい。 (これは<料理の味にはやかましい>でもいい。)
食卓にハエがうるさくとびまわる。
このけばけばしい飾りが目障 (めざわ) りでうるさい。

と言った使い方がある。

漢字変換では<煩い> と出て来るが、こう手で書く人、<うるさい>と読める人はまれだろう。騒 (さわ) がしい、騒々しい、noisy、の意味で<煩い>はおかしい。<煩>の字は中國で日常頻繁に使われる<麻烦>の<烦>だ。

<やかましい>、<うるさい>とひらがなの方がいいだろう。

 

sptt

Friday, December 27, 2024

怪しからん

 <けしからん>は<怪しからん>で、おおもとの意味は〈怪しからず>、<あやしくない>で、どこはいいとして<どうまちがえて>、今の<けしからん>になったのか?

一説では字面からは<怪し、けし>の否定<けしから+ず>

<怪し>はシク活用の形容詞で

<あやし、怪し>の例では。Wiki によると

基本形 語幹 未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形 活用の種類
あやし あや (-しく) -しく -し -しき -しけれ シク活用
-しから -しかり -しかる -しか


怪しから
怪しく
怪し
怪しき (しかる)

と活用するが、<怪しから +ず>以外は使うことはごくまれだろう。上は<怪=あや>と読んでも同じ。<くしくも>は漢字変換で<奇しくも>と出てくるが<怪しく、けしくも>のなまりではないか。

一説では字面からは<怪し、けし>の否定<けしから+ず>だが、否定ではなく<怪し、けし>の強調。すなわち、

とてもあやしい
とても、おかしい、変だ 

からの意味のずれ。否定を用いれば

とても普通、尋常ではない(けしい)

で、これは<怪しからん>の意に近い。

また一説では<怪しい>の反語

怪しいどころではない (けしからずや)

でやはり<けしい>の強調。もっとも<怪しからん>の最後の<ん>は否定だが、反語とも言える。

さて、 最近中国語字幕付き中国ドラマをよく見ているが、<奇怪>以外に<不怪你>とか<怪你>という字が時々字幕に出てくる。

<奇怪>は<奇妙だ>、<変だ>という意味なのは容易に察しがつく。

baike-baidu 動詞としての<怪>の解説は

〈动〉
(1) 责怪 [blame]
世果群怪聚骂,指目牵引,而增与为言辞。——唐· 柳宗元《答韦中立论师道书》
虽然,使后之为君者果能保此产业,传之无穷,亦无怪乎其私之也。——清· 黄宗羲《原君》
(2) 又如:怪责(责怪);怪恨(责怪怨恨);怪嗔(嗔怪,对别人的言语行为表示不满);怪得(怪底;怪的。难怪,怪不得)
(3) 惊异;觉得奇怪 [wonder]
民怪之,莫敢徒。——《史记·商君列传》

 で 责怪 [ to blame] が初めにくる。责怪 [ to blame] は<怪しからん>に通じる。こちらは(中国語)では<>は否定でも、反語でもなく、そのままで第一義は、<怪 (あや) しむ>ではなく、 to blame なのだ。 

对别人的言语行为表示不满

はまさしく<怪しからん>だ。

仮定だが、動詞の<>をそのまま輸入したとすれば、<怪す>で<怪しからんと思う、言う>の意になるだろう。

<怪 (あや) しむ>の意は三番目に出てくるが、上の例は史记からの引用だ。もっとも、日本語の<しい>は形容詞だが、中国語の<>は動詞と大きな違いがある。

 

sptt

 

 



謝罪のやまとことばー2

 数年前(2019年)に<謝罪のやまとことば> というタイトルのポストを書いているので、これは第二弾。少し前のポスト<すみません、すまない>の出だしで


<すまない>は<すみません>でよく使われる。<すみません>は英語の<I am sorry> で謝罪、あやまるときに多く使われるが、<すまない>は<ありがとう>の意味で使われることもある。


と書いたが 、もう少し<謝罪のやまとことば>を再チェックしてみる。<すまない>、<すみません>以外では

もうしわけない(申し訳ない)、もうしわけありません

 <済みません>も<申し訳ない>も字面からは間接的な謝罪のことばだ。

おわびします(お詫びします)、おわびいたします、おわび申し上げます

<わびる (詫びる)> は字面からも直接的な謝罪のことばで、しかもやまとことばらしい。<わびを入れる>という言い方がある。

<あやまる>の漢字変換は<謝る>だが、謝罪のことばとしては、頭に<お>をつけて

おあやまりします

があるが、あまり聞かない。<あやまる>は<誤る>で、もとは<まちがえる>、<ちがえる>で字面からはこれも間接的な謝罪のことばだ。<お>のない<あやまる>は謝罪のことばとしては

あやまる     それならおれは (おれが) あやまる
あやまります   それなら私があやまります

と言った使い方で、面と向かっての発話ではない。

こうしてあやまっているだろう (でしょう) 

は面と向かっての発話になるが、謝罪の意が感じられない。

 

さて、 最近中国語字幕付き中国ドラマをよく見ているが、謝罪の中国語として<道歉 dào qiàn >が圧倒的に頻繁に字幕に出てくる。場面としては、シリアスな場面での使用が多い。

ドラマのストーリーとしては、まず悪役が主人公 (善役) に<道歉>させ、最終的には主人公(善役) が悪役に<道歉>させるというもの。またドラマでは多くは<跪下道歉>の四字で使われ、動作が伴う。跪下 guì xia は<ひざまずく>で、跪下道歉>の四字にはないが 、ひざまずいた後, <頭を繰り返し床や地面に(擦り)つける(*) ながら<道歉>と言う言葉を繰り返す。

(*) 叩头 kòu tóu,伏身跪拜,以头叩地。为古代的最敬礼。

どうもこれが正式な<あやまり方>のようだ。

 baike-baidu の<道歉>の解説

道歉,汉语词语,拼音:dào qiàn,意思是为不适当或有危害言行承认不是的主要方式,承认使人委屈或对人无礼,同时表示遗憾,给予补偿,以礼节或者行动征得对方的理解原谅

承认不是的主要方式

の<不是>は<错误、过失>の意で、この箇所の意味は

(道歉とは).错误、过失>を認める主要方式

ということ。上の解説からは全面降伏+謝罪だ。


<使人委屈>は使役形で<人に委屈 (不当な扱いを受けてつらい思いをする) をさせる>

 <委屈 >の意味やや複雑。単に<つらい思いをする>では<难过>という言葉ある。

 

一方、日本語の

すみません
もうしわけない
おわびします

は軽い感じだ。動作も多くは頭を下げるだけだが、下げる角度と下げている時間で謝罪の程度が違うようだ。


 

sptt


 

 

Tuesday, December 24, 2024

おこがましい

 

<おこがましい>の<おこ>は<愚か者> のことで、文字通りでは<愚か者のよう (です) >。普通は<<おこがましいですが>として使われ<愚か者のようですが>の意になるはずだが、そうではなく<愚か者のように、事情をわきまえない、のを知りながら>、<愚か者のように、出しゃばりな、のを知りながら>と言った、卑下と言うか、謙遜の意が含まれている言い方で、やや込み入っている、レトリック。レトリックは中国語が得意とするところで、中国語で、日本では聞きなれない<冒昧>という言葉がる。無知蒙昧に<昧>の字がある。<冒昧>は、baike-baidu では

冒昧 mào mèi,指冒犯,无知而妄为,多用于自谦;引申为鲁莽轻率

<指冒犯>は冒昧=冒犯ということで、冒犯をチェックしてみると

冒犯:指言语或行为没有礼貌,冲撞了对方。英語訳では [offend, against; give offence; affront]

