Friday, November 8, 2024

月光仮面、ハリマオ、少年探偵団の主題歌

 月光仮面、ハリマオ、少年探偵団は、今は昔、テレビが一般家庭にも普及し始めたころの男の子向けのテレビ番組。一部は暗唱できるが、主題歌をチェックしてみた。どうということもないのだが、特に月光仮面の主題歌が暗唱してみるとイマイチなので気になっていた。

月光仮面 

どこの誰かは 知らないけれど
誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは
正義の味方よ よい人よ
疾風のように 現われて
疾風のように 去って行く
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう

どこかで不幸に 泣く人あれば
かならずともに やって来て
真心こもる 愛の歌
しっかりしろよと なぐさめる
誰でも好きに なれる人
夢を抱いた 月の人
月光仮面は 誰でしよう
月光仮面は 誰でしょう

どこで生まれて 育ってきたか
誰もが知らない なぞの人
電光石火の はやわざで
今日も走らす オートバイ
この世の悪に 敢然と
戦い挑んで 去って行く
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしよう

一部を暗唱できるのは1番だけで、2番、3番は記憶にない。1番で気になるのは

月光仮面の おじさんは
正義の味方よ よい人よ

の<おじさん>と<よいひとだ>。 小さなこどもにとっては<おじさん>かもしれないが<にいさん、兄さん>の方がいいだろう。敏捷そうだし友だち親近感がある。<よい人>は一般的すぎる。3番に

この世の悪に 敢然と
戦い挑んで 去って行く

があるので<強い人> がよさそうだが、4音節になって字余りになる。だが歌詞は<よい人よ>の4音節で<よ>をつけなければ問題ない。この箇所2番では<月の人>、3番では<なぞの人>となっている。書き換えると

 月光仮面の にいさんは
正義の味方よ 強い人

となる。

疾風のように 現われて
疾風のように 去って行く

はリフレーンと対句で、わるくない。 

ーーーーー

快傑ハリマオの歌

まっかな太陽 燃えている
果てない南の 大空に
とどろきわたる 雄叫びは
正しい者に 味方する
ハリマオ ハリマオ
ぼくらのハリマオ

天地鳴らし 吹きまくる
あらしのなかも まっしぐら
どとうも岩も うちくだき
かちどきあげて 押しすすむ
ハリマオ ハリマオ
ぼくらのハリマオ

空のはてに 十字星
きらめく星の そのように
七つの海を かけめぐり
正義に結ぶ この勝利
ハリマオ ハリマオ
ぼくらのハリマオ
 
 
これも1番の一部しか暗唱できない。特に2番の
 
天地鳴らし 吹きまくる
あらしのなかも まっしぐら
どとうも岩も うちくだき
かちどきあげて 押しすすむ

動的でいい。
 
勇ましい歌詞で、特に<とどろきわたる 雄叫びは>と<かちどきあげて 押しすすむ>は<音響効果>がある。
 
ーーーーー
 
少年探偵団
 
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
勇気りんりん るりの色
望みにもえる 呼び声は
朝焼け空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
力ようよう 海の色
胸も高鳴る 呼び声は
まひるの空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
知恵は七色 虹の色
夢もふくらむ 歌声は
夕焼け空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
誓いはかたく 鉄の色
あしたをめざす 歌声は
月夜の空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団 
 
 
1番と2番は漢語がいくつか使われ<勇気りんりん るりの色>、<力ようよう 海の色>

は意味が分かりにくい。

< 勇気りんりん>は勇気凛凛。

「凛凛」は勇ましく勢い盛んなさま。 りりしいさま。

<るりの色>は<瑠璃の色>で

紫色を帯びた濃い青色。 2.濃い浅葱 (あさぎ) 色 

だが、歌詞からすると<勇気がるり色>となりそうだが、どういう意味か?

 <力ようよう>は

力洋々海の色

というい漢字歌詞もある。<洋々たり>で

があふれるばかりに満ちているさま。広々と広がっているさま。「—たる大海

希望満ちているさま。「—として未来広がる」「前途—たる青年

盛んであるさま。

ということだ。

ここでまた<海の色>と色が出てくるが、これは<力が海の色>といことか?あるいは、上の疑問と合わせて、少年探偵団が<るり色>、<海の色>ということか>? 3番では

知恵は七色 虹の色

4番では

誓いはかたく 鉄の色

とあるので、 

1番 ー 勇気がるり色、2番 力が海の色

 なのだろう。<知恵は七色 虹の色>、<誓いはかたく 鉄の色>はなんとかなるが、<勇気凛凛 るりの色>、<力洋々 海の色>はよくわからない。色にこだわりすぎている。何か特別の理由があるのか?

また

1番 呼び声は 朝焼け空に こだまする
2番 呼び声は まひるの空に こだまする
3番 歌声は 夕焼け空に こだまする
4番 歌声は 月夜の空に こだまする

と対句、リフレーンが織り込まれている。3番の

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
知恵は七色 虹の色
夢もふくらむ 歌声は
夕焼け空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

が一番いい。

少年探偵団は歌以外はほとんど記憶がない。歌は勇ましすぎるような気がする。1番、2番はハリマオのようだ。

 

sptt

自暴自棄のやまとことば ー 腐 (くさ) る、腐り込む、やけっぱち

 

漢語の<自暴自棄>を簡易ネット翻訳でチェックすると

自分自身をあきらめる

という翻訳調の日本語が出てきた。やや詳しいネット辞典では、原典を示した解説で

https://www.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E6%9A%B4%E8%87%AA%E6%A3%84



自暴自棄(じぼうじき)とは、意図した通り結果にならず失望し自分を駄目なものだと考えて先のことを考えない行動をとることである。

自暴自棄の由来

自暴自棄は、中国戦国時代儒学者孟子語った言葉由来する

 ”

だが、普通<自暴自棄>、あるいは<自暴自棄になる>であれば<先のことを考えない行動をとる>まではいかないだろう。すなわち
 
自暴自棄:意図したとおりの結果にならず失望し、自分を駄目なものだと考える。あるいは上の自分自身をあきらめる>でいいだろう。<先のことを考えない行動をとる>まで行かないとして、やまとことばをチェックしてみた。代表は

腐 (くさ) る、腐り込む

だろう。 <腐る>の原意は腐敗する。食べ物が<腐る>と食べられなくなり、変形したり、色が変わったり、悪臭を放ったりし、基本的に食べられなくなるひどい状態だ。

<腐る、腐り込む>以外では

落ち込む
沈み込む
へこむ、へ込む(凹む)
閉じこもる (籠る)
引き籠 (こも) る(引き籠って出てこない)
弱り込む

の<xx込む>、<xx籠る>動詞が多い。 <込む>は<xxの中に入(はい) る>だが、上記の動詞、複合動詞の例は、それだけでなく、<中に入って出てこない>の意が加わっている。

<xx込む>、<xx籠る>以外では、<意図したとおりの結果にならず失望し、自分を駄目なものだと考える>は<行き詰まり>状態とも言え<xxつまる>、<xxつめる>もチェックしてみた。

行き詰 (づま) る

<xxきる>、<xxきれる>は<xx込む>、<xx込める>と並んで多義語だが、限界を示す言葉がある。

あきらめきる
切れる(緊張がない)
閉めきる
疲れきる

前回のポスと ” <静まりかえる>と<湧 (わ) きかえる>“ で取り上げた

困りかえる  困りきる、困り込む、困りはてる   
しょげかえる  しょげきる、 しょげ込む
よわりかえる  よわりきる、よわり込む、よりはてる、(よわり上がる)

も同類だ。

 

<やけっぱち>、<やけくそ>という口語がある。こちらの方は多分に<先のことを考えない行動をとる>が含まれている。

もうやけっぱちだ、. . . . . 
もうやけくそだ、. . . . .  

 

sptt

 

Thursday, November 7, 2024

<静まりかえる>と<湧 (わ) きかえる>

 <静まりかえる>と<湧 (わ) きかえる>を比較してみる。

静まりかえる ー すっかり、まったく 静まっている。

湧 (わ) きかえる ー この通りは多くの人で、すごく、ひどく 湧いている
        ー 湯が、すごく、必要以上に、沸 (わ) いている

<湧く>、<沸く>と書き、読み分けているが<<わく>とひらがなで書き、あるいは耳で<わく>と聞けばこの<書き、読み>分けはなくなる。

内容的には<静まる>と<湧く>で反対の内容だ。<かえる>は動詞だが、複合動詞<静まり+かえる> 、<わき+かえる>の後半の動詞。前半の<静まる>、<わく>を主動詞とすれば。<かえる>はいわば副動詞、補助動詞。この<かえる>は" 強調 " の副詞のような働きで、上記にような意味になる。だが、" 強調 "というのは時にあいまいで、言葉の説明にはできるだけ使わない方がいい。 " 強調 " というこで済ましてしまい、意味の掘り下げに進まないのだ。" 強調 の副詞 " はけっこうある。

すっかり、静まっている
まったく、静まっている

すごく、湧いている
ひどく 湧いている

その他、たいへん、確かに、まさに。

一方、" 強調 " の副詞のような働きをする複合動詞用の<副動詞、補助動詞>もけっこうある。例えば

xxきる(切る)
xx込む
xxはてる
xxあがる

静まりきる
静まり込む
静まりはてる
静まり上がる 

<静まり上がる >が少し変だが、その他はOKだろう。<静まり上がる >がおかしいのは<静む>、<沈む>に<上がる>はつきずらい。<湧く>の方は

湧ききる
湧き込む
湧きはてる
沸き上がる

で, 今度は<湧ききる>、<沸き上がる>はいいがその他は変だ。<込む>は基本的に<中に入 (はい) る >、<果てる>は基本的に<終わる>なので<どんどん湧いて出てくる>にそぐわない。<湧ききる>の<きる>は後で出て来る<込む>に似て、多義の複合動詞用の<副動詞、補助動詞>で、<切る>とすると<終わる、終える>というような意味もあるが、ここは<すっかり、まったく、すごく、ひどく>などの " 強調 "としておく。別途くわしく検討予定。

