Monday, September 13, 2021

<人のふり見て我がふり直せ>の<ふり>とは何か?

 

<人の振り見て我が振り直せ>は教訓めいているが、同じような内容でこの教訓臭(しゅう)がないのをイタリア語でみつけた

 Quello che vedi negli altri esiste in te.

似たようなのはいろいろあるようで

Ciò che vedi negli altri è il tuo riflesso.

Quello che vedi fuori è dentro di te.

日本語に訳せば

人の姿(すがた)にわが身の姿あり。

(気をつけて)人の姿を見れば我が姿が見えてくる。

とでもなるか。

<ふり>は無意識のうちによく使うやまとことばだ。

知らぬ(知らない)ふりをする。
知らんぷりをする。

知っているふりをする。
パリに行ったふりをする画家。
漱石の<こころ>を読んだふりをする。
酔ったふりをして xx する。 

金持ちのふりをする。

これは<金持ちぶる>と微妙に違う。

りこうぶる、不良ぶる

は説明がややこしくなる。

思わせぶり
ぶりっ子
男っぷり

英語で gesture という語がああるがあまり聞いたことはない。動詞の to pretend はよく聞く。to pretend は<xxのふりをする、xxを装(よそお)う>。gesture は本場の英語圏よりむしろ日本での方が<ジェスチャー>でよく使われているかも知れない。ネット英英辞典では

gesture

a movement of part of the body, especially a hand or the head, to express an idea or meaning.
 
"Alex made a gesture of apology"
 
synonyms: signal, signalling, sign, signing, motion, motioning, wave, indication, gesticulation
 
これからすると日本語の<ジェスチャー>は意味が少しずれている、
 
手ぶり、身振りに ズレが生じたのは、<手ぶり、身振り >という言葉はあるが、日本人は基本的にほとんどに手や頭や体(からだ)を使ったジェスチャーはしないからだろう。
 
 日本語の<ジェスチャー>
 
1)意図的にそのように見せる、見せようとするしぐさ。
2)真意とは違った、ときには真意を隠すためのしぐさ。

1)は<思わせぶり>にかなり近い、<単なるジェスチャーだろう>、<ジェスチャーが見え見えだ>などというので、多くは簡単に見破られてしまうようだ。<ふり>の方も上にあげた例文では簡単に見破られてしまうことを暗示している。ところで<しぐさ>は典型的な<やまとことば>だ。
 
ところが、否定になるとややこしい。
 
少しもその素(そ)ぶりは見えなかった、見せなかった。
 
この<素ぶり>は真意を示す、暗示する<しぐさ>と言える。<素=そ>は漢語由来だと思うが、粗品(そしな) 、粗末(そまつ)の<粗(そ)>とは違う。素性(すじょう)、素直(すなお、重箱読み)、素粒子(そりゅうし)という語があるので、<元の>、<本当の>の意味がありそう。
 
<ふり>は<ふる>の連用形の体言(名詞)用法。別のポストで<ふるまい>について書いているが、<ふるまい>は、<ふる>の連用形があ<ふり>なので元来は<ふりまい>。したがって<ふり>は<ふるまい>、<ふるまう>の<ふる>と関連がある。というよりはむしろ<ふるまい>が<ふる+まう>なのだが、<まい>が何だかよくわからない。<xx のようにふるまう>は<xx のふりをする>に似たしぐさだが、<xx のようにふるまう>はたいていは他人から見ての表現で、ふるまうひとの意図はあまり関係ない。一方<ふりをする>はふりをする人の<そうふるまう>意図があることを示す。

いったい<振(ふ)る>が<人のふり>、<我がふり>の<ふり>とどういう関係にあるのかが問題だ。つまりはこの<ふり>の語源だ。

昔はたっぷりした袖(そで)の衣服をきていたので<袖をふる>、<ふり袖>、<ない袖はふれない>という言い方に<振る>の意味が残っている。また<ふるまい>も<まい>がなんだがよくわからないが、ひとの動き、しぐさを連想させる。意図的な<袖をふる>は意図的なしぐさにはなる。

<ふり>に似たようなのに<まね>がある。<まねる>の<まね>だ。コンピュータワープロでは<真似>、<真似る>と出てくる。<ものまね>は<まねる>の意味があるが、
 
とんでもない<まね>をしてくれた。
へたな<まね>はするな。
バカな<まね>はよせ。
 そんな変な<まね>をすると、あとで痛い目にあうから気をつけろ。
 
といった慣用的な言い方がある。<まね>は<しぐさ>というよりは<すること>だが、なぜ<まね>が<すること>の意になるのか。おそらく、<xx して>まずい結果を出すのはよく考えずに<する>からで、これは往々にして人の<真似をする>からではないか。そうだとすると<ふり>との関連が出てくる<ふり>も<まね>もあまり褒(ほ)められたことではないようだ。
 
<すること>は<する>(連体形)+<こと>だが、<する>の連用形は<し>で、連用形の体言(名詞)用法からすれば<し>で<すること>になるが、
 
<し>が悪い、よい

とは言わない。この<し>の意味に近いのは<行(おこな)い>。だが<し>は短すぎるが<おこない>は長すぎる。

行いがが悪い、よい

<しぐさ>の<くさ>は名詞なので<しぐさ>は
 
<する>の連用形<し>+<くさ>になり、文法違反だ。 だがこれは

<する>の連用形<し>の体言(名詞)用法+<くさ>になり、
 
体言(名詞) +体言
 
の組み合わせ造語法と見ることができる。
 
しごと (仕事)
しかた (仕方) - しかた(が)ない。<しがない>はむずかしい。
 
も同じ。<しまつ>はおそらく
 
し+末(まつ)
 
で湯桶読み。純やまとこばなら<しすえ>だろう。
 
ものぐさ  体言(名詞)<もの>+体言<ぐさ>  この<もの>は何だ?
 
言いぐさ - <しぐさ>と同じ
 
とりとめがなくなってきたので、ここまでにしておく。
 
 
sptt

 




 


Saturday, August 7, 2021

発生、出現のやまとことば -出る、創造のやまとことば-出す

 

<創造のやまとことば>はかなり前のポストで


<出す>、<出る>は創造関連のやまとことばが多い。

作り出す、生み出す、描き出す(絵画、小説)、彫(ほ)りだす(彫刻)、 考え出す、紡(つむ)ぎ出す(比喩)、引き出す(比喩)(特徴を引き出して描き出す)、打ち出す(比喩)(新機軸を打ち出す)

と書いた。<出す>、<出る>についてもう少しチェックしてみる。日本語では<xx 出る>、<xx 出す>という複合動詞がけっこうあり、<xx 出る>は<現れる>で現象、<xx 出す>は<創(つく)り出す>で創造が予想される。複合動詞をチェックしてみる。

<でる xx>

<出る>の連用形は<で(て)>なので<出(で) xx>となる。<出る>は基本的に自動詞。

出会(あ)う ‐ 出会い
出歩く
出かける
出くわす
でしゃばる
出直(なお)す
出っぱる
出払(はら)う
(出もどる) - 出もどり

<xx 出る>

浮き出る - 自動詞
おどり出る  - 自動詞
つきでる - 自動詞。<つき出す>は自動詞他動詞兼用。意味は違う。
溶け出る - <溶けだす>も自動詞
飛び出る - 自動詞。<飛び出す>も自動詞。
にじみ出る  - 自動詞。<にじみ出す>も自動詞。
抜け出る - <xxから抜け出る>で自動詞、<xxを抜け出る>で他動詞。<抜け出す>も可能で<xxから抜け出す>、<xxを抜け出す>。
まかり出る - 自動詞
申(もう)し出る - 他動詞
漏(も)れ出る

 (追加予定)

 <出(で) xx>、<xx出る>の複合動詞は驚くほど少ない。調べたりないのか?これでは予想していた<xx 出る>は<現れる>で現象、の説明はできない。どうなっているのか?複合動詞にこだわらなければ

足が出る - 比喩的用法。相撲では<足が出る>と負けだ。
あくびが出る
頭がでる - モグラは頭が出るとたたかれる。<出る杭(くい)は打たれる>の現代版だ。私は<出る釘(くぎ)は打たれる>と思っていた。釘は頭があり、頭をたたく方が内容に合っている。<頭かくして尻隠さず>という言い方がある。
味が出る
汗が出る
大水(おおみず=洪水)が出る

我(が)が出る
風が出る
熊が出る
雲が出る
げっぷが出る
元気が出る (元気を出す)

災害(火災)が出る - 災害が発生する、災害が起きる
(事故が出る) - 事故が発生する、事故が起きる
死者が出る
しっぽが出る - <しっぽを出す>が普通。
しゃっくりが出る
咳(せき)が出る 月が出る

力(ちから)が出る
手が出る - 比喩的用法。すぐ手が出る。<手を出す>という言い方もある。

火が出る
屁(へ)が出る
ヘビが出る

波が出る
涙が出る

バスが出る
鼻水が出る
腹が出る
火が出る
病気が出る
船が出る
星が出る
骨が出る
ボロが出る
本根が出る

芽が出る

やる気が出る (やる気を出す)
勇気が出る (勇気を出す)

以上は<xx から出る>としていなが、基本的には<xx から>を足すことができる。 <xx から>は英語では<from xx>が連想されるが、<out of xx>が適切な場合がある。<to go from>は何だか変だ。英語では to leave という重要動詞もある。

<xx 出る>は<現れる><目に見えるようになる>の意もあるが、<起きる>、<起こる>、<発生する>になるようだ。 確かに<現われる出てくる>感じはあるが、多くは一度だけで<現象>というほどのことはない。

<出る>は基本的に自動詞だが

家を出る
故郷をでる
日本を出る

という言い方があり、いわゆる<” を ” を取る自動詞>になる。 道を歩く。

<出す>

<出す>の連用形は<出し>で<出す>が先にくるももの。<出す>は基本的に他動詞。カネを出す。

出し合う
出し惜しむ - 出し惜しみ
出しがら  - だし(出汁)。<だしを出す>は意味がある。
出し切る
出し渋(しぶ)る
出し抜く - だしぬけに= 突然に

<出す>が後にくるもの。<xx 出す>。

あぶり出す - あぶり出されて来るものを見ていると創造を見る感じだ。
編(あ)み出す - 編み出されて来るものを見ていると創造を見る感じだ。
洗い出す - 選別、選択か
打ち出す - 慣用法があるが、鍛造(鍛冶)は鉄を打ってモノを作り、まさに<打ち出し>で創造。製作だ。 相撲の<打ち出し>は<終わり>か。拍子木(ひょうしぎ)を打って終わりを告げる儀式がある。
生み出す - 創造
描(えが)き出す - 同じく描き出されて来るものを見ていると創造を見る感じだ。
えぐり出す
選び出す - 選別、選択か
押し出す
おびき出す
思い出す

書き出す - <考え><思い>を書き出す。表現する。一種の創造。<書き始める>の意もある。
掻(か)き出す
かつぎ出す
考え出す - 発明、アイデア
繰(く)り出す - 軍隊を繰り出す
蹴(け)り出す
濾(こ)し出す

探し出す - 発見
さぐり出す - サーチ、発見
誘い出す
さらし出す
しぼり出す - 水けのる洗濯物をしぼってみずをしぼり出す、知恵をしぼり出す
締(し)め出す
染め出す - 創造、製作

たたき出す  - 鍛造(鍛冶)-創造、たたいて追い出す
突(つ)き出す  - 他動詞/自動詞、 <突き出る>は自動詞
つくり出す - 創造
つつき出す
つまみ出す - 選択、選別
紡(つむ)ぎ出す
飛び出す  - 自動詞 <飛び出る>も自動詞
取り出す - 選択、選別

投げ出す - 慣用法で<ほうりなげる>というのもある。
抜き出す - 選択、選別
抜け出す - 自他  xx から抜け出す、xx を抜け出す
(身を)のり出す

掃(は)き出す
吐(は)き出す
引き出す -  やや強制的な創造、発見
ひねりだす -  知恵をひねり出す -  創造
(振り出す) - 振り出し
ほうりり出す
ほじくり出す -  やや強制的な発見
掘(ほ)り出す - 発見
彫(ほ)り出す - 創造、製作

見つけ出す - サーチ、発見

割り出す - サーチ

 (追加予定)

おもしろいのは、以上は<xx して出す>で、これはかなりある。 ところが<出してxxする>がもっとあってもよさそうだが、上に並べたように<出しxx>は多くない。出し合う、出し惜しむ、出し渋(しぶ)る、出し抜く。


あぶり出す - 出しあぶる (出してあぶる)
洗い出す - 出し洗う(出して洗う)
打ち出す - 出し打つ(出して打つ)
描(えが)き出す - 出し描く(出して描く)
選び出す - 出し選ぶ(出して選ぶ)

などは可能だ。

さて<xx出す>で<始める>の意がある。これは汎用性があり、意味が通れば、どんな動詞にもつく。

歩きだす  - 自動詞
言い出す - 他動詞
売り出す - 他動詞
怒り出す - 自動詞
駆(か)け出す - 自動詞
凝(こ)り出す  - 自動詞出(で)出す  ー 人気が出出だす。<出だす>は自動詞。(で)出しな
泣き出す - 自動詞
話し出す  - 自動詞、他動詞
走り出す - 自動詞
笑い出す  - 自動詞


<xx出す>で<始める>の意がある。これは<xx が出る>、 <xx が出て来る>由来だろう。

風がでる、、波がでる、月が出る、芽がでる

はそれまでなかった(見えなかった、聞こえなかった、感じられなかった)ものが現れる 、<出て来る>の意だ。

一方漢語の<発>には<出る><出す>の意がある。

発生、発送、発射、発車、発砲、発動、発光、発音、発声、発言、発行、発見、発明、発想;出発

中国では<出発>は<出発>というが<発車>は<開車>と言う。<開始>は<開始>だ。<発明>は<発明>だが<発見>は<発現>か。<発現>は文字通りでは<見えてくる>といった感じで自動詞的。 もちろん発音は違う。

自動詞

繰(く)り出す  行列が繰り出す。他動詞用法もある
せり出す - 自動詞  <せりもち>はアーチのこと
張(は)り出す - 自動詞 <頬が張り出す>。<壁にはり出す>は<貼り出す>か。これは他動詞だ。

<出る>、<出す>、特に<xx 出す>は無意識で使っているが、いいやまとことばが少なくない。たぶん発見の意味(出て来る)、創造の意味(生み出す、作り出す)、<見えないものが見えてくる>ことを表わすからだろう。

ところで<現象>のやまとことばは何か?