で、<礼儀をわきまえない、粗暴者>と言った意味だが、こちらの方は<多用于自谦>がない。<冲撞了对方>は<相手に食って掛かる>といった意味か。

つまりは<冒昧> の方はレトリックとして自谦 (卑下と言うか、謙遜) で多用される、ということだ。さらにつまりは

<おこがましい>は冒昧の意に近いということだ。実際、baike-baidu では

 冒昧问一下。

すみません、ちょっと闻いてもいいですか。

 という例文と日本語訳がある。

 <がましい>の説明は少しむずかしい。 <xxがましい>の例を挙げると

言い訳がましい(ですが)

当てつけがましい
うらみがましい
押しつけがましい
恩着せがましい
さしでがましい
未練がましい


があり、<おこがましい>と同じような言い方で、<xxがましいですが>として本論にはいる前口上として使われる。別の言い方をすると(卑下と言うか、謙遜の意を含めて)

このようなことを言うのは +

おこ (バカ) に見えるのはよくわかっていますが
当てつけと取るかもしれませんが
言い訳になるのは十分承知のうえで
うらんで、うらみから言ういるように聞こえるかもしれませんが
押しつけになるのはよくわかっていますが
恩を着せるようになるのはよくわかっていますが
さしでることになる (でしゃばりになる) よくわかっていますが
まだ未練があるように取るかもしれませんが / あきらめが悪い言われるかもしれませんが

となる。

あまり聞かないが
愚痴 (ぐち) がましい
小言 (こごと) がましい
年寄りの繰りごとがましい
泣きごとがましい
負け惜しみがましい

も可能だろう。

一つ例外がある

はれがましい

おもしろいのでネットでチェックしたところ


https://www.waraerujd.com/blank-461

「がましい」は、「未練がましい」「恩着せがましい」「当てつけがましい」のように、「……のように感じられる」という意味の接尾語。もとは「やかましい」という意味の「かまし(囂し)」から来ているように、「差し出」「未練」「恩着せ」「当てつけ」が強烈で、やかましく感じられるというネガティブな意味あいで用いられることが多いが、「晴れがましい」は珍しくいい意味の使い方。

とあるので、 <はれがましい>は例外のようだ。偶然だが<かまし(囂し)>の<>はこれから出てくる。

さて、以上が<おこがましい>、<がましい>の解説。

話は少しずれて、卑下と言うか、謙遜の意のない<冒犯>の関連語では、最近携帯で見ている中国ドラマで、日本ではなじみのない<放肆>と<嚣张>という語がよく字幕に出てくる。

放肆 fàng sì,(言行)轻率任意,毫无顾忌。
嚣张 xiāo zhāng,意思是喧哗放肆跋扈 

 ネット中日辞典では

放肆:  おこがましい,ほしいままにふるまう,.無礼なふるまい., 勝手気ままで乱れている

実を言うと、 放肆を調べているうちに、おどろいたことに、Google ネット簡易中日翻訳で<おこがましい>が出てきた。そして< おこがましい>をチェックしてみて、このポストになった次第である。

嚣张:もとは<悪い勢力や不正の気風が大きくなること。のさばっている,はびこっている,増長する、尊大である

放肆>と<嚣张>はドラマでは悪役組に向けにて発せられる。

上で

偶然だが<かまし(囂し)>の<>はこれから出てくる。

 と書いたが、どうも偶然とは思えない。嚣张に<増長する>、<尊大である>の意がある。もちろん<囂し>の<囂>は借用。話が長くなるので、のbaike-baidu の解説をコピーしておく。


嚣(拼音:xiāo、áo)(中略)古字形用“页”代表人的头部,周围的四口表示发声喧哗,会众口喧嚷之义。嚣的本义即指人声嘈杂,即吵闹、喧哗,读xiāo。

 

 

sptt 

 

Wednesday, December 18, 2024

<ミスする>のやまとことば


前回のポスト”のやまとことば “ に続いて<ミスする>の大和言葉をチェックしてみる。<ミスする>は変な和製英語だが、よく聞く。<失敗する>ほどのことはないようだ。<miss, mis-xxxx>の英語をチェックしてみた。主にネット簡易英日翻訳を利用。

<ミス>は英語由来だが名詞用法の miss で、名詞の方が輸入しやすい。だが英語の名詞形は mistake で miss は基本的には動詞 to miss として使われ、意味も違い

to miss  動詞
逃 (にが) す、逃 (のが) す

普通は to miss a chance  <チャンス、機会を逃す>
I missed it.   でも、場合により<チャンス、機会を逃した>になる。
I miss you.  と言う言い方がある。

前回のポストではなく、別の<失敗する、 to fail to do something>関連のポスト (*) でとりあげたが

買いそこなう
聞きそこなう
取りそこなう

などは、<失敗する>と言うほどのことはなく

買い逃 (のが) す
聞き逃 (のが) す
取り逃 (のが) す

でも代替できる。

日本語の<ミスする、ミスをする、ミスる>は

mistake  名詞 (間違い) 、動詞 (間違う)  

普通は to make a mistake で<ミスする>。 だが、 to mistake と言う動詞形があり

I mistake, he mistakes, I mistook, it was mistaken にように活用するが、ほとんど聞かない。ふつうは I made a mistake. で<ミスした>になる。

<mis-xxxx>では

to misunderstand    動詞      誤解する

misleading      形容詞    誤解を招く

mismatch   名詞 (ミスマッチ) 、動詞 <ミスマッチする>はほとんど聞かない。

ーーーーー
その他

mismanage     動詞
管理ミス

mismanagement  名詞
不始末

misplay

ミスプレイ

和製英語のようだが、英語にある。名詞

  1. a wrong or bad play.
  2. a play prohibited by the rules.


さて<ミスする>のやまとことばだが

あやまる (誤る)   詰めを誤った。慣用表現:道をあやまる
しくじる   これはいかにもやまとことばらしい。<しくじり>と言う名詞形もある。
へまをする
まちがう
まちがえる
どじる(口語)

へたをする

上手 (じょうず) は漢語のようだが、<へた>は<下手>と書いてもやまとことばだろう。<へたをする>は慣用用法が主で、<失敗する>という意味の用法は限られるようだ。<xxをへたにする、to do something badly>であれば<失敗する、うまくできない>の意になりそう。 

<ミス>のやまとことばでは

誤 (あやま) り
しくじり
間違い
へま   へまをする、へまをやらかす(口語)<へまる>は聞かない。
どじ   どじをする、どじをやらかす(口語)どじる
落ち度  それは私の落ち度です。

-

言葉の話からずれるが、日本人は自分のミスを、あまり抵抗なく認め、謝 (あやまる) る傾向がある。理由はいろいろあるようだが、無駄な人との<いさかい> を避けるためか。

<謝 (あやま) る>は<誤 (あやまり) を認める>由来ではないか?

---

(*) 別の<失敗する>のポスト

sptt Notes on Grammar 

日本語の複合動詞<xxそこなう>、<xxそこねる>



sptt


<失敗する>のやまとことば

<失敗は成功のもと>、<失敗から学ぶ>などという言い方があり、<失敗>をポジティブにとらえるのは悪くない。<失敗する>のやまとことばをチェックしてみる。<失敗する>は

xxを失敗する

ではなく

xxに失敗する

なので自動詞ということになる。

英語でも

I failed in the exam.

が普通の言い方。

さて、<失敗する>のやまとことばだが、<xxする>ではなく、ほぼ無意識に

xxそこなう

しそこなう、やりそこなう

xxそこねる

しそこなう、やりそこなう 

と言う。以下では<xxそこなう>を使うが<xxそこねる>でもいい場合が多い。

<そこなう>、<そこねる>は 自動詞 to fail ではなく、他動詞 to damage, to spoil 相当。

英語では

I failed in the exam.