" 強調 " の副詞のような働きをする複合動詞用の<副動詞、補助動詞>の<込む>はやたら多い。意味が成り立てばいくらでもあるといっていい。

探 (さが) し込む
締 (し) め込む
漬け込む
煮込む
磨 (みが) き込む
 
老い込む
黙り込む
寝込む
眠り込む
ふさぎ込む
ほれ込む
休み込む
弱り込む

一方、<かえる>はやや限られている。だがおもしろい言葉が少なくない。

あきれかえる  あきれきる、あきれはてる
あふれかえる  あふれきる
いばりかえる
驚きかえる   驚きはてる、驚き上がる

英語で<驚く、驚いている>は to be surprised だが、to be astonished というのもあり、これは<驚きかえる>相当だろう。

うかれかえる   
うだりかえる  うだりかえる暑さ
おごりかえる
恐れかえる  恐れきる、恐れ上がる
おののきかえる
おびかえる   おびえきる、おびえ上がる

悲しみかえる  悲しみきる
乾きかえる   乾ききる
困りかえる   困りきる、困り込む、困りはてる   
こわがりかえる  こわがりきる

しょげかえる  しょげきる、 しょげ込む
すねかえる   すね込む

たまげかえる  <たまげる>は関東方言か? たまげきる
黙りかえる   黙りきる、黙り込む
だらけかえる  だらけきる、だらけ込む
ちぢまりかえる  
ちぢみかえる   ちぢみきる
ちらかりかえる  ちらかりきる、ちらかり込む

疲れかえる   疲れきる、疲れはてる
ときめきかえる

嘆きかえる   嘆ききる
怠 (なま) けかえる  なまけきる、なまけ込む
煮えくりかえる   怒りで (腹が) 煮えくりかえる

冷えかえる   冷えかえる寒さ
へたりかえる  へたりきる
乱れかえる   乱れきる
蒸しかえる   蒸しかえる暑さ 蒸し込む

汚 (よご) れかえる  汚れきる、汚れ込む
喜びかえる
弱りかえる  弱りりきる、弱りり込む、弱りはてる、(弱り上がる)

極度の<恐れ、驚き、喜び、嘆き、悲しみ、乱れ、疲れ>。また絶望的な<、どいしようもない>のニュアンスのものがすくなくない。

 あきれかえる、うだりかえる暑さ、蒸しかえる暑さ、困りかえる、疲れかえる、よわりかえる

絶望的なニュアンスの複合動詞の後半の動詞では<xxはてる>がある。上で取り上げたが

困りはてる
疲れはてる
よわりはてる 

<はてる>は<絶望的なニュアンス>以外の意もあり、けっこうある。おもしろいので、別途取り上げる予定。

 

sptt

Tuesday, November 5, 2024

悲観的、ネガティブな<込む>、<籠 (こも) る>

 

最近<込む>、<込める>をいろいろ調べているが、おもしろい言葉だ。複合動詞の構成動詞として、まさにいろいろある。どこかで書いたが<込む>、<込める>、<籠 (こも) る> 、<こまる>はどこかで通じるところがある。<込む>、<込める>の複合動詞は、実際いくらでもあるといってもいいのだが、<込む>、<込める>の基本的な意味から悲観的、ネガティブな複合動詞グループがある。<こもる>も含めてアイウエオ順に並べてみると

老い込む
落ち込む
こまり込む
沈 (しず) み込む
しめり込む
しょげ込む   
だまり込む
だれ込む
引っ込む
へ込む
へたり込む
負け込む
弱り込む
割り込む <割って、押しのけて入 (はい) る<以外に、<ある水準、基準を下回る>の意がある 
ーーーーー
閉じこもる
引きこも)る 

上の<xx込む>はそこそこあるが、<込む> の多数派ではない。<込む>は自動詞で、基本的には<xxの中lに入 (はい) る、せまい限られた場所にの中lに、場合によっては無理して、入 (はい) る>の意がある。英語で言えば< in、into>

忍び込む
逃げ込む
もぐり込む
乗り込む

ーーーーー

限られた場所にの中に入り込むと、周り、世間から隔離される。開放的でないのだ。これが悲観的、消極的、ネガティブになる理由だろう。反対に開放的なのは<出る、out、開く、open>、積極的、ポジティブなのは<上がる、up>だ。

<出る>は<込む>と並んで複合動詞の重要構成動詞でいろいろ活躍する。

あふれ出る
浮き出る
生 (うま) れ出る
躍 (おどり) り出る
進み出る
抜け出る
走り出る
萌 (も) え出る

ーーーーー
浮き上がる  <ー> 沈み込む
勝ち上がる <ー> 負け込む
立ち上がる    座り込む
のぼり上がる <ー> 落ち込む
立ち上がる    座り込む
舞い上がる    <舞い込む>は別物

ーーーーー

ところで、上の<xx込む>は<xxはてる>で置き換えられるものがある。

老いはてる
こまりはてる
へたりはてる
弱りはてる

 <xxはてる>は<>より程度が進んでいるか。

その他では

疲れ果てる

 

sptt


 

 

Sunday, November 3, 2024

<販売計画>のやまとことば

 

<販売計画>のやまとことばは<売り見込み>。 

<販売計画>はは売上げ、利益重視の一般的な会社では、重要な働きをする。そこそこの規模の会社になると販売部門では<販売計画、販売予想>、生産部門では<生産計画>がある。この<販売計画>、<生産計画>が達成できないと<ゆゆしき>問題となり、販売担当重役、販売部長、生産部長、さらには時に社長の進退にかかわってくることもある重要なものだ。特に景気の悪い時の担当重役、担当部長にしてみれば頭が痛い問題。

さて、 <計画、予想>はやまとことばでは<見込み>が相当し、<販売計画>は<売り見込み>。<売り見込み>は書面や電子資料ではあまり使われないが、<販売見込み>が使われることはある。また口語では<売り見込み>も意識せずに使われる。

<見込み>は<もくろみ>、さらには言葉は悪いが<当て込み>、<決め込み>、<思い込み>に相当し、元来<当てにならない>代物だ。これに振り回されていることになる。<販売計画>の代わりに、やまとことばの<売り見込み>を正式に使ったらどうか。<売り見込み>にはあまり権威や責任が感じられず、聞く、見る方が<当て込み>、<決め込み>、<思い込み>と取れば、頭が痛い問題が軽減されるのでないか。<込む>が重複するが<売り込み見込み>とすれば、頭が痛い問題がさらに軽減されるだろう。

 

sptt

 

Saturday, November 2, 2024

<買い込む>と<売り込む>

 

<買い込む>は<買い入れる>。<込む>の意を強調すると<買い入れて、限られた場所にためておく>といった意味だ。

この意味(入れて、限られた場所にためておく>)では

抱 (かか) え込む
囲い込む
ため (貯め、溜め) 込む
包み込む
閉じ込める
取り込む  <取り入れる>には><ためておく>の意味が薄い。

さらに、少し意味を広げて、<入って、限られた場所にとどまる>を加えると

上がり込む
住み込む
座り込む
泊まり込む

などがある。

一方<売り込む>に<込む>、<込める>の<入れる、in) > の意は全くない。<売り込む>の<込む>は<むりやり(に)xxする>の意の強調。 この<売り込む>に似た<込む>、<込める>では

追い込む
押し込む、押し込める
覚え込む、覚え込ませる
閉じ込める
詰め込む   詰め込み教育
流し込む
ねじり込む
はめ込む
やりこめる
割り込む

などがある。

 

sptt

 

Friday, October 18, 2024

導出についてー2 Inference、引き出し

 

このブログ<やまとこばじてん>は2012年に <導出について>というタイトルのポストで始まっている。読み返してみると、<導出>という聞きなれない語は英語の derivation の訳語で、意味は<導き出し>のようだが、<導き出し>自体聞きなれないやまとことばだ。

というようなことを書いている。 

さて、時間は12年もたっているが、最近<AI>関連の英文記事で inference という言葉に出くわした。

to confer - conference
to differ - difference
to offer
to prefer - preference
to refer - reference
to transfer

という<xx fer>語はなじみがあるが

to infer - inference

は初めての出会いなので調べてみた。簡単な英英辞典では

noun
 
a conclusion reached on the basis of evidence and reasoning.
 