 

sptt

Monday, August 2, 2021

エンジン、エンジニアのやまとことば

 

エンジン(engine)とエンジニア(engineer)は関連語。昔はエンジンを発動機と言っていたようで、ひと昔まえまではヤマハはヤマは発動機、ダイハツは大阪発動機と言っていたようだ。自動車を汽車という中国でも発動機は通じるようだ。だが日本ではいまは車のエンジン。最近は電動自動車をかなり見かけるが、こちらはエンジンではなく電動モータで動くが、モータも発動機と言うようだ。発動機のやまとことばはないだろう。発動機の<機>は機械の機で、<からくり>とうやまとことばがある。電動モータは<からくり>の感じが少しあるが、エンジンは音と力と動きが先にきて<からくり>の感じがうすい。発動は文字通りでは<動きを発する(出す)>で、発動機は<動き出しからくり>とるが、まず使う人はいないだろう。<動き出し>は<<動き出す>の連用形になってしまう。<動きを出すからくり>が正しいのだが長すぎる。エンジニアは<技術者>で、エンジニアと技術者は大体同じ意味、そして同じくらいの割合で使われているか。エンジニア、技術者のやまとことばはなにか?昔は<(たくみ(匠)>という言葉あったようだが、今は<たくみな>、<たくみに>で使われる程度だ。職人という言葉があるが、エンジニアと技術者とは別格で、エンジニアと技術者は<学>や<学問>や<学歴>が関係するが、職人は実践や修行をへて職人になる。一人前の職人になるためには実践や修行が必要だ。職人のやまとことばも見つからない。昔は一人前の職人に<(たくみ(匠)>が使われていたかもしれない。XX師(指物師、鍛冶師(鍛冶屋)、教師)というのもあり、専門職。だがこれまたやまとことばではない。師匠という言葉があるが<ししょう>で<したくみ>ではない。技術の<技>は<わざ>とも読む。<わざ>はいい意味でも使われるが、日常語で<わざ師>、<わざと>、<わざわざ>のようにあまりよくない意味でも使われる。職業の名前にはなぜかやまとことばが少ない。

さてエンジニアにもどると engine、engineer の関連語を調べてみると ingenious という言葉がある。 ingenious は褒め言葉だ。genius は天才。genius (天才)は知能指数が高いだけでなく、ときに独創性を要求される。ingenious のネット辞書の解説は

"

ingenious

/ɪnˈdʒiːnɪəs/

adjective
(of a person) clever, original, and inventive.
 
"he was ingenious enough to overcome the limited budget"
 
synonyms: inventive, creative, imaginative, original, innovative, resourceful, enterprising, insightful, inspired, perceptive, intuitive, clever, intelligent, bright, smart, brilliant, masterly, talented, gifted, skilful, capable, sharp, astute, sharp-witted, razor-sharp, quick, quick-witted, shrewd, elaborate, sophisticated, trailblazing, pioneering, on the ball, thinking outside the box, genius

 "

でほぼ言いことずくめだ。 shrewd が例外か。これは<(たくみ(匠)>の<たくみな>、<たくみに>が例えば

言葉たくみに人をだます

のように shrewd の意味があり、よく使われる。また。<わざ>も<わざ師>や<わざと>で悪い意味でよく使われるんとは対照的だ。

ところがイタリア語の ingegniere (エンジニア)の関連語、というかもとの語の動詞で ingegnare というのがあるが、これを少し詳しい辞書(Treccani)で調べてみると、 ingegnare では使われないようだが再帰用法の ingegnaresi の解説がある。

Treccani



ingegnarsi
v. intr. pron. [der. di ingegno] (io m’ingégno, ... noi c’ingegniamo, voi v’ingegnate e, nel cong., ingegniamo, ingegniate). – 1. Adoperarsi con l’ingegno per superare difficoltà e raggiungere il fine voluto: i. a (o per) trovare una soluzione; anche per fini non lodevoli: s’ingegna in ogni modo per mettere in cattiva luce i colleghi. Nell’uso ant., con sign. più generico, sforzarsi e sim.: Io era come quei che si risente Di visïone oblita e che s’ingegna Indarno di ridurlasi a la mente (Dante); E par ben ch’io m’ingegni Che di lagrime pregni Sien gli occhi miei sì come ’l cor di doglia (Petrarca). 2. Nell’uso com., adoperarsi a un fine ricorrendo a ripieghi o a espedienti (talora anche non onesti), fare del proprio meglio, industriarsi: ingegnarsi per vivere, per tirare avanti con la famiglia; ingegnarsi per guadagnare qualche cosa; anche in usi assol.: nella vita, bisogna sapersi ingegnare; non ha grandi mezzi, ma s’ingegna, fa quello che può.

とあり、いい意味での使用とあまりよくない意味での使用が半々と言ったところで、日本語の<たくみ>、<わざ>に似たようなところがあり、おもしろい。古い用法としてDante、 Petrarca が出てくるが、むずかしいのでこの箇所は省略。、イタリア語の勉強をかねて、少し詳しく見てみる。

1. Adoperarsi con l’ingegno per superare difficoltà e raggiungere il fine voluto: i. a (o per) trovare una soluzione; anche per fini non lodevoli: s’ingegna in ogni modo per mettere in cattiva luce i colleghi.

 adoperare はa + operare で to operate の強調みたいなもので<(一生懸命)働かす>。これまた再帰用法の adoperarsi で<(一生懸命)働く>になる。ingegno はもとの語(名詞)で ingenuity 相当(もっとも由来は逆で、英語の ingenuity が ingegno 由来なのだ。 superare difficoltà は困難を克服する。raggiungere il fine voluto は所期(望むところ)の目的を達する。 trovare una soluzione は解決策をみつける。anche per fini non lodevoli あるいはまた、ほめられたことではない目的のため。

s’ingegna in ogni modo per mettere in cattiva luce i colleghi.  

これは例文で<mettere in cattiva luce>は慣用表現、文字通りでは<仲間を悪い光の中に入れる>で、つまりは<仲間を悪く見えるようにする>といった意味のようだ。その前に s’ingegna in ogni modo あらゆる手(手段)を使って<(一生懸命)働く>が、あるので、かなり悪意をもった行動だ。

2. Nell’uso com., adoperarsi a un fine ricorrendo a ripieghi o a espedienti (talora anche non onesti)

Nell’uso com. = common use
ricorrendo - using
ripieghi -> ripiego (<(再び)包む>が原意- expedient (a makeshift solution)
espedienti - gimmicks
talora - talvolta (sometimes)

その場しのぎの方法やゴマカシ(gimmicks)を使って(一生懸命)働く(時として不正直に)

ということ。

fare del proprio meglio、 industriarsi

は慣用表現で、1)最善をつくす、2)できるかぎりやる、3)できるだけやる(やってみる)。 この1)2)3)は同じようだが、少し考えて見ると大きな違いがある。<できるだけやる(やってみる)>と言われてもあまり期待しない方がいい場合が少なくない。

industriarsi も再帰動詞(イタリア語では再帰動詞が大活躍する)。英語の industry  は産業と訳されるが、関連形容詞のindustrial <産業の>以外に industrious という形容詞があり、人の形容として<勤勉な,よく働く>の意だ。

ingegnarsi per vivere, per tirare avanti con la famiglia 

生きる(生活する)ために、家族をを率いて行く(何とか生活する)ために、<(一生懸命)働く>

ingegnarsi per guadagnare qualche cosa

何かを手に入れるために<(一生懸命)働く>

anche in usi assol.: nella vita, bisogna sapersi ingegnare; non ha grandi mezzi, ma s’ingegna, fa quello che può.

頭の in usi assol. の assol. は assolute の略で最上級表現(il più)といえる。<できるかぎり>と言った意味。この文の意味は

人生では<(一生懸命)働く>ことを知るべきだ。大きなやり方ではなく、出来るかぎり<(一生懸命)働く>ことを。

さてまたエンジニアにもどると、日本では英語のままではあまりいい意味では使われないが technology (これまた技術と訳される)関連語の technician(テクニシャン)、technique というのがあり、これまた技術者と訳されているようだ。 technician、technique の方は専門知識や経験はあるが、修理屋の感じがある。自動車や機械に問題があった時に正常な状態に戻してくれる。

本来の意味のエンジニアは問題解決に加えて(これまで世に中にないことの)創造、設計能力が要求されるようだ。これはtechnician(テクニシャン)には要求されない。ここが大きな違いでエンジニアは単なる専門知識や経験がある修理屋的な技術者とは違う。冒頭の ingenious の同義語を訳してみると

synonyms: inventive(発明創意的), creative(創造的), imaginative(想像豊かな、創造性豊かな、工夫が多い), original(独創的), innovative(革新的), resourceful(<資源豊かな>ではなく臨機応変な), enterprising(企業的、創業的), insightful(見方が深い), inspired (創造的な霊感がよく働く), perceptive(創造的な感受性が高い), intuitive(直観的), clever(かしこい), intelligent(知能が高い、よくないニュアンスのインテリの意味はない), bright(頭がいい), smart(頭がよく働く), brilliant(すぐれて頭がいい), masterly(職人のように器用な、熟練の), talented(才能ある), gifted(才能に恵まれた), skilful(手先が器用な、何でもうまくこなす), capable(有能な), sharp(するどい、頭が切れる), astute(臨機応変な、機敏な), sharp-witted(するどい機敏な知恵がある), razor-sharp(カミソリの刃のようにするどい、頭が切れる), quick(反応が速い), quick-witted機敏な知恵がある、気のよく利く), shrewd(ずるがしこい), elaborate(よく働く), sophisticated(洗練された。<世故にたけた>が辞書にあるが適切ではない。a sophisticated woman はいい意味だ。), trailblazing(道を切り開く), pioneering(先駆者的な、先進的), on the ball(ボールの上に乗るように巧みにxxする), thinking outside the box(常識から抜けだして考える), genius(天才がある)

 "

学校の成績がいいのは clever ではなく bright、 smartbrilliant。社会生活では smart、clever、shrewd の順で意味が悪くなる。

これを調べているうちにわかったが、<着こなしがうまい、スマートな姿>の smart は英国英語、<頭がいい、知能的な>の smart はアメリカ英語ということだが、日本でも今はアメリカ英語の smart が優勢か。

<wit >を一語で表わす、説明するのは難しい。 これは英国英語。

さて上の訳では、できるだけやもことばを使おうとしたが、実際に使時の簡潔さを考えると漢語が多くなる。 中国では技術者は一般的に工程師という。別に工場で製造工程をする人を指すわけではなく、広くエンジニア、技術者のこと工程師というようだ。香港では<xx工程公司>という会社名も見かける。一方専門的に電気、水道(水回り)の仕事をする人、修理屋、さらにはバスの運転手(運転手は普通<司机>という)も時として师傅(師傅)(shi-fu)と呼ばれる(これは北京語も広東語も同じような発音だ)。大体は自分ができないことをやってくれる専門家を<傅>とよぶようだ。中国の工程師がどう見られてているかよくわからないが一般的には若くても一目おかれており、給料も高いようだ。だが ingenious 、すなわち inventive(発明創意的), creative(創造的), imaginative(想像豊かな、創造性豊かな), original(独創的), innovative(革新的)であることは要求されていないようだ。

さてまたエンジニアにもどっとてやまとばを考えてみる。

問題解決 - 切り抜ける、ときには目新しい、かしこい、たくみなやり方を生み出して 

問題を未然に防ぐ - 工程師の仕事だ。何事(なにごと)もうまくことをはこぶ

設計 - 新しいことを考えだしてやる(実行する、させる)。設計のやまとことばも適当なのがない。<新しいことを考えだす>だけではダメで、実行できるように具体化しないといけない。設計図は具体化した例だ。実行、実施の責任はまた別だが、実行、実施が設計通りになっているかのチェックはエンジニアの仕事だろう。計画は設計に似ているが、これまた漢語だ。計画は文字通りでは<計る(図る)><画く(描く)>だ。

設計、計画: うまくはからう 

難しいことをやる - 考えて難しいこともうまくこなす 

<問題解決と設計>がエンジニアの二大仕事だろう。これをやまとことばで表わすと<切り抜け>と<考えだし>だ。さらにかしこい、たくみなやり方を使わないといけない。

エンジニア: 切れ者こなし屋(や)

 

関連のやまとことば

creative(創造的): 作り出す、描き出す、彫(ほ)り出す

inventive(発明創意的)、innovative(革新的): 切り開く

発明と発見は違うが

発見: 探し出す、見つけ出す、掘(ほ)り出す

masterly(職人のようなに器用な), skilful(手先が器用な、何でもうまくこなす), capable(有能な): 

うまくこなす、切り抜ける

insightful(見方が深い): 深く切り込む

<出す>、<切る>が重要語のようだ。

clever(かしこい), intelligent(知能が高い), bright(頭がいい), smart(頭がよく働く), brilliant(すぐれて頭がいい) : かしこい - 語源を調べていないがいいやまとことばだ。悪い意味の<かしこい>は<ずるがしこい>があるので、<かしこい>は基本的に言意味だ。また高い知能の意味だけではない。<かしこくきり抜ける>は問題がうまく解決しそう。<かしこくはからう>もコトがうまく運びそうだ。

漢語になるが日本語では知恵と悪(わる)知恵も区別があるのはいいことだ。<知恵と工夫を凝らす>は大体言い意味だ。


次のポスト予定

<切る>は カット(to cut)だけではない。(頭の)切れるエジニア

<xx 出す>は創造動詞

 

sptt


 


Friday, July 30, 2021

うれしがらせて

 

前回のポスト ” <したい><したくない>と<したがる><したがらない> ” の続き。超ナツメロになるが

うれしがらせて泣かせて消えた 

という歌の文句がある。<女心の切なさ>を演歌調に表現したもので、わるくない。ところで<うれしがらせて>の<うれしがらせる>とは一体どういうことか?前回のポストで

(前略)

この<たい>になんだかよくわからない<がる>がつくと<たがる>になる。

太郎は行きたがる
花子は遊びたがる
次郎は結婚したがる (したがっている)

<たがる>は大いに日本語特有な言い方で、少なくとも英語にはない。特有な言い方というのは

私は行きたい
私は遊びたい
私は結婚したい 

はちょっと変な日本語だが、翻訳調と思えばいい。一方<たがる>の方は

私は行きたがる
私は遊びたがる
私は結婚したがる 

はまったくダメ。この人称がかわるとダメになるところは注目していい。

(後略)

と書いた。 <うれしがらせる>は 歌の内容からは<私をうれしがらせる>で使役形。<私はうれしがる>はダメだが、使役が成功すれば<私はうれしがる>になり、実際には<.....消えた>と過去形なので<私はうれしがった>ことになる。<私は行きたがった>は変ではない。さらには<私は行きたがる>も<まったくダメ>ではないようだ。一体<がる>はどういう意味か?