と書いたが

I failed the exam. でも全くの間違いではないようだ。

日本語の<xxそこなう>は

自動詞+そこなう
他動詞+そこなう

があり、いずれも問題ないが<他動詞+そこなう>の使用が多い。

自動詞+そこなう

行きそこなう  to fail to go

 他動詞+そこなう

xxをしそこなう  to fail to do something、to fail in doing something

おもしろい例がいくつかある。

受かりそこなう   自動詞<受かる>+そこなう
試験に受かりそこなった、受かりそこねた。不合格となった。

受けそこなう   他動詞<受ける>+そこなう   
試験を受けそこなった 。 試験を受けなかった。

見そこなう /  見そこねる  慣用用法で  to fail to see ではなく、人物評価をまちがえる。
見そびれる                             これが to fail to see になる。

<見る>関連の失敗では

見あやまる
見落とす
見くびる
見過ごす
見ちがえる  慣用用法がある  花子は大きくなると、見違えるほどの美人になった。
見まちがえる

がある。


失敗の原因や理由もいろいろあり、言い方もまたいろいろある。

うっかりして、降 (お) りそこなう、乗りそこなう ー 注意不足、不注意

試験に受かりそこなった、受かりそこねた。 ー 勉強不足、努力不足

もう少しで詰めるところだったが、詰めそこなった。(将棋)ー 思慮不足、読み不足

説明しそこなう   説明に失敗する  ー 能力不足、経験不足

乗りそこなう   急行列車に乗りそこなった。急行列車に乗り遅れた。ー 時間不足

大まかにいえば

本来すべきことをしないため (しなかったため ) 失敗する(失敗した)

となるか。 


<xxそこなう>、<xxそこねる>以外では

しくじる   これはいかにもやまとことばらしい。

へまをする


sptt

 

Saturday, December 14, 2024

こびへつらう

<こびへつらう>は時々聞くし、時々使う。漢字で書くと<媚び諂う>となるようだ。<媚び>は<こびる>と読めるが<諂う>に方は<へつらう>と読める人は少ないだろう。やまとことばの日本語には<こびへつらう>関連の語が少なくない。 <こびる>、<へつらう>と独立しても使う。<こびる>は<媚びを売る>としても使う。

おもねる - 阿る(これは読める人はいないのではないか)

<阿る>は読める人はいないのではないか。阿諛追従 (あゆついしょう) の<阿>からきているようだが<阿部さん>の<阿>が先に頭に浮かんでくる。阿諛追従の<阿諛 (あゆ) >だけでも使うようで<阿諛する >と言うのを聞いたことがあるような気がするが、どうも意味を<阿鼻叫喚>の<阿鼻>ととり違えたようで、阿諛追従は使った記憶があるが、<阿諛する >は幸い使ったことがない。

おだてる ー 煽てる (これは読める人は少ないだろう。意味からきた当て字だ)
胡麻をする
おべっかを言う、使う <おべっか>は関西では<おべんちゃら>と言うようだ。 
取り入 (い) る
機嫌を取る
お世辞を言う

胡麻、機嫌、世辞は漢語で、世辞と機嫌は<お世辞ことば、お世辞を言う>につては少し前のポストで検討したことがある。

なぜこのような言葉を取り上げたかと言うと、最近中国語字幕付き中国ドラマをよく見ているが<马屁>と言う字が出てきた。<马上>は知っているので、この類 (たぐい) かと思ったが、筋が追えない場面で出てきたので、<後でチェック>にしておいた。<马屁>は<馬の尻>だが、baike-baidu で調べてみると、<把马屁>と言う熟語で


 拍马屁:pāi mǎ pì。比喻谄媚、阿谀、奉承。

ここに谄媚、阿谀が出てくる。

<諂う、へつらう>の><>、<媚びる、こびる>の<<媚>、阿諛が出てくる。<奉承>は省略。

<拍>は拍子木の<拍>で,< (手で) たたく>と言う意味。つまりは<拍马屁>は<馬の尻を手でたたく>と言う意味で、馬の良しあしに関係なく、<いい馬だ>と言う意味で<馬の尻をたたく>ことのようで、これが谄媚 (へつらい、こびる) 、阿谀 (おもねる、へつらう、も<へつらう>と読むようだ) の意になったようだ。

谄媚、阿谀、奉承、拍马屁>以外にもあるようだが、詮索しない。日本語の

こびる
へつらう
おだてる 
胡麻をする
おべっかを言う、使う
取り入 (い) る
機嫌を取る
お世辞を言う

くらいはありそうだ。

一方英語では to flatter が一般的な語で、他にもあるようだが聞いたことはない。こういう行為は少ないのだろう。

 

sptt


 

 

sptt 


 

 

Thursday, December 12, 2024

財布を落とす

< 財布を落とす>、<財布を落とした>はおかしな言い方だが、よく聞く。<落としたら>拾いあげればいい。また<落とす>意思はないだろう。 この場合<落とす>、<落とした>は<なくす>、<なくした>の意で、こういう人も多い。この<なくす>、<なくした>も日本語特有の言い方といえる。

似たような言い方では

見落とす   見逃す。これも<見落とす>意思はないだろう。 

<見逃す>は別の意味の慣用用法がある。

言い落とす  言い忘れる

聞き落とす  聞き逃す  尋ねる、質問するの<聞く>があるが、これも<尋ね忘れる>の意になる。

取り落とす  取りそこなって落とす。これも<落とす>意思はないだろう。<つかみ落とす>とは言わず<つかみそこねる>と言う。

読み落とす  あまり聞かないが、ある個所を、読み逃す、読み忘れる。 これも<読み落とす>意思はないだろう。<読み飛ばす>は意思がある場合とない場合がありそう。

思い落とす
考え落とす

があってもよさそうだが、聞かない。 

上に

言い落とす  言い忘れる
聞き落とす  尋ね忘れる
読み落とす  読み忘れる 

があるので<落とす=忘れる>で<財布を落とす=財布を忘れる>になるが<財布を忘れる>は<財布を落とす>、<財布をなくす>にならない。

財布を落とした

は英語では 

I lost my wallet.

これも to lose の意思があって lost になるわけでは無いので、少し変だが<財布を落とした>ほど変ではない。

I lose my wallet.

は変な言い方だが、習慣で、よく、ときごき<なくす>場合はこれでいい。

I often lose my wallet.  習慣を表す平叙文か。

中国語が一番理にかなっているようで

(我)不见了(我的)钱包 。

私が住む香港では

我唔見咗我 (個) 銀包 (唔=不、咗=了)

と言う。日本語の<なくした>も<見えなくなった>の意に近いか。

英語でも

My wallet is missing.

と言ういい方があり、<不见了(我的)钱包>や<見えなくなった>に近い。

 

sptt

 

Sunday, December 8, 2024

首を吊る

 

<首を吊る> の<吊る>は<を>があるので他動詞。だが実際は、

首に縄など輪 (わ) っか状のものを首にかけて体を<吊る>、吊るす。 さらには、意思に関係なく体の自重で<(体が)吊り下がる>ことになる。

英語では、直訳は to hang one's neck となるが、ダメだ。to hang one's head もダメ。物理的にこれらはダメだ。 to hang someone's body か?  to hang one's own body、to hang oneself だと<首吊り自殺する>か? いずれも他動詞用法。だが、英語では to hang に自動詞用法がある。さらには to hang だけで<首吊り自殺する>の意になる。

to be suspended by the neck, as from a gallows, and suffer death in this way.