"researchers are entrusted with drawing inferences from the data"
synonyms: deduction, conclusion, reasoning, conjecture, speculation, surmise, thesis, theorizing, hypothesizing, presumption, assumption, supposition, reckoning, extrapolation, reading between the lines, guesswork, guessing, guesstimate, ratiocination

かなりの類語数だ。また簡単な英日辞典では

https://ejje.weblio.jp/content/inference

推論、推理、推論されたもの、推定、結論

やや詳しい解説では

  実用日本語表現辞典

 https://www.weblio.jp/content/inference

「inference」とは、観察情報から結論導き出すことを指す。論理的な推論帰結意味しデータ事実基づいて判断下すプロセスである。科学数学哲学などの分野でよく用いられる概念であり、問題解決意思決定において重要な役割を果たす。 

とある。したがって Inference はかなり<導出>、<導き出し>の意に近い。上の解説では<観察や情報から結論を導き出すことを指す>とある。またもっと普通の<ひきだす、引き出す>でもいい。名詞形の<ひきだし、引き出し>は<箪笥や机の引き出し>を連想させるが、<引き出し>は<AI>用語として悪くない。

<データや事実に基づいて判断を下すプロセスである>は大いに<AI>と関連がある。derivation とはかなり意味が違い、<derivation = 導出>は間違いだろう。<derivation>も <導出>ではなく<引き出し>でもいいがこちらの方は<由来>、<でどころ>の方がいい。

 

さて、この AI 関連の記事にも出てくるが、LLMというのがある。

大規模言語モデル(英: large language modelLLM

言語関連なので興味があるが、解説を読むと専門用語や数式が出てきて、理解が難しく、今のところお手上げ状態だ。 

 

追加

上記以外にも<xx fer>語がある。

https://www.dictionary.com/

defer

Origin of defer1

First recorded in 1325–75; Middle English deferen, differren “to delay”; defer 2 differ

Origin of defer2

First recorded in 1400–50; late Middle English deferren, from Latin dēferre “to carry from or down, report, accuse,” equivalent to dē- “from, away from, out of” + ferre “to carry”; de-, bear 1

suffer

Origin of suffer1

First recorded in 1200–50; Middle English suff(e)ren, from Latin sufferre, from suf- suf- ( def ) + ferre “to bring, carry”; compare Old French sofrir, from Vulgar Latin sufferīre (unrecorded); bear 1( def ), -phore ( def )

これからすると<xx fer>の< fer>は

“to bear, bring, carry” が原意。Latin ferre “to bear, bring, carry”。やまとことばで言えば

持つ、もたらす、さし出す、持ち出す、持ち運ぶ

to offer (オファー) さし出す、ささげる

to confer - ともに持ち出すー>会議をする
to prefer - 先に持ち出す ー>xxょりyyを好む
to refer - reference

<to refer>今は<参考にする>だが、もとは、

Origin of refer1

First recorded in 1325–75; Middle English referren, from Latin referre “to bring back,” from re- re- + ferre “to bear, bring, carry”; bear 1

で<もどす>、<持ち帰る>。<return>の<re->だ。これがどうして<参考にする>の意になったのか?

<to differ> もかなり複雑。

Origin of differ1

First recorded in 1325–75; Middle English differren “to distinguish,” from Middle French differer “to put off, distinguish,” Latin differre “to bear apart, scatter, be different,” from dif- dif- + ferre “to bear, bring, carry”


一方まぎらわしいが

interfere

Origin of interfere1

First recorded in 1520–30; inter- + -fere (from Latin ferīre “to strike”); modeled on Middle French s'entreferir

はもとが Latin ferīre “to strike” で異なる。

 

sptt 


 

Wednesday, October 16, 2024

鳴かず飛ばず、低調

 

<低調>はやまとことばではないが、最近携帯で見ている中国の現代メロドラマで<低調>という二字が中国語の字幕に出てきた。どうも日本語の低調とは意味が違うので調べてみた。日本語の低調は

最近の株式市場は低調に推移している。
巨人軍は昨年は好調 (高調ではない) だったが、今年は低調だ。 

のように使う。

日本語Wiki辞典では


調 (ていちょう)

  1. 調子が低いこと。
  2. 調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと。
  3. 内容が不十分であること。
  4. 盛り上がりに欠けること。

対義語

 ”

とある。低調の意味では、例文のように、2番目の<調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと>や4番目の<盛り上がりに欠けること>の意での使用頻度が高いだろう。この低調の意味では<鳴かず飛ばず>という慣用語がある。<高調>はほとんど使われない。英語の low key は少し意味が違い、これから出てくる中国語の低調の意味に近い。日本語では low key の直訳と思われる<低調>と<ローキー>は使い分けられている。

一方簡単な日本人向け中国語ネット辞典では

低調 (中国語) =目立たない

が出てくる。<調子が悪いこと。物事の進捗が遅いこと>、<盛り上がりに欠けること>、<鳴かず飛ばず>と<目立たない>は意味は似ているが、日本語と中国語では意味にズレ、違いがあるので<要注意>語だろう。また中国語の方は一般に人の形容で形容詞で使われるようだ。

中国語の低調の方は<目立たない>というよりは<(自分を) 目立たなくする>。より正確には<身分や地位が高いのを隠して目立たなくする>の意だ。<ひかえめ>、<さしひかえる>、謙虚が類語だが<能ある鷹は爪を隠す>という諺も中国語の<低調>に近い。<できる (能はある) が、鳴かず飛ばず、目立たない ようにしておく>が<能ある鷹は爪を隠す>だ。

さて中国の現代メロドラマの方だが、役者やストーリが少し違うバリエイションがあるが、基本的には同じようなパターンで

大金持ち、大富豪の御曹司で大会社の青年社長 (总裁で、<xx总>と呼ばれる) と普通の家庭の娘の恋愛劇。御曹司は美人で善良な普通の家庭の娘と<ひょんな>ことから出会い、御曹司はその<低調>な性格から素性を隠している。そしてある事情からすぐに結婚してしまう。一方御曹司には小さいころにすでに親が決めた婚約者がいて、こちらの方は御曹司の家庭の金と世間的地位を目当てにしている。そしてそこそこの金持ち、社会的地位の家庭の令嬢で、こちらの方は低調ではななくひけらかし屋。御曹司が素性を隠していることからいろいろ矛盾や不具合が出現してきてドタバタ劇的にストーリーが進む。

 

sptt

 


Friday, October 11, 2024

うしろめたい(中国語との比較)

<うしろめたい>はいかにもやまとことばの響きがあるが、意味内容は複雑だ。<良心の呵責>とか<罪の意識>の意で解釈していた。最近中国の現代メロドラマを携帯で見ているが、中国語の字幕がでるので、最近は1/3くらいは筋を追えるようになった。幸い話はパターン化していて、そのうち飽きてしまうのではないかと思っているが、現代中国語の勉強として見ている。耳で聞いてわかるのは簡単な日常会話レベルの言い回しくらいで、字幕を追わないと筋が負えない。

最近<心虚>という語に字幕で出くわした。発音は xīn xū だが耳で聞いたのでは、普通のスピードで話すので聞き取るのはムリ。ネット辞書で調べてみると

baike.baidu は医学用語の解説は詳細だが、日常用語としての解説は簡単。


1. 做错了事,怕人知道或拆穿而内心不安:做贼心虚。
2.心里没把握,缺乏自信心:这活儿我没干过,真有点儿心虚。

1も2も<良心の呵責>とか<罪意識>の意はない。


台湾辞典では

https://dict.revised.moe.edu.tw/dictView.jsp?ID=108846&la=0&powerMode=0


心虚
xīnxū

  1. 自知理虧而內心害怕不安。後略
  2. 謙虛不自滿。《列子.仲尼》:「南郭子貌充心虛。耳無聞,目無見,口無言,心無知,形無惕。往將奚為。」後略
  3. 中醫泛指心臟的氣血不足,容易心悸、短氣、健忘、胸悶、盜汗等。亦稱某些心律不整、神經衰弱的症狀為「心虛」。

1は baike.baidu の1とほぼ同じ。

2は <虚心坦懐>の<虚心>に通じる。列子からの例文 (謙虛不自滿) があるので、古い意味での<心虚>だ。

3は中国医学での解説。 これも古い意味での<心虚>だろう。

英語入りの解説では

https://www.zdic.net/hans/%E5%BF%83%E8%99%9A

心虚 xīnxū

(1) [afraid of being found out; with a guilty conscience]∶ 做错了事或坏事怕人知道
(2) [lacking in self-confidence; diffident]∶ 缺乏自信

 ここで英語の方では1で guilty conscience (良心の呵責、罪意識) が出てくるが、中国語の方は上の二つの中国語辞典の1と同じだ。これはどうしたことか?

この種のメロドラマでよく出てくる心理、感情の言葉は欺负 (qīfu) と委屈 (wěi qu)。

 欺负 (qīfu) は

いじめ、いじめる。(これは行為だが<いじめられる>とすれば心理、感情の言葉になる)

委屈 (wěi qu) は

(不当な仕打ちに対して)不満である,無念である,残念である,くやしい,やりきれない。

メロドラマは欺负 (qīfu) と委屈 (wěi qu) を中心に進んで行き、勧善懲悪で<いじめた>者が制裁を受け、不当な扱いを受けた者が助けられる。こういうドラマを見ていると中国人は<良心の呵責>とか<罪の意識>が薄いのではないか思う(昔からそう思っている)。

 さて<うしろめたい>だが、日本語のネット辞典でチェックしてみると、簡単な辞典では


https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%BE%8C%E3%82%8D%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%84/

うしろ‐めた・い【後ろめたい】の解説
[形][文]うしろめた・し[ク]《「後ろ目痛し」からという》

自分に悪い点があって、気がとがめる。やましい。「親友を裏切ったようで—・い」 

自分の目が届かず、不安である。心もとない。気がかりだ。

「我なからむ世など—・し」〈落窪・二〉

  油断がならない。気が許せない。

「是ほど—・う思はれ参らせては」〈平家・二〉

[補説]2原義で、古くはやましい気持ちを含まなかった。
 
 
1からすると、<良心の呵責>とか<罪の意識> のやまとことばには慣用的な<うしろめたい>以外に<気がとがめる>、<やましい>がある。前半の<自分に悪い点があって>は肝心で、中国語の解説ではこれが前面に、表立って出てこない。
 