(私を)うれしがらせることを言うじゃないか。

(私を)うれしくさせることを言うじゃないか。
(私が)うれしくなることを言うじゃないか。 

で言い換えられる。また少し長くなるが

(私を)うれしがらせるようなことを言うじゃないか。
(私を)うれしくさせるようなことを言うじゃないか。
(私が)うれしくなるようなことを言うじゃないか。 

が自然だ。

突然だが中国の故事に<虎の威を借る(狐假虎威)>というのがある。<威を借る>(コンピュータワープロ)となっているが本家の方は<狐假虎威>で<假(仮)る>なのだ。

虎の威を借る -> 虎の威を借(かり)る

假虎威 -> 虎の威を假(仮)る -> 虎の威を装(よそお)う

 両者は違うようだが、基本的には同じだ。言葉の方も<借りる>の古語は<借(か)る>だ。<假(仮)る>という動詞は、すくなくとも現代日本語では聞かない、見ない。だが<仮(か)る>の連用形<かり>の体言(名詞)用法では

仮に、仮にも、仮の

はよく使う。 日本語の<仮の>は必ずしもニセモノではないが、中国では<假貨>はニセモノで、たくさん出回っていることもあるが、よく耳にする言葉だ。もっとも<仮に、仮にも>の意の仮もある。假如。

また

私はうれしかった(私はうれしい)

私はうれしがった (私はうれしがる)

の違いは<私はうれしがる>の方は<がる>の一語(2音節)で、あるいは<かる、仮る>で、<うれしい>が<仮(かり)の、ニセモノの>である(あった)を示唆している。


かなり高い可能性で<がる>はこの<かる(仮る、借る)> 由来だろう、

 

参考

sptt Short Stories, Poems and Aphorism

虎の威を借る(狐假虎威)

 

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<したい><したくない>と<したがる><したがらない>

 

<したい>は<する>の連用形<し>+<たい>。<たい>は古くは<たし> で形容詞語尾なので、形容詞、あるいは形容詞語尾の願望の助動詞かもしれない。

行きたい (行き+たい)
遊びたい (遊び+たい)
結婚したい (結婚し+たい)

となる。この<たい>になんだかよくわからない<がる>がつくと<たがる>になる。

太郎は行きたがる
花子は遊びたがる
次郎は結婚したがる (したがっている)

<たがる>は大いに日本語特有な言い方で、少なくとも英語にはない。特有な言い方というのは

私は行きたい
私は遊びたい
私は結婚したい 

はちょっと変な日本語だが、翻訳調と思えばいい。一方<たがる>の方は

私は行きたがる
私は遊びたがる
私は結婚したがる 

はまったくダメ。この人称がかわるとダメになるところは注目していい。ややこしいのは否定表現だ。

太郎は花子と結婚したい。
太郎は花子と結婚したくない。
太郎は花子と結婚したがっている。( 太郎は花子と結婚したがる、はなぜかちょっと変だ)
太郎は花子と結婚したがらない。 

最後の<太郎は花子と結婚したがらない>はどう解釈したらいいのか?(宿題)

 

<がる>関連の次のポスト ” うれしがらせて ” 参照。

 

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Thursday, July 29, 2021

<かねる>と<かねない>

 

<かねる>と<かねない>はかなり複雑。

大は小をかねる。

これはたとえば、

子供の服は大人が着られないが、大人の服は子供が着られる。

これは<大は小を含む>に包含関係で説明できるが、<かねる>の意味からすると

大きな服は大人用にも子供用にもなる。

が正しい。

太郎は大会社の会長と社長を兼ねている。
次郎は零細企業の社長と平社員を兼ねている。
花子はOLと主婦を兼ねている。 

が例で、これからすると<かねる>は<二つ以上の機能を果たす>。<二つ以上>なので<三っつ>、<四っつ>の機能を果たすことにも<かねる>が使えそうだが、大体は<二つだ>。たくさんの機能を果たすでは英語に multi-function, multi-functional (多機能)という言葉がある。聞こえはいいが、たいしたことはない。スイスアーミイナイフは寄集めで純多機能とは言い難い。

<かねる>の基本的な意味は上記のようになるが、日本語では<xx かねる>という言い方があり日常そこそこ使われる。

xx しかねる
xx とは言いかねる
その申し出は受け入れかねる

 手もとの辞書で<諸般の事情でxxできないこと>というようなことが書いてあり、これでよさそうだが

それはできない

それはできかねる

の違いをどう説明したらいいのか。 例を続けると

見るに見かねて(助けてやった)
待ちかねる
その説明はわかりかねる
そんな情報は知りかねる  (知らない、知っていない、知ることができない、私とは関係ない、etc)

の<かねる>の説明もそう簡単ではない。さらにやっかいなのは<xx かねない>で

 しかねない、やりかねない
言いかねない 、言い出しかねない
家出しかねない    家出しかねる(ほぼダメ)
災害がおこりかねない  災害がおこりかねる(ダメ)
思わぬ事故がおこりかねない   事故がおこりかねる(ダメ)
こんな売り上げでは社長がおこりだしかねない。 社長がおこりだしかねる(ダメ)
待ちかねる -> 待ちかねない、 これでは一日中、一生待ちかねない。
見るに見かねて -> 見かねない(?) 見るに見かねることができない(?)
その説明はわかりかねる -> わかりかねない  誰かにわかってしまいかねない
そんな情報は知りかねる ->知りかねない   敵がその情報を知りかねない

手もとの辞書で<諸般の事情でそうなってしまう>というようなことが書いてあるが、イマイチだ。元の動詞<かねる>との関連がないのだ。


さて<それはできない>と<それはできかねる>の違い

<それはできない>は単純にそのまま解釈していいだろう。<それはできかねる>は

(できない諸般の事情があるので)できない。

というよりも

それはできるが、できない諸般の事情があるので)できない。

のほかに

それはできるが、、したくないので)できない。

の意味がありそうだ。 だがこれだと

できるのに<べきない>とはいったいどういうことだ?

と言われそう。答えるとすれば

できない諸般の事情があるのだ。

したくないのだ。

になるだろう。

もう少し考えて、<かねる>にもとの意味に関連して二者選択のジレンマ、二股膏薬(こうやく)=どっちつかず 、のような状況を考えてみよう。

その申し出は受け入れかねる。

は結局、つまるところは拒絶、

その申し出は受け入れない、受け入れられない。

なのだが<受け入れかねる>では<かねる>があるので、この場合はまったく表面に出てこない、意識もされないが

<受けれる>と<受け入れない>の間を行ったり来たりしている、言い換えると<受けれる>と<受け入れない>を<かねた>状態をしさしているのではないか?

その申し出は受け入れかねる。 ->その申し出は<受け入れる><受け入れない>をかねている。したがって結論は出ない。あるいは<受け入れない>のではないが、そうかといって<受け入れる>わけでもない、といった ambilalent (二股膏薬(こうやく)=どっちつかず)、ambiguous (あいまいな)な状態をしさしている。ちなみに ambi = both という説明がある。

さて次は<かねない>。<かねない>もこの<かねる>にもとの意味を考えれば、かなりすっきり説明できる。<かねない>は<かねる>の否定なので< ambilalent (二股膏薬(こうやく)=どっちつかず)あ>の否定だ。そうすると<どっちつかずの結論が出ていない>状態ではなく、どちらか(一つ)の方に大きく傾いた状態。どちらか(一つ)の方になる可能性が大きい、確率が高い状態、優勢。このような状態が<かねない>なのだ。英語で predominant という形容詞がある。チェックしてみると、most probable (可能性が大きい、確率が高い)というのもある。

 

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Tuesday, July 27, 2021

<わかる>と<わからない>


<わかる>、<わからない>は日常生活で大活躍する。<わかる>、<わからない>の常套句を集めてみた。 (順不同)

わかる

謎がわかる。謎がわかった。
わかりっこない
わかるはずない
わかっている。わかった、わかった。 (往々にして、わかっていない)
なんとなくわかる。
やってみればわかる。
わかりかける
わかり切ったことをくどくど言うな。 (往々にして、わかっていない)
わかりすぎるほどわかる。 (社交辞令で、往々にして、わかっていない)
わかっていたつもりがわかっていなかった。
わかりにくい
聞いてわかる
見てわかる
わかりがいい、わかりが悪い
わかりがはやい(早い、速い)  
身にしみてわかる
すっかりわかる
いたいほどよくわかる。今度はいたいほどよくわかった。 
わかりすぎるほどよくわかる  (往々にして、わかっていない)
違(ちが)いがわかる
わかっちゃいるけど、やめられない。 (なぜかは大きな謎だ)
 

わからない

なぜだかよくわからない(推測がつかない)
わかったようでわからない
わかっいたつもりがわかっていなかった。
違(ちが)いがわからない
やってみないことにはわからない。
ちっともわからない
ちっともわかっちゃいない。
まったくわからない  
まるっきりわからない (お手上げだ)
すこしもわかってくれない、もらえない。
わかりかねる、 わかりかねない(二重否定、わかってしまうかもしれない)
なにがなんだかわからない。
なにがなんだかわけがわからない。
わけのわからないことをいうな。

わからずや

以上はみなほとんど無意識でつかっている。

 

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Monday, July 26, 2021

誤解のやまとことば

 

<誤解>のやまとことば<取り違ちがえ>、<誤解する>は<取り違ちがえる>だろう。<誤解>の文字通りの意味は<誤(あや)まった理解>、<誤解する>は<誤(あや)まって理解する>だがほとんど聞いたことがない。実際には<取り違ちがえ>や<取り違ちがえる>もほとんどきかず、もっぱら<誤解>、<誤解する>だ。

<理解する>はおおむね<わかる>なので

誤解: わかりまちがえ
誤解する: わかりまちがえる

がやまとことば候補の第一だろう。<まちがえる>が一般的だが<たがえる>というやまとことばもある。

 

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Sunday, July 18, 2021

とぐろを巻く

 

<とぐろを巻く>はたまに聞く程度だが、死語ではない。 <とぐろを巻く>の<とぐろ>は<と>(接辞)+<ぐるぐるまき>の<ぐる>か。だがこれでは何のことだかわからない。だが<とぐろを巻く>はヘビが、自分の体を<ぐるぐるまき>にして休んでいる、ことのようだ。これが比喩的に、何もしないでひとところにじっとしている、の意で使われてきたという(ネット語源辞典)。ヘビには気の毒だが、だいたいよくない意味で使われる。逆説的になるが、<とぐろを巻く>が安心して使われるのは<とぐろ>が何だかわからないからかもしれない。

さてここで問題にしたいのは、正確にはヘビが<とぐろ>を巻くのではなく、ヘビが自分の体を<ぐるぐるまき>にしてできるのが<とぐろ>、自分の体を<ぐるぐる巻いて>できるのが<とぐろ>であって、ヘビは<とぐろ>を作るわけではないことだ。ヘビに意識があるとすれば、ヘビは意識して<とぐろ>を作るわけではない。結果としてとぐろができるのだ。<とぐろ>状態になるには何かわけがあるだろうが、ここでは詮索しない。人の最善の防御方法として<自分の体を丸くする>があるので、ヘビが<とぐろを巻く>のは最善の防御方法なのかもしれない。人が<自分の体を丸くする>は言い換えると<丸(丸まる>で、できないことはない。昆虫で丸虫というのがいて、自分の体を丸くする。いづれにしても外界と接する表面積は最小になるので、道理はある。<丸虫が丸くなる>を言い換えると<丸虫が身を丸くする>、さらに大幅に言いかえると<<丸虫が団子を丸める>で、これは<ヘビがとぐろを巻く>にかなり近い表現だ。丸虫はヘビほどきらわれていないので、中立の表現ができる。<子供が公園のすみで団子を丸めている>。

同じではないが、似たような言い方を調べてみた(最近たまたまみつけたのが多い)。

腰をぬかす。

これは専門家か実際に<腰をぬかした人>にしか説明できないだろ。これは<腰をぬかそうとして>腰をぬかす人はいないといってよく(相当に苦痛をともないそうだ)、実態としては<腰がぬける>のだ。

骨を折る

<骨を折る>は比喩的に使われるところは<とぐろを巻く>に似ている。実際に<骨を折る>のではない。実際に折ろうとして<骨を折る>人はこれまたごくまれで、これまた相当に苦痛をともないそうだ。実際には<骨が折れる>で、相当に苦痛をともなうが、予期せぬ事故とし発生する。<骨が折れる>ももっぱら比喩的に使われる。