ー dictionary.com

 

sptt

 

Friday, December 6, 2024

熨斗 (のし) とアイロン

 

最近中国語字幕付き中国ドラマをよく見ているが<熨衣服>と言う字が出てきた。場面からは<衣服にアイロンをかける>ことはすぐにわかった。ネットでチェックしてみると、中国語でで<アイロン>は熨斗 (yùndǒu) と言う。

日本語では英語の iron はアイロンで、熨斗の字は<のし>に当てられている。日本語の熨斗 (のし) の語源をチェックしてみると、長い歴史があるようで、どこまでが本当かわからない。中国の熨斗の歴史も長い。

<のし>は<のす>由来だろう。 <のす>はあまり使われないが、

この辺りでは<xx組>がのしている。<xx組>の縄張り。

という言い方がある。<のさばる、のさ張る>は関連語で、意味も似ている。 

この辺りでは<xx組>がのさば張っている。

<のばす、伸ばす>も、衣服の皺 (しわ) を伸ばすアイロン (熨斗) からして、<のす>の関連語だろう。、


sptt

Tuesday, November 26, 2024

<うんざり>の語源

 

<うんざり>の語源をネットでチェックしてみた。諸説あり、定かではないようだ。大和言葉の<倦 (う) む >由来は間違いないだろう。<倦む>は現代語でも<倦む>で、<飽 (あ) く>由来だが、現代語では<飽きる>に変身して活躍している<飽きる>と対照的だ。<倦現代では<倦む>は単独ではほとんど使われず<倦むことなく>、<倦まず撓まず (うまずたゆまず.)>で使われるくらいか。(<たゆむ>は死語だろう、単独使用は聞いたことがない)。

さて<うんざり>だが 私の見るところ

<倦む>は原型で、実際には<倦みて>の使用が多かったのではないか。使用が多いと<なまり>やすく, あるいは地方によって<なまり>、<倦んで>に変化 (撥音便)。場合によって<倦んだり>の使用が多く、これが<うんざり>となった。

 

sptt

 

Sunday, November 24, 2024

<あくまで>と<飽きるまで>

 

<あくまで>, <あくまでも>の<あく>は<飽きる>の古語<飽く> の残骸。

<あくなき>も<飽くなき>で終止形は<飽くなし>。<あくことなき、なし>も残骸のようだが生きている。<悪 (あく) >ではない。ネット辞典でチェックしてみると、<あくまで>は<飽きるまで>由来だ。だが意味の変遷はかなり長いようだ。

 "

あく‐まで【飽く×迄】

読み方:あくまで

[副]動詞「あ(飽)く」の連体形副助詞「まで」から》

物事最後までやりとおすさま。徹底的に。「—(も)自説を貫く」

どこまでも。全く。「—(も)青い海

 "

という簡単な解説と例文があるが、

 発言の前に、これはあくまで私の個人的な見方と意見であることを申し上げておきます。

 といった、言い方はよく聞く。この<あくまで>は、上のネット辞典の解説にない。いわば<責任逃れ>を意味する。この<あくまで>の意味は、元来<飽きるまで、徹底的に詳しくやれば、やったなら、落ち度もあろう>、さらには否定が入って<飽きるまで、徹底的に詳しくやってはいない、だから落ち度もあろう>が暗示、内包されている (implicit) 、持って回った言い方の前口上と言える。


sptt

<じっくり考える>の<じっくり>の語源

 

決断と実行は重要だが、<じっくり考える>ことも、 少なくとも机上、椅子の上では重要だ。この<じっくり>とは何か?

ネットで語源をチェックしてみたが、ヒットしない。似たような言葉に

ゆっくり、とっくり

がある。

<ゆっくり>は<弛 (ゆる) む>、古語は<ゆる>。

 

 

Wednesday, November 20, 2024

お見それしました

 

別のブログ sptt Notes on Grammar の方で2012年に<見る、 見える、見せる、見止める、見なす> のタイトルで<見る>複合動詞<見 (み) XX>を列挙しているが、おもしろいものが少なくない。<目は口ほどにモノをいい>と言える。その中で<見それる>というのがある。<それる>は<脇 (わき) 道にそれる>の <それる>で、<外れる、外れていく>の意。<見それる>はほとんど使われないが<お見それしました>という表現は時々聞く。<お見それしました>をネットでチェックしてみると

1.省略(次の2に比べる、あまりつかわれない)

2. 相手才能手腕などに気づかないでいること。自分のまちがった見方をわびるときに用いる。「これほどお詳しいとは、—しました」

出典:デジタル大辞泉(小学館)

同じような意味の<見 (み) XX>では

見誤 (あやま) る
見過ごす
見損 (そこ) なう
見逃す

などがあり豊富だ。しかし

見過ごしておりました。
見逃しておりました。

は可能だが、<お見それしました> という言い方の代替はダメだ。 <見それる>のは発話者だが、<見それる>の連用形の体言化<見それ>に<お>がついている変な言い方だ。

お見過ごし
お見逃し

は相手のことを言っていて、<お>は理にかなっている。

 

さて、以上は最近よく見ている中国のドラマ (一種のドタバタ劇) で <不知泰山>という字が字幕に出てきて、意味がよく分からないのでチェックしてみた。

Baidu。 Baike に詳しい解説がある。 本来は

有眼不识 (識) 泰山(拼音:yǒu yǎn bù shí tài shān)

で、

目があっても泰山を知らない、知らなかった、泰山が見えなかった。 

といった意味だ。 


中国のドラマ (一種のドタバタ劇) ではほとんど<相手の才能、手腕 >ではなく、高い経済的地位 (大金持ち、大富豪) に気づかないでいたこと、そしてそれが分かった時に深くわびる>場面に限らている。

有眼不识は<見れども見えず>とも言える。<不知泰山>の日本語版は<富士山が見えなかった>とでもなるか。


sptt

 


Tuesday, November 19, 2024

ずうずうしい(図図しい)、厚かましい、恥知らず

 <ずうずうしい(図図しい)>、<厚かましい>、<恥知らず>は似たようだが、微妙に違う。語源をチェックしてみると

<ずうずうしい(図図しい)>は意図の<図>、図 (はか) りごとの<図り>が関連しているようだが、よくわかっていない。

その昔<ずうずうしい奴>とかいうテレビドラマがあって、主人公はその<ずうずうしさ>で出世していく、少なくとも金持ちになっていく、といった内容だったような記憶がある。

<厚かましい>は厚顔無恥の厚顔の<厚い>で、<面の皮が厚い>という言い方もある。

<恥知らず>は文字通り<恥を知らない>、<恥じることを知らない>、<恥をかえりみない>。

<ずうずうしい(図図しい)>は恥の意識が一番薄く、恥の意識がないと言ってもいい。

<厚かましい>は厚顔無恥が関連しているが、<無恥>がない分、恥の意識が薄いが、まったくないわけではない。

 

さて、以上は最近よく見ている中国のドラマ (一種のドタバタ劇) で <不要脸>という字が字幕に出てきて、意味がよく分からないのでチェックしてみた。

<不要>は普通<xx(不要xx(動詞)>で<xxするな>だが、脸は頬 (ほほ)、面 (つら) のことで動詞ではない。また脸は往々にして面子 (メンツ) のことだ。<不要脸>の<不要>は<不必要>のことだ。つまりは<面子など必要とせずに>、<面子なしで>の意となる。

Baidu では

不要脸

释义 
不顾面子,不知羞耻
 
示例
偷窃还诬指他人,简直是不要脸的行为。

偷窃 [tōu qiè](或盗窃偷盗),是基于自己或第三人的无正当权利占有(包括管领、支配、处分等),而擅自取走他人财产的行为,是违反社会道德规范,法律上,偷窃也是刑法规定的刑事犯罪行为。作出这个行为的人被称为“小偷”、“窃贼”等。