<やましい>は自動漢字変換では<疚しい>と出てくる。だが中国語の<疚>、これから出てくる<内疚 nèi jiù>の<>には<やましい>の意は薄い。
 
さて中国語に戻ると

1. 做错了事,怕人知道或拆穿而内心不安:做贼心虚。

做错了事:間違いをしたこと
怕:恐れる
人知道:人が知る(ことになる)
拆穿 chāi chuān:1) 嘘を暴く。 2) 事実を明らかにする。 3) 嘘を見抜く。
做贼 zuò zéi: · 释义. 造反;抢劫;剽窃;偷东西(強盗、泥棒などをする)

は日本語辞典の2にやや近いが、かなり違う。 中国語の解説からすると

失敗や悪いことをしても、まず人に知られることが不安なのだ (心が虚と感じる) 。

また、補説のように中国語では元来

心虚はやましい気持ちを含まないのだ。(これは日本語の<うしろめたい>も同じ)

 

<うしろめたい>の語源 

これは複雑で、調べてみたら2018年に ”<うしろめたい>の語源” と続いて ”<うしろめたい>の語源-2” いうポストを書いている。読み返してみると諸説ある。

では<良心の呵責>とか<罪の意識>の意の中国語はないのかというと、相当する言葉はある。第一は<内疚 nèi jiù>。baike.baidu の解説は

内疚 nèi jiù:对一件事情或某个人心里感到惭愧而不安的一种心情。

疚>の第一義は<長期生病 chronic disease>で、第二義として<心の痛み>があるようだが、<良心の呵責>とか<罪の意識>に相当近い意味ではふつうは<内疚>の二語。内疚は小説では出くわしことがあるような気がするが、最近見ているメロドラマではまだ出くわしていいない。

https://zd.hwxnet.com/search/hwxE7hwx96hwx9A.html

 

1.长期生病。
2.忧苦,特指因自己过失而造成的心内痛苦:负疚。内疚。愧疚。歉疚。内省(xǐng )不疚。

chronic disease, sorrow

惭愧は日本語になっている。<ざんき>と発音し<慙愧の念に堪えない>という決まり文句がある。意は<うしろめたい>ではなく<残念>の意に近い。

似たような言葉に<咎>がある。これは疚>と同じ発音jiù>。<咎>は訓読みの大和言葉は<とが>。<気がとがめる>はは自動漢字変換では<気が咎める>と出てくる。中国語で<咎>に出くわしたことはないので、あまり使われないのだろう。

<良心の呵責>とか<罪の意識>の意相当の中国語の第二は<良心>。baike.baidu の<良心>解説は

"

1. [Conscience] ∶ 个人内心的是非感;对自己行为、意图或性格的好坏的认识;同时具有一种做好人好事的责任感,常被认为能引起对于做坏事的内疚和悔恨。

2. [Synderesis]∶对道德行为主要原则的先天知

"

1で個人的な Conscience、内疚が出てくる。2は社会的な道徳色が濃い。

良心>は上で述べてきたメロドラマで時々でてくる。内疚ほど個人的、内面的な感情はないが、その分中国的な<うしろめたい>と言える。

 

sptt


 

 


Wednesday, October 9, 2024

とんでもない

 

<とんでもない>の語源を調べてみると 


https://oggi.jp/6347814

「とんでもない」の語源

諸説ありますが、「とんでもないです」は、「途でもないです」が変化してできた言葉だと言われています。「途」は訓読みにすると「みち」。「途」は「道筋」や「道のり」「手段」を意味しています。

「道のり」を表す「途」に、否定を表す「ない」が組み合わさることによって、「道のりがない」。つまり、「道理を外れた」という意味を持つ「途でもない」が誕生しました。

そこから、この「途でもない」が変化し、今の「とんでもない」という言葉が生まれたそうです。


というのがよく出てくる。もっともらしいが、これは<こじつけ>の可能性が非常に高い。「途でもない (です) 」という言い方(中国語+やまとことば)は存在しなかっだろう。

<飛んでもない>もとんでもない 話だ。

<とん>がでてくる言い方には

とんとわからない(まったくわからない)
とんと知らない(まったく知らない)
とんと聞いたことがない(まったく聞いたことがない)

があるが<とんとxxない>の組み合わせ、係り結びだ。

<とんとん拍子>の<とんとん>は擬態語。

<とんがる>は<とがる>の口調変化。

 最後の例からする<とんでもない>は<とでもない>の口調変化の可能性が高い。この<とでもない>は<途でもない>と違って存在しただろう。

とでもない

xxとでもない

も可能だが<こと>が出てくる。

そいうことでもない (そうでもない)
ダメということでもない (ダメでもない)
いいということでもない (<いい>でもない、よくでもない)

カッコ内は普通の言い方なので、<と>が問題だ。ところで、相手が言ったことに対して<とでもない>単独で

とでもない (そうとは言えない、そうとも言えない、さらに<そうでもない>)

とは言う。相手が言ったことに対しての否定、反論だ。<そうでもない>は<でも>があるため否定、反論の度合いがやや弱い。<とでもない>も<でも>があるので否定、反論の度合いがやや弱い。くどくなっているが

とでもない=そうでもない

としていいだろう。

<ありがとう>はたいてい相手が言ったこと、したことに対して返答で、相手が言ったこと、したことが自分にとって<利がある>場合に使う。したがって

とでもない=そうでもない

はそのままでは<ありがとう>にならない。 

さらにくどくなるが、

そうでもない

そうではない
そんなことはない
違う

で、これらは<ありがたい、有り難し>のもとの意味の<有ることが難しい>に通じる。そうすると、<有り難し>が<ありがとう>に変わっていった過程、すなわち予期しないいいことに遭遇した時、まず自分自身に<有り難い>と言い、これが実際口に出て<有り難い>、<ありがとう>となった、あるいは<ありがたき予期しないいいことです>が短縮されて<ありがとう>となった、と同じで(少し前のポスト<ありがたい>参照。)

相手が言ったこと、したことが自分にとって<利がある>場合に、<信じられない>の意の

そうではない
そんなことはない
違う

の意の<そうではない>、すこしソフトな<そうでもない>を自分に言い、これが実際口に出て<そうでもない>、<とでもない>となった。

以上は<こじつけ>のようだが、語源探索には時に意識して<こじつけ、敷衍(中国語の敷衍>が必要だ。<意識して>が肝心。

 

sptt

いたみいる、おそれ (恐れ) 入る



<いたみいる>は実際聞いたことも使ったこともない。初めて出くわしたのは若いとき読んだモリエールの喜劇の文庫本のなかにあったのをねぜかよく覚えている。特に解説がなくても

いたみいる = ありがとうございます

と推測できた。元の意味は<痛みが身に入る>。<痛みが身に入るほどありがたい>、さらには<ありがたみが身にしみます>でかなり大げさな言い方だ。


<おそれ入る>の方はよく聞く。<おそれ入る>は多義語で、よく使われるのは

おそれいりますが、東京駅へどう行けばいいのでしょうか?
君が美人のあの花子と結婚するとはおそれいった。(おどろくほど予期しないことに遭遇したときに使う)

<ありがとう>の意味では

今回はたいへんな苦労ををしていただき、おそれいります。

ネットで調べてみると 



デジタル大辞泉 「恐れ入る」の意味・読み・例文・類語 

おそれ‐い・る【恐れ入る/畏れ入る】 [動ラ五(四)]

相手好意などに対して、ありがたいと思う。恐縮する。「ご厚情のほど―・ります」
2 相手に失礼したり、迷惑をかけたりしたことに対して、申し訳なく思う。「恐れ入りますが」の形で、ものを頼んだり尋ねたりするときなどのあいさつの言葉としても用いる。恐縮する。「ご心配をおかけして―・ります」
3 あまりのことに驚き入るばかりである。
㋐相手の才能力量に太刀打ちできないと思う。脱帽する。「―・った腕前だ」
物事のひどさにあきれる。「あれで秀才とは―・るよ」
4 非常にこわがる。
「この法師いよいよ―・りたり」〈著聞集・一七〉
 


とある。元の意味は<おそれが身に入る>で、4番目の<非常にこわがる>が近い。

 1 相手好意などに対して、ありがたいと思う。恐縮する。「ご厚情のほど―・ります」 

 <おそれ入る>が<ありがたいと思う>、<ありがとう>の意味になるのは複雑だ。大体は<予期しない、おどろくほどの好意がなされた場合>だろう。したっがて、大したことのない、ちょっとした、礼儀的な好意、親切、助けの場合はまず使わないだろう。また上位の者が下位にの者に示す好意の場合で、字面には出てこないが一種の敬語だ。

 

 sptt


Tuesday, October 8, 2024

かたじけない

 

<かたじけない>は時代劇にでてきそうな武士ことばだが、いまでも男なら<かたじけない>ということがある。ネットで調べてみるとかなり古いことばで<語源不詳>。

https://www.waraerujd.com/%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%98%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84

前略

 「かたじけない」の語源は不明である。古くからある言葉であることは確かで、『日本書紀』『肥前国風土記』などにすでに「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。同じく奈良時代に成立した『華厳音義私記』に、「容貌が醜いことをかたじけないと言う」という意の記述があり、「かたじけない」のもとの意味は「容貌が醜い」ではなかったかと考えられている。つまり容貌が醜いことから、「はずかしい」「おそれおおい」という意味につながり、さらに「ありがたいけど、面目ねえ~」の意味にまで敷衍されたということだ。文学、言語研究者の我妻多賀子氏の説によると、「かた」は「型、形」、「じ」は名詞に付いて「それらしいさま」という意の形容詞を作る接尾語、「け」は「気」で「様子、気配」、「なし(ない)」は「無し(無い)」で、「かたじけなし」は「ちゃんとした形ではない」つまり「形が整っていない」「要望が醜い」という意味になるという。このような複雑な語の組み立てを大昔の人が意識したのかどうかわからないし、この説が有力なのかどうかも知らないが、「かたじけなし」に類似する語が見当たらず語源をたどるのが難しい現状、納得できる説としてあげておく。(sptt注「要望が醜い」 ー> 「容貌が醜い」)


古来より「貌醜なし」「難し気無し」「勝たじ気甚し」説があり。
身分の高い人への恐れ多い気持ちからできた言葉という説もあり。
諸説あります。

■「語源」は?