指を切る

も<骨を折る>に似たところがある。もちろん切ろうとして自分の指を切る人はまれで、予期せぬ事故とし発生する多くは<切りきず>を作る程度で、<指を切り落とす>の意味にはならないだろう。

 トゲを指す - これはかなり前にべつのポストで論じている。 

胃潰瘍(いかいよう)をおこす。(下痢(げり)をおこす)

<胃が潰瘍をおこす>は文法的に変ではない。

太郎が(は)胃潰瘍をおこして入院した。

これももちろん胃潰瘍になろうとして胃潰瘍をおこすわけではない。結果として胃潰瘍になるところは、ヘビが体をぐるぐる巻いて、結果としてとぐろになるのと一緒だ。 <下痢(げり)をおこす>も同類だ。

<おこす>は<起きる(起こる)>の他動詞形だが、どうも自動詞の意味<(結果として)xxになる>が強く残っている。

クルマがエンコ(エンジン故障)をおこす

以上は似てはいるが<とぐろを巻く>と同じ言い方ではない。

<のり巻きを巻く>という言い方がある。 ご飯をのりで巻いたものが<のり巻き>なので、<のり巻き>が<とぐろみたいなもの>なら<とぐろを巻く>と同じ言い方になる。だが大きな違いがある。<のり巻き>は<人がご飯のりで巻く>。一方<とぐろを巻く>は<ヘビが自分自身の体を巻く>ことだ。<とぐろを巻く>と同じになるためには<ご飯のりで自分自身を巻く>必要がある。

焼もちを焼く

<焼きそば焼く>とはいわないが(焼きそばは実際<焼く>というよりは<炒(いた)めるだ)、<焼きもちを焼く>と言い方がある。これまたなぜか使い方はほぼ比喩100%だ。 実際のもちなら<もちを焼く>だ。<もちを焼いて>できたのが<焼きもち>なので、これまた<焼きもち>が<とぐろみたいなもの>なら<焼きもちを焼く>は<とぐろを巻く>と同じ言い方になる。だがこれも人がもちを焼くので<とぐろを巻く>とは基本的に違う。

餃子(ぎょうざ)を包む

日本では餃子は作るもの(餃子を作る)だが、中国では<餃子を包む(包餃子)>という。これは具を餃子の皮で包んでつくる。出来上がったもの、結果として出来上がるものが餃子だが<包餃子)>という。この場合<包>は他動詞か、はたまた to become のような自動詞か?

折り紙を折る

 これは普通<折り紙細工作品を作る>と言う意味で、材料の<色のついた四角い紙を折る>の意味ではない。これは上の<<餃子を包む(包餃子)>ににている。

 

<ヘビがとぐろを巻く>、<丸虫が団子をつくる>は一種の<自動詞->他動詞>変換表現だ。

ヘビがとぐろになる。 <-  ヘビがその身をぐるぐる巻いてとぐろになる。
丸虫が団子になる。  <-  丸虫がその身をまるめてて団子になる。

これはイタリア語の再帰動詞用法による<他動詞->自動詞>変換に似ている。

 

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Wednesday, July 14, 2021

<チャレンジ、挑戦>のやまとことば

 

<勇気、挑戦のやまとことば>というポストをだいぶ前に書いたことがあるが、今回は第2弾。今回の内容は重なるとことろもあるが、新しい考察もある。

英語の<チャレンジ>と漢語の<挑戦>は同じくらいの割合で使わているか。 チャレンジの場合は<チャレンジ精神>という英漢混合の言葉もよく使われる。一方<挑戦精神>は聞かない。<チャレンジ、挑戦>は前向き、positive な言葉で悪くないが、これに相当するやまとことばは何か?

<挑戦する>は<いどむ>といういいやまとことばがあり、ときどき聞くが、<挑戦する>、<チャレンジする>と同程度の使用頻度か。一方、体言(名詞)形の<いどみ>はなぜかほとんど使われない。<いどむこと>も<チャレンジ>、<挑戦>にはならない。

少し意味はずれるが<試(ため)す>、<試(ここる)みる>がある。<試(ため)す>は<ためしにやってみる>という言い方があり、体言(名詞)形の<ためし>を無意識のうちに使っている。<ためしにやってみる>と<ためしてみる>ではニュアンスが違う。<ここるみる>の体言(名詞)形<こころみ>は<そのこころみは失敗した>など、ややカタい表現になる。<こころみにやってみる>と<こころみてみる>もあまりきかない。

<挑戦する>、<チャレンジする>は<困難に立ち向かう、困難に立ち向かってこれを克服する>といった意味がある。<立ち向かい>は<チャレンジ、挑戦>のやまとことば候補だ。 

これほどでシリアスではなく、軽いニュアンスの<やってみる>というのがある。使用頻度はこれが一番高いのではないか。一方<挑戦してみる>、<チャレンジしてみる>だと<挑戦する>、<チャレンジする>に比べて少しトーンダウンするような気がする。

<やってみる>はやまとことばらしい言い方だ。、軽いニュアンスが逆にいい。

聞いみただけでは、忘れる。
見てみて、忘れれない。
やってみて、わかる。

という孔子の言葉がある。

I hear and I forget.
I see and I remember.
I do and I understand.


<やってみる>の体言(名詞)形は<やってみ>で聞いたことはない。だが<やってみ精神><やってみる精神>より語呂がいい。<やってみよう精神>は長くなるが<やってみる精神>よりはいい。Nike の宣伝コピーに Just do it ! というのがあり、かなり長く使われている。

ところで、<ためす>、<ここるみる>はコンピュータワープロでは<試す>、<試みる>と出てきて<試>の字が使われている。<試>の字では<試験>がすぐに頭に浮かぶが、<試練(しれん)>というのもある。

試験、試練は基本的に<人を試(ため)す>モノだ。そして人は<試(ため)される>のだ。<人を試(ため)す>はかなりシリアスな内容。これだと

<試験を受ける>は<試すモノ>に挑戦、チャレンジする

になる。ややこしいのは<試験に受かる>で、この解釈は難しい。<試すモノ>に<試されて>、<受け入れられる>といった意味のようだ。

<受ける>は<xx を受ける>で他動詞だが、<xx に挑戦する、チャレンジする>は 内容に反して自動詞。<勝つ>、<負ける>も自動詞だ。

一方<受かる>は<xxに受かる>で自動詞。一方<受け入れられる>は他動詞<xx を受け入れる>の受身形。<受かる>はかなり特殊な動詞で、<チャレンジ、挑戦>が成功する意味がある。

 

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Monday, July 12, 2021

ずるける、 なまける、 とぼける、 ふざける

 
おもしろい<xx ける>動詞を探してみた。

あざける
いじける (いじいじ)
おじける (おじけづく)
かまける (かまう)
けしかける
こける
すすける (煤ける)
ずるける (ずるい)
だらける (だらだら)
なまける (なまくら)
とぼける (ぼける) (とぼとぼ)
とろける  (とろみ)(とろとろ煮る))(とける)
はだける (肌ける)
ばらける (ばらばら、ばらばらになる / する)
ふざける
ふるぼける  (ぼける)
ぼろける  (ぼろ)(ぼろぼろ)
よろける  (よろよろする)

 

なぜかかんばしくない意味の動詞が多い。だがこれは意識的に選んで並べたからで、ほかにも<xxける>動詞はたくさんある。ざっと調べてみたが、<xx く> / <xx ける>の他動詞 / 自動詞コンビが多い。<xx ける> / <xx かる>の他動詞 / 自動詞コンビ、<xx ける> / <xx かす>自動詞 / 他動詞コンビもあり、そうとう複雑。


開(あ)く (自動詞) - 開ける (他動詞)
空(あ)く (自動詞) - 空ける (他動詞)
受ける (他動詞) - もうかる (自動詞)
くじく  (他動詞) - くじける (自動詞)
くだく (他動詞) - くだける (自動詞、可能)
裂(さ)く (他動詞) - 裂ける (自動詞、可能)
避ける  (他動詞) - (さかる)  遠ざかる (自動詞)
(商品を)さばく (他動詞) - (商品が)さばける (自動詞、可能)
透く(自動詞) - 透ける(自動詞) - 透かす(他動詞)  透いて見える、透けてみえる
空(す)く (自動詞) - 空かす(他動詞)  おなかが空く、おなかを空かす
(ご飯を)炊(た)く (他動詞) - (ご飯が)炊ける (自動詞、可能)
助ける (他動詞) - 助かる (自動詞)
(問題を)解(と)く (他動詞) - (問題が)解ける (自動詞、可能、自発)
溶(と)ける (自動詞) - 溶(と)く(他動詞)、溶かす (他動詞)
鳴(な)く (自動詞) - 鳴ける (可能)
泣(な)く (自動詞) - 泣ける (?)
はじく (他動詞) - はじける (自動詞)
剥(は)ぐ(他動詞) - 剥げる (自動詞)  剥がす(他動詞)
化(ば)ける (自動詞) - 化かす (他動詞)
ぶつかる (自動詞) - ぶつける (他動詞)
ぼける (自動詞) - ぼかす (他動詞)
負ける (自動詞) - 負かす (他動詞)
もうける (他動詞) - もうかる (自動詞)
向く (自動詞)- 向ける (他動詞)  <右を向くは>は<を>をとるので他動詞ではないか?(自分の身、顔を)右に向ける ->右を向く、という解釈もできる。
もぐ(他動詞) - もげる (自動詞、可能)
よける (自動詞、他動詞) 右によける、向かってくる自転車をよける。<右によける>は単純に自動詞とはいえない。目的語は省略されている。(自分の身を)右によせる -> 右によける、という解釈もできる。
分ける (他動詞) - 分かれる (自動詞)

 

一方上のかんばしくない意味の動詞の多くは名詞、形容詞、擬態語由来の独立した動詞だ。

 

sptt

 




Thursday, July 8, 2021

<心にもないことを言う>の<も>について


<心にもないことを言う>は<とってつけたようなお世辞を言う>、さらには<うそをつく>の意になり、よく聞く。<心にないことを言う>で<も>がなくてもよさそうだが、<心にもないことを言う>と<も>をつけて使われる。

この<心にもないことを言う>の<も>は、簡単なようで意外と難しく、少し前に検討した<キジも鳴かずば>の<も>と同じようなことが言える。 

<心にないことを言う>は直接的で含みがない。また<心以外にはあるかもしれない>といった感じになる。<も>の一字だが、これで

心や胸や腹や頭の中(など)にないことを言う。

といった意味になる。

<胸や腹や頭の中>は言葉に出てこないので、はっきりではないが、また程度もまちまちだが、無意識のうちに連想されている。<も>の手品みたいな効果だ。


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Sunday, July 4, 2021

<侮辱しないで>と<お気を悪くなさらないで>


<侮辱しないで>と<お気を悪くなさらないで>は一見関係なさそうだが

女性がよく使いそう

という点では共通なところがある。また、発話者でなく第三者からみると

侮辱しないで - バカにされた、見くだされた、見下げられた思った、感じたときの発話

お気を悪くなさらないで - バカにした、見くだした、見下(さ)げるような発言をした、またはするのではないかと思ったときのお詫び、またはお詫びの前置きの発話(の可能性がある)。

では共通している。

<お気を悪くなさらないで>は、これ以外では希望に添えない、がっかりさせるようなこと伝える時にも使いそう。

なぜこんなこんなことを調べる、再チェクする気になったのかは<ピノキオの冒険>にでてくる次の表現と関連がある -下線部。



第3章

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_3.htm


Geppetto, vedendosi guardare da quei due occhi di legno, se n'ebbe quasi per male, e disse con accento risentito:

"Occhiacci di legno, perché mi guardate?"



英訳


Geppetto, seeing himself regarded by those two wooden eyes, took it almost to heart, and said in a resented tone:

"Why do you look at me, you ugly wooden eyes?"


下線部は、イタリア語も英語も難しい単語はないのだが、フレーズとしては難しい。 male、 per male では辞書に出てこない。しかし難しいのは私だけではでないようで、ネットで調べてみると Pinocchio " se n'ebbe quasi per male " のフレーズで解説がある。原形(不定形)、標準形は aversene a male (aversene の sene はむずかしい)で、どうも<気を悪くする>の意味に近そうだ。<気を悪くさせる>ではない。英訳も調べがつかなかったが、苦心の訳だろう。to heart は<胸にくる、胸に突き刺さる、いらつかせる>とった意味か?<胸にくる>という言い方はないが<頭にくる>(<しゃくにさわる>に近い)というのはある。

<バカにする>は広く使われる。to tease、to make fun of というのもあるが、意識しなくとも to insult の意味で使われているだろう。

<気を悪くする>は他動詞を使ったちょっと日本語らしくない表現だが、しゃれたやまとことばだ。

sptt

<気は心>か


前回のポスト ” <気にさわる>と<心にふれる>” に続いて<気は心>という言葉を考えてみる。<気は心>か?別のブログ(sptt Notes on Grammar)で約9年前に<気は心>というタイトルのポストを書いており、これを利用する。

<気(き)>を含む重箱読みの例

気合い、気負い、気後れ、気落ち、気掛かり、気兼ね、気位い、気配り、気心(こころ)、気さく、気障(ざわ)り、気立て、気違い、気遣(使)い、気詰(づ)まり、気取(ど)り、気晴らし、気まぐれ、気まずい、気短か、気難しい、気持ち、 気やすい、気弱(よわ)、気らく

<心>で入れ替え可能なもの

こころ配り
こころ遣い
こころ持ち 

ぐらいで思ったより少ないが意味も大差ない。これからすると、<気は心>は<気=心>でもよさそう。だが、いろいろな解釈があると思うが<気は心>のいうところは<気=心>ではない。

もう少し調べてみる。

<気(き)>を含む湯桶読みの例

いい気、勝(かち)気、強(つよ)気、弱(よわ)気、悪気(わるぎ)、堅気(気質とも書かれる)

いい気 = いい心、 ではない。  例)いい気になる。
悪気(わるぎ)、悪い気 = 悪いこころ、ではない。  例)悪気はなかった。悪い気がする。悪い気はしない。


もちろん、<気(き)>は独立して(名詞)自由に使われる。

動詞 + 気  - する気、やる気、行く気、乗り気(どういうわけか<乗る気>ではない)
形容詞 + 気 - いい気、悪い気 (上述)。
名詞の気 - 気が合う、気がある、気がいい、気が狂う、気が気でない、気が済まない、気が立つ、気が付く、気がない、気が滅入(めい)る、etc.