诬指:诬指是一个汉语词语,读音是wū zhǐ,指无中生有地指控。<でっちあげ>のことか。<诬>は誣告 (誣告、ぶこく) の誣。

释义では<面子>、<羞耻>が出て来るが、例文からすると<不要脸的行为>に恥の意識は薄く、<ずうずうしい>に似ている。

  

sptt

 

 

Friday, November 8, 2024

月光仮面、ハリマオ、少年探偵団の主題歌

 月光仮面、ハリマオ、少年探偵団は、今は昔、テレビが一般家庭にも普及し始めたころの男の子向けのテレビ番組。一部は暗唱できるが、主題歌をチェックしてみた。どうということもないのだが、特に月光仮面の主題歌が暗唱してみるとイマイチなので気になっていた。

月光仮面 

どこの誰かは 知らないけれど
誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは
正義の味方よ よい人よ
疾風のように 現われて
疾風のように 去って行く
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう

どこかで不幸に 泣く人あれば
かならずともに やって来て
真心こもる 愛の歌
しっかりしろよと なぐさめる
誰でも好きに なれる人
夢を抱いた 月の人
月光仮面は 誰でしよう
月光仮面は 誰でしょう

どこで生まれて 育ってきたか
誰もが知らない なぞの人
電光石火の はやわざで
今日も走らす オートバイ
この世の悪に 敢然と
戦い挑んで 去って行く
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしよう

一部を暗唱できるのは1番だけで、2番、3番は記憶にない。1番で気になるのは

月光仮面の おじさんは
正義の味方よ よい人よ

の<おじさん>と<よいひとだ>。 小さなこどもにとっては<おじさん>かもしれないが<にいさん、兄さん>の方がいいだろう。敏捷そうだし友だち親近感がある。<よい人>は一般的すぎる。3番に

この世の悪に 敢然と
戦い挑んで 去って行く

があるので<強い人> がよさそうだが、4音節になって字余りになる。だが歌詞は<よい人よ>の4音節で<よ>をつけなければ問題ない。この箇所2番では<月の人>、3番では<なぞの人>となっている。書き換えると

 月光仮面の にいさんは
正義の味方よ 強い人

となる。

疾風のように 現われて
疾風のように 去って行く

はリフレーンと対句で、わるくない。 

ーーーーー

快傑ハリマオの歌

まっかな太陽 燃えている
果てない南の 大空に
とどろきわたる 雄叫びは
正しい者に 味方する
ハリマオ ハリマオ
ぼくらのハリマオ

天地鳴らし 吹きまくる
あらしのなかも まっしぐら
どとうも岩も うちくだき
かちどきあげて 押しすすむ
ハリマオ ハリマオ
ぼくらのハリマオ

空のはてに 十字星
きらめく星の そのように
七つの海を かけめぐり
正義に結ぶ この勝利
ハリマオ ハリマオ
ぼくらのハリマオ
 
 
これも1番の一部しか暗唱できない。特に2番の
 
天地鳴らし 吹きまくる
あらしのなかも まっしぐら
どとうも岩も うちくだき
かちどきあげて 押しすすむ

動的でいい。

3番の
 
きらめく星の そのように
七つの海を かけめぐり
 
 
きらめく星 (十字星) のように
(ハリマオは)七つの海を かけめぐり
 
という意味だろうが<星がかけめぐる>は想像しがたい。また<そにように>も何か翻訳調だ。<七つの海を かけめぐり>は動的でいいので、代えがたい。一方、星は静的だ。
 
きらめく星を  仰ぎ見て
七つの海を かけめぐり
 
としたらどうか?

 
全般的には勇ましい歌詞で、特に<とどろきわたる 雄叫びは>と<かちどきあげて 押しすすむ>は<音響効果>がある。
 
ーーーーー
 
少年探偵団
 
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
勇気りんりん るりの色
望みにもえる 呼び声は
朝焼け空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
力ようよう 海の色
胸も高鳴る 呼び声は
まひるの空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
知恵は七色 虹の色
夢もふくらむ 歌声は
夕焼け空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
誓いはかたく 鉄の色
あしたをめざす 歌声は
月夜の空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団 
 
 
1番と2番は漢語がいくつか使われ<勇気りんりん るりの色>、<力ようよう 海の色>

は意味が分かりにくい。

< 勇気りんりん>は勇気凛凛。

「凛凛」は勇ましく勢い盛んなさま。 りりしいさま。

<るりの色>は<瑠璃の色>で

紫色を帯びた濃い青色。 2.濃い浅葱 (あさぎ) 色 

だが、歌詞からすると<勇気がるり色>となりそうだが、どういう意味か?

 <力ようよう>は

力洋々海の色

というい漢字歌詞もある。<洋々たり>で

があふれるばかりに満ちているさま。広々と広がっているさま。「—たる大海

希望満ちているさま。「—として未来広がる」「前途—たる青年

盛んであるさま。

ということだ。

ここでまた<海の色>と色が出てくるが、これは<力が海の色>といことか?あるいは、上の疑問と合わせて、少年探偵団が<るり色>、<海の色>ということか>? 3番では

知恵は七色 虹の色

4番では

誓いはかたく 鉄の色

とあるので、 

1番 ー 勇気がるり色、2番 力が海の色

 なのだろう。<知恵は七色 虹の色>、<誓いはかたく 鉄の色>はなんとかなるが、<勇気凛凛 るりの色>、<力洋々 海の色>はよくわからない。色にこだわりすぎている。何か特別の理由があるのか?

また

1番 呼び声は 朝焼け空に こだまする
2番 呼び声は まひるの空に こだまする
3番 歌声は 夕焼け空に こだまする
4番 歌声は 月夜の空に こだまする

と対句、リフレーンが織り込まれている。3番の

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
知恵は七色 虹の色
夢もふくらむ 歌声は
夕焼け空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

が一番いい。

少年探偵団は歌以外はほとんど記憶がない。歌は勇ましすぎるような気がする。1番、2番はハリマオのようだ。

 

sptt

自暴自棄のやまとことば ー 腐 (くさ) る、腐り込む、やけっぱち

 

漢語の<自暴自棄>を簡易ネット翻訳でチェックすると

自分自身をあきらめる

という翻訳調の日本語が出てきた。やや詳しいネット辞典では、原典を示した解説で

https://www.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E6%9A%B4%E8%87%AA%E6%A3%84



自暴自棄(じぼうじき)とは、意図した通り結果にならず失望し自分を駄目なものだと考えて先のことを考えない行動をとることである。

自暴自棄の由来

自暴自棄は、中国戦国時代儒学者孟子語った言葉由来する

 ”

だが、普通<自暴自棄>、あるいは<自暴自棄になる>であれば<先のことを考えない行動をとる>まではいかないだろう。すなわち
 
自暴自棄:意図したとおりの結果にならず失望し、自分を駄目なものだと考える。あるいは上の自分自身をあきらめる>でいいだろう。<先のことを考えない行動をとる>まで行かないとして、やまとことばをチェックしてみた。代表は

腐 (くさ) る、腐り込む

だろう。 <腐る>の原意は腐敗する。食べ物が<腐る>と食べられなくなり、変形したり、色が変わったり、悪臭を放ったりし、基本的に食べられなくなるひどい状態だ。

<腐る、腐り込む>以外では

落ち込む
沈み込む
へこむ、へ込む(凹む)
閉じこもる (籠る)
引き籠 (こも) る(引き籠って出てこない)
弱り込む

の<xx込む>、<xx籠る>動詞が多い。 <込む>は<xxの中に入(はい) る>だが、上記の動詞、複合動詞の例は、それだけでなく、<中に入って出てこない>の意が加わっている。

<xx込む>、<xx籠る>以外では、<意図したとおりの結果にならず失望し、自分を駄目なものだと考える>は<行き詰まり>状態とも言え<xxつまる>、<xxつめる>もチェックしてみた。

行き詰 (づま) る

<xxきる>、<xxきれる>は<xx込む>、<xx込める>と並んで多義語だが、限界を示す言葉がある。

あきらめきる
切れる(緊張がない)
閉めきる
疲れきる

前回のポスと ” <静まりかえる>と<湧 (わ) きかえる>“ で取り上げた

困りかえる  困りきる、困り込む、困りはてる   
しょげかえる  しょげきる、 しょげ込む
よわりかえる  よわりきる、よわり込む、よりはてる、(よわり上がる)

も同類だ。

 

<やけっぱち>、<やけくそ>という口語がある。こちらの方は多分に<先のことを考えない行動をとる>が含まれている。

もうやけっぱちだ、. . . . . 
もうやけくそだ、. . . . .  