「かたじけない」の語源は諸説ありますが、「難(かた)んずる気なし」「難気(かたしけ)なし」などの言葉だといわれています。

以下略


<かたじけない>は<ありがとう>の意があるが、前回のポスト<ありがとう>で


<ありがとう>は<ありがたい>由来で古語の<ありがたし>の現代語。<ありがたし>は<有り難し>で<有ることが難しい>。


と書いた。<かたじけない>と<有り難し>を比べてみると、<難し>は<かたし>で

<かたじけない>の< かたじ>は<かたし、難し>だろう。上のいくつかの語源説の中の一つでは

「難(かた)んずる気なし」「難気(かたしけ)なし」などの言葉だといわれています。

とあるが、これだと 

<難しい気がない>で何のことだかわからない。また「貌醜なし」は<貌醜>自体が<見た目が見にくい>なのでおかしい。<かたじけない>の< かたじ>は<かたし、難し>だろうか? この解説の初めの方では


 古くからある言葉であることは確かで、『日本書紀』『肥前国風土記』などにすでに「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。同じく奈良時代に成立した『華厳音義私記』に、「容貌が醜いことをかたじけないと言う」という意の記述があり、「かたじけない」のもとの意味は「容貌が醜い」ではなかったかと考えられている。つまり容貌が醜いことから、「はずかしい」「おそれおおい」という意味につながり、さらに「ありがたいけど、面目ねえ~」の意味にまで敷衍されたということだ。


とある。


 「おそれおおい」「ありがたい」という意味で「辱」の字を使って記されている。


は<辱>の一字で<かたじけない>と読むのか?

これも容貌が醜いことから「はずかしい」はわかるが、容貌が醜いことから「おそれおおい」はすぐには納得できない。さらには「おそれおおい」が<ありがたい>の意に変わるのもすぐには納得できない。

はずかしくなる(かたじけない)ほどありがたい

はなんとかなるが

おそれおおくなる(かたじけない)ほどありがたい

はかなり無理だ。 

おそれ入る(かたじけない)ほどありがたい

ならなんとかなる。

「かたじけない」のもとの意味が「容貌が醜い」とすると、「かたじけ」のもとの意味は「容貌がいい」、そして「かたじけない」が「容貌がよくない」になるが、「かたじけ」=「容貌がいい」もすぐには納得できない。

「難(かた)んずる気なし」の<「難(かた)んずる>はめったに見たり聞いたりしないが, ネット辞典では


[動サ変][文]かたん・ず[サ変]《「かたみす」の音変化》むずかしいと考える。困難とする。

とある。「かたみす」は<難しいと見る>の意か? これをあてはめると、「難(かた)んずる気なし」は

<むずかしいと考える、困難とする>気がない

で、これまた<ありがとう>の意味にはならない。 

「難気(かたしけ)なし」の方も

難しい気(け)がない

で、これまた<ありがとう>の意味にはならない。 

わけがわからなくなっているが、

難しい気(け)がない

難しい気(け)がなくなった ー> やっかいな気分がなくなった

とすれば<ありがたい>に通じる。

だが、これだと古代語源説が説明できない。古代語源説の意味の変遷はかなりのこじつけ (敷衍) で古代の<かたじけない>と武士が使い始めた<かたじけない>は別物、似て非なるものではないか?

注) 敷衍

死語に近いが日本語の<敷衍>と中国語の<敷衍>(多分書き言葉)で大きな違いがある。少し前のポスト<勉強する、敷衍する>で書いたが


 中国語の<敷衍>はおもしろい。

敷は<敷く>、衍は<伸ばす、延ばす、展ばす>が元来の意なのだが<敷衍>は baike/baidu によると

fū yǎn,意思是:馬虎,不認真,表面上應付塞責:搪塞責任。指工作不認真負責,表面應付了事,有欺騙成分。

で日本語に訳せば

いいかげん、ふまじめ、うわべだけの対応、責任逃れ、誠意をもって仕事をしない、時にごまかしを含む

と散々だ。


 

sptt

 

 


sptt

 


ありがたい

 

日本語で<Thank you>は何という?と問われればおおかた<ありがとう>ですと答えるだろろう。<Thank you>といわれ、ありがたいことに、さらに<ありがとう>とはどういう意味だ(What does "arigatou" mean ?) と問われることは少ない。

 <ありがとう>は<ありがたい>由来で古語の<ありがたし>の現代語。<ありがたし>は<有り難し>で<有ることが難しい>。<有ることが難しい>が<ありがとう><Thank you>になる説明は難しい。

少し古い言い方だが

ありがたき幸せ
ありがたきお言葉
ありがたきご返事

というのがある。これらには感謝の<ありがたい>の意があるが、もとは<有ることが難しい>、<有ることが信じられない>ほどの幸せ、言葉、返事ということだ。

ではなぜ<ありがたい>、 <有ることが難しい>が感謝の意になるのか?<ありがとう>は大体何か有用な物をもらったとき、何か自分の利になることをしてもらったときに言うが、それは予期しない場合が多い。<予期しない>ことは<有り難い>ことだ。


 sptt

 

Monday, October 7, 2024

すみません、すまない

 

<すまない>は<すみません>でよく使われる。<すみません>は英語の<I am sorry> で謝罪、あやまるときに多く使われるが、<すまない>は<ありがとう>の意味で使われることもある。

今回はいろいろお手伝いをいただき<すみません>。

<すみません>は敬語で、同僚、部下、妻など下位の者に対しては<すまない>ですませる。

 今回はいろいろ手伝ってもらって<すまない(な)>。

この背景には<いろいろ面倒なことをしてくれて、面倒なことをさせてしまい、申し訳ありません>と謝罪の表明がかくれている。

<すむ>は<済む>は<うまくできる、なされる>、to be done well。日本語の<すむ>は自動詞だ。他動詞は<すます、済ます>、to do it well, to make it done well。<すまない>は否定なので<うまくできない、なされない>の意だが、これでは何のことだかわからない。何が<うまくできない、なされない>のか。これは<ありがとう>の表明だろう。つまりは

<ありがとうとうまく言えない>ほど感謝している

の意だろう。

<申し訳ありません(申し訳ない)>も同類で、こちらの方は謝罪気味だが

<ありがとうと申す訳、方法がない>ほど感謝している

の意だろう。


 sptt

Sunday, October 6, 2024

ふがいない(不甲斐ない)

 

前回のポスト<情けない>の最後で

 <不甲斐ない>は二重否定だが, 意味は二重否定にならない。

 と書いたが、おかしいので調べてみた。

甲斐と漢字で書くが<かい>(古くは<かひ>) は、中国語にない。つまり<かい (かひ) はやまとことば。やまとことばの<かい>に中国語の否定語<不>がついたことになるが、何かおかしい。<ふがいない>の<ふ>は<不>ではないだろう。おそらく<ふにおちない (腑に落ちない) >の< (ふ)>だろう。 (ふ)>は五臓六腑の (ふ)>でこれは中国語だ。<五臓六腑>は使うが<>だけで使うのは<腑に落ちない)>くらいで、なじみはない。<腑に落ちない>をネット辞書で調べてみると

「腑に落ちない」納得がいかない、心から理解できない時に使う言葉です。 もともと「腑」とは、はらわたのことで、古くは魂がこもるところとされ、とても心が痛むときには「はらわたが引きちぎられるほどの」等と使われます。

で 、 (ふ)=はらわた。これだと

<ふがいない>は<はらわたが甲斐 (かい) ない>となるが、何のことだかわからない。これは<はらわた甲斐 (かい) ない>、さらには上の解説を利用すれば<魂に、心に甲斐 (かい) がない>の意になり、意味は通じる。

 

注)別に今年3月に<ふがいない、なさけない>のタイトルのポストがある。

 

sptt

 

 


 

 

 

Saturday, October 5, 2024

なさけない

<なさけない>は本来 <なさけ(情け)がない>だが, <情け, 同情(心)がない>の意にならない。

こんな簡単な問題もできないとはなさけない。
あんな弱い相手に負けるとはなさけない。
こんな簡単な試験に何度も失敗してわれながらなさけなくなる。
こんな大したことのない困難に挑戦しない太郎はなさけない。

一方

なさけをかける
なさけ容赦なく
人のなさけにすがる

では元の <なさけ>の意が残っている。

太郎はなさけがない。

は微妙というか、曖昧だ。

1) 太郎にはなさけがない (なさけ心がない)。
2) 太郎はなさけない。

さて, 冒頭に戻って <なさけない〉だが, 

太郎はなさけない。


なさけをかけることができない
なさけをかける余地がない
なさけをかける価値がない
なさけをかける甲斐がない (不甲斐ない) 

が短縮したものだろう。

<不甲斐ない>は二重否定だが, 意味は二重否定にならない。
 
 
注)別に今年3月に<ふがいない、なさけない>のタイトルのポストがある。
 
 
 
sptt


Thursday, September 26, 2024

なまける


<なまける>の基本的な意味は簡単なネット辞典では


なすべきことをしない。働かない。ずるける。「仕事を—・ける」
おこたる、さぼる

とある。

<なまける>は<なま>由来だろう。 <なま>と<ける>に分けて考えてみる。<なま>関連と思われるやまとことばいろいろある。

なまたまご(調理していないたまご)
なま野菜 (調理してい野菜)