繰り返しになるが、

いい気 = いい心、 ではない。
悪気(わるぎ)、悪い気 = 悪いこころ、ではない。

これからしても

<気は心>は<気=心>ではない。気と心はどこが違う。

これを調べる、再チェクする気になったのは、<ピノキオの冒険>にでてくる次の表現に遭遇したのと関連がある -下線部。




第3章

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_3.htm

Geppetto, vedendosi guardare da quei due occhi di legno, se n'ebbe quasi per male, e disse con accento risentito:

"Occhiacci di legno, perché mi guardate?"


英訳

Geppetto, seeing himself regarded by those two wooden eyes, took it almost to heart, and said in a resented tone:

"Why do you look at me, you ugly wooden eyes?"

下線部は、イタリア語も英語も難しい単語はないのだが、フレーズとしては難しい。 male、 per male では辞書に出てこない。しかし難しいのは私だけではでないようで、ネットで調べてみると Pinocchio " se n'ebbe quasi per male " のフレーズで解説がある。原形(不定形)、標準形は aversene a male (aversene の sene はむずかしい)で、どうも<気を悪くする>の意味に近そうだ。<気を悪くさせる>ではない。英訳も調べがつかなかったが、苦心の訳だろう。to heart は<胸にくる、胸に突き刺さる、いらつかせる>とった意味か?<胸にくる>という言い方はないが<頭にくる>(<しゃくにさわる>に近い)というのはある。関連表現では

xx が
気に食(く)わない
気にさわる
気になる

があるが、<xx が気にyy>という言い方で<気を悪くする>の構造ではない。<気をよくする>といういいかたもあるが、<いい、よい>の意味からずれたかなり特殊な意味だ。

 

(*末尾)<気>の大和言葉化

<気は心>というが、ここでは、大和言葉化した<気>について書く。気心(きごころ)という言葉があり、気(き)=心(こころ)のようだが、大きな違いがあるようだ。<こころ>は大和言葉の名詞代表と言える。一方気(き)の方は純やまとことばではなく中国語起源の<気>だろう。(*末尾参照)

<気>の発音は<き>と<け>がある。

現代中国語(普通話)の<気>の発音は(qi、チまたはチィ)で昔のある地域では<き>に近い発音だったのだろう。広東語では(チ)とはほとんど関係なさそうな<hei>と発音するが、これも、もともとは<khei>ではなかったか。なぜなら、他の普通話の<qi>は、 広東語では汽、起は<hei>だが、企、旗、其、期、起,騎、奇などは<khei>と発音する。<kei>ではなく<khei>としたのは<khei>は <gei>ではないが<ややソフトkei>に対して、<khei>は少しばかり<h>が入る<ハードな<kei>だ。<khei>が<け>に変わるのは難し くない。経済の法則が働く。(四声は無視)。いつ、中国のどの地域(の人々)から輸入したのか調べるのはむずかしいが、とにか日本では<気>の発音は<き>と<け>の二つになり(漢音、呉音とかいうやつかもしれない) 、意味も微妙, というよりはかなり違う。

なお、<チ>は普通話では<qi>はややハードで、<ji>はややソフト, さらに<chi>が<zhi>があって日本人は相当練習しないと聞き取れないし、発音しわけ切れない。

<気(き、け)>は深く日本語化(大和言葉化)しているが、気は気韻、気功、気宇などの純中国語が多いことからしても、純大和言葉ではない。

<気(き)>を含む重箱読みの例

気合い、気負い、気後れ、気落ち、気掛かり、気兼ね、気位い、気配り、気心(こころ)、気さく、気障(ざわ)り、気立て、気違い、気遣(使)い、気詰まり、気取り、気まぐれ、気短か、気晴らし、気まずい、気難しい、気持ち、 気やすい、気弱(よわ)、気らく

<気(き)>を含む湯桶読みの例

いい気、勝気、強気、弱気、悪気(わるぎ)、 堅気(気質とも書かれる)

もちろん、<気(き)>は独立して(名詞)自由に使われる。

動詞 + 気  - する気、やる気、行く気、乗り気(どういうわけか<乗る気>ではない)
形容詞 + 気 - いい気、悪い気
名詞の気 - 気が合う、気がある、気がいい、気が狂う、気が気でない、気が立つ、気が付く、etc.

まあ、これだけあれば、 <気(き>がやまとことばと思っても不思議ではない。

意味は大まかに言えば大和言葉の<こころ> に近い。<気は心>なのだ。したがって、人がかかわっている。

一方、<気(け)>の方も <気(き)>に劣らず日常よく使われるが、どちらかといえば、湯桶読みが多いようだ。また<気(け)>の方は<こころ>というよりは、<なんだかよくわからないが何かある>の<何か>、或いは<なんだかよくわからないが何かあるような様子>を表している、気配だ(気配りではない)。したがって、必ずしも人がかかわっていなくともよい。また、<XX の気(け)がある>で<XX の傾向がある>の意味を表す。<XX 気味(ぎみ)>ともいえるが、こちらは<け>ではなく<き(ぎみ)>だ。

 <気(け)>を含む湯桶読みの例

味気、嫌(いや)気、色気、女っ気、男っ気、寒(さむ)気、 吐き気、火の気、人の気、眠(ねむ)気、

<気(け)>を含む重箱読みの例

気高い

形容詞 + <気(げ)>

あやしげ、いそがしげ、うるさげ、うれしげ、おぼろげ、おそろしげ、きむずかしげ、たのしげ、つまらなげ、すずしげ、むずかしげ、ものうげ、やさしげ、よわよわしげ、


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<気にさわる>と<心にふれる>


<さわる>と<ふれる>は似ているが、<気にさわる>と<心にふれる>は雲泥の差がある。<さわる>と<ふれる>は英語では to touch で間に合いそうだが、 to touch は他動詞、一方この連想から<さわる>と<ふれる>は他動詞に見えるが、基本的には自動詞。だがそう簡単ではなさそう。

xx がyy にさわる
xx がyy にふれる

が基本にあるようだが、<xxが>省かれることもある。

話が核心にふれる。
風で木の枝が顔にふれた。


キズにさわると痛い。

栗のいがにさわると痛い。
電線にぬれた手でふれると危険だ。



予期せずに

キズにさわると痛い。
栗のいがにさわると痛い。
電線にぬれた手でふれると危険だ。

だと自動詞っぽいが

キズにさわると痛い。 (さわってみる、さわろうとしてさわる)
栗のいがにさわると痛い。 (さわってみる、さわろうとしてさわる)
電線にぬれた手でふれると危険だ。 (ふれてみる、ふれようとしてふれる)

だと他動詞っぽい。

手が氷にふれると冷たい。  

も自分で氷にふれることも想定される。それでも<を>ではなく<に>をとるので自動詞か?

以上の例から<ふれる>は<予期しないで、xxがふれる>でかなり自動詞っぽい。一方<さわる>は<意識して、さわる>ケースがままあり、他動詞っぽい。以前どこかでふれたが

太郎は花子の体にさわって、セクハラと大声で言われた。
次郎は美代子の体にまちっがて手がふれただけで、セクハラと大声で言われた。

太郎の行為は意図的、次郎の行為は意図がない。

太郎は花子の体さわって、セクハラと大声で言われた。

とはいいそうもないが

太郎は花子の体をさわりまわして、セクハラと大声で言われた。

ならいい。

さて<気にさわる>と<心にふれる>だが、<さわる>はコンピュータワープロでは<触る>、<障る>と漢字がでて来るが当て字気味で、<さわる>の平仮名が適当だ。

しゃくにさわる
さしさわりがる
さわらぬ神にたたりなし

といった言い方あり<さわる>のは避けた方がよさそう。<さわって>いらぬ、余計な波風を立てる、<さわる>と波風が立つようだ。

一方<ふれる>は<ふる>(振動させる)、<ふるえる>(振動する)の関連語だろう。<心にふれる>は<眠っている心をふるわして感動させる>、<心がふるえて感動する>といった意味だ。

 

sptt


 



 

 

Sunday, June 27, 2021

雉も鳴かずば撃たれまい


<雉も鳴かずば撃たれまい> は<よけいなことは言わない方がよかった>、さらには一般化して<よけいなことは言わない方がいい>といった意味だが、日本語として相当こなれた言い方だ。またすべてやまとことばだ。何も特別<雉>でなくてもいいようだ。

鳩も鳴かずば撃たれまい。
猿も騒(さわ)がずば捕(と)られまい。
タヌキも穴から出ずば捕(と)られまい。
モグラも頭を出さずばたたかれまい。 

細かいことをいうと<雉も鳴かずば>の<も>はどういう意味か?これは

菊も香(かお)る季節

という言い方に似ている。 いろいろ考えたが、次のように解釈したらどうか。

雉も、鳴かずば、撃たれまい。

雉も(そうだが、雉にかぎらず、撃たれる運命にある雉と同じような状況にあるモノはみな)、鳴かずば、撃たれまい。

と言い換えできる。この<も>は(  )内にあるような背景を背負った助詞といえる。 これで教訓性がでる。とりわけ雉でなくてもいいのだ。

これは、私の新発見か、と思って調べたが、残念ながらそうではない。” 譲歩の大助詞<も> ” のポストで紹介しているが、手もとの辞書<三省堂新明解>の助詞<も>の解説の一番目に

1) 類似した事柄を列挙したり、同様の事柄がまだあることを言外に表わしたり、する。

とあり、まさしくこの<同様の事柄がまだあることを言外に表わし>だ。

これをを参考に

菊もかおる季節

を考えてみる。 <菊もかおる季節>は秋を想定させる。同類の範囲を狭めて、あるいは広げて

 菊も(そうだが、菊にかぎらず、秋に花を咲かせてかおる花々が)かおる季節

とならないか? 

以上は最近書いた sptt Notes on Grammar の方の ” <キジも鳴かずば>の<も>について、大助詞<も>-2 ” (大助詞<も>シリーズ)の結論部。


sptt

 


Sunday, June 20, 2021

しらを切る、しらばっくれる


しらを切る、しらばっくれる、知らんぷり(する)

<知っているのに知らない>という、と言い張る、ふりをする 

<知らんぷりする>は言葉通りで<知らないふりをする>だが、<しらを切る>、<しらばっくれる>は語源がいくつかあるようだ。<しらを切る>はやや改まった言い方だが<しらばっくれる>、<知らんぷり(する)>は日常口語だ。意味はずれるが、昔の学生用語だろうが<しかとする>というのがある(あった)。 

英語で何というかというと

to pretend not to know something even though knowing it.

だが、これではおもしろくない。<しらを切る>、<しらばっくれる>の語感がない。

なぜこんな話をしているかというと<ピノキオの冒険>にでてくる話と関連がある。ピノキオはウソをつくと鼻が長く(高く)なる。 ピノキオの鼻が長く(高く)なる場面はたくさん出てきそうだが、わずか2回しかない。これは二番目の話だ。この場面の原文と英語訳は次のようになっている。

第29章


http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_29.htm


"E chi è questo Pinocchio?" domandò il burattino facendo lo gnorri.

"Dicono che sia un ragazzaccio, un vagabondo, un vero rompicollo..."

"Calunnie! Tutte calunnie!"

"Lo conosci tu questo Pinocchio?"

"Di vista!" rispose il burattino.

"E tu che concetto ne hai?" gli chiese il vecchietto.

"A me mi pare un gran buon figliuolo, pieno di voglia di studiare, ubbidiente, affezionato al suo babbo e alla sua famiglia..."

Mentre il burattino sfilava a faccia fresca tutte queste bugie, si toccò il naso e si accòrse che il naso gli era allungato più d'un palmo. Allora tutto impaurito cominciò a gridare:

"Non date retta, galantuomo, a tutto il bene che ve ne ho detto; perché conosco benissimo Pinocchio e posso assicurarvi anch'io che è davvero un ragazzaccio, un disubbidiente e uno svogliato, che invece di andare a scuola, va coi compagni a fare lo sbarazzino!"

Appena ebbe pronunziate queste parole, il suo naso raccorcì e tornò della grandezza naturale, come era prima.


英語訳

"And who is this Pinocchio?" asked the marionette, playing possum.

"They say that he is a bad boy, a vagabond, a true daredevil..."

"Calumnies! all calumnies!"

"Do you know this Pinocchio?"

"By sight!" replied the marionette.

"And what is your opinion of him?" asked him the little old man.

"He seems to me a very good boy, full of willingness to study, obedient, affectionate to his father and to his family..."

While the marionette was reeling off without blushing all these lies, he touched his nose and realized that the nose had lengthened more than one hand's breadth. Then all frightened, he began to cry out:

"Don't believe, good man, to all the good I have been telling you about him; for I know Pinocchio very well and I can assure you that he is really a bad boy, disobedient and idle, who instead of going to school, goes with his companions to play scamp!"

He had scarcely pronounced these words, that his nose shortened and returned to its natural size, as it was before.

キーワードは

il burattino = the marionette からくり人形(ピノキオのこと)

facendo lo gnorri.  原形 fare (= do) lo gnorri

は<しらを切る、しらばっくれる、知らんぷり(する)>の意で、意味が通じるのだが、やや詳しいイタリア語ネット辞典では 


https://www.treccani.it/vocabolario/gnorri/

gnòrri s. m. [tratto da ignorare]. – Usato nella locuz. fare lo gn., fingere di non sapere, di non capire (con usi analoghi a nesci).