 

sptt

 

Thursday, November 7, 2024

<静まりかえる>と<湧 (わ) きかえる>

 <静まりかえる>と<湧 (わ) きかえる>を比較してみる。

静まりかえる ー すっかり、まったく 静まっている。

湧 (わ) きかえる ー この通りは多くの人で、すごく、ひどく 湧いている
        ー 湯が、すごく、必要以上に、沸 (わ) いている

<湧く>、<沸く>と書き、読み分けているが<<わく>とひらがなで書き、あるいは耳で<わく>と聞けばこの<書き、読み>分けはなくなる。

内容的には<静まる>と<湧く>で反対の内容だ。<かえる>は動詞だが、複合動詞<静まり+かえる> 、<わき+かえる>の後半の動詞。前半の<静まる>、<わく>を主動詞とすれば。<かえる>はいわば副動詞、補助動詞。この<かえる>は" 強調 " の副詞のような働きで、上記にような意味になる。だが、" 強調 "というのは時にあいまいで、言葉の説明にはできるだけ使わない方がいい。 " 強調 " というこで済ましてしまい、意味の掘り下げに進まないのだ。" 強調 の副詞 " はけっこうある。

すっかり、静まっている
まったく、静まっている

すごく、湧いている
ひどく 湧いている

その他、たいへん、確かに、まさに。

一方、" 強調 " の副詞のような働きをする複合動詞用の<副動詞、補助動詞>もけっこうある。例えば

xxきる(切る)
xx込む
xxはてる
xxあがる

静まりきる
静まり込む
静まりはてる
静まり上がる 

<静まり上がる >が少し変だが、その他はOKだろう。<静まり上がる >がおかしいのは<静む>、<沈む>に<上がる>はつきずらい。<湧く>の方は

湧ききる
湧き込む
湧きはてる
沸き上がる

で, 今度は<湧ききる>、<沸き上がる>はいいがその他は変だ。<込む>は基本的に<中に入 (はい) る >、<果てる>は基本的に<終わる>なので<どんどん湧いて出てくる>にそぐわない。<湧ききる>の<きる>は後で出て来る<込む>に似て、多義の複合動詞用の<副動詞、補助動詞>で、<切る>とすると<終わる、終える>というような意味もあるが、ここは<すっかり、まったく、すごく、ひどく>などの " 強調 "としておく。別途くわしく検討予定。

<しっかり>、<すっかり>の意の " 強調 " の副詞のような働きをする複合動詞用の<副動詞、補助動詞>の<込む>がつく言葉はやたら多い。意味が成り立てばいくらでもあるといっていい。


老い込む
探 (さが) し込む
締 (し) め込む
黙り込む
漬け込む
煮込む
寝込む
眠り込む
磨 (みが) き込む
ふさぎ込む
ほれ込む
弱り込む


sptt

Tuesday, November 5, 2024

悲観的、ネガティブな<込む>、<籠 (こも) る>

 

最近<込む>、<込める>をいろいろ調べているが、おもしろい言葉だ。複合動詞の構成動詞として、まさにいろいろある。どこかで書いたが<込む>、<込める>、<籠 (こも) る> 、<こまる>はどこかで通じるところがある。<込む>、<込める>の複合動詞は、実際いくらでもあるといってもいいのだが、<込む>、<込める>の基本的な意味から悲観的、ネガティブな複合動詞グループがある。<こもる>も含めてアイウエオ順に並べてみると

老い込む
落ち込む
こまり込む
沈 (しず) み込む
しめり込む
しょげ込む   
だまり込む
だれ込む
引っ込む
へ込む
へたり込む
負け込む
弱り込む
割り込む <割って、押しのけて入 (はい) る<以外に、<ある水準、基準を下回る>の意がある 
ーーーーー
閉じこもる
引きこも)る 

上の<xx込む>はそこそこあるが、<込む> の多数派ではない。<込む>は自動詞で、基本的には<xxの中lに入 (はい) る、せまい限られた場所にの中lに、場合によっては無理して、入 (はい) る>の意がある。英語で言えば< in、into>

忍び込む
逃げ込む
もぐり込む
乗り込む

ーーーーー

限られた場所にの中に入り込むと、周り、世間から隔離される。開放的でないのだ。これが悲観的、消極的、ネガティブになる理由だろう。反対に開放的なのは<出る、out、開く、open>、積極的、ポジティブなのは<上がる、up>だ。

<出る>は<込む>と並んで複合動詞の重要構成動詞でいろいろ活躍する。

あふれ出る
浮き出る
生 (うま) れ出る
躍 (おどり) り出る
進み出る
抜け出る
走り出る
萌 (も) え出る

ーーーーー
浮き上がる  <ー> 沈み込む
勝ち上がる <ー> 負け込む
立ち上がる    座り込む
のぼり上がる <ー> 落ち込む
立ち上がる    座り込む
舞い上がる    <舞い込む>は別物

ーーーーー

ところで、上の<xx込む>は<xxはてる>で置き換えられるものがある。

老いはてる
こまりはてる
へたりはてる
弱りはてる

 <xxはてる>は<>より程度が進んでいるか。

その他では

疲れ果てる

 

sptt


 

 

Sunday, November 3, 2024

<販売計画>のやまとことば

 

<販売計画>のやまとことばは<売り見込み>。 

<販売計画>はは売上げ、利益重視の一般的な会社では、重要な働きをする。そこそこの規模の会社になると販売部門では<販売計画、販売予想>、生産部門では<生産計画>がある。この<販売計画>、<生産計画>が達成できないと<ゆゆしき>問題となり、販売担当重役、販売部長、生産部長、さらには時に社長の進退にかかわってくることもある重要なものだ。特に景気の悪い時の担当重役、担当部長にしてみれば頭が痛い問題。

さて、 <計画、予想>はやまとことばでは<見込み>が相当し、<販売計画>は<売り見込み>。<売り見込み>は書面や電子資料ではあまり使われないが、<販売見込み>が使われることはある。また口語では<売り見込み>も意識せずに使われる。

<見込み>は<もくろみ>、さらには言葉は悪いが<当て込み>、<決め込み>、<思い込み>に相当し、元来<当てにならない>代物だ。これに振り回されていることになる。<販売計画>の代わりに、やまとことばの<売り見込み>を正式に使ったらどうか。<売り見込み>にはあまり権威や責任が感じられず、聞く、見る方が<当て込み>、<決め込み>、<思い込み>と取れば、頭が痛い問題が軽減されるのでないか。<込む>が重複するが<売り込み見込み>とすれば、頭が痛い問題がさらに軽減されるだろう。