なまなましい

以下は否定的な意味が内包されている。ここがポイント。

なまかじり  <なま(モノ)をかじる>ではなく、不十分に、いいかげんにかじる。
なまはんか(生半可)  <半可>で<半分可>だがさらに<なま>がついて否定度が高まる。

なまやさしい(易しい) そうなまやさしくはない(そう簡単ではない) 

なまぬるい  <ぬるい>は<十分熱い>の否定で<十分に熱い>、<不徹底>の意だが、さらに<なま>がついて意味が否定的になる。

なまいき(意気)  意気が不十分、意気が足りない。意味は否定的。

なまくら(にぶい、 dull)

なまじ、なまじっか

これはむずかしい。 英語では

研究社 新和英中辞典

なまじ  なまじっか
少しでもat all.
ーーーーー

”なまじとめるな夜の雨” という歌の文句があった。

中途半端にとめるな

は何とか通じる。

<なまじ>は<なまじい>、<なま+強いる>の意で<むりにxxする>に<なま>がついたもの。したがっって

不十分に<むりにxxする>

の意でやや複雑。

<なまける>の<ける>については文法がらみになり、おもしろいので別途検討するが、<なまける>関連では

あざける
いじける
おどける
ずるける
だらける
とぼける
とろける
のろける
ふざける
ほおける

などのおもしろい言い方がある。

 

sptt

Wednesday, September 18, 2024

<あそぶ、遊ぶ>とはどういうことか?

 

<あそぶ>は日常よく使われる言葉だが少しよく考えてみると、なかかな奥深い意味があるやまとことばだ。だが調べてみると混乱しているというか、とらえどころがないところがある。また否定的にも肯定的にもなる変幻自在、融通無碍 (むげ) なことばだ。

1)<あそぶ>の語源

もっともらしいのは、引用の引用になるが

http://katagipepo.blog.fc2.com/blog-entry-410.html



岩波古語辞典には「おそばふ」、「そばふ」は「調子に乗ってふざける」意味と書かれています。「そばふ」「おそばふ」は、私の全く知らなかった言葉で、語源を別の視点から考える参考になりました。


これとは別に私は<そふ(添ふ、沿ふ)>が関連しているのではないかと思っている。<あ>は接頭語で<あそふ>。

2)<遊ぶ>。当て字の<遊>

中国語の<遊>は歴史が古く (古くさかのぼれる)、説明が長くなるので省略。基本的には日本語の<あそぶ>に似て奥が深い。

 3)<あそぶ>の意味

ネットで調べてみると相当多岐にわったている。

デジタル大辞泉 「遊ぶ」の意味・読み・例文・類語

あそ・ぶ【遊ぶ】
 
スポーツ・趣味など好きなことをして楽しい時間を過ごす。「野球をして―・ぶ」「よく学び、よく―・べ」
 
一般化すると
 
好きなことをして楽しい時間を過ごす。
 
でこれが第一義だろう。<スポーツ・趣味など>の<など>をさがしてみると
 
ままごとをしてあそぶ。(ままごと= ままごと(飯事)とは、幼児の遊びの一種。おままごとともいう。分類上はごっこ遊びの一種と考えられており、身の回り人間によって営まれる家庭を模した遊びである。ー Wiki)
 
コマをまわしてあそぶ。
トランプの<ババ抜き>をしてあそぶ。
 
女の子であれば
(古いが)お手玉をしてあそぶ
人形であそぶ 
 
比較的小さいこどもの<xxごっこ>はあそびだ。<ごっこ>は
 
鬼ごっこ
お医者さんごっこ
戦争ごっこ
ケーキ屋さんごっこ

など<xx>の真似をしてあそぶが原則。
 
おとなの遊びと思われる将棋や囲碁は<あそぶ>とは言わない。将棋や囲碁は趣味にはなる。よくある趣味には<本を読む、音楽を聴く、写真をとる、映画を見る、料理をする / つくる、魚釣りをする、旅行をする>があるが、これまた<あそぶ>とはあまり言わない。いづれも<好きなことをして楽しい時間を過ごす>のに<あそぶ>とは言わない。

創造的な趣味だと
 
絵を描く、詩を作る、日曜大工をする。

がある。いづれも素人であれば<楽しい時間を過ごす >ためにするのだが、これまた
 
絵を描いてあそぶ
詩を作ってあそぶ
日曜大工をしてあそぶ

とは普通言わない。いづれも<好きなことをして楽しい時間を過ごす>のに<あそぶ>とはあまり言わない。
 
最近はテレビを見る人が減っているようだが、<テレビを見る>は趣味でも<あそび>でもない。特に<好きなことをして>いるわけではないが、好きなテレビドラマや野球中継を見るときは<楽しい時間を過ごして>いることになるか?だが<テレビを見てあそぶ>とはけっしていわない。
 
スポーツ関連では
 
山に登る、泳ぐ、ジョギングをする、ゴルフをする
 
も<あそぶ>とはあまり言わない。 例文の「野球をしてあそぶ」も子供がすると<あそび>なるが、大人がする<あそび>になりにくい。 高校野球やプロ野球は<あそび>とはいえない。

したがって
 
好きなことをして楽しい時間を過ごす 
 
は日本語<あそぶ>の定義にはならないようだ。だが比較的小さい子供であれば
 
野球をしてあそぶ
絵をかいてあそぶ 
 
で問題ない。小さい子供と一人前のおとなでは<あそぶ>に違いがある。この辺に<あそぶ>の定義が<混乱している>理由がありそうだ。

<あそぶ>とよく対比されるのは<勉強する><仕事をする>だ。
 
冒頭の「よく学び、よくあそべ」とはどういうことか? これはクセモノで
 
<よく学んで>、はじめて<よく学べ>と言う、言われるので、<よく学ぶ>が前提になっている。子供に対して<よく勉強する見返りとして、あそんでいい>というニュアンスがある。一方<よく働き、よくあそべ>というのはあまりきかない。一人前の大人に対して<よくは働く見返りとして、あそんでいい>というのは何かおとなげない。もっとも自分自身に<よく働き、よくあそぶ>というのはおかしくないようだ。
 
 
何もしないでぶらぶらして時を過ごす。決まった仕事・職がなく暇でいる。「失業して―・んでいる」
 
<何もしないでぶらぶらして時を過ごす>と<決まった仕事・職がなく暇でいる>は違う。
 
 「失業してあそんでいる」は後者の例だ。 前者の<何もしないでぶらぶらして時を過ごす>は上の<好きなことをして楽しい時間を過ごす>と内容が違う、またはある意味で反義的な意味内容だが<あそぶ>の第二定義とも言える。この違いは重要で、前々回のポスト "<勉強する>の語源 " で簡単にふれたが
 
日本語の<勉強する>、<勉強>の意味になった、というもの。つまりは元来<やりたくはないが、むりやりxxさせられる、学習させられる>の意があるという説明が持ち出される。
 
言い換えると<勉強する>は
 
いやなこと、したくないことをいやいやながらする
 
で、別の意味で<あそぶ>(好きなことをして楽しい時間を過ごす)の反義的な意味になる。したがって<あそぶ=何もしないでぶらぶらして時を過ごす>は多義語の<あそぶ>の第二定義と言える。
 
一方<決まった仕事・職がなく暇でいる>は一人前の大人にいつて言っていることで、子供が<決まった仕事・職がなく暇でいる>でも問題はない。子供が<決まった仕事・職がない>のは当然で、<暇でいる>ことになる。実際子供が<暇でいる、暇でとくに何もしない>のはまれで、食べるとき、寝ているとき以外はなにかの遊びをしている。子供にとっては<あそび>が<仕事、仕事、なすべきこと>と言える。
 
ここにも子供が<あそぶ> とおとなが<あそぶ>の大きな違いがある。 子供が<あそぶ>にはあまり制限、制約がないが、おとなが<あそぶ>にはいろいろ制限、制約がある。
 
本来<あそぶ>にはあまり制限、制約がないのだが、子供があそんでいても、メチャクチャ
に遊んでいるわけではない。特に二人以上であそぶ場合がそうだが、制限、制約がやぶられる場合もある。一人であそぶ場合も自分なりに制限、制約をもうけているようだが、制限、制約をやぶる場合もある。制限、制約がやぶられても大きな問題にならないところが<あそぶ>の特徴ではないか。

<あそぶ>の名詞形<あそび>もよく使われる。
 
あそびで、あそび半分で
 
あそび (半分) でこの仕事をしちゃ困る。 

は否定的な言い方だが
 
成功不成功にこだわらず、失敗してもてもいいから<あそび半分>でやってみたらどうだ。
勝敗にこだわらず、負けてもてもいいから<あそび半分>でやってみたらどうだ。
 
は否定的ではない。<あそび>、<あそぶ>のややこしいところだ。

遊びでxxする
 
日曜日は遊びで絵を描いている、日曜大工をしている

はあまり制限、制約がなく<xxする>ことだ。制限、制約、さらには目的があるとまじめに、真剣にとりくむことになり、趣味から離れて仕事になるか。この意味でも<仕事、しごと>は<あそび>に対峙する。<しごと>は<するべきこと>だ。
 