動詞<ignorare (= to ignore) 由来。熟語 fare lo gn(orri) として使用。fingere di non sapere, di non capire  = to pretend not to know (nesci = srupid, simple, naive とを示唆)

この説明からすると、 fare lo gn(orri) は<しらを切る>、<しらばっくれる>、<知らんぷり(する)>の意なのだが、最後のバカ、まぬけ、ナイーブ(世間知らず)を示唆して使われる、とある。この最後の部分は合点(がてん)がいかないところろがある。
 

 合点はいかないが、上で書いた

意味はずれるが、昔の学生用語だろうが<しかとする>というのがある(あった)。 

と少し関連がありそう。

次はこに箇所の英語訳 playing possum だが、私は初めて出くわした。

同じくネットで調べてみると

(to) play possum

1. To pretend to be dead; to play dead (typically so a predatory animal will lose interest and leave one alone). A reference to the involuntary defense mechanism of the North American opossum. If we encounter a bear in the woods, is it better to play possum or try to run?
 
2. By extension, to pretend to be asleep, inactive, or unaware as a means of avoiding someone or something. Josh just puts his head down and plays possum whenever the boss looks for someone to do a job for him. I played possum in my room when I heard my mom shouting about the broken lamp.

これからすると、アメリカ英語のidiom のようだ。またこの1.の説明からすると原意は小動物の possum が防衛のため(と思って)する<死んだふり>のようだ。これと関連はある2.の例文は<しらを切る>、<しらばっくれる>の語感はある。

小動物 possum をネットでしらべてみると落語みたいなおもしろい話がる。英訳者はおそらくこれをしってこうやくしたのだろう。

<うそをつく>と<しらを切る>、<しらばっくれる>は内容が違うが、ピノキオの鼻は長く(高く)なる。

 
Calunnie = Calumnies = 中傷(ちゅうしょう)

 

sptt

 

 

Friday, June 18, 2021

おもしろ半分、遊び半分、いたずら半分

 

<おもしろ半分(はんぶん)>はおもしろい言い方だ。

おもしろ半分にやってみた。

は中立だが、 

おもしろ半分にやってみただけだ。

はなにか悪いことをした場合には、たとえば

この万引きはおもしろ半分にやってみただけだ。
このいじめはおもしろ半分にやってみただけだ
このいたずらははおもしろ半分にやってみただけだ。

-悪いことをしようとする気持ちはなかった。
-悪気はなかった
-許してくれ。
ー責任も半分だ。

と言いわけになる。

一方なにか思わぬ良い結果がでた場合も

競馬はおもしろ半分にやってみただけだが、大金(たいきん)がころがりこんできた。
この実験はおもしろ半分にやってみただけだが、大きな発見があった。
この調査はおもしろ半分にやってみただけだが、新しい事実関係がわかった。

という。

以上は<本気半分>、<まじめ半分>とは言わないだろう。 

一方似たような言い方に<遊び半分>がある。<おもしろ半分>は<遊び半分>で置き換えられそう。

似たようなのに<いたずら半分>があるが、<いたずら>が基本的に悪いことなので、中立ではなさそう。だがこれもおもしろいい方だ。

<いたずら>は古語の<徒(いたずら>に>の<いたずら>由来で、意味にズレの変遷がある。

前回のポスト<なまける、ずるける、さぼる>で

手もとの辞書で<なまける>を調べていたら、ごく簡単に


自動詞。本来すべきことを、(それをする時間的余裕があるのに、)しないでむだに過ごす。ずるける、さぼる。

 ”

と書いたが、<いたずら>の語源(古語の<いたずら>に意味)は<なまける>と大いに関係がある。

 

sptt

 


Wednesday, June 16, 2021

なまける、ずるける、さぼる


たまたま、<遊ぶ>関連で手もとの辞書(三省堂新明解6版)で<なまける>を調べていたら、ごく簡単に


自動詞。本来すべきことを、(それをする時間的余裕があるのに、)、しないでむだに過ごす。ずるける、さぼる。

 ”

と書いてあった。  <過ごす>はこの辞書では他動詞となっている。ついでに<ずるける>、<さぼる>も調べてみたら、やはり自動詞となってる。

勉強をなまける。
仕事をずるける。
任務をさぼる。

と言う。 それでも自動詞か?

<なまける>、<ずるける>、<さぼる>はおもしろい動詞で、おそらく<なまける>がオリジン。<なまぐさぼうず>という言い方があるが、<ふまじめな、なまける僧侶>の印象がある。<ずるける>は<ずれる>のもとの語<ずる>に<なまける>の<ける>の語感がついたものか。<ずれる-ずらす>の自他コンビは自他兼用動詞<ずる>由来だろう。関連語では日常よく使う<ずるい>、<ずるがしこい>という形容詞や<ずるずる>という擬態語がある。

<ずるい>自体おもしろいことばで、わたしも使うが意味がよく分かって使っているわけではない。また意識したり意識しないで<ずるい>ことをやっているような気がする。

<さぼる>は<サボタージュ>からの造語だが、 <サボタージュ>が意識にのぼることはほとんどない。

<なまける>、<ずるける>がそうだが<xx ける>はなぜかおもしろい表現の動詞が多い。

あざける
おどける
かまける
しらける
とぼける
ふざける
ほうける

おおまかに言うと、本気、正常から少し<ずれ>ていること、<ずれたこと>をするで共通している。そして往々にして本気、正常にもどるこが予想されているので、そうシリアスにはならない。

<ける>自体は特別の意味がないのにこうなるのはどうしたわけか?

 

sptt

 

 

Friday, June 11, 2021

手を出す

 

<顔を出す>に続いて<手を出す>を検討してみる。

日本語の<手を出す>は何かをもらうときや手相を見てもらうときの<手を出す>以外は比喩的、慣用的表現になる。

会社のカネ(公金)に手を出す。
隣の奥さんに手を出す。

<手を出す>も<顔を出す>と同じく他人の手ではなく自分の手だ。イタリア語であれば自然に再帰動詞表現になる。

darsi o stringersi la mano         英語訳 to hold hands, to shake hands

英語訳は意訳と言える。英語は再帰動詞表現に乏しいのだ。再帰動詞表現に慣れてくると、英語の方が<だれの手だかはっきりしない>感じになる。

darsi o stringersi la mano  は日本語の<手を出す>の純粋の動作の表現に近い。さらには

手をさし出す
手をさし伸べる

にも相当するが、これらも比喩的な慣用用法がある。


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耳を傾ける


<耳を傾(かたむ)ける >は文字通りでは変な表現で、多分<耳がある顔、頭を傾けて音がでているところに耳を近づけ、よく聞こえるようにする>ことだろう。これはヒトは犬のように耳だけを傾かせる、動かせることができないからだ。

一方<聞き耳をたてる>、<耳をそばだてる(直立させる)>という言い方もある。

これらは<ヒトは犬のように耳だけを傾かせる、動かせることができない>ことを考えると、比喩的な表現だ。

耳を傾(かたむ)ける



聞き耳をたてる、耳をそばだてる

は意味が違う。

<耳を傾(かたむ)ける>は飛躍して<他人の意見をよく聞く>、さらにはそして実際には<他人の意見をよく聞き、それにしたがう>とうい意味で使われる。

英語では

to listen to

あるいは比喩的に

You should have big ears.

と言うかも知れない(未確認)。

ふつう

You have big ears.

は(他人の)小さい、細かいニュース、うわさまでしっている、といった否定的な意味で使われる、ようだ。

聞き耳をたてる、耳をそばだてる

には<他人の意見をよく聞く、(聞き、それにしたがう)>という意味はない。だいたい<聞きにくい小さな音をきこうとする>の比喩的な意味で使われる。

さて、以上の<聞く>表現に関連して国が変われば、言葉が変われば同じような表現でも意味が違う例を見つけた。

ピノキオの冒険原文(イタリア語)

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/pin_20.htm

でかなり頻繁に出て来る表現に

dare retta a (qualcuno)

と言うのがある。英語訳はだいたい

to listen to (someone)

となっており、日本語では<耳を傾ける>相当だ。< dare retta a>の retta は<直立(した)>といった意味だ。そして<体を直立して>ではなく<耳を直立させて>、<耳を立てて>、さらには<耳をそばだてて>が一番近いようだ

語源が詳しいTreccani 辞典(on-line)では

rètta1 s. f. [forse lat. arrecta (auris) «(orecchio) rizzato, teso»].

という解説がある。


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Friday, May 28, 2021

よじのぼる

 

<よじのぼる>はあまり使わないが、<自分自身のからだをよじって、よじりながら、のぼる>という意味だ。つまりは<よじる>と<のぼる>の複合動詞。具体的には

太郎は木をよじのぼる。 

太郎は高い壁のそばにある木をよじのぼって壁を越えて中に入った。

これは、壁をのぼるが難しいかfらだ。 だが高い壁をのぼっていければ、木をよじのぼる必要はない。だが壁をのぼれるのは虫や、ヤモリ、スパイダーマンの類だ。植物ではツタが壁を<這(は)いのぼって>といく。<這(は)いのぼって>いるツタをよく見ると吸盤があり、壁の表面に吸い付いてずり落ちないない仕組みになっている。ヤモリ、スパイダーマンも吸盤を使っているようで、これだと表面がつるつしたガラスの壁ものぼれる。虫は、よく観察したことはないが、吸盤方式でないとガラスの壁はのぼれないのがいるだろう。普通壁は<よじのぼる>ではなく<這いのぼる>だろうが、あまり聞かない。これは人が壁を<這いのぼれない>からだろうか。<這いあがる>は比喩的、慣用的に使われる。それほど高くない壁で身軽であれば、人は壁を<駆(か)けのぼって、あがって>越えることができるかもしれない。<よじのぼる>はなんでもない動詞のようだが、これは<よじる>と<のぼる>を簡単に並べて複合動詞ができる日本語の大きな特徴による。

さて、なぜこのような重箱の隅をつつくような話をしているかというと、イタリア語の arrampicare の再帰形の arrampicarsi  (arrampicatosi) という語に出くわしたからだ。どこで出くわしたかというと、イタリア語の童話<ピノキオ(の冒険)>だ。イタリア語の arrampicarsi  の英訳は to climb という一般的な動詞を使っている。イタリア語と英語を並べると、

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/

第7章

Geppetto, credendo che tutti questi piagnistei fossero un'altra monelleria del burattino, pensò bene di farla finita, e arrampicatosi su per il muro, entrò in casa dalla finestra.

Geppetto, thinking that all these wailing was only another of the marionette's tricks, decided to put an end to it, and climbing up the wall he went in through the window. 


ネット辞書で調べてみると

Treccani

rampicare
v. intr. [der. di rampa] (io ràmpico, tu ràmpichi, ecc.; aus. essere). – Lo stesso che arrampicarsi (rispetto a cui è assai meno com.):

これはrampicare はあまり使われず、arrampicarsi に置き換えられている、ということ。
ramicare は自動詞で<登る>という意味がある。この rampicare に接頭辞の<a->をつけたのが
arrampicare で他動詞になって<登らせる>の意になるのだが(接頭辞の<a->の働き)、これも使われず、実際に使われるのは再帰形の rampiccarsi なのだ。再帰形なので、意味は<自分自身を登らせる>で、さらには自動詞の<登る>の意に逆戻りする。

Cambridge

arrampicarsi
 
verb (reflexive) 
  /arːampi’karsi/
(salire)
to climb (up)
Il gatto si è arrampicato sull’albero. The cat climbed up the tree.
L’edera si arrampica al muro.  The ivy climbed up the wall.

例文は実際的な使われ方だろう。使われるケースは限られるだろう。

Collins

to climb (up)
arrampicarsi sul tetto    to climb (up) onto the roof
arrampicarsi sugli specchi o sui vetri (figurative)   to clutch at straws

二番目は慣用表現。英語のto clutch at straws は日本語で<わらをもつかむ>という言い方があり、この英語表現由来か。イタリア語を参考にすると意味が少しずれているようだ。あるいは arrampicarsi sugli specchi o sui vetri<わらをもつかむ>という意味があるのか?


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Thursday, May 27, 2021

顔を出す

 

<顔を出す>は慣用表現で<(すでに知っている)人に会う、会いに行く、来る>といった意味だ。<顔>を使った慣用表現は少なくない。

すごみを効かせて、

ちょっと顔を出してもらおうじゃないか。

といわれると、行くのがためらわれる。

顔を見せる

(ウソを言っているのが)顔に出る、(不満を、怒りを)顔に出す
ウソというのが顔にかいてある。

小さな子供だと本当だと思うだろう。<真顔(まがお)になる>という言い方があるので、顔はふだんはウソをかいているのことになるのか。さらには、<ウソでかためた顔>もありそうだが、こわれやすいか?

顔を合わせる、合わせる顔がない(出す顔をがない、見せる顔がない、はあまり聞かない)、顔合わせ。顔見せ。

その他

顔から火が出る
顔に泥を塗る (顔に墨を塗る)
したり顔
顔見知り
顔を貸してもらう
顔が丸つぶれ

英語では

face to face (これはそのまま日本語になっている) 日本語は<顔をつきあわせて>か?
to lose face

というのがある。to lose face は慣用表現だ。

<顔>意外に<つら(面)>というのがある。

つらを汚(よご)す、つら汚し
つらの皮が厚い
こんなバカなまねをし奴(やつ)のつらが見たい 

<面>は音読みの<めん>も使われる。<お面>はまた別だ。

面と向かって
面食い

さらには

<おもて(面)>をあげる

というのもある。

 

冒頭の<顔を出す>にもどると、<顔を見せる>、<姿を見せる>も同じような意味だが<姿を出す> という言い方はない。また<顔を出す>はもとの意味で<窓から顔出す>と言うが<窓から顔を見せる、姿を出す、姿を見せる>とはあまり言わない。

さて、このような重箱の隅をつつくような話をしているかというと、イタリア語の affacciare の再帰形の affacciarsi という語に出くわしたからだ。どこで出くわしたかというと、イタリア語の童話<ピノキオ(の冒険)>だ。イタリア語の affacciarsi の英訳は to come to、to appear という一般的な動詞を使っている。イタリア語と英語を並べると、

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/

第6章

Allora Pinocchio, preso dalla disperazione e dalla fame, si attaccò al campanello d'una casa, e cominciò a sonare a distesa, dicendo dentro di sé:

"Qualcuno si affaccerà".