 

sptt

 

Saturday, November 2, 2024

<買い込む>と<売り込む>

 

<買い込む>は<買い入れる>。<込む>の意を強調すると<買い入れて、限られた場所にためておく>といった意味だ。

この意味(入れて、限られた場所にためておく>)では

抱 (かか) え込む
囲い込む
ため (貯め、溜め) 込む
包み込む
閉じ込める
取り込む  <取り入れる>には><ためておく>の意味が薄い。

さらに、少し意味を広げて、<入って、限られた場所にとどまる>を加えると

上がり込む
住み込む
座り込む
泊まり込む

などがある。

一方<売り込む>に<込む>、<込める>の<入れる、in) > の意は全くない。<売り込む>の<込む>は<むりやり(に)xxする>の意の強調。 この<売り込む>に似た<込む>、<込める>では

追い込む
押し込む、押し込める
覚え込む、覚え込ませる
閉じ込める
詰め込む   詰め込み教育
流し込む
ねじり込む
はめ込む
やりこめる
割り込む

などがある。

 

sptt

 

Friday, October 18, 2024

導出についてー2 Inference、引き出し

 

このブログ<やまとこばじてん>は2012年に <導出について>というタイトルのポストで始まっている。読み返してみると、<導出>という聞きなれない語は英語の derivation の訳語で、意味は<導き出し>のようだが、<導き出し>自体聞きなれないやまとことばだ。

というようなことを書いている。 

さて、時間は12年もたっているが、最近<AI>関連の英文記事で inference という言葉に出くわした。

to confer - conference
to differ - difference
to offer
to prefer - preference
to refer - reference
to transfer

という<xx fer>語はなじみがあるが

to infer - inference

は初めての出会いなので調べてみた。簡単な英英辞典では

noun
 
a conclusion reached on the basis of evidence and reasoning.
 
"researchers are entrusted with drawing inferences from the data"
synonyms: deduction, conclusion, reasoning, conjecture, speculation, surmise, thesis, theorizing, hypothesizing, presumption, assumption, supposition, reckoning, extrapolation, reading between the lines, guesswork, guessing, guesstimate, ratiocination

かなりの類語数だ。また簡単な英日辞典では

https://ejje.weblio.jp/content/inference

推論、推理、推論されたもの、推定、結論

やや詳しい解説では

  実用日本語表現辞典

 https://www.weblio.jp/content/inference

「inference」とは、観察情報から結論導き出すことを指す。論理的な推論帰結意味しデータ事実基づいて判断下すプロセスである。科学数学哲学などの分野でよく用いられる概念であり、問題解決意思決定において重要な役割を果たす。 

とある。したがって Inference はかなり<導出>、<導き出し>の意に近い。上の解説では<観察や情報から結論を導き出すことを指す>とある。またもっと普通の<ひきだす、引き出す>でもいい。名詞形の<ひきだし、引き出し>は<箪笥や机の引き出し>を連想させるが、<引き出し>は<AI>用語として悪くない。

<データや事実に基づいて判断を下すプロセスである>は大いに<AI>と関連がある。derivation とはかなり意味が違い、<derivation = 導出>は間違いだろう。<derivation>も <導出>ではなく<引き出し>でもいいがこちらの方は<由来>、やまとことばの<でどころ>の方がいい。

 

さて、この AI 関連の記事にも出てくるが、LLMというのがある。

大規模言語モデル(英: large language modelLLM

言語関連なので興味があるが、解説を読むと専門用語や数式が出てきて、理解が難しく、今のところお手上げ状態だ。 

 

追加

上記以外にも<xx fer>語がある。

https://www.dictionary.com/

defer

Origin of defer1

First recorded in 1325–75; Middle English deferen, differren “to delay”; defer 2 differ

Origin of defer2

First recorded in 1400–50; late Middle English deferren, from Latin dēferre “to carry from or down, report, accuse,” equivalent to dē- “from, away from, out of” + ferre “to carry”; de-, bear 1

suffer

Origin of suffer1

First recorded in 1200–50; Middle English suff(e)ren, from Latin sufferre, from suf- suf- ( def ) + ferre “to bring, carry”; compare Old French sofrir, from Vulgar Latin sufferīre (unrecorded); bear 1( def ), -phore ( def )

これからすると<xx fer>の< fer>は

“to bear, bring, carry” が原意。Latin ferre “to bear, bring, carry”。やまとことばで言えば

持つ、もたらす、さし出す、持ち出す、持ち運ぶ

to offer (オファー) さし出す、ささげる

to confer - ともに持ち出すー>会議をする
to prefer - 先に持ち出す ー>xxょりyyを好む
to refer - reference

<to refer>今は<参考にする>だが、もとは、

Origin of refer1

First recorded in 1325–75; Middle English referren, from Latin referre “to bring back,” from re- re- + ferre “to bear, bring, carry”; bear 1

で<もどす>、<持ち帰る>。<return>の<re->だ。これがどうして<参考にする>の意になったのか?

<to differ> もかなり複雑。

Origin of differ1

First recorded in 1325–75; Middle English differren “to distinguish,” from Middle French differer “to put off, distinguish,” Latin differre “to bear apart, scatter, be different,” from dif- dif- + ferre “to bear, bring, carry”


一方まぎらわしいが

interfere

Origin of interfere1

First recorded in 1520–30; inter- + -fere (from Latin ferīre “to strike”); modeled on Middle French s'entreferir

はもとが Latin ferīre “to strike” で異なる。

 

sptt 


 

Wednesday, October 16, 2024

鳴かず飛ばず、低調

 

<低調>はやまとことばではないが、最近携帯で見ている中国の現代メロドラマで<低調>という二字が中国語の字幕に出てきた。どうも日本語の低調とは意味が違うので調べてみた。日本語の低調は

最近の株式市場は低調に推移している。
巨人軍は昨年は好調 (高調ではない) だったが、今年は低調だ。 

のように使う。

日本語Wiki辞典では


調 (ていちょう)

  1. 調子が低いこと。
  2. 調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと。
  3. 内容が不十分であること。
  4. 盛り上がりに欠けること。

対義語

 ”

とある。低調の意味では、例文のように、2番目の<調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと>や4番目の<盛り上がりに欠けること>の意での使用頻度が高いだろう。この低調の意味では<鳴かず飛ばず>という慣用語がある。<高調>はほとんど使われない。英語の low key は少し意味が違い、これから出てくる中国語の低調の意味に近い。日本語では low key の直訳と思われる<低調>と<ローキー>は使い分けられている。

一方簡単な日本人向け中国語ネット辞典では

低調 (中国語) =目立たない

が出てくる。<調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと>、<盛り上がりに欠けること>、<鳴かず飛ばず>と<目立たない>は意味は似ているが、日本語と中国語では意味にズレ、違いがあるので<要注意>語だろう。また中国語の方は一般に人の形容で形容詞で使われるようだ。

中国語の低調の方は<目立たない>というよりは<(自分を) 目立たなくする>。より正確には<身分や地位が高いのを隠して目立たなくする>の意だ。<ひかえめ>、<さしひかえる>、謙虚が類語だが<能ある鷹は爪を隠す>という諺も中国語の<低調>に近い。<できる (能はある) が、鳴かず飛ばず、目立たない ようにしておく>が<能ある鷹は爪を隠す>だ。