<あそびで>の反義語は
 
まじめに、真剣に、本式に
 
これはあそびではない。もっとまじめに (真剣に) やれ。
これまではあそび。これからが真剣勝負。
これまではあそび。これからが本式になる


飲酒・色事・ギャンブルなどに身を入れる。遊興する。「―・ぶ金欲しさに盗みをはたらく」
 
飲酒 (飲む)。 ギャンブル (打つ) 、色事 (買う) は良くないことで、これらを<好きなことをして楽しい時間を過ごす>で実際にしたら / されたらろくなことはない (いいことはない)。だが<遊ぶ=好きなことをして楽しい時間を過ごす>に変わりはない。つまりは<あそぶ>対象が問題になる。したがって
 
良い好きなことをして楽しい時間を過ごす
 
のは問題がないが
 
悪い好きなことをして楽しい時間を過ごす
 
のは問題がある。これであれば
 
の<何もしないでぶらぶらして時を過ごす>方がましだ。
 

労力・機械・土地などが有効に使われずに捨て置かれる。「手が―・んでいる」「―・んでいる資本
 
これは意味的には< 何もしないでぶらぶらして時を過ごす>の派生と見て言い。

(「…にあそぶ」の形で)見物勉学のために他の土地へ行く。旅行する。遊学する。「京都に―・ぶ」「三年間パリに―・ぶ」
 
これは特殊な言い方だ。

野球で、投手打者のねらいをさぐったり、打ち気をそらしたりするために、わざとボールになる球を投げる。「ツーストライクのあと一球―・ぶ」
 
これはかなり特殊な言い方だ。

相手をもてあそぶ。からかう。「力が違いすぎて、すっかり―・ばれてしまった」
 
元来は<もちて+あそぶ>、<手にもって、手のひらにもって><あそぶ>の意だろう。

詩歌・管弦などを楽しむ。
「をとこは、うけきらはず呼び集へて、いとかしこく―・ぶ」〈竹取〉

これは< 好きなことをして楽しい時間を過ごす。>に通じる。竹取物語からの引用なので、これが<あそぶ>の元の意味に近いだろう。
 
ーーーーー
 
<あそぶ、あそび>で奥深い意味があるやまとことばは<あそびごころ>ではないか?<あそびごころ>はおおむね肯定的だ。
 
 
sptt

Tuesday, September 17, 2024

ごめんあそばせ

 

<ごめんあそばせ> とはどういうことか? テレビドラマで聞いたことがあるが、実際聞いたことはない。実際言われてみたら、おそらく<からかわれている>気持ちになるだろう。ネットで調べてみると

ごめんあそばせ https://kufura.jp/work/business-manner/79042#google_vignette


「ごめんあそばせ」は、“お許し”を意味する”ごめん”(御免)に、尊敬語で“~しなさってください”という意の“あそばせ”がついています。ですから「お許しください」「ごめんなさい」という意味です。こうした言葉は、“あそばせことば”といって、丁寧で上品な雰囲気を出すために使われていました。「ご覧あそばせ」「お通りあそばせ」というような使い方をします。

という解説がある。<あそばす>は<あそぶ>の丁寧語で、丁寧でないのは<ごめんあそべ>。丁寧度、上品度は落ちるが意味は通じる。下品で乱暴な言い方ではない。上の解説では<あそばす>に<なさってください>の意があることになるが、これはどこから来たのか?<あそぶ、遊ぶ>にこのような意味はない。前回のポスト ”<勉強する>の語源" の最後の方で<勉強する>の反義語で<遊び心>、<遊ぶ>をとりあげているが、奥が深い言葉だ。ごく簡単には

遊ぶ:強制的にではなく、自主的に楽しいことをする

と言えそう。「ご覧あそばせ」「お通りあそばせ」はこの意味でなんとかなるが、<ごめんあそばせ>はダメだ。だが強いて意味をつければ

<お許しください>は<許して楽しい気分になってください>の意になるか?これが冒頭で書いた

実際言われてみたら、おそらく<からかわれている>気持ちになるだろう。

の理由だろう。


sptt


 

 


 

Saturday, September 14, 2024

<勉強する>の語源


<勉強する>の<勉強>は中国語由来で、もとの中国語の意味と関連はあるが、大きなズレがある。中国の Wiki相当 の baike.baidu の解説を利用すると

baike.baidu の冒頭の解説は

勉强 miǎn qiǎng:能力不够,还尽力做、不是心甘情愿的、使人做他自己不愿意做的事、将就或凑合、不充足等。出自《礼记·中庸》。

で、大体察しがつくが、なじみのない心甘、将就、凑合は、これまた baike.baidu の解説を利用すると

<心甘>は<甘い心>ではなく<心甘>または<甘心>で

心:

(1) 情愿  [willingly; readily]

他是甘心受罚的
初,武帝感 张骞之言,甘心欲通 大宛诸国,使者相望于道,一岁中多至十余辈。——《汉书·西域传》
(2) [be reconciled to; be complacent about] ∶ 满意; 满足
不达目的绝不甘心

 つまりは、甘んじる、甘んじてxxする。

将就は
将就 jiāng jiu:对事物不太满意,勉强适应,凑合。 出自《·周颂·访落》

ことは不満だが無理して合わせる。

凑合は

凑合 còu he聚合、汇集,出自《朱子语类》。
 
だが、これは簡単すぎ、追加説明では
 
(1) 聚合;汇集:[to gather]
例文:凑合在一起|凑合了大家的意见。
大家从四面八方到一起
 
(2) 拼凑 [to improvise]
例文:请事先准备好发言稿,不要临时凑合
 
(3) 将就;还过得去 [to make do; not too bad]
 
(4)勉强适应或应付 [to cope with]
例文:这日子就凑合着过吧|旧衣服凑合着穿穿。
 
無理して適応する。 

3)で
将就、4)で勉强(适应)が出てきて堂々巡りだが、これが冒頭の<将就或凑合>の意味で1)、2)は凑合のもと意味だろう。<凑>自体は
 
凑(读音:còu)本义是指水边人所会聚之处,后泛指聚集。の意だ。

 
さてbaike.baidu の冒頭解説にもどると、これは分類ができ 
 
勉强とは
 
1)能力不够,还尽力做、
 
能力は不足だがせいいっぱいやる(尽力をつくしてやる)。
 
2)不是心甘情愿的、使人做他自己不愿意做的事、
 
本人はやりたくはないが、他の人(まわりの人)が本来やりたくはないことをさせる
 
3)将就或凑合,
 
ことは不満だが無理して合わせる。
 
4)不充足、
 
(ことをするのには)不十分、不足
 
5)等。
 
その他 

<勉強する>の語源の説明はこれでも十分で、ネットの<勉強する>、<勉強>の語源の多くの解説では、中国語の<勉強>の意味として
 
2)不是心甘情愿的、使人做他自己不愿意做的事、
やりたくはないが、他の人(まわりの人)が本来やりたくはないことを(むりやり)させる
 
の意味が引用され、これが日本では巡り巡って、日本語の<勉強する>、<勉強>の意味になった、というもの。つまりは元来<やりたくはないが、むりやりxxさせられる、学習させられる>の意があるという説明が持ち出される。しかし本当のところはどうなのか。
 
baike.baidu の<勉強>追加説明を見てみる。 
 
1、尽力而为。
 
文字通りでは<尽力してなす>で、<やりたくはないがむりやりxxさせられる>の意はない。
 
①《礼记·中庸》:“或安而行之,或利而行之,或勉强而行之,及其成功一也。”
 冒頭で ”出自《礼记·中庸》” となっていいるので、中国語ではこれが原意(元の意)だろう。
 
“或安而行之,或利而行之,或勉强而行之,及其成功一也。”
 
はわかりずらいが
 
安んじて (努力しなくて) これを行なう、利があってこれを行う、尽力してこれを行う、いづれにしても成功に差はない。
 
と解釈できる。意味深長なのだ。これには前段があり、中国流のレトリック構成。前段は
 
生而知之;或学而知之;或困而知之:及其知之,一也。
 
安んじて (努力しなくて) これ知り、学びてこれを知り、困難を克服してこれを知る、いづれにしても<知る>に差はない。
 
と解釈できる。
 
Japan Wiki には


『礼記』の成立

『礼記』は雑然とした内容を集積した書物であり、篇によって成立時期は異なる。例えば、「中庸」篇は孔子の孫の子思の作。

とあり、

(その内容は、政治・学術・習俗・倫理などあらゆる分野に及ぶ、雑然とした記録の集積である。)  

という解説がある。
 
②汉 刘向《列女传.贤明传.周南之妻》:国家多难,惟勉强之。
汉 刘向 《上灾异封事》:“君子独处守正,不挠众枉,勉彊以从王事,则反见憎毒谗愬。”
⑤宋 苏轼 《拟进士对御试策》:“道可以讲习而知,德可以勉强而能,惟知人之明不可学,必出於天资。”
⑥明 归有光 《河南策问对二道》:“勉强学问,则闻见博而知益明。”
 
最後の例文には<勉强学问>とある。これも<いやいやながら、強制的に学问をする>ではない。だが、このあたりから<学ぶ>が<勉强>になっていく可能性はある。
 
 
2、能力不足而强为之。
 
これは文字通りでは<能力不足だが、強いてこれをしてみる> 。能力不足でなすことは不可能に見えるが、やってみれば道が開けることもある。これも<強制的にやらされる>の意はない。

①唐 杜甫法镜寺》诗:“身危适他州,勉强终劳苦。” (無理に)
②明冯梦龙东周列国志》第五十一回:“越椒令曰:‘擒了楚王,方许朝餐。’众人劳困之后,又忍著饥饿,勉强前进,追及后队潘侫之军。” (無理して、力を尽くして)
 略
④清 刘鹗老残游记》第八回:“於是众人搀着,勉强移步,走了约数十步,方才活动,可以自主。” (chān,其本意为扶,牵挽。to help by the arm; to support with hand)
蔡东藩清史演义》第二回:“忽报努尔哈赤兵到,顿觉仓皇失措,勉强招集部众,出城对敌。” (不可能に見えるが、力を尽くして)