Difatti si affacciò un vecchino, col berretto da notte in capo, il quale gridò tutto stizzito:

"Che cosa volete a quest'ora?"
 

At this point Pinocchio, seized by desperation and hunger, laid hold of the bell of a house and began to ring it without interruption, saying to himself:

"Someone will come to the window."

In fact there appeared a little old man, with a nightcap on his head, who called down angrily:

"What do you want at this hour?"

 

調べてみると、affacciarsi の文法的分解はややこしい。affacciarsi の<faccia>は顔という意味で、英語の face だ。これに接頭辞の<a->がつき、動詞語尾の<-are>がついたもの。原形は affacciare だが、このままではほとんど使われない。affacciare は他動詞。接頭語の<a->は名詞や形容詞を他動詞化)する働きがある。無理に訳せば<顔を出させる、見せる>。これだと他人の顔も対象になる。再帰の代代名詞 si は<自分自身を>の意なので、affacciarsi は<自分自身を、顔を出させる、見せる>で結果的には、他人のではなく自分自身の顔を出す、見せる>。さらには英語のように to appear の意になる。直訳すれば、イタリア語では face が動詞のなかに組み込まれてしまっているが、英語では再帰語法はほとんど使われないので、to show one's own face になる。こう考えると affacciarsi はかなりの省力化動詞だ。

イタリア語では faccia のほかに viso というのがあり、使い分けられているようだ。


sptt

 

 

 

Wednesday, May 26, 2021

見るま、またたくま

 

<見るまに>は短い時間と思うが<またたくまに>はもっと短い時間のことだ。

見る間にあたりが暗くなってきた。

<またたくま>にあたりが暗くなってきた。 

はダメだろう。<見るまに>は<みるみる>でもよさそうで

みるみるあたりが暗くなってきた。  

<みるみる>はおもしろい言い方で、<みるみる>に<見る>の意識はほとんどないが、<みるみる>は<見て、またすぐ見る>の意だろう。<見て、またすぐ見る>は<またたく>をゆっくりするようなことだ。

さて、このような重箱の隅をつつくような話をしているかというと、イタリア語の dal vedere al non vedere という言い方に出くわしたからだ。どこで出くわしたかというと、イタリア語の童話<ピノキオ(の冒険)>だ。その英訳は意外というか、苦心の作でおもしろい。イタリア語と英語を並べると、

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/

第5章

Ma l'appetito nei ragazzi cammina presto, e di fatti, dopo pochi minuti, l'appetito diventò fame, e la fame, dal vedere al non vedere, si convertì in una fame da lupi, in una fame da tagliarsi col coltello.

But appetite with boys walks fast, and in fact, after a few minutes, the appetite became hunger, and the hunger, in a twinkling, became ravenous; a hunger one could slice with a knife.

dal vedere al non vedere は直訳すれば<見るから見ないへ(の間に)>で<またたく(まぶたをたたく)>に近い。一方英語が in a twinkling で twinkling はtwinkle twinkle little star という歌があるので、星がチラチラするの<チラするあいだ>で、これもきわめて短い時間で、これも<またたく>に近い。そのほかにも英訳は苦心のあとがみられ、

si convertì in una fame da lupi 

 が

became ravenous

 になっている。 <オオカミのように腹をへらして>という表現は英語にないのだろう。最後の

una fame da tagliarsi col coltello.

a hunger one could slice with a knife.

は多分<ナイフで切られるようなひどい<腹のへり方>という意味だろう。

ところで、英語の hunger とイタリア語の fame は名詞で日本語では<腹がへっていること>、<おなかがすいていること>の意味だが長すぎて、一語表現の簡潔さからはほど遠い。<飢(う)え>という言葉があるが、日本語の<飢え>は文章語で、口語ではいわば<腹へり>だが使うことはない。おそらくこれは<飢(う)え>が中国語の<餓(現代北京語ではあいまい母音の e (エではなく u ウに近い)>由来で、やまとことばではないためだろう。


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Tuesday, May 25, 2021

見とれる、みせられる、見入る

 

<見とれる>を<見取れる>と書くのはまちがい。 <見とれる>は<見て><取れる>ではない。問題は<とれる>で、これが何だかよくわからない。調べてみると、複雑で<見とれる>は<見とろける>という意味なのだ。意味が先にくれば<美人に見とれる>がなるほど、とわかる。

<とろける>は<とける>の関連語だが、砂糖が水(お湯)にとけてもすぐにな<とろけ>ない。<水あめ>をどういうふうにつくるのか知らないが、<水あめ>はねばねばしていて、とろけた状態とは言い難い。<水あめ>をお湯で適当にとけば<とろけた>状態になりそうだ。 

一般には<かたいモノ>が<とける>と<とろけた>状態 になる。かたいといっても石のようなものはダメだ。肉を煮ると柔らかくなるが、<とろ>火で煮るのがよさそうだ。かたい鉄も高熱でとろけた状態になる。石も超高熱でとろけた状態になるか。石はくだきつぶす、またはすりつぶせそうで、粉にしてから水かお湯でかきまぜればとろけた状態になるか。鉄や石はとろけた状態にしても食べられないが、かたい穀物は熱でとろけた状態にしてから食ることが少なくない。

<とろける>は自動詞で、他動詞は<とろかす>、<とろけさす>。 <見とれる>のもと<見とろける>は<見て、かたい自分がやわらかくなるような、とけていくような>様子の形容だ。とろけると外部からの力で変形し、固定した形がなくなる。つまりは、固定した形の自分がなくなるのだ。

似たようで、ややこしい言葉に

みいる: 見入る - 魅入る
みせられる: 見せられる - 魅せられる

がある。これもしらべてみたら、もとは、ほとんど使わない<みする>。<み>はやまとことばではなく、魅力の<魅(み)>で、この<魅(み)>に<する>がついた<魅(み)する>。<魅(み)する>の受身形が<魅せられる>。

<魅(み)する>は漢字に意味を借用した外国語の翻訳だろう。というのは他動詞だからだ。英語で言えば

to charm
to enchant

でこれを受身形にすると

to  be charmed
to be enchanted

となる。to  be charmed はあまり聞かない、見ないが、形容詞の charming は日本語にもなっており、これが<魅(み)する>に関連しているか。だが to enchant = 魅(み)する、がぴったりだ。

さて、このような重箱の隅をつつくような話をしているかというと、英語の entranced という語に出くわしたからだ。どこで出くわしたかというと、イタリア語の童話<ピノキオ(の冒険)>の英訳だ。イタリア語と英語を並べると、

http://ercoleguidi.altervista.org/pinocchio/

第3章

"Piglialo! piglialo!" urlava Geppetto; ma la gente che era per la via, vedendo questo burattino di legno, che correva come un barbero, si fermava incantata a guardarlo, e rideva, rideva e rideva, da non poterselo figurare.

"Catch him! Catch him!" shouted Geppetto; but the people in the street, seeing this wooden marionette running like a barbero, stood entranced to stare, and laughed, laughed and laughed as no one could ever imagine.

第4章

Il povero burattino rimase lì, come incantato, cogli occhi fissi, colla bocca aperta e coi gusci dell'uovo in mano.

The poor marionette stood there, as if entranced, his eyes fixed, his mouth agape and the egg-shell in his hand

原文のイタリア語の方は動詞 incantare の過去分詞 incantato で、これなら英語の方も enchanted でよさそうだが、なぜか entranced が使われている。

これは名詞の<入り口>の entrance と少しは関係があるかもしれないが、動詞 to entrance の過去分詞形だ。動詞 to entrance の意味は大体 to enchant と同じだが、 entranced だと

みいる: 見入る - 魅入る

と関係が出てくりかもしれない。前後の状況から、entranced の状況では少しの間だが動きがとまっている。このあたりにわざわざentranced という語を使った理由があるのか知れない。

日本語の方も<魅入る>はほとんど聞かず使わずで、使われるのは受け身形の<魅入られる>、<魅入られて>だ。また意味からすると<見入る>、<見入られる>でいい、というか本来これだろう。


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Monday, May 24, 2021

でんぐりがえる


<でんぐりがえる>を言葉で説明するのは簡単ではないが、子供も大人も<でんぐりがえり>、<でんぐりがえし>(手もとの辞書ではこれが見出し語になっている)は知っている。

英語ではどういうかというと somersault が名詞形で、<でんぐりがえる>という動作を言う場合は

to turn a somersault

とか

to make a  somersault

というようだが、わたしは聞いたことも使ったこともない。発音はサマーソルトで通じるだろう。言葉で通じなければ身をもって示せばいい。somersault の語源は dictionary.com では

1520–30; <Middle French sombresaut, alteration of sobresault; compare Old Provençal sobre over (<Latin super), saut a leap (<Latin saltus)

とあり、フランス語由来のようで,頭のsome は英語の some ではない。

さて<でんぐりがえる>はスポーツをのぞけば子供の遊びと言える。地上で<でんぐりがえる>のは、少し練習すれば、さほど難しくはない。これを空中でやるのは<とんぼがえり>と言うようで、これは練習と勇気がいるが、身軽という条件で、これまたさほど難しいことではない。<トンボを切る>という言い方がある。テレビなどでは忍者がこれをする。

ところでなぜ<でんぐりがえる>を取り上げたかというと、イタリアの子供向け童話に<ピノキオ(の冒険>>というのがあり、実際にフルで読んだ人は多くはないと思うが、始めの部分(第2章)にピノキオがダンスやフェンシングとともに<でんぐりがえり>ができるようにする、という話がある。イタリア語で<でんぐりがえる>、正確には<<でんぐりがえりをする>だが、これを

fare i salti mortali 

と言っている。何度もできるように複数になっている。salto (単数)は英語の sault と同根で、jump (名詞形)。上の語源説明で<saut a leap (<Latin saltus)>とある。イタリア語では似たような語に salute というのがあり、こちらは<健康>というい意味だ。問題は形容詞の mortale (単数名詞につく場合)で<死の>という意味だ。始めは何のことだかわからなかったが、<死ぬほどのジャンプ>、<決死のジャンプ>で意味がとおる。

<でんぐりがえる>にもどると、

世の中をひっくりかえす

は場合によっては革命のことと言えるが

世の中をでんぐりがえす(でんぐりがえさす)

では大きな騒ぎはおこるが、元に戻ってしまう。

関連の言葉に<ころがる>がある。純やまとことばで<ころがり>は物理用語か工学用語でよく使われる。体を横にしてころがるのは<でんぐりがえる>ではなく<ころがる>で、<ころがる>は基本動詞<ころがる>は<転がる>と書くが<でんぐりがえる>も回転運動だ。<寝ころがる>、は正確には回転運動ではなさそうだが<ごろごろする>は回転運動気味だ。

<ころげまわる>は<ころがり>ながら<まわる>でかなり複雑な動きだ。

<くるくるまわる> 、<ぐるぐるまわる>、<くる<、<ぐる>が擬態語だ。<でんぐりがえる>の<でんぐり>は<でんぐる>の連用形だと思うが、<ぐる>は擬態語に近い。<でん>は<でんでんむし>の<でん>と関係がありそうだ。<でんでんむし>は<出む出む、虫>が語源らしく、<でんぐる>は<出てぐるりとまわる>、<頭を前に出してぐるりとまわる>動作に近い。

 

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Definition of salto mortale

deadly jump : full somersault : fateful or dangerous decision

somersault

Origin of somersaultde

1520–30; <Middle French sombresaut, alteration of sobresault; compare Old Provençal sobre over (<Latin super), saut a leap (<Latin saltus)

 

Wednesday, May 12, 2021

そんじょそこいら、案の定

 

<そんじょそこいら>と<案の定>(<案の上>ではない)は何の関係もなさそうだ。<そんじょそこいら>はおそらく東京下町方言で歯切れがいい。使うのは死語のなりつつありヤグシ(香具師)だ。一方<案の定>は<やはり>の意味に近く、むしろ語源がよくわからない<やはり>の理解に役立ちそう。

さて<そんじょそこいら>と<案の定>の関係だが、<案の定>を平仮名で書いて並べると

そんじょそこいら
あんのじょう

これでもまだよくわからない。<そんじょそこいら>を手もとの辞書で調べてみると

そんじょそこいら <- そんじょうそこいら <- そのじょうそこいら

<そこいら>は<そこら> で<そんじょうそこら>とも言う。<そこら>は<ここら><そこら>の組がある。<あこら><どこら>は聞かないので<こそあど>にならない。相当するには<あちら>、<どこいら>だろう。<どこら>はほとんど聞かないが、<どこいら>は聞くし使う。

ここら(ここいら)、そこら(そこいら)、あちら、どこいら(どこら)

で不完全だが<こそあど>になる。

さて辞書の解説は<そのじょう>は<その定(じょう)>由来と書いてある。しかし<その定(じょう)そこいら>がどうして<そんじょそこいら>になるかだ。これは辞書の解説にない。ここで<案の定>が少し助けになる。

<案の定><やはり>の意味は

いろいろあったが、結局のところ予想、考えていた(こと)、<xxのはず>どおりになった

ような場合を示す(暗示する)ときに使われる副詞(句)といえる。正しかった予想、考えていた(こと)、<xxのはず>がある種の定(さだめ)、そうなること(そういう結果になること)が決まっていた、と考える考え方がある。運命説か。