さて中国の現代メロドラマの方だが、役者やストーリが少し違うバリエイションがあるが、基本的には同じようなパターンで

大金持ち、大富豪の御曹司で大会社の青年社長 (总裁で、<xx总>と呼ばれる) と普通の家庭の娘の恋愛劇。御曹司は美人で善良な普通の家庭の娘と<ひょんな>ことから出会い、御曹司はその<低調>な性格から素性を隠している。そしてある事情からすぐに結婚してしまう。一方御曹司には小さいころにすでに親が決めた婚約者がいて、こちらの方は御曹司の家庭の金と世間的地位を目当てにしている。そしてそこそこの金持ち、社会的地位の家庭の令嬢で、こちらの方は低調ではななくひけらかし屋。御曹司が素性を隠していることからいろいろ矛盾や不具合が出現してきてドタバタ劇的にストーリーが進む。

 

sptt

 


Friday, October 11, 2024

うしろめたい(中国語との比較)

<うしろめたい>はいかにもやまとことばの響きがあるが、意味内容は複雑だ。<良心の呵責>とか<罪の意識>の意で解釈していた。最近中国の現代メロドラマを携帯で見ているが、中国語の字幕がでるので、最近は1/3くらいは筋を追えるようになった。幸い話はパターン化していて、そのうち飽きてしまうのではないかと思っているが、現代中国語の勉強として見ている。耳で聞いてわかるのは簡単な日常会話レベルの言い回しくらいで、字幕を追わないと筋が追えない。

最近<心虚>という語に字幕で出くわした。発音は xīn xū だが耳で聞いたのでは、普通のスピードで話すので聞き取るのはムリ。ネット辞書で調べてみると

baike.baidu は医学用語の解説は詳細だが、日常用語としての解説は簡単。


1. 做错了事,怕人知道或拆穿而内心不安:做贼心虚。
2.心里没把握,缺乏自信心:这活儿我没干过,真有点儿心虚。

1も2も<良心の呵責>とか<罪意識>の意はない。


台湾辞典では

https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=108846&la=0&powerMode=0


心虚
xīnxū

  1. 自知理虧而內心害怕不安。後略
  2. 謙虛不自滿。《列子.仲尼》:「南郭子貌充心虛。耳無聞,目無見,口無言,心無知,形無惕。往將奚為。」後略
  3. 中醫泛指心臟的氣血不足,容易心悸、短氣、健忘、胸悶、盜汗等。亦稱某些心律不整、神經衰弱的症狀為「心虛」。

1は baike.baidu の1とほぼ同じ。

2は <虚心坦懐>の<虚心>に通じる。列子からの例文 (謙虛不自滿) があるので、古い意味での<心虚>だ。

3は中国医学での解説。 これも古い意味での<心虚>だろう。

英語入りの解説では

https://www.zdic.net/hans/%E5%BF%83%E8%99%9A

心虚 xīnxū

(1) [afraid of being found out; with a guilty conscience]∶ 做错了事或坏事怕人知道
(2) [lacking in self-confidence; diffident]∶ 缺乏自信

 ここで英語の方では1で guilty conscience (良心の呵責、罪意識) が出てくるが、中国語の方は上の二つの中国語辞典の1と同じだ。これはどうしたことか?

この種のメロドラマでよく出てくる心理、感情の言葉は欺负 (qīfu) と委屈 (wěi qu)。

 欺负 (qīfu) は

いじめ、いじめる。(これは行為だが<いじめられる>とすれば心理、感情の言葉になる)

委屈 (wěi qu) は

(不当な仕打ちに対して)不満である,無念である,残念である,くやしい,やりきれない。

メロドラマは欺负 (qīfu) と委屈 (wěi qu) を中心に進んで行き、勧善懲悪で<いじめた>者が制裁を受け、不当な扱いを受けた者が助けられる。こういうドラマを見ていると中国人は<良心の呵責>とか<罪の意識>が薄いのではないか思う(昔からそう思っている)。

 さて<うしろめたい>だが、日本語のネット辞典でチェックしてみると、簡単な辞典では


https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BE%8C%E3%82%8D%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%84/

うしろ‐めた・い【後ろめたい】の解説
[形][文]うしろめた・し[ク]《「後ろ目痛し」からという》

自分に悪い点があって、気がとがめる。やましい。「親友を裏切ったようで—・い」 

自分の目が届かず、不安である。心もとない。気がかりだ。

「我なからむ世など—・し」〈落窪・二〉

  油断がならない。気が許せない。

「是ほど—・う思はれ参らせては」〈平家・二〉

[補説]2原義で、古くはやましい気持ちを含まなかった。
 
 
1からすると、<良心の呵責>とか<罪の意識> のやまとことばには慣用的な<うしろめたい>以外に<気がとがめる>、<やましい>がある。前半の<自分に悪い点があって>は肝心で、中国語の解説ではこれが前面に、表立って出てこない。
 
<やましい>は自動漢字変換では<疚しい>と出てくる。だが中国語の<疚>、これから出てくる<内疚 nèi jiù>の<>には<やましい>の意は薄い。
 
さて中国語に戻ると

1. 做错了事,怕人知道或拆穿而内心不安:做贼心虚。

做错了事:間違いをしたこと
怕:恐れる
人知道:人が知る(ことになる)
拆穿 chāi chuān:1) 嘘を暴く。 2) 事実を明らかにする。 3) 嘘を見抜く。
做贼 zuò zéi: · 释义. 造反;抢劫;剽窃;偷东西(強盗、泥棒などをする)

は日本語辞典の2にやや近いが、かなり違う。 中国語の解説からすると

失敗や悪いことをしても、まず人に知られることが不安なのだ (心が虚と感じる) 。

また、補説のように中国語では元来

心虚はやましい気持ちを含まないのだ。(これは日本語の<うしろめたい>も同じ)

 

<うしろめたい>の語源 

これは複雑で、調べてみたら2018年に ”<うしろめたい>の語源” と続いて ”<うしろめたい>の語源-2” いうポストを書いている。読み返してみると諸説ある。

では<良心の呵責>とか<罪の意識>の意の中国語はないのかというと、相当する言葉はある。第一は<内疚 nèi jiù>。baike.baidu の解説は

内疚 nèi jiù:对一件事情或某个人心里感到惭愧而不安的一种心情。

疚>の第一義は<長期生病 chronic disease>で、第二義として<心の痛み>があるようだが、<良心の呵責>とか<罪の意識>に相当近い意味ではふつうは<内疚>の二語。内疚は小説では出くわしことがあるような気がするが、最近見ているメロドラマではまだ出くわしていいない。

https://zd.hwxnet.com/search/hwxE7hwx96hwx9A.html

 

1.长期生病。
2.忧苦,特指因自己过失而造成的心内痛苦:负疚。内疚。愧疚。歉疚。内省(xǐng )不疚。

chronic disease, sorrow

惭愧は日本語になっている。<ざんき>と発音し<慙愧の念に堪えない>という決まり文句がある。意は<うしろめたい>ではなく<残念>の意に近い。

似たような言葉に<咎>がある。これは疚>と同じ発音jiù>。<咎>は訓読みの大和言葉は<とが>。<気がとがめる>はは自動漢字変換では<気が咎める>と出てくる。中国語で<咎>に出くわしたことはないので、あまり使われないのだろう。

<良心の呵責>とか<罪の意識>の意相当の中国語の第二は<良心>。baike.baidu の<良心>解説は

"

1. [Conscience] ∶ 个人内心的是非感;对自己行为、意图或性格的好坏的认识;同时具有一种做好人好事的责任感,常被认为能引起对于做坏事的内疚和悔恨。

2. [Synderesis]∶对道德行为主要原则的先天知

"

1で個人的な Conscience、内疚が出てくる。2は社会的な道徳色が濃い。

良心>は上で述べてきたメロドラマで時々でてくる。内疚ほど個人的、内面的な感情はないが、その分中国的な<うしろめたい>と言える。

 

sptt