以下略

 
3、心中不愿而强为之。
 
これは<やりたくはないが、不本意だが、無理にする、無理やりさせられる>の意。
 
①三国 魏 嵇康与山巨源绝交书》:“不相酬答,则犯教伤义,欲自勉强,则不能久,四不堪也。”
②明 施耐庵水浒》第四十二回《宋公明遇九天玄女还道村受三卷天书》 教四个青衣扶上锦墩坐。宋江只得勉强坐下。
③明 罗贯中三国演义》第五十七回《柴桑口卧龙吊丧 耒阳县凤雏理事》:欲以才学动之,见孔明不在,只得勉强相辞而去。
④清 刘献廷广阳杂记》卷四:“公能食此蝇,吾与公赌,输吾坐下马。 辅臣念言既出诸口,遂勉强吞之。”
⑤ 巴金《》七:“ 剑云微笑了,不过谁也看得出他的笑是很勉强的。”
 
例文の1)ー4)は明代、清代の作品からなので、意味の変遷があったのだろう。
 
 
4、使人去做他不愿做的事。
 
これは<やりたくはないが、不本意だが、無理やりさせる>の意で使役の意がある。
 
浩然 《艳阳天》第六七章:“焦克礼见 萧长春 没有留下来的意思,也不好再勉强。”
 
 
5、牵强,理由不充足。
 
牵强:qiān qiǎng。亦作牽彊。意思是①犹勉强。②犹言牵强附会
 
<勉強する>について言えば ②牵强附会は関係ない。したがって、牵强=勉强で堂々めぐり。
  
①清 李渔 《巧团圆·争购》:“你们两箇的话,都说得勉强,毕竟尽先的是。”
②叶圣陶 《线下·一个青年》:“有些资料明明是故意找出来的,但是出之以恳挚和悦的声调与姿态,就没有勉强敷衍的痕迹,使听到的人十分悦乐。”
 
最後の例文で<勉强敷衍>は日本人なら<牵强附会>の意か、と推測するが<敷衍 (敷衍)>は<勉強>と同じくクセモノで、中国語では
敷衍 fū yǎn:马虎,不认真,表面上应付塞责:搪塞责任。指工作不认真负责,表面应付了事,有欺骗成分。
 
が現代語の意味。横道にそれるのでこれまで。
 
6、将就;凑合。
 
これは上で説明した。
 
①清 李渔 《慎鸾交·目许》:“据小弟看来,不但第三名不堪附骥,连那第二个女子也还是勉强续貂。”
曹雪芹《红楼梦》第三八回:“我也勉强了一首,未必好,写出来取笑儿罢。”
③杨沫《青春是美好的》:“有几个同学同情我的遭遇,帮助我交了两三个月的饭费,勉强读完了那个学期。”
 
近义词
将就、强迫、尽力、牵强、凑合。
 
 つまりは中国語では<勉強>は多義語なのだ。というか時を経て意味の変化がある。
 
反义词
情愿、充分、乐意。

反義語はおもしろい。

情愿 qíng yuàn:志愿;愿望。心里愿意。宁愿。

したい、やりたい

充分は<不十分>の反義語で、上の例では<十分できる>の反義語<能力不足>で出てくる。

乐意 lè yì:も多義語と言える。baike.baidu の解説。

  1. 甘心愿意 even if being taken advantage of, to be still willing
  2. 愿意提供…
  3. 满意、高兴
  4. 快意;高兴
  5. 愿意。

基本的には<よろこんでxxする>の意だが、無理することなく自然に to be satisfied, to be content の意もある。。快乐がないが、 生日快乐 (Happy birthday)、新年快乐 (Happy New Year) などよく使われる。乐意= 快乐 (happy) ではない。

さて中国語の話が長くなってしまったが、 日本語の<勉強する>について再考してみる。というのは日本語のネットの<勉強する>、<勉強>の語源の多くの解説では、中国の語源を反映して<勉強する>がワルモノ扱されているのが少なくない。勉強する>ではなく<学習する>であれば中立になるが、親が子供に<遊んでばかりいないで学習しなさい>というのはまず聞いたことがない。現代中國では<好好学习>、<努力学习>とよく言う。日本語の勉強する>には<やりたくはないが、無理にする、無理やりさせられる>の意がつきまっとているようだ。調べてはいないが今の<勉強する>は明治時代以降の使用だろう。もし遣隋使、遣唐使の時代であれば<能力不够,还尽力做;能力は不足だがせいいっぱいやる>の意で使われてきたはずだ。日本で中国語の<勉強>と同じような意味の変遷があったとは思えない。 だが明治時代以降の輸入使用とすると<やりたくはないが、無理にする、無理やりさせられる>の意味での輸入使用になるが、そうではない。おそらく知識人の文献からの輸入使用だろう。つまりは

《礼记·中庸》:“或安而行之,或利而行之,或勉强而行之,及其成功一也。”

輸入使用だろう。これに<勉強>の negative の意味合いはない。むしろ positive な意味内容だ。ここでかなり神格化された現代の経営者二人に登場してもらう。京セラの創業者稲森和夫と Apple の創業者 Steve Jobs だ。

稲森和夫は

いやな仕事とでも、実際やってみるとおもしろいことがある。
やりたくない仕事とでも、やっているうちおもしろくなることがある。

というようなことを言っている。 

<問題に対処する>、<困難に立ち向かってのり越える>は今は<チャレンジする>と positive な言い方に代わっている。稲盛和夫も Steve Jobs もそれまで世の中にないものを並々ならぬ苦労をして(あるいは経営者として並々ならぬ苦労を社員にさせて)製品化し、世に出して成功した創業者だ。ネットで調べてみると

稲盛和夫「経営の神様」10の名言

の一番目に 

1 稲盛和夫の名言1:仕事をとことん好きになれ

 という意のがある。関連する名言には

「八方ふさがりの状態で、いつまでもすねて、毎日ぶつぶつ言っていても、どうなるものでもない。自分の人生をうらんでみても、天に唾するようなものだ。たった一度しかない貴重な人生を、決して無駄に過ごしてはならない。どんな環境であろうと、常に前向きに生きよう」

『人生と経営』(稲盛和夫 致知出版社) p24

どんな分野でも、成功する人というのは自分のやっていることにほれている人です。仕事をとことん好きになれ─それが仕事を通して人生を豊かなものにしていく唯一の方法といえるのです。

『生き方』(稲盛和夫 サンマーク出版)p108

「最初は多少無理をしてでもいいから、まず「自分はすばらしい仕事をしているのだ」「なんと恵まれた職業についているのだろう」と心の中でくり返し自分にいい聞かせてみる。すると、仕事に対する見方もおのずと変わってくるものです」

『生き方』(稲盛和夫 サンマーク出版)p109-110

というのがある。一方 Steve Jobs は

こどものような遊び心と好奇心が重要

というようなことをいっている。

Steve Jobs <10の名言、Steve Jobs 10 quotes>の中では

7. “Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do.”

As programmers, we have the lucky fortune to often be extremely into our work. By following our passions, we can produce truly excellent products. Many people are locked into jobs that they didn’t want simply because they found themselves going down the path of least resistance. You can never truly succeed if you resent where you are.

というのがある。

個人的には1番目が好きだ。

1. “Simple can be harder than complex; you have to work hard to get your thinking clean to make it simple.”

Any programmer worth their salt knows the difference between something that works and something that is elegant. Steve Jobs built a fortune on creating simple designs that may have had the same functionality as other designs, but did it better. In programming, the simpler solution is always the best solution, as it carries with it fewer potential complications.

<勉強>では The 14 Best Steed Jobs Quotes (上の 10 Quotes と overlap するのが多い) の中に

13. "I'm convinced that about half of what separates successful entrepreneurs from the non-successful ones is pure perseverance."

 と言うのがある。

<Steve Jobs 10 quotes、Steve Jobs 14 quotes>の中には

この<こどものような遊び心と好奇心が重要>

がないのだが、他のところでこのようなことを言っているようだ。これは中国の<勉強>にも日本の<勉強する>にもない。<好奇心>の方は<好奇心から自主的に勉強、学習する>方が positive でいい、また効率もよく、ドンドン頭には入ってくる。

問題は<遊び心>で、   

特に<遊び心があると>自主的に勉強、学習するわけではなく、効率もよく、ドンドン頭には入ってくる、わけでもない。

<遊び心>は難しく、英国のユーモア、日本語の落語と関連があろうが、これらは主に言葉上の<遊び心>で行動は伴わない。ネットで少し調べてみると

大前研一は遊び心を「奥ゆかしい余裕、センスがいい独特のゆとり」とした上で「大切なのは新しいことを学ぶ心、人の心がわかること、人の上に立てるリーダーシップ、自分の考えをまとめて表現できる能力、多様な価値観を受け入れる力」と言う。

というのがある。 <遊び心>はすぐには<新しいことを学ぶ心>、<リーダーシップ>とは結びつかない。くわしくは大前研一の本を読む必要があろう。英語では playful というのがあるがイマイチ。

playful : 
Cambridge.org/dictionary

done as a form of play rather than intended seriously, or wanting to have a good time and not feeling serious:

むしろ例文の

They are most likely playful though, as a group, and imaginative, and resourceful, and entertaining. 

が参考になる。

 
 

sptt