<その定(じょう)>にこれをあてはめると、<そのように定められている>、<おきまりの>で、さらに<普通の>、<どこにでもあるような>となり<その定(じょう)そこいら>で意味が通じる。

 

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Thursday, April 29, 2021

<しかし>の語源

 

<しかし>は逆説の接続詞の代表。手もとの辞書(三省堂新明解)で調べてみたら、<しかしながら>の解説が

<しかし>の強調 

となっている。語源からすると本末転倒だろう。

<しかし>の<しか>は、<然(しか)り>の<しか>で

しからば (しかあらば) 順接
しかして (そうして)  順接
しかも  順接、追加

と活躍する。 <しかし>は<しかしながら>の短縮形だろう。

しか+しながら

<しながら>は

せまいながらも楽しい我が家 (貧しいながらも楽しい我が家、でもいいだろう)

これは <も>がない

せまいながら楽しい我が家

でもいい。

<しながら>の<し>は<する>の連用形の<し>。<xx ながら>同時進行の<食べながら歩く>という言い方もあるが

どぎまぎしながら(も)なんとか答えた

四苦八苦しながら(も)完成させた(生活した)

で逆接、さらには譲歩の意味がある副助詞。したがって

しか+しながら (しかしながら)

しか<する>だが(にもかかわらず)

すうするが、そうするのではあるが ‐> そうではあるが、そうであるにもかかわらず

のような意味になる。


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Tuesday, April 20, 2021

なしくずし

 <なしくずし>はよくわからない言葉だ。意味がわからないので使ったことはないが、聞いたことはある、だが、残念ながらどういう状況で使われたのかは記憶にない。おそらく意味がわからないので記憶に残らないのだろう。ネット調べてみたが、誤用が優勢になっているようだ。

https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=409

のサイトに詳しく丁寧な解説がある。これでわかったような気がするが実際自分で使うとすれば優勢になっている誤用の方だろう。勢いにはさからえないのだ。これは<なしくずし>の結果だろう。また<なしくずし>の威力ともいえる。

<なしくずし>は、手もとの辞書の簡単な解説によると<既成事実をつくること>と書いてあるが、大体はあるよからぬ、けしからぬ意図をもって既成事実をつくること、だ。これはよく目にする。けしからぬ意図がみえみえのこともあり、これは意味がさらに少しズレくるようだ。

 

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Saturday, April 17, 2021

<ことわり(理)>と<お断り>

 

<理>の一字で<ことわり>と読める人、読む人はごくまれだろう。<これ、ものごとの理なり>と書いてあれば、<これ、ものごとのリなり>でもいいが<これ、ものごとのことわりなり>のほうが語呂がいい。

やまとことばの大きな特徴のことばに<わかる>がある。<わかる>は<分ける>の関連語。<わかる>は<ものごとを分けて考えれば分かる>で、<ものごとを分けて考えること>、分析的な考え方の重要性を言葉が示している。

一方<理、ことわり>は<こと割>、<ことを割る>そして<ことを割って考える>に通じそうだが、そうはならず<断(ことわ)る>に通じていまう。<断(ことわ)る>には関連はあるが違った主に二つの意味がある。

1)(多くは相手に都合の悪いと思われること )を前もって伝えるておくこと。
2)申し入れ、願いごとを拒絶すること。

<断る>と書いてしまうとわからなくなるが、<ことを割る>がこのような二つの意味を持つようになったのは謎だ。また1)と2)どちらが元(もと)で、どちらが派生か?も謎だ。

ネットの語源関連辞典 (由来・語源辞典 http://yain.jp/i/%E6%96%AD%E3%82%8B ほか)では


断るの語源・名前の由来について、語源は「こと(事)」+「わる(割る)」で、物事の是非・優劣などを分けて判断する、きちんと説明する意味で使われていた。

それがあらかじめ理とつくして相手に知らせておく意や、事情を話して辞退する意になった。

となっているが、納得できる、あるいは<目からうろこ>の説明ではない。 <理とつくして>は<理つくして>だろう。だがこれからすると<「こと(事)」+「わる(割る)」で、物事の是非・優劣などを分けて判断する、きちんと説明する>がなぜかよくわからないが <あらかじめ理をつくして相手に知らせておく意や、事情を話して辞退する意になった>とあるので<ことわる(理)>と<断(ことわ)る>は関連があることになるが、疑問が残る。<語源は「こと(事)」+「わる(割る)」で、物事の是非・優劣などを分けて判断する、きちんと説明する意味で使われていた。>は本当だろうか。これまた疑問だ。


「こと(事)」+「わる(割る)」で、物事の是非・優劣などを分けて判断する、きちんと説明する意味

 ”

は<分けて>で<割って>ではない。<分ける>と<割る>は同じではない。<モノ>を<割る>と壊れる。モノを<割って、壊して>見ると中身を調べることができる。これは<分ける>でもいいが、<割る>の場合は破壊がともない元にもどらないのが基本だ。<分ける>は<分けて>見て、調べたあと、もとに戻すことができる可能性がある。あるいはもとに戻すことを前提として<わける>と考えることもでききる。

また<もの割る>ではなく<こと割る>だ。 <分ける>の方はことさら<もの分ける>でも<こと分ける>でもないが<割る>のほうはことさら<こと割る>だ。<もの割る>ではなく<こと割る>はかなり高度化、抽象化されたモノゴトの見方、表現で、むかしの日本人がやまとことばで考えていた時代に<ことを割る>ような高度化、抽象化されたモノゴトの見方をしていただろうか。おそらく漢語が入ってきてからの<やまとことば>だろう。

漢語の<理>は理由の理だが、理の一語では理由にならないだろう。<理屈>は漢語のようだが、日本版の漢語だ。これは下記の中国人向け日本語学習ネットの<理屈>の説明を見ればわかる。

https://www.hujiang.com/jpciku/je79086e5b188/
 
理屈是什么意思及读法
【名】
(1)理论lǐlùn。道理dàoli。理lǐ。理由lǐyóu。(物事のすじみち。道理。ことわり。)
理屈に合っている。/合乎道理。
双方ともに理屈がある。/双方都有理。
あの男に理屈を言って聞かせても無駄だ。/向他讲道理也白搭báidā。
理屈は結構だが実行はむずかしい。/理论满好,实行困难。
そんな理屈はない。/没有那种道理;岂有此理qǐ yǒu cǐ lǐ。
物事は理屈どおりにはいかない。/事物不能总照理走。
(2)歪理wāilǐ。诡辩。借口jièkǒu。(捏造niēzào的)理由lǐyóu。(こじつけの理由。現実を無視した条理。また、それを言い張ること。)
彼は何とか理屈をつけては学校を休もうとする。/他千方百计qiān fāng bǎi jì地找借口想不上学。
理屈をこねまわして自分の主張を通す。/捏造种种理由坚持自己主张。
理屈を言えばきりがない。/歪理说起来没有完。
そりゃ何とでも理屈はつくさ。/要找借口有的是!
理屈と膏薬はどこへでも付く。/借口随时都可找,膏药到处都可贴

 ”

この説明はたいへん参考になる。

(1)理论lǐlùn。道理dàoli。理lǐ。理由lǐyóu。(物事のすじみち。道理。ことわり。)

ここにやまとことばの<すじみち>、<ことわり>がでてくる。 道理は純漢語で日本版漢語ではない。道理は現代中国でもよく使わてるが(よく聞くのは<有道理>)、意味に日本語の道理とは少しズレがあるが、<ものごとの道理>はほぼ同じような意味だ。日本語では

道理で(おかしいと思った)

という慣用的な言い方がある。(1)のなかに<理由>があるのに注目したい。これは日本版漢語<理屈>の説明だが、<理论lǐlùn。道理dàoli。理lǐ。理由lǐyóu>なので、中国語では<理lǐ = 理由lǐyóu>としても大きな間違いではないだろう。ややこしいがここで<理lǐ>は<理lǐ =理论lǐlùn。道理dàoli>。さらにこれを日本語に流用すると、<ことわり>は<理由>、そしてやまとことばの<わけ>になる。<わけ>は<分ける>で、これがややこしい話をますますややこしくする。

日本版漢語<理屈>の説明で大いに参考になるのは(2)だ。

(2)歪理wāilǐ。诡辩。借口jièkǒu。(捏造niēzào的)理由lǐyóu。(こじつけの理由。現実を無視した条理。また、それを言い張ること。)

なぜかここでまた<理由>がでてくる。 (2)の解説は日本版漢語<理屈>の否定的な面の意味だ。いわば<へ理屈>の解説だ。私の見たところでは中国ではこの種の言葉が発達している。

繰り返しになるが、強調したいのは

<ことわり>は<理由>、<ことわり>は<わけ>になる。<わけ>は<分ける>で、これがややこしい話をますますややこくする。

の箇所。算数も<割り算>は<分け算>ともいえる。10を2で割ると5になる。言いかえると10個のモノを2個のグループで(2個ごとに)分けると5個の2個のグループになる。(末尾参照)

念のため手もとの辞書にあったてみたところ、<ことわり>の解説は


是非を判断する意の雅語の動詞<ことわる>の名詞形。ことわり(事分)の意。

とある。これでは<事割り>とは<ことわり(事分)>のこととなり、わけがよくわからない。話はやはりややこしいのだ。文献をたどれば<是非を判断する意の雅語の動詞<ことわる>>があるのだろうが、<ことわる>はやまとことばだが意味内容<是非を判断する意>は純やまとことばとは思えない。これは中国文化の影響がある。話はやはりややこしいのだ。この説明よりは、上記の中国語版日本語学習ネットの<理屈>の説明の1)、繰り返しになるが

(1)理论lǐlùn。道理dàoli。理lǐ。理由lǐyóu。(物事のすじみち。道理。ことわり。)

が大いに参考になる。これからすると

ことわり = 物事のすじみち、道理

となる。 道理はやまとことばの<わけ>に通じる。<わけ>は使い込まれた語でいろいろな慣用句がある。

わけがわからない  <理由、物事のすじみち>がわからない。
わけない   むずかしいことはない。むずかしいわけ(理由)はない。簡単だ。
わけあり   目に見えない、かくされた理由(事情)がある。

そんなことするわけない。  そんなことする(理由、道理、すじ、いわれ、はず)はない。

いいわけ   口実(こうじつ)。これは中国語での言い換えのようだが、本場の中国語は上にある<借口jièkǒu>だろう。<いいわけ>は順序を入れ替えたやまとことばの<わけ<理由>を言う>がもとになっている。これからすると、<わけいい>だ。<わけをいってみろ>という言い方がある。答えは口実、借口の<いいわけ>とは限らない。

わけがわからない  <理由、物事のすじみち>がわからない。

そんなこと、いいわけないだろう。  この<いいわけ>は上の<いいわけ(口実)>ではなく<よいわけ>で(イントネーションが違う)、<よい道理><よいみちすじ>の意。

以上は基本的には<理由>だが<物事のすじみち>とオーバーラップしているのがある。<理由>と<物事のすじみち>は不可分のところがあるようだ。


しない(行かない)というわけ(意味)ではない。 するのか、しないのか / 行くのか、行かないのか? かなり持って回った言い方だ。
xx というわけではない。   xx ということ(内容)ではない
これはあれとわけ(内容)が違う。
これはそこいらの安物とはわけ(内容)が違う。

以上は<理由、みちすじ>から意味がズレている。<わけ=意味、内容>というのは手もとの辞書にある<わけ>の意味の解説のひとつだが、<わけ=意味>はなんとか理解できるが、<わけ=内容>は相当の飛躍だ。

聞きわけがない  聞く耳をもたない、言ったことに従わない。<聞き分ける>由来だろうが、<聞き分からない>由来とも考えられる。   

話がだいぶ横道にそれているので、始めの話にもどる。繰り返しになるが

<断(ことわ)る>には関連はあるが違った主に二つの意味がある。

1)(多くは相手に都合の悪いと思われること )を前もって伝えるておくこと。
2)申し入れ、願いごとを拒絶すること。

<断る>と書いてしまうとわからなくなるが、<ことを割る>がこのような二つの意味を持つようになったのは謎だ。また1)と2)どちらが元(もと)で、どちらが派生か?も謎だ。

どちらが先か?はおそらく1)が先で、2)は相当込み入った1)の派生と考えらる。 

1)(多くは相手に都合の悪いと思われること )を前もって伝えるておくこと。

は<ことを割る>というよりは<ことを分ける>、<ことわけ>、<コトのわけ(理由、事情)を説明する>に近い。

2)申し入れ、願いごとを拒絶すること。

は<一般的な申し入れ、願いごと>を拒絶する、ではなく、1)の事前の了解を得る、得ておく<申し入れ、願いごと>あるいは<ことわけ>、これを受け入れないこと、受け入れないことの表明ではないだろか。こうすると、1)と2)の関連ができる。さらに、ここで<割る>がでてくるが(使われるようになった)、これは<こわす>(拒絶)の意がある。つまりは2)の<ことわる>は、<物事の是非・優劣などを分けて判断する>や<是非を判断する意の雅語の動詞<ことわる>なんかではなく、<ことわけ>を<こわす>ことの意からでてきた表現ではないか。

これが結論。


末尾

かなり前に<加減乗除のやまとことば >というポストを書いたことがある。その中で


<割る>は<分ける>でもあるが、正しくは<等しく分ける(等分)>だ。<割る>と余りが出たり、分数になったりする。一方分数を掛けることは<割る>ことになるので<掛ける>が常に<増える>ことではない。これは負数(マイナス)を足すと<引く>になるのに似ているが、<負数(マイナス)を足す>はかなり高度な数学的な技(わざ)だ。<掛ける>も見方を変えれば<同じモノ(数字)を何度も<足して>いくことなので、少なくとも<足す、引く、掛ける>は<足す>でまに合うことになる。

と書いている。 